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第585回。君はWJプロレスを見たか
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私は、見たぞ。
WJプロレスとは!
新日本プロレスを退団した長州力さんが2002年に立ち上げた新団体で、先に新日本プロレスで辣腕をふるっていたゴマシオ親父こと永島勝司さんが先に設立した永島企画という事務所に長州さんが合流したことで原型となるリキ・ナガシマ企画が出来上がる。
スポンサーをつけたリキ・ナガシマ企画がさらに発展して旗揚げされたのがWJプロレスである。
正式な名称はファイティング・オブ・ワールドジャパンプロレス。
旗揚げまでに資本金2億円、専用車の確保、道場の設立、さらには有名人を多数招待してパーティーを行うなど話題を集めた。主に週刊ゴングの。
週刊ゴングというのは、今や週刊プロレス一誌になってしまったプロレス週刊誌でかつて存在した雑誌で、編集長の金澤さんは熱烈な長州シンパであった。良くも悪くも長州力の情報満載、大きな話題があってもなくても表紙が長州力!という週も今考えればよくあった。
その週刊ゴングが、あの長州力の旗揚げした新団体を猛烈プッシュしないはずもなく。
新日本プロレスという巨大勢力から再び飛び出し一人戦いを挑む、ああ長州力…!
という図式に完全に金澤編集長は酔っていた。当時高校生ぐらいだった私でも、この団体は長続きしないなと思ってたぐらいだったけど、ゴング誌上では当時WJ所属の若手選手を大見出しで
「WJの申し子だ!」
なんて書き立てていた。
長州さん以外の所属選手は谷津嘉章さん、越中詩郎選手、佐々木健介さん、大森隆男選手らネームバリューのある選手にくわえ期待のホープ中嶋勝彦選手が入門。
のちにメキシコからアメリカにわたりスーパースターになる鈴木健想選手も所属した時期があった。
その他若手選手数名が所属で、地方興行ではフリー選手をかき集めて試合を組んでいた。
私の部屋の、私がいつもこれを書いているパソコンの前の壁には、WJプロレス豊橋大会のポスターが今でも貼ってある。
参加選手の顔や名前が書かれていない、長州さんがサソリ固めをかけている写真がどーん!と載った独特の出来栄え。しかしラミネートしてあるのでツルツルして触り心地はとてもいい。最近さすがに日に焼けてしまったが…。
日付は2004年3月24日となっている。水曜日、ド平日の地方興行だ。
しかし記憶に残っているこの日の大会はかなり豪華で良い選手が揃っていた。
もう鈴木健想選手、谷津嘉章さんは退団していたし、佐々木健介さんは怪我で欠場していたからかなり痛手を負っていたものの、そこは実質上「長州力」の一枚看板で売っていたようなもので(前出のポスターが全てを物語っている)地方のファンは革命戦士、あの長州力の登場を今や遅しと待ち望んでいたのだ。
地方に住んでいるととてもじゃないが見られない、首都圏のインディープロレスの常連選手、熟練の職人から往年のスター選手まで様々な顔ぶれがそろっていた。私も東京で見た覚えのないような選手の試合の記憶が残っているのは、殆どこの時だったりする。
期待の中嶋選手はなんと!初代タイガーマスク、あの佐山聡さんとタッグを結成。
豊橋市総合体育館サブアリーナに鳴り響くタイガーマスクのテーマ。
対戦相手には大谷晋二郎選手もいて、初代タイガーマスクとローリングソバットが交錯している写真が残っている。
何よりこの日の試合を大いに盛り上げたのは、長州力さん以外ではなんといっても
矢口壹琅(やぐちいちろう)選手
だった。ブキミなメイクに巨体に金髪という風貌ながら抜群の試合運びで会場のボルテージはぐんぐん上がって行った。何かとんでもないムーヴをこなしたり凄まじい垂直落下技を繰り出したり残酷な狂気攻撃をするわけでもない。
ただ若手選手を場外乱闘で引きずり回しながら会場を練り歩き、場内に貼ってある東西南北のプレートのうち西のところに相手を頭からぶつけて
「西!」
と叫ぶだけだ。しかしこれが異様に面白く、お客さんも私も
「西!」
と返す。するとまた矢口選手が頭をぶつけて
「西!!」
「にしー!!!」
この試合、映像も何も残ってないんだろうなあ。残念だ。
あの試合は熱かった。東京のインディープロレスそのものの荒っぽさ、言い方は悪いがB級感を逆手に取ったような面白さがあった。
そしてメインイベント、いよいよ御大・長州力さんの登場に場内は爆発した。
大音量のパワーホールに、さらに力いっぱいのチョーシューコール。
花道に殺到する観客の目は輝いていた。私の持っている写真には、目を爛々とさせながら長州さんに手を伸ばすスキンヘッドに髭面の男性が写り込んでいる。
がしかし、正直言えば試合の熱量だけならさっきの矢口選手や大谷選手の方が全然上だった。
長州さんが勝つのは目に見えていたし、試合は危なげなくリキ・ラリアットを炸裂させてやはり長州さんが勝利。それはそれでいい。だけど、引き上げる長州さんの肩に苦労してタッチした私はちょっと正直ショックだったことがある。
長州さんの体は冷え切っていたのだ。
試合後のプロレスラーであんなに体が冷たかったことはなかった。
ザ・グレート・サスケ尊師も、ハヤブサさんも、大谷晋二郎選手も、金村キンタローさんも、松山勘十郎座長も、みんな試合後はカッカと火照っていたものだ。ちなみに松山勘十郎座長の第2回松山流女子祭典のDVDでは試合後にガッチリ抱擁を交わす私の姿がばっちり映っている。
この熱量の差はなんなんだ、という素朴な疑問…というか答えがWJプロレスという団体の全てだった。
この日からほどなくしてWJプロレスは活動休止となった。
とにかく伝説的なズンドコ劇、不運に見舞われた団体だった。
ずさんな経営のうわさも絶えなかったし、実際に暴露本が出版されたりもした。
その真偽も功罪も別にどうだっていい。
だけど、そんな風に大袈裟に語られ続けるこの団体を、私は地方に居ながら生観戦する幸運に恵まれた。
そんな自慢話。
WJプロレスとは!
新日本プロレスを退団した長州力さんが2002年に立ち上げた新団体で、先に新日本プロレスで辣腕をふるっていたゴマシオ親父こと永島勝司さんが先に設立した永島企画という事務所に長州さんが合流したことで原型となるリキ・ナガシマ企画が出来上がる。
スポンサーをつけたリキ・ナガシマ企画がさらに発展して旗揚げされたのがWJプロレスである。
正式な名称はファイティング・オブ・ワールドジャパンプロレス。
旗揚げまでに資本金2億円、専用車の確保、道場の設立、さらには有名人を多数招待してパーティーを行うなど話題を集めた。主に週刊ゴングの。
週刊ゴングというのは、今や週刊プロレス一誌になってしまったプロレス週刊誌でかつて存在した雑誌で、編集長の金澤さんは熱烈な長州シンパであった。良くも悪くも長州力の情報満載、大きな話題があってもなくても表紙が長州力!という週も今考えればよくあった。
その週刊ゴングが、あの長州力の旗揚げした新団体を猛烈プッシュしないはずもなく。
新日本プロレスという巨大勢力から再び飛び出し一人戦いを挑む、ああ長州力…!
という図式に完全に金澤編集長は酔っていた。当時高校生ぐらいだった私でも、この団体は長続きしないなと思ってたぐらいだったけど、ゴング誌上では当時WJ所属の若手選手を大見出しで
「WJの申し子だ!」
なんて書き立てていた。
長州さん以外の所属選手は谷津嘉章さん、越中詩郎選手、佐々木健介さん、大森隆男選手らネームバリューのある選手にくわえ期待のホープ中嶋勝彦選手が入門。
のちにメキシコからアメリカにわたりスーパースターになる鈴木健想選手も所属した時期があった。
その他若手選手数名が所属で、地方興行ではフリー選手をかき集めて試合を組んでいた。
私の部屋の、私がいつもこれを書いているパソコンの前の壁には、WJプロレス豊橋大会のポスターが今でも貼ってある。
参加選手の顔や名前が書かれていない、長州さんがサソリ固めをかけている写真がどーん!と載った独特の出来栄え。しかしラミネートしてあるのでツルツルして触り心地はとてもいい。最近さすがに日に焼けてしまったが…。
日付は2004年3月24日となっている。水曜日、ド平日の地方興行だ。
しかし記憶に残っているこの日の大会はかなり豪華で良い選手が揃っていた。
もう鈴木健想選手、谷津嘉章さんは退団していたし、佐々木健介さんは怪我で欠場していたからかなり痛手を負っていたものの、そこは実質上「長州力」の一枚看板で売っていたようなもので(前出のポスターが全てを物語っている)地方のファンは革命戦士、あの長州力の登場を今や遅しと待ち望んでいたのだ。
地方に住んでいるととてもじゃないが見られない、首都圏のインディープロレスの常連選手、熟練の職人から往年のスター選手まで様々な顔ぶれがそろっていた。私も東京で見た覚えのないような選手の試合の記憶が残っているのは、殆どこの時だったりする。
期待の中嶋選手はなんと!初代タイガーマスク、あの佐山聡さんとタッグを結成。
豊橋市総合体育館サブアリーナに鳴り響くタイガーマスクのテーマ。
対戦相手には大谷晋二郎選手もいて、初代タイガーマスクとローリングソバットが交錯している写真が残っている。
何よりこの日の試合を大いに盛り上げたのは、長州力さん以外ではなんといっても
矢口壹琅(やぐちいちろう)選手
だった。ブキミなメイクに巨体に金髪という風貌ながら抜群の試合運びで会場のボルテージはぐんぐん上がって行った。何かとんでもないムーヴをこなしたり凄まじい垂直落下技を繰り出したり残酷な狂気攻撃をするわけでもない。
ただ若手選手を場外乱闘で引きずり回しながら会場を練り歩き、場内に貼ってある東西南北のプレートのうち西のところに相手を頭からぶつけて
「西!」
と叫ぶだけだ。しかしこれが異様に面白く、お客さんも私も
「西!」
と返す。するとまた矢口選手が頭をぶつけて
「西!!」
「にしー!!!」
この試合、映像も何も残ってないんだろうなあ。残念だ。
あの試合は熱かった。東京のインディープロレスそのものの荒っぽさ、言い方は悪いがB級感を逆手に取ったような面白さがあった。
そしてメインイベント、いよいよ御大・長州力さんの登場に場内は爆発した。
大音量のパワーホールに、さらに力いっぱいのチョーシューコール。
花道に殺到する観客の目は輝いていた。私の持っている写真には、目を爛々とさせながら長州さんに手を伸ばすスキンヘッドに髭面の男性が写り込んでいる。
がしかし、正直言えば試合の熱量だけならさっきの矢口選手や大谷選手の方が全然上だった。
長州さんが勝つのは目に見えていたし、試合は危なげなくリキ・ラリアットを炸裂させてやはり長州さんが勝利。それはそれでいい。だけど、引き上げる長州さんの肩に苦労してタッチした私はちょっと正直ショックだったことがある。
長州さんの体は冷え切っていたのだ。
試合後のプロレスラーであんなに体が冷たかったことはなかった。
ザ・グレート・サスケ尊師も、ハヤブサさんも、大谷晋二郎選手も、金村キンタローさんも、松山勘十郎座長も、みんな試合後はカッカと火照っていたものだ。ちなみに松山勘十郎座長の第2回松山流女子祭典のDVDでは試合後にガッチリ抱擁を交わす私の姿がばっちり映っている。
この熱量の差はなんなんだ、という素朴な疑問…というか答えがWJプロレスという団体の全てだった。
この日からほどなくしてWJプロレスは活動休止となった。
とにかく伝説的なズンドコ劇、不運に見舞われた団体だった。
ずさんな経営のうわさも絶えなかったし、実際に暴露本が出版されたりもした。
その真偽も功罪も別にどうだっていい。
だけど、そんな風に大袈裟に語られ続けるこの団体を、私は地方に居ながら生観戦する幸運に恵まれた。
そんな自慢話。
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