705 / 1,299
古式ゆかしきお餅つき
しおりを挟む
我が家は去年まで毎年12月30日になるとお餅つきをしていた
年に一度、とりあえず親戚や友人の集まる日でもあって
親戚のバイク屋さんの敷地が広いんでそこで小さいドラム缶で作ったカマドでもち米を炊いて、臼とキネでグニグニこねてぺったんぽったん、ハイッ!(ひっくり返す人)ってやる、あのお餅つきだ
もちろんキネがあるからには宇都宮隆と小室哲哉もいるのだが、小室さんの方は世間の方からぺったんぽったん叩かれてしまったので…
(伊集院光 深夜の馬鹿力リスナーだけ笑ってくれればいいや)
・まっちゃんのお店
だけど、そのお餅つきも去年で終わってしまった
今年はついに開催のめどが立たなかった
というか元々、もう終わりのつもりでみんな居たんだと思う。
バイク屋さんの土地が区画整理にかかったので、引っ越しちゃうことになったのだ。このバイク屋さんというのが我が一族の誇る東三河のリアルイージーライダーこと
「まっちゃん」
のお店で、この人は時習館高校という進学校に入るも
「オレ大学なんか行かねえ」
と1年で辞めて工業高校に入り直し機械を学び、その後なんやかんやで市役所に就職が決まるも一週間後に市役所から
お宅の〇〇さんが未だ出勤してこないんですが…
と逆に市役所からお尋ねのテレフォンを頂戴する始末
んで、その時まっちゃんは何をしていたかというと、バイク屋さんの工房に入り浸ってひたすらバイクをいじっていたという
んでそのバイク屋さんを経営していたのが私のおじいちゃんだった
あんまりバイクが好きなので、その店をおじいちゃんから譲り受けて半世紀近く営業してきた。それがまっちゃんのお店だった
私が生まれた頃はまだ多分50代くらいで現役バリバリ
餅つきも張り切ってたし、バイクも乗り回していた。あといじくり回していた
敷地には壊れてるのから動くのまで色んなバイクがあった
その一角で毎年色んな親せきや友達が集まってぺったんぽったんやっていた
だけど年々やっぱり年を取るんで、そこで私の出番が来た
ガキのくせに力は強かったので、子供の頃から餅つきを仕込まれている。いまでもその辺のオッサンよりは上手いと思う
柔道や少林寺拳法をやってたときは筋トレにもなるんで、古のプロレスラーが木こりをやって鍛えたのと似ている気がしてご満悦だった
だけど私だけじゃしんどいので、私の柔道部の仲間や高校の友達に来てもらうようにしていた
・キング・オブ・ニート
餅つきというイベントごととして、単純に私も友達に来てもらって毎年集まるのを楽しみにしていた
メンバーは多少入れ替わったりしたが、なかで高校時代から10年以上にわたって皆勤賞を続けてくれたサカヤナギ君という奴が居る
彼は私たちの仲間内でキング・オブ・ニートの称号をほしいままにしている男で、のんびりして気の優しい、正直者のイイヤツだ
でも正直すぎてあんまり働くのに向いていない
だが年に一度、餅つきやるならアイツ会うだろ
と思っていたので、何となくそれが楽しみだった
何しろ私とサカヤナギ君しかいなくて、親戚も集まりが悪くて、何十人前もの大量のお餅をサカヤナギ君と二人でひたすらぺったんぽったん搗いていたこともある。今でも彼と餅つきの話になると、このことで懐かしい思い出に浸るものだ
だが今年からは、お餅つきがない
ここ数年は決まったメンバーが来てくれていたので、彼らとまた何か始められないかなとも思った
ので、そうしたらまたサカヤナギ君も必ず招待しようと思う
・平井のにーさん
このお餅つき、私が小学生ぐらいの時まで必ず毎回来てくれてた人がいた
平井のにーさん
とみんな呼んでいた。というわけで多分平井さんという人なのだろうけど、我が家はおばあちゃん(まっちゃんも)の家系が6人兄弟で親戚が割と多いので、子供の頃はどこまで親戚でどこまで祖父母の友人か、親戚の誰かの友達か、よくわかっていなかった
結論から言えば平井のにーさんは、平井のにーさん、だった
つまり親戚じゃなく、祖父母や佐野家界隈の古い友人だったのだ
私もずいぶん可愛がってもらった
平井のにーさんが来ると、いつもお湯を沸かす方のカマドでオデンを煮ていた。タマネギの入ったデカい揚げはんぺんで、平井のにーさんは毎回これを大量に持ってきていた。そしてそれを毎回大量に食っていたのは、他ならずこの私だった
だが、ある年に急に平井のにーさんが来なかった
何故なのか聞いてみたら、その年に亡くなっていた
私はその頃、家庭がグッチャグチャで不登校で人生のドどん底でイモムシみたいにのたうち回りながら、いつか蝶々になって飛んで行ってしまいたいと東三河のリアルカフカと化していたいた時分だった
だから、祖父母とも家に居ても全然話さなかったし、お葬式があったのも知らなかった
そのぐらい我が家が悲惨な状況だった、というわけなのだが、今でも私はあの揚げはんぺんが大好きだし、タマネギ入りのを見るとつい食べたくなる。そして食べるたびに、平井のにーさんがお餅のカマドの隣でそいつをぐつぐつ煮込んでて、いい塩梅で
カズヤ!食え食え!
と言ってくれるのを思い出している
マジで半世紀以上続いてた伝統行事がなくなってしまった
そしてまっちゃんも入り浸ってた我が家のバイク屋さんの跡もリフォームしてなくなってしまう
時間は止まってくれないのだ
日払いで餅つきのバイトとかねえかな
ぺったんぽったんやるよ、TMネットワークのリズムに乗って(早ええよビートが)
年に一度、とりあえず親戚や友人の集まる日でもあって
親戚のバイク屋さんの敷地が広いんでそこで小さいドラム缶で作ったカマドでもち米を炊いて、臼とキネでグニグニこねてぺったんぽったん、ハイッ!(ひっくり返す人)ってやる、あのお餅つきだ
もちろんキネがあるからには宇都宮隆と小室哲哉もいるのだが、小室さんの方は世間の方からぺったんぽったん叩かれてしまったので…
(伊集院光 深夜の馬鹿力リスナーだけ笑ってくれればいいや)
・まっちゃんのお店
だけど、そのお餅つきも去年で終わってしまった
今年はついに開催のめどが立たなかった
というか元々、もう終わりのつもりでみんな居たんだと思う。
バイク屋さんの土地が区画整理にかかったので、引っ越しちゃうことになったのだ。このバイク屋さんというのが我が一族の誇る東三河のリアルイージーライダーこと
「まっちゃん」
のお店で、この人は時習館高校という進学校に入るも
「オレ大学なんか行かねえ」
と1年で辞めて工業高校に入り直し機械を学び、その後なんやかんやで市役所に就職が決まるも一週間後に市役所から
お宅の〇〇さんが未だ出勤してこないんですが…
と逆に市役所からお尋ねのテレフォンを頂戴する始末
んで、その時まっちゃんは何をしていたかというと、バイク屋さんの工房に入り浸ってひたすらバイクをいじっていたという
んでそのバイク屋さんを経営していたのが私のおじいちゃんだった
あんまりバイクが好きなので、その店をおじいちゃんから譲り受けて半世紀近く営業してきた。それがまっちゃんのお店だった
私が生まれた頃はまだ多分50代くらいで現役バリバリ
餅つきも張り切ってたし、バイクも乗り回していた。あといじくり回していた
敷地には壊れてるのから動くのまで色んなバイクがあった
その一角で毎年色んな親せきや友達が集まってぺったんぽったんやっていた
だけど年々やっぱり年を取るんで、そこで私の出番が来た
ガキのくせに力は強かったので、子供の頃から餅つきを仕込まれている。いまでもその辺のオッサンよりは上手いと思う
柔道や少林寺拳法をやってたときは筋トレにもなるんで、古のプロレスラーが木こりをやって鍛えたのと似ている気がしてご満悦だった
だけど私だけじゃしんどいので、私の柔道部の仲間や高校の友達に来てもらうようにしていた
・キング・オブ・ニート
餅つきというイベントごととして、単純に私も友達に来てもらって毎年集まるのを楽しみにしていた
メンバーは多少入れ替わったりしたが、なかで高校時代から10年以上にわたって皆勤賞を続けてくれたサカヤナギ君という奴が居る
彼は私たちの仲間内でキング・オブ・ニートの称号をほしいままにしている男で、のんびりして気の優しい、正直者のイイヤツだ
でも正直すぎてあんまり働くのに向いていない
だが年に一度、餅つきやるならアイツ会うだろ
と思っていたので、何となくそれが楽しみだった
何しろ私とサカヤナギ君しかいなくて、親戚も集まりが悪くて、何十人前もの大量のお餅をサカヤナギ君と二人でひたすらぺったんぽったん搗いていたこともある。今でも彼と餅つきの話になると、このことで懐かしい思い出に浸るものだ
だが今年からは、お餅つきがない
ここ数年は決まったメンバーが来てくれていたので、彼らとまた何か始められないかなとも思った
ので、そうしたらまたサカヤナギ君も必ず招待しようと思う
・平井のにーさん
このお餅つき、私が小学生ぐらいの時まで必ず毎回来てくれてた人がいた
平井のにーさん
とみんな呼んでいた。というわけで多分平井さんという人なのだろうけど、我が家はおばあちゃん(まっちゃんも)の家系が6人兄弟で親戚が割と多いので、子供の頃はどこまで親戚でどこまで祖父母の友人か、親戚の誰かの友達か、よくわかっていなかった
結論から言えば平井のにーさんは、平井のにーさん、だった
つまり親戚じゃなく、祖父母や佐野家界隈の古い友人だったのだ
私もずいぶん可愛がってもらった
平井のにーさんが来ると、いつもお湯を沸かす方のカマドでオデンを煮ていた。タマネギの入ったデカい揚げはんぺんで、平井のにーさんは毎回これを大量に持ってきていた。そしてそれを毎回大量に食っていたのは、他ならずこの私だった
だが、ある年に急に平井のにーさんが来なかった
何故なのか聞いてみたら、その年に亡くなっていた
私はその頃、家庭がグッチャグチャで不登校で人生のドどん底でイモムシみたいにのたうち回りながら、いつか蝶々になって飛んで行ってしまいたいと東三河のリアルカフカと化していたいた時分だった
だから、祖父母とも家に居ても全然話さなかったし、お葬式があったのも知らなかった
そのぐらい我が家が悲惨な状況だった、というわけなのだが、今でも私はあの揚げはんぺんが大好きだし、タマネギ入りのを見るとつい食べたくなる。そして食べるたびに、平井のにーさんがお餅のカマドの隣でそいつをぐつぐつ煮込んでて、いい塩梅で
カズヤ!食え食え!
と言ってくれるのを思い出している
マジで半世紀以上続いてた伝統行事がなくなってしまった
そしてまっちゃんも入り浸ってた我が家のバイク屋さんの跡もリフォームしてなくなってしまう
時間は止まってくれないのだ
日払いで餅つきのバイトとかねえかな
ぺったんぽったんやるよ、TMネットワークのリズムに乗って(早ええよビートが)
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる