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第736回。(再)第200回。ソル・ナシエンテ

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掲載日2017年 08月23日 01時00分

2005年の5月13日。生まれて初めてパスポートにハンコをついてもらった。
それまでにも色々あったけど、行ってしまえば何とかなると思ってた。

途中、バンクーバーでトランジットをした。
空港のデカい窓から滑走路と飛行機が見えて、その向こうは灰色の空と、ひたすら広い地平が広がっていた。はるか遠くに黒っぽく山か森のようなものが見えた。そこにいる間、自販機でジュースも買えず、外に出ることも当然出来ず。空港係員の中国か韓国の人が片言の日本語で
ダメ
出れません
とだけ繰り返し言っていた。

あ、そうだ。面接の日に事務所のテレビでは映画をやってた。
ニコラス・ケイジが出てたな。やたら寒そうで雪の多い街が舞台だった気がする。

メキシコシティの空港に降りると私だけ別室に呼ばれて、トランクを全部ぶちまけられたまま30分ぐらい放置されてた。
正しくはそのまま茫然としていたが、周りを見るとみんな勝手に荷造りし直して出てったので私もそれにならってみた。何の問題も無かった。じゃああの場で実際に拳銃とかお薬ハッパが出てきたらどうしてたんだろう。

バスに乗って寮に着くとすっかり夜だった。
相部屋になった先輩がとてもやさしくて、特撮や音楽の趣味が近くて嬉しかった。
部屋は寮の4階で2人部屋、二段ベッドの上を使わせていただくことになった。

次の日から寮生活が始まった。近所を案内して頂いたり、寮の設備や掃除の仕方、他色々。
覚えることが多いのでメモを取った。
成田空港で買ったノートに日記を付けることにした。
すぐに大きな試合があったのでその準備にもなだれ込んだ。

日頃、自己流で鍛えてはいたが、やっぱり本物は違った。
次の日まったく腕が上がらず、キョンシーみたいな姿勢から動かせないぐらいの筋肉痛になった。
私はスクワットをして、腕立て伏せの途中で酸欠になってぶっ倒れた。生まれて初めて酸欠になった。
目の前が急に暗くなって、めまいがひどくて体が思うように動かなくなった。怖かったー。
カメラマンさんや先輩も同期も居る前でひどくうろたえていたけれど、その後数分間の記憶がない。
介抱してくれた先輩によると
「目が見えません! 目が見えません!」
と呻いていたそうな。

寮生活は慣れない事ばかりだったし、同期はもとより先輩がずっと身近に居るのは妙な感じがした。
家から出たのも国から出たのも初めてなら、家族以外の人間と共同生活をするのも初めてだったけど優しい先輩や同期のみんなには・・・随分ご迷惑をおかけした。今でも、もっとやり方があっただろう、もっとこうすればよかっただろうと夢に見て飛び起きたり、起きたら泣いてることがあるくらい、あの短い間に起こったことは心の奥底で忘れられずにいるんだろうね。

スクワットの回数はだんだん増えていった。
最終的に毎日300回、そのあと自主トレとかでもう何百回とやるようになってた。
今じゃそんなに出来っこない。よくやってたなあ。

料理は元々好きだったから、結構楽しかった。けど最初のパスタちゃんこは、麺は生茹でだし具も生煮えで、それでもみんなゴリゴリ噛みながら食べてくれた。あれから頑張って作るようになったな。
食材の買い出しは近所の市場(メルカド)と、バスで行くメガマートだった。昼食はメルカド、晩飯はメガマート。朝は前の日の残りだった。けどメキシコなのですぐ腐っちゃって、食べられないこともたまにあった。必ず火を入れて寝ないとダメだった。

ちゃんこは元力士の先輩の残したレシピで、栄養満点だった。
鶏肉だったり豚肉だったり牛肉だったり、具材も毎日変えてたし、味付けも色々あった。
その辺は調理師の資格を持ってる先輩が献立を考えていて、たまにコンソメ味やボルシチ風なんてのもあった。一緒にちゃんこ番をやってた同期のヒロカワさんが料理上手だったので、一緒に作るのが楽しかったな。

メルカドとメガマートの中間ぐらいの位置づけに、スーパーマーケットがあった。
ヒガンテ、もしくはボデガ・ヒガンテというチェーン店だった。
たまにラジオでヒッガーンテ!!ってコマーシャルを流していた。
寮から徒歩10分ぐらいのところにあって、そこでは日用品だとかオヤツ、服なんかも売ってたんで買ったりしたな。ツナの水煮缶を山ほど積み上げてるのを見て
「あ!映画で見たなコレ」
って思ったなあ。
メキシコではレジ係と別に袋詰め係が居て、日本にもある袋詰めする台のところに一人ずつ立ってた。
けっこう若い人が多い…というかこっちで言えば中学生か高校生ぐらいの人も居た。
メキシコの女の子は若く見えるけど、実際に学校に行けているのだろうかと思うような子も居た。
その中の一人に小柄で可愛い子がいた。幾たびに居て、たまにチラっと目が合ったりした。
お互いに顔を覚えて、私も可愛い子だと思ってたのでその子の居る列に並んだりしていたっけな。それでも会話が出来るわけじゃないし向こうも話しかけては来なかったので、それまでのことだった。

ある日、同じように彼女を見かけたのでその列に並んだ。
やがて会計を済ませて袋詰めをする段階になった。いつも通りテキパキ袋に詰めてくれて、礼を言って帰ろうとしたとき。
ガサっ
と音がして手の中に何かが滑り込んできた。
見ると小さな紙切れ。手渡してきたのは彼女だった。
開いて読みたかったが、列に押されてしまいその場では確認できなかった。
振り向くと彼女は、次の客さんの袋詰めにかかっていた。

道すがら紙切れを開いてみると、そこにはボールペンで
日本人
とだけ書かれていた。本当にそれだけの手紙だった。
見よう見まねなのか、完全にメキシコ人でどうやってこの漢字を調べて書いてくれたのか。
聞きたいことが山ほどあった。
私が日本人だという事は多分わかってたと思う。その店には何年もの間、寮に住んでる日本人がお買い物に来ていたから。だけど、誰に習って書いてくれたんだろう。
私はとてもうれしかった。だけど、それからすぐに彼女にも会えなくなってしまった。
このまま残っていつか流暢なスペイン語をマスターし、のちに…なんてな事があればかっこよかったのにな。

閑話休題。
繰り返すけど、寮のみんな・先輩方は本当に優しくて親切で、悩んでる私に親身になってくれたし今でも可愛がってくれる先輩もいる。よく言ういじめや体罰なんて全くなかったし、あそこでこんなに辛いと思っちゃうなら他の団体や学校じゃもっときつかっただろうなと思う。
あの頃の、あの短い間でしかなかったものが今でも続いていること。それが辛いときもあったけど…でも、あの短い間が自分の人生のピークにならないようにしようと、今でも頑張れていると思う。

その後の19歳から20代の長い時間を無為に過ごしてしまったことも含めて、後悔や被害妄想に囚われそうなときに夢に出る。メキシコで、何もかもうまくいかなくてどん詰まりの心を抱えて右往左往しているくせに、周りのみんなに対して素直になれずにふさぎ込んでいく感覚。砂を噛む、服や目玉や靴の中に砂が次々入り込んでくるような心持ち。

それを漸く文章にしたり、思い出話に出来るようになったのはここ数年で。
それまでは、心のどこかに
凄いね
とか
やるじゃん
とか言われたり、言われたくなかったりする妙な照れや現実逃避があって。
怪我のせいにしたり厳しい世界だったと言ってみたりしたけれど、根性が足りませんでした、と言えるようになるまで10年ぐらいかかった。

幾つになっても自分と素直に向き合うことはしんどいし、恥ずかしいし、照れくさい。
見たくない部分にも触れたくない部分にもしっかり目を向けて手を伸ばさなきゃならない。

私は練習を休みがちになって、気を使って外へ連れ出そうとしてくれる先輩の優しさと、その外出を同期に見つかることの気まずさと、体も心も思うように動かないもどかしさを抱えて堂々巡りをしていた。
一度、階段を下りていくときに道場にいる同期のマツザキ君と目が合って、私は思わず体を引っ込めてしまった。あとで彼に言われたのは
「ダメならダメでいいよ、気にするなよ。でも、あそこで俺に見つかって気まずいってことは一体なんなんだよ」
ってことだった。サボってる自覚があるってことだし、そう見られてもしょうがないぞ、と。

彼の言うとおりだったし、何度も引き留めてくれたハナオカ君やオタニ君、ブライアンもムラカミさんも振り切って逃げるように寮を去ることにした。何度も、やめるのをやめようと思った。だけど、一度そっちに振り切ってしまうと心が持たなかった。立ち直ることのしんどさばかりが目について、どうにもこうにも辛かった。
まだスタートラインにも立ってない、半年間の学期も全うせずに。

最後の朝、それでも私は涙が止まらなかった。
もう自分でもどうしたらいいのかわからなくって、ただただ気持ちの整理が付かなかった。
成田空港で出迎えてくれた母は笑顔だった。
家に帰って自分の部屋に入って、開けたままのトランクは3日ぐらい経ってもそのままで、ひたすら寝ていた。そして怠惰な日々が始まった。

仕事をしたり、遊びに行ったり、何をするにも後ろめたくて、親戚のつてで雇われた派遣会社の工場に向かう途中で、このまま原付でどこまでも行ってしまおうかと殆ど本気で思ってたり、海を見ては茫然としたりしていた。
楽しいこともあったし、辛いことも沢山あった。
あそこから逃げたせいにしても、どうせ自分はといじけてみても、何も変わりはしなかった。
今の仕事もとても辛いときがある、だけど年々、それは肉体的なものより、精神的なものより、結局は我慢し続けてその場にとどまっているしかないってことが辛くなってきた。
整体に行くと、競技者・格闘技者としてより労働者としての疲労が溜まっていく自分を思い知って、なんだか寂しくもなる。

それでも、こんな話を読んでくれる人が何人も居てくれて、同人誌を出したり、それを手に取ってくれる人も居て。いじけ倒して犯罪者になったりしなくてよかったなと思うし、プロレスを嫌いにならなくて済んだのも幸せだったと思う。

実は、メキシコ時代の話を書いてみて欲しいとメッセージを頂いておりました。
丁度200回なのでいつもよりしっかり書いてみようと思ったのですが、具体的な生活をあまり克明に書くのもナンでしたので…自分の気持ち、あの時どんなふうに過ごしていたのかを書き出してみました。
面白い、笑える話では全然無かったと思いますが、こんな男がここでいつも馬鹿な話をしております。

明日からも、たぶん。
今回で200回、ほぼ毎日続いております。皆さんのお陰です。
どうもありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

メキシコでの明るい話、楽しかった話なんかも、また書けたらなと思います。
深夜0時にお会いしましょう。



このお話が最初に公開された2019年2月10日は、その闘龍門の先輩・松山勘十郎さんの主催する大会でプロレスを見に行く日。
狙って決めたわけじゃないんだけど、ちょうどこの日にコレが来た。
キッドさんといっしょ。自己ベストを締めくくるにはなんともお誂え向きじゃないか。

いつもご覧くださりありがとうございます。
そしてご覧の通りこれまでも、これからもバカな話をしています。
末永くお付き合いの程よろしくお願いいたします。
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