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第604回。キッドさんはメキシコにいた。
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皆さんこんばんは!ダイナマイト・キッドです。
この名前でお分かりいただける方もいらっしゃると思いますが私はプロレスが大好き。
どのぐらい好きか。
定時制高校の昼間部に通っている三年間でバイトをしたお金で闘龍門に入ってメキシコで寮生活をしてたぐらい。
本当です。2005年5月からいました。
2005年7月半ばまで。
行ったのはいいけど辞めちゃって。
でも、その時の事は今でも忘れられない。楽しかったことも、辛かったことも、信じられないようなことも、頑張ったことも、面白かったことも、しんどかったことも。
実は今だにメキシコに舞い戻った夢を見て飛び起きるときがある。
それは決意も新たに燃えているときもあれば、どうして戻って来ちゃったんだろう、と後悔しているときもあった。
逆にメキシコに居て辛くてしょうがないときは、日本に戻ってきた夢ばかり見ていた。
急に日本の、それも全然我が家とは似ても似つかない場所にいるのにそこが我が家で、すぐに水筒を一つ持ってメキシコに戻らなきゃいけないのに水筒が見つからない!という夢を今でも思い出す。
なんなんだ。
あの頃のことは日記に書いてあったので、以前にはこのエッセイでも多少読みやすく直して載せたこともあった。2か月半ほどのあいだ、これまでの人生でもっとも濃い毎日を送っていたと思う。
まだメキシコにいるってだけで味付けが濃くなる程度の日数でしかなく、またそれが当たり前になる前に挫折しちゃったからね。
だけど、そんな日々を我が人生のピークにしないために頑張っていこう、とも思っている。何も全部ツラい思い出にしちゃうことはない。
辛(ツラ)い思い出より辛(カラ)い思い出のほうが話してても楽しいしな。
メキシコには辛い食べ物が色々あった。
ご存知ハラペーニョ、グリーンハバネロの本場である。
唐辛子とトマト、緑黄色野菜をふんだんに使ったサルサはこれまたメキシコの代表的なファストフードであるタコスに欠かせない調味料です。
タコス自体はテックスメックスと言って、アメリカ南部とメキシコの文化が混じった食べ物らしいんだけど詳しいことはよくわからない。元々テキサスなんてメキシコの領土だったんだろうし。
プロレスマニアにはお馴染みのテキサス州アマリロという土地はAmarilloと書くんだけど、これそのまんまスペイン語ではアマリージョ、黄色という意味なんだよね。
荒涼としてて地面が黄色いんでそう呼ばれた、ってホントかね。
土地の名前に色が入るってのは日本で言えば赤坂とか目黒みてえなもんか。
タコスは目黒に限る、なんてな。どこの殿様だ。
でタコス。にかけるサルサ。
サルサソースというのは実は意味がダブってて、サルサがソースって意味なのでサルサソースって呼ぶと…ウーマン女とかオニギリごはん、とかそういう感じになっちゃう。
このサルサはタコスの屋台の数だけ味付けがある。もっといえば家庭の数だけ、お母ちゃんの数だけ味付けがある。
日本で言えばお味噌汁みたいなもので、各家庭の味があるのです。
私たちがよく通っていたタコスの屋台は結構な大通りの四つ角に露店を出していて、雨の日も風の日も暑い日も(私が居たのは乾季だったから毎日暑かった)ずっとそこで営業していた。
店先に二種類のサルサが用意されていて、私はいつも赤い方をかけていた。
もう片方は緑色をしていて、どっちもドロリと濃い。また日本で言うスダチぐらいのサイズのレモンも沢山あって、半分に切ってあるソイツをギュッとその場で絞ってかけて食べるのも美味しい。
何しろ暑いのと練習で汗をかいているので、そこで食う脂っこいタコスにレモン汁、そして真っ赤な濃厚サルサの美味いこと。
また横には四角い冷蔵庫、お馴染みのガラスばりで中にビンのジュースが冷えてるアレがあって、親父に頼むとコーラを出してくれる。ギラリと照り付ける太陽、排気ガスとタコスの焼ける匂い、ビルの窓、雑踏、疲労、足元の照り返しを感じながら飲むコーラの美味いこと。
コーラ、というとペプシコーラが出てくる。
コカ・コーラと言わないとコカ・コーラは出てこない。
でペプシコーラをペプシと略すようにコカ・コーラはコカと言う。
でっぷり太ってスーパーマリオを2倍に膨らませたような屋台の親父に
「コカ、ポルファボール!(コカ・コーラください!)」
と元気よく伝えると必ず
「コカ!?お前、コカやってるのか、よせよせ!」
と鼻から何かを吸い込むジェスチャーをひとしきりやる。で爆笑してから冷蔵庫をあけてコカ・コーラを出してくれてた。ホントに毎回飽きもせずこんなことをしていた。
いつものようにタコスを頼み、いつものようにコカコントで笑い、いつものように赤いサルサを書けようとしたある日。屋台の親父が言う。
「オマエ、いつも赤いのかけてるけどこっちの緑のもウマイぞ」
どう考えても緑の方が辛いだろう。が、正直レモンと赤サルサの組みあわせも飽きてきたので、試しに、と緑のサルサをスプーンに一杯すくってかけてみた。
親父がニヤっと笑った。
おっ、なんだ、大して辛くねえや。これなら赤い方がよっぽど……
親父が笑ったわけがわかった。
私は二本目のコーラを頼んだ。
親父はコント無しで爆笑しながら冷蔵庫をあけてコカ・コーラを出した。
コントみたいなのは私の方だったからだ。
以上、メキシコ時代の辛(カラ)い思い出でした。
それでは、またあした。
この名前でお分かりいただける方もいらっしゃると思いますが私はプロレスが大好き。
どのぐらい好きか。
定時制高校の昼間部に通っている三年間でバイトをしたお金で闘龍門に入ってメキシコで寮生活をしてたぐらい。
本当です。2005年5月からいました。
2005年7月半ばまで。
行ったのはいいけど辞めちゃって。
でも、その時の事は今でも忘れられない。楽しかったことも、辛かったことも、信じられないようなことも、頑張ったことも、面白かったことも、しんどかったことも。
実は今だにメキシコに舞い戻った夢を見て飛び起きるときがある。
それは決意も新たに燃えているときもあれば、どうして戻って来ちゃったんだろう、と後悔しているときもあった。
逆にメキシコに居て辛くてしょうがないときは、日本に戻ってきた夢ばかり見ていた。
急に日本の、それも全然我が家とは似ても似つかない場所にいるのにそこが我が家で、すぐに水筒を一つ持ってメキシコに戻らなきゃいけないのに水筒が見つからない!という夢を今でも思い出す。
なんなんだ。
あの頃のことは日記に書いてあったので、以前にはこのエッセイでも多少読みやすく直して載せたこともあった。2か月半ほどのあいだ、これまでの人生でもっとも濃い毎日を送っていたと思う。
まだメキシコにいるってだけで味付けが濃くなる程度の日数でしかなく、またそれが当たり前になる前に挫折しちゃったからね。
だけど、そんな日々を我が人生のピークにしないために頑張っていこう、とも思っている。何も全部ツラい思い出にしちゃうことはない。
辛(ツラ)い思い出より辛(カラ)い思い出のほうが話してても楽しいしな。
メキシコには辛い食べ物が色々あった。
ご存知ハラペーニョ、グリーンハバネロの本場である。
唐辛子とトマト、緑黄色野菜をふんだんに使ったサルサはこれまたメキシコの代表的なファストフードであるタコスに欠かせない調味料です。
タコス自体はテックスメックスと言って、アメリカ南部とメキシコの文化が混じった食べ物らしいんだけど詳しいことはよくわからない。元々テキサスなんてメキシコの領土だったんだろうし。
プロレスマニアにはお馴染みのテキサス州アマリロという土地はAmarilloと書くんだけど、これそのまんまスペイン語ではアマリージョ、黄色という意味なんだよね。
荒涼としてて地面が黄色いんでそう呼ばれた、ってホントかね。
土地の名前に色が入るってのは日本で言えば赤坂とか目黒みてえなもんか。
タコスは目黒に限る、なんてな。どこの殿様だ。
でタコス。にかけるサルサ。
サルサソースというのは実は意味がダブってて、サルサがソースって意味なのでサルサソースって呼ぶと…ウーマン女とかオニギリごはん、とかそういう感じになっちゃう。
このサルサはタコスの屋台の数だけ味付けがある。もっといえば家庭の数だけ、お母ちゃんの数だけ味付けがある。
日本で言えばお味噌汁みたいなもので、各家庭の味があるのです。
私たちがよく通っていたタコスの屋台は結構な大通りの四つ角に露店を出していて、雨の日も風の日も暑い日も(私が居たのは乾季だったから毎日暑かった)ずっとそこで営業していた。
店先に二種類のサルサが用意されていて、私はいつも赤い方をかけていた。
もう片方は緑色をしていて、どっちもドロリと濃い。また日本で言うスダチぐらいのサイズのレモンも沢山あって、半分に切ってあるソイツをギュッとその場で絞ってかけて食べるのも美味しい。
何しろ暑いのと練習で汗をかいているので、そこで食う脂っこいタコスにレモン汁、そして真っ赤な濃厚サルサの美味いこと。
また横には四角い冷蔵庫、お馴染みのガラスばりで中にビンのジュースが冷えてるアレがあって、親父に頼むとコーラを出してくれる。ギラリと照り付ける太陽、排気ガスとタコスの焼ける匂い、ビルの窓、雑踏、疲労、足元の照り返しを感じながら飲むコーラの美味いこと。
コーラ、というとペプシコーラが出てくる。
コカ・コーラと言わないとコカ・コーラは出てこない。
でペプシコーラをペプシと略すようにコカ・コーラはコカと言う。
でっぷり太ってスーパーマリオを2倍に膨らませたような屋台の親父に
「コカ、ポルファボール!(コカ・コーラください!)」
と元気よく伝えると必ず
「コカ!?お前、コカやってるのか、よせよせ!」
と鼻から何かを吸い込むジェスチャーをひとしきりやる。で爆笑してから冷蔵庫をあけてコカ・コーラを出してくれてた。ホントに毎回飽きもせずこんなことをしていた。
いつものようにタコスを頼み、いつものようにコカコントで笑い、いつものように赤いサルサを書けようとしたある日。屋台の親父が言う。
「オマエ、いつも赤いのかけてるけどこっちの緑のもウマイぞ」
どう考えても緑の方が辛いだろう。が、正直レモンと赤サルサの組みあわせも飽きてきたので、試しに、と緑のサルサをスプーンに一杯すくってかけてみた。
親父がニヤっと笑った。
おっ、なんだ、大して辛くねえや。これなら赤い方がよっぽど……
親父が笑ったわけがわかった。
私は二本目のコーラを頼んだ。
親父はコント無しで爆笑しながら冷蔵庫をあけてコカ・コーラを出した。
コントみたいなのは私の方だったからだ。
以上、メキシコ時代の辛(カラ)い思い出でした。
それでは、またあした。
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