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第953回。楽しかった履歴書を書こう
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履歴書なんぞホントに手書きであんなもん…写真も貼ってさ。めんどくせえよな。
でも何が便利ってアレいらねえっていう会社は結構やばいとこ多かったんでその目安にはなるかな。法被着てガラガラのカラオケ屋さんのカウンターで突っ立ってたけど二日で辞めさせてもらったもんな、そこは…手取り13万だけど社員並みにビシビシ育ててみたかった、期待してたんだけど…って言われてゾっとしたよ。
それは教育じゃなくなんかもっと他のもんに近いんじゃねえの…?
今はそのお店なくなっちゃって、別の会社の別のお店が入ってます。ビルは居抜きで借りてたのかに(大ヒント)。
で履歴書だよ。そう言うとなんか大層に感じるけど、今まで色んなことをやってきて楽しかったな、と思うことや自分なりに頑張ったこと、生きてた間の明るい方のトピックスなんかを書き出してみるのは健康の為にも良いのではないかと。
でも結局これってのは要するに体力の有り余ってる奴は運動しろ筋トレしろっていうし、逆にアタマ使うのが好きな人は脳トレとかそういうのやれっていうのと同じで。
生きてていい事なんかなかったじゃん自分、って思ってる人にはキツイというかバカげた真似なのかもしれないな。
小学校2年生から18歳でメキシコ行くまで10年くらい少林寺拳法をやっていた。小拳士弐段を取得した。初段辺りからはちょっと難しい話も入ってくるのだけど、もともと本を読むのが好きだったのでその辺も楽っちゃ楽だった。実技の色んな手首をぐりぐりやる技の方が難しかった。何しろ教えてくれている先生が岩瀬先生という文字通り岩か鬼みたいな先生で。身長180センチあってブルース・リーみてえな痩せマッチョの、寡黙で優しいけどとにかく強い先生だった。実に穏やかで怒鳴ったり体罰をしたりは絶対しないし、わかるまでとことん付き合って教えてくれるけど、こっちが持たないくらいまあー強かった。すぐ暴れるタイプのクソガキだった私はここで
(世の中には有名じゃなくてもこんなに強い人がわんさかいる…!)
と思い知り、ちょっと性格が丸くなり体格はだいぶ丸くなった。
その後、バイトしたりするんで道院をうつることになった。そこで渡辺先生にもお世話になった。良くも悪くも寄り合い的だった豊川道院にくらべ本格的に修行を行うため座学の方はこちらに移ってからよく学んだと思う。
毎週2回、修行のたびに(少林寺拳法では練習とか稽古と言わず修行というのだ。かっこいいだろ)自宅から10キロぐらい、しかも行きは長い上り坂を自転車で通っていたので、こんときばかりは痩せた。体重が70キロを切ったのなんか後にも先にもこの時ぐらいじゃなかろうか。で、70キロを切ったらデートしてくれる約束だったお姉さんに彼氏が出来たのであっという間にリバウンドした。
元気かなクボタさん。
その次に続いたというか好きで続けられたのは柔道かなあ。
中学の部活で始めたけれど家庭の事情で日曜日の月次試験を受けに行けなかったのね。それもあって少林寺拳法の弐段を取得したあとで近所の道場に通いだした。通ってた高校に柔道部がなくて、中学の同級生の家が道場だったのでそこでお世話になることにしたのだ。子供がわりといて、賑やかで楽しい道場だった。大人も何人か来ていて、同級生の河合さんのお父さんが近在では知られた猛者で接骨院を営む傍ら柔道の指導もやっていた。といっても普段はもっぱら若先生が道場にいて、河合先生はたまにしか出て来なかった。
これがまたしても強いのなんの。若先生も当然すげえ強いんだけど、河合先生は次元が違った。少林寺拳法でもそうだけど、あのレベルの強さで倒されると何をされたんだかサッパリわからない。組んでぐっとコッチが力を入れたと思ったら畳の上に転がっていた。アレは驚いたね。オリンピックとか国際大会なんかがあると、若先生にヨーロッパの柔道で使ってる小技なんかを教わったりして楽しかったな。裏投げも全然違うカタチだったりして。
メキシコから帰ってきてしまって、その後でバンドを始めた。ベースを弾いてた。すぐ近所に昔からある貸しスタジオに集まって練習してた。機材も譜面も演奏も全然サッパリわからんけど、全然楽しかったし問題もなかった。多分。
その分、作詞と営業をやっていた。ギターの丸山君が作ってくる曲に詞を付けていたのだ。営業は、なんかイベントがあると当時はmixiのコミュニティとかメッセージで告知があるんで顔を出して、
今度出してくださいよー
とかやっているくらいのもんだったけど、実際にお誘い頂けることもあって、それでとにかくライブに出ていた。名古屋の上前津、新栄、鶴舞にあるライブハウスに出させてもらって、そこに出てる他のバンドの人とも仲良くなったりして。
いま有名になったバンドがその小さな舞台に上がってたこともあった。いやーびっくりしたね、売れたねえSiM。
そんでバンドと同時期にバイクも乗ってた。ヤマハのマジェスティ。250なのでお金もかかりにくいし燃費もいい。親戚がヤマハのオートバイ屋さんなので安く用意してもらえた。紺色の、新聞屋さんみたいだな!と他の友達には言われちゃうくらい飾りっ気のないバイクだったけどとにかく乗ってるだけで楽しかった。
飾るより飛ばすより距離が大事だった。九州まで行きたかったけど、何かの都合で断念しちゃったんだよなー。今でも乗りたいなとは思う。
少林寺拳法、柔道、バンド、バイク。
こうして書き出してみると色んなことしてるな。
でも結局いまはこうしてネットで文章書いてるんだからわからんもんだな。
このほかにも、メキシコ行ったとかゲームにハマったとか色々ある。
色々やってる。モノになったかならないかで言えば打率は低いけど、出場機会は今後も増やしていきたいと思ったな。
でも何が便利ってアレいらねえっていう会社は結構やばいとこ多かったんでその目安にはなるかな。法被着てガラガラのカラオケ屋さんのカウンターで突っ立ってたけど二日で辞めさせてもらったもんな、そこは…手取り13万だけど社員並みにビシビシ育ててみたかった、期待してたんだけど…って言われてゾっとしたよ。
それは教育じゃなくなんかもっと他のもんに近いんじゃねえの…?
今はそのお店なくなっちゃって、別の会社の別のお店が入ってます。ビルは居抜きで借りてたのかに(大ヒント)。
で履歴書だよ。そう言うとなんか大層に感じるけど、今まで色んなことをやってきて楽しかったな、と思うことや自分なりに頑張ったこと、生きてた間の明るい方のトピックスなんかを書き出してみるのは健康の為にも良いのではないかと。
でも結局これってのは要するに体力の有り余ってる奴は運動しろ筋トレしろっていうし、逆にアタマ使うのが好きな人は脳トレとかそういうのやれっていうのと同じで。
生きてていい事なんかなかったじゃん自分、って思ってる人にはキツイというかバカげた真似なのかもしれないな。
小学校2年生から18歳でメキシコ行くまで10年くらい少林寺拳法をやっていた。小拳士弐段を取得した。初段辺りからはちょっと難しい話も入ってくるのだけど、もともと本を読むのが好きだったのでその辺も楽っちゃ楽だった。実技の色んな手首をぐりぐりやる技の方が難しかった。何しろ教えてくれている先生が岩瀬先生という文字通り岩か鬼みたいな先生で。身長180センチあってブルース・リーみてえな痩せマッチョの、寡黙で優しいけどとにかく強い先生だった。実に穏やかで怒鳴ったり体罰をしたりは絶対しないし、わかるまでとことん付き合って教えてくれるけど、こっちが持たないくらいまあー強かった。すぐ暴れるタイプのクソガキだった私はここで
(世の中には有名じゃなくてもこんなに強い人がわんさかいる…!)
と思い知り、ちょっと性格が丸くなり体格はだいぶ丸くなった。
その後、バイトしたりするんで道院をうつることになった。そこで渡辺先生にもお世話になった。良くも悪くも寄り合い的だった豊川道院にくらべ本格的に修行を行うため座学の方はこちらに移ってからよく学んだと思う。
毎週2回、修行のたびに(少林寺拳法では練習とか稽古と言わず修行というのだ。かっこいいだろ)自宅から10キロぐらい、しかも行きは長い上り坂を自転車で通っていたので、こんときばかりは痩せた。体重が70キロを切ったのなんか後にも先にもこの時ぐらいじゃなかろうか。で、70キロを切ったらデートしてくれる約束だったお姉さんに彼氏が出来たのであっという間にリバウンドした。
元気かなクボタさん。
その次に続いたというか好きで続けられたのは柔道かなあ。
中学の部活で始めたけれど家庭の事情で日曜日の月次試験を受けに行けなかったのね。それもあって少林寺拳法の弐段を取得したあとで近所の道場に通いだした。通ってた高校に柔道部がなくて、中学の同級生の家が道場だったのでそこでお世話になることにしたのだ。子供がわりといて、賑やかで楽しい道場だった。大人も何人か来ていて、同級生の河合さんのお父さんが近在では知られた猛者で接骨院を営む傍ら柔道の指導もやっていた。といっても普段はもっぱら若先生が道場にいて、河合先生はたまにしか出て来なかった。
これがまたしても強いのなんの。若先生も当然すげえ強いんだけど、河合先生は次元が違った。少林寺拳法でもそうだけど、あのレベルの強さで倒されると何をされたんだかサッパリわからない。組んでぐっとコッチが力を入れたと思ったら畳の上に転がっていた。アレは驚いたね。オリンピックとか国際大会なんかがあると、若先生にヨーロッパの柔道で使ってる小技なんかを教わったりして楽しかったな。裏投げも全然違うカタチだったりして。
メキシコから帰ってきてしまって、その後でバンドを始めた。ベースを弾いてた。すぐ近所に昔からある貸しスタジオに集まって練習してた。機材も譜面も演奏も全然サッパリわからんけど、全然楽しかったし問題もなかった。多分。
その分、作詞と営業をやっていた。ギターの丸山君が作ってくる曲に詞を付けていたのだ。営業は、なんかイベントがあると当時はmixiのコミュニティとかメッセージで告知があるんで顔を出して、
今度出してくださいよー
とかやっているくらいのもんだったけど、実際にお誘い頂けることもあって、それでとにかくライブに出ていた。名古屋の上前津、新栄、鶴舞にあるライブハウスに出させてもらって、そこに出てる他のバンドの人とも仲良くなったりして。
いま有名になったバンドがその小さな舞台に上がってたこともあった。いやーびっくりしたね、売れたねえSiM。
そんでバンドと同時期にバイクも乗ってた。ヤマハのマジェスティ。250なのでお金もかかりにくいし燃費もいい。親戚がヤマハのオートバイ屋さんなので安く用意してもらえた。紺色の、新聞屋さんみたいだな!と他の友達には言われちゃうくらい飾りっ気のないバイクだったけどとにかく乗ってるだけで楽しかった。
飾るより飛ばすより距離が大事だった。九州まで行きたかったけど、何かの都合で断念しちゃったんだよなー。今でも乗りたいなとは思う。
少林寺拳法、柔道、バンド、バイク。
こうして書き出してみると色んなことしてるな。
でも結局いまはこうしてネットで文章書いてるんだからわからんもんだな。
このほかにも、メキシコ行ったとかゲームにハマったとか色々ある。
色々やってる。モノになったかならないかで言えば打率は低いけど、出場機会は今後も増やしていきたいと思ったな。
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