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第789回。大阪スタイル
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以前、くいしんぼう仮面選手がツイッターで
お笑いプロレスという言葉はあまり好きではない
と書きこんでいたのを見た。
「事実そうなのかもしれないけど、それを言うなら大阪スタイルとでも言って欲しい」
とのこと。
なるほど確かに、お笑いプロレスというのは便宜上そう言うのが手っ取り早いのかも知れないけど、その分なんというか誤解を招きやすい気もする。大阪には御当地ベルトとして
大阪お笑い選手権
というフラッグシップまであるぐらいで、それは実に大阪らしいチャンピオンシップなのではあるけれど、じゃあどこまでがお笑いでどこまでが格闘による勝負なのかというのが、ファンやマニアの外側にいる人には伝わりにくいのかも知れない。だってなんか
あー、あれお笑いのプロレスやろ?
って言われたら、なんかやっぱりちょっと舐めてるニュアンスが含まれてしまう気もするもんな…。
もっと頭が固くて古くてかび臭い人は
プロレスに、お笑いは不要です!やはり、ストロング!スタイル、昭和の黄金プロレスが云々…
って、例の読点と絵文字が変なところに入りまくってる
おじさん文章
でFacebookあたりのコミュニティでグチグチ書いてることだろう。けどその昭和とやらの時代にもコミカルなスタイルや動作は随所で見られたんだけどな。そういうことは本当に都合よく、また臆面もなく記憶からも消しているんだよな。
例えば昭和のガイジンレスラー最強の一人として名前が挙がることもあるディック・マードックは昭和大好きおじさんが大好きな藤波辰爾さんとの試合でよくケツ出してたし、初代タイガーマスクと戦うスティーブ・ライトだってタイガーマスクの技を側転でかわして
チッチッチ
と顔の前で人差し指を振ったりしていた。てか、ドン荒川さんはじゃあどうなんだよ?って。
まあそういう頭の固いオールドファンはさておき、では単なるお笑いのプロレスやプロレスによるお笑いではなく。
くいしんぼう仮面選手の言わんとする
大阪スタイル
というのはどういうものなのか。自分なりに考えてみた。
それはお笑いを含むプロレス、もしくはプロレスの中にあるユニークな部分に注目したスタイル、なのではないか。
プロレスで笑わせることでもなく、またお笑いがメインの試合をすることでもなく。
あくまで真剣に戦っているのが大前提で、そこはプロレスも格闘技も、なんだったら他のスポーツとも変わりはない。
ただ、プロレスというジャンルの中にも他のスポーツ同様に決まりの動作や基本の型というものがあって。それはいいかえれば
あるあるネタ
にもなるわけで。
そうした思わず笑ってしまうことや、自分なりのアピールも含めたセンスと観察力、何より試合中にいわば
余計な事
を喋ったり動いたりして表現するだけの体力が必要になる。実は物凄く高度で、センスのいるスタイルなのだと思います。その土俵で戦うことで、お互いのセンスや観察力といったものが試される。格闘以外の要素でも戦っていることがよりわかりやすく、笑うことで取っつきやすくなったもの。それが
大阪スタイル
なのではないかと。
くいしんぼう仮面選手が最初に現れた時も賛否両論だった。
でも、その頃のプロレス界は今よりもっとめんどくさくて頭が固くてそのくせお金は出さない連中がリングの中も外も幅を利かせていた。
私の住んでいる田舎町じゃ、そこら辺にいる「プロレスを多少知っている人」ほど「今のプロレスを知らない」し「知ったようなことを言う」し「今のプロレスラーが訳もなくキライ」だった。
自分の理解の範疇に及ばないものは基本的に舐めた口調で否定するし、二言目には猪木、長州だった。下手するとその良かった時代とやらでも新日本か全日本か、どっちかに肩入れしてどっちかを貶める始末。
そういう楽しみ方しかなかった時代が確かにあったのだ。
しかし今、時代は変わった。
大阪で生まれた大阪らしい大阪スタイルというものが徐々に認知され、その道を行く選手も沢山生まれた。
くいしんぼう仮面選手の永遠のライバル、初代えべっさんこと菊タロー選手。
史上最弱の名を欲しいままにしつつも新たなレスラー像を一代で築き上げたストーカー市川選手。
そして私の先輩であり、やはりご自身流の大阪スタイルを持つ松山勘十郎座長。
この四人はそれぞれの持ち味があり、バックボーンがあり、今の型があり、そして進化を続けている。
菊タロー選手が試合中も騒がしく喋りまくれば、くいしんぼう仮面選手は逆に殆ど喋らない。この組み合わせは本当にすごいと思った。
ストーカー市川選手は伝説級の選手と戦って幾らやられても、負けても、全然それでプロレスラーとしての価値を落とすようなことがなかった。
松山勘十郎座長も勝ちとか負けという旧態依然としたプロレスラーに対する評価から脱した一人で、もはや松山勘十郎という現象をファンがみんなで楽しんでいるように思える。
大阪スタイルとひと口に言っても、またお笑いプロレスとかユニークプロレスとか言っても、結局はドン荒川さんやディック・マードックと同じで根底にあるものは
プロレスラーの矜持
であり、技術や体力であることは言うまでもないこと。
それはそれとして、普通ならそこでお客さんが手に汗握るところなのに笑いが起きてしまう。思わず笑っちゃう。それはそれで立派な個性であり、それがその選手の武器なのだ。
お笑いだから、ユニークプロレスだからラクチンなんじゃ決してないし、また珍妙なキャラや動作だけで満足するほど、どこのお客さんだって甘くはない。
お笑いプロレスという言葉は今後も消えないと思う。
けれど、代わりにお笑いプロレスの方がどんどん変わって行くと思う。
今まだ進化の途中、むしろこれからまだまだ面白くなる大阪スタイルの歴史を間近で目撃できることは、なんと素晴らしくステキなことなのだろうと思います。
普通のプロレス、真剣に戦うだけに特化したプロレスもいい。
それが先鋭化し過ぎたスタイルもかつてあった。
デスマッチも、ウォーゲームやラダーマッチなどの変則的なルールの試合もいい。
それと同じように、真剣に戦う、けれどめちゃくちゃ面白い大阪スタイルがあっていい。
大阪スタイルのプロレスにも、誰とも劣らず誰とも変わらない、プロレスに対する愛がある。みんなもそれぞれ好みのプロレスを見ればいいし、それ愛し続けていけばいい。
私はそう思います。
お笑いプロレスという言葉はあまり好きではない
と書きこんでいたのを見た。
「事実そうなのかもしれないけど、それを言うなら大阪スタイルとでも言って欲しい」
とのこと。
なるほど確かに、お笑いプロレスというのは便宜上そう言うのが手っ取り早いのかも知れないけど、その分なんというか誤解を招きやすい気もする。大阪には御当地ベルトとして
大阪お笑い選手権
というフラッグシップまであるぐらいで、それは実に大阪らしいチャンピオンシップなのではあるけれど、じゃあどこまでがお笑いでどこまでが格闘による勝負なのかというのが、ファンやマニアの外側にいる人には伝わりにくいのかも知れない。だってなんか
あー、あれお笑いのプロレスやろ?
って言われたら、なんかやっぱりちょっと舐めてるニュアンスが含まれてしまう気もするもんな…。
もっと頭が固くて古くてかび臭い人は
プロレスに、お笑いは不要です!やはり、ストロング!スタイル、昭和の黄金プロレスが云々…
って、例の読点と絵文字が変なところに入りまくってる
おじさん文章
でFacebookあたりのコミュニティでグチグチ書いてることだろう。けどその昭和とやらの時代にもコミカルなスタイルや動作は随所で見られたんだけどな。そういうことは本当に都合よく、また臆面もなく記憶からも消しているんだよな。
例えば昭和のガイジンレスラー最強の一人として名前が挙がることもあるディック・マードックは昭和大好きおじさんが大好きな藤波辰爾さんとの試合でよくケツ出してたし、初代タイガーマスクと戦うスティーブ・ライトだってタイガーマスクの技を側転でかわして
チッチッチ
と顔の前で人差し指を振ったりしていた。てか、ドン荒川さんはじゃあどうなんだよ?って。
まあそういう頭の固いオールドファンはさておき、では単なるお笑いのプロレスやプロレスによるお笑いではなく。
くいしんぼう仮面選手の言わんとする
大阪スタイル
というのはどういうものなのか。自分なりに考えてみた。
それはお笑いを含むプロレス、もしくはプロレスの中にあるユニークな部分に注目したスタイル、なのではないか。
プロレスで笑わせることでもなく、またお笑いがメインの試合をすることでもなく。
あくまで真剣に戦っているのが大前提で、そこはプロレスも格闘技も、なんだったら他のスポーツとも変わりはない。
ただ、プロレスというジャンルの中にも他のスポーツ同様に決まりの動作や基本の型というものがあって。それはいいかえれば
あるあるネタ
にもなるわけで。
そうした思わず笑ってしまうことや、自分なりのアピールも含めたセンスと観察力、何より試合中にいわば
余計な事
を喋ったり動いたりして表現するだけの体力が必要になる。実は物凄く高度で、センスのいるスタイルなのだと思います。その土俵で戦うことで、お互いのセンスや観察力といったものが試される。格闘以外の要素でも戦っていることがよりわかりやすく、笑うことで取っつきやすくなったもの。それが
大阪スタイル
なのではないかと。
くいしんぼう仮面選手が最初に現れた時も賛否両論だった。
でも、その頃のプロレス界は今よりもっとめんどくさくて頭が固くてそのくせお金は出さない連中がリングの中も外も幅を利かせていた。
私の住んでいる田舎町じゃ、そこら辺にいる「プロレスを多少知っている人」ほど「今のプロレスを知らない」し「知ったようなことを言う」し「今のプロレスラーが訳もなくキライ」だった。
自分の理解の範疇に及ばないものは基本的に舐めた口調で否定するし、二言目には猪木、長州だった。下手するとその良かった時代とやらでも新日本か全日本か、どっちかに肩入れしてどっちかを貶める始末。
そういう楽しみ方しかなかった時代が確かにあったのだ。
しかし今、時代は変わった。
大阪で生まれた大阪らしい大阪スタイルというものが徐々に認知され、その道を行く選手も沢山生まれた。
くいしんぼう仮面選手の永遠のライバル、初代えべっさんこと菊タロー選手。
史上最弱の名を欲しいままにしつつも新たなレスラー像を一代で築き上げたストーカー市川選手。
そして私の先輩であり、やはりご自身流の大阪スタイルを持つ松山勘十郎座長。
この四人はそれぞれの持ち味があり、バックボーンがあり、今の型があり、そして進化を続けている。
菊タロー選手が試合中も騒がしく喋りまくれば、くいしんぼう仮面選手は逆に殆ど喋らない。この組み合わせは本当にすごいと思った。
ストーカー市川選手は伝説級の選手と戦って幾らやられても、負けても、全然それでプロレスラーとしての価値を落とすようなことがなかった。
松山勘十郎座長も勝ちとか負けという旧態依然としたプロレスラーに対する評価から脱した一人で、もはや松山勘十郎という現象をファンがみんなで楽しんでいるように思える。
大阪スタイルとひと口に言っても、またお笑いプロレスとかユニークプロレスとか言っても、結局はドン荒川さんやディック・マードックと同じで根底にあるものは
プロレスラーの矜持
であり、技術や体力であることは言うまでもないこと。
それはそれとして、普通ならそこでお客さんが手に汗握るところなのに笑いが起きてしまう。思わず笑っちゃう。それはそれで立派な個性であり、それがその選手の武器なのだ。
お笑いだから、ユニークプロレスだからラクチンなんじゃ決してないし、また珍妙なキャラや動作だけで満足するほど、どこのお客さんだって甘くはない。
お笑いプロレスという言葉は今後も消えないと思う。
けれど、代わりにお笑いプロレスの方がどんどん変わって行くと思う。
今まだ進化の途中、むしろこれからまだまだ面白くなる大阪スタイルの歴史を間近で目撃できることは、なんと素晴らしくステキなことなのだろうと思います。
普通のプロレス、真剣に戦うだけに特化したプロレスもいい。
それが先鋭化し過ぎたスタイルもかつてあった。
デスマッチも、ウォーゲームやラダーマッチなどの変則的なルールの試合もいい。
それと同じように、真剣に戦う、けれどめちゃくちゃ面白い大阪スタイルがあっていい。
大阪スタイルのプロレスにも、誰とも劣らず誰とも変わらない、プロレスに対する愛がある。みんなもそれぞれ好みのプロレスを見ればいいし、それ愛し続けていけばいい。
私はそう思います。
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