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第495回。ルチャバカ日誌
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6月14日。
プロレスファンは立て続けの悲劇に見舞われることになる。
テッド田辺さん。
正直、三沢さんほどの知名度ではないけれど、プロレスマニアならテッドさんなくして語れない試合やドラマが数多くあることは良く知られている。
小柄ではあるがレスラー顔負けの真ん丸い肥満体で、よく通るカン高い声、世紀の大一番から数々のデスマッチにお笑いマッチまで何でも裁く名レフェリーだった。日本の平成インディープロレスはテッドさんのレフェリングなしでは語れないのである。
そんなテッドさんが6月14日、試合後に倒れたまま帰らぬ人となったのだ。
死亡はその翌日15日ではあるものの。
なんとなく、この13日と14日は、もう脳内で癒着したまま刻まれてしまっている。
テッドさんといえば自他共に認めるキャッチフレーズの「多団体男」が表す通り、雨後の筍のように乱立した大小さまざまなプロレス団体を渡り歩き、出張レフェリングも行い、未だに古い写真を見て
あれっ!この試合もテッドさんなんだ!
と驚くことがあるぐらいだ。
というか、物凄く今更だけど、こういう何でも屋さん、プロレスが好きすぎて何でもいいから関わりたい!と思ったことから何でも出来るようになり、引き受けてくれる人をアテにしてないと成り立たなかったってことなんだろうな。その頃のテッドさんのプロレス界での活動がどのぐらい経済的に成り立ってたかわからないけど、やりがい搾取に近い場面も多かったんじゃないか。
本当にどこでもなんでもやっている人、というのがテッドさんの印象だった。
みちのくプロレス、大阪プロレスでの活躍がその中でも主なものになると思うけど、例えばW★INGの人間焼き肉デスマッチも、FMWの電流爆破デスマッチもテッドさんだったし、女子プロレス団体でレフェリーになり、そもそもプロレス界に入るきっかけは最晩年の国際プロレスだったというから驚きだ。
そんな熟練のプロレスなんでも職人だったテッドさんのレフェリングは絶品で、反則を見逃したり、レスラーのお笑いムーブに鋭い突っ込みを入れたり、はたまた乱闘に巻き込まれたりとお客さんを飽きさせない、その場で巻き起こっているプロレスという現象の主要な登場人物としての仕事もさることながら、試合前にはリングの設営や会場の準備に奔走しているところも目撃したし、本まで書いていた。
それが今回のタイトルであるルチャバカ日誌。
日々の試合やそれにまつわる日常がコミカルに書かれていて、遠く東北のみちのくプロレスでの日常に思いをはせたものだ。
私がテッドさんのレフェリングで一番好きなのは、盟友でもある尊師ことザ・グレート・サスケさんが場外に空中殺法を放つとき。
サスケさんがまず相手の位置を確かめ、リングを疾走し、ついに飛び立つ!その瞬間までを
「サスケ!?サスケ、サスケェェェェーーーー!」
の三つの言葉だけで表してしまう。遠くのお客さんにも、角度的に見づらいお客さんにも
(あっ、いまサスケが何か凄いことをしようとしている!)
というのが伝わるし、テレビだとサスケさんが横一直線に走り、猛然と場外に飛び立つさまと見事にマッチしている。これがあるのとないのでは、あのノータッチトペコンの見栄えも全然違うのだ。
もう、それもこれも見られない・聞けないようになって9年。来年は10年になる。
三沢さんに続き、テッドさんまで。
と、よく言われる。私もそう思う。
だけど、お二人はプロレス界という地平にあって全然違う場所に居た。
国際プロレスから一旦全日本プロレスを経たという経歴から近づいたことはあれど、交わることのない二人。
今のような時代になっていれば、もしかすると
三沢光晴VSくいしんぼう仮面
や
三沢光晴VSえべっさん(初代)
や
松山勘十郎VS三沢光晴
などといった夢の試合を(3つ目のは願望だけどご存命だったら松山勘十郎座長ならやりかねない)テッドさんがレフェリングしていた可能性は大いにある。
平成初期の日本マット界を覆っていたのはとにかく固定観念だった。
それを突き崩していったのがインディープロレスだった。
下野したメジャー選手、自らの団体を運営することになった選手、その団体で夢をかなえた選手。
いろんな人たちが、プロレスが好きで好きで集まってきた。
そういう人達の先駆けのような人がテッドさんだと思う。
先人たちのそうした行動、そしてその後を追いかけてきた人々へのケアが、こんにちの隆盛を作り出したと言える。
一方でメジャー団体は、そうした人々を排除し、ふるいにかけることで品位を保ち、それがメジャーたる格であるとされてきた。良くも悪くも対極的だったものが様々な地殻変動の末にぐっと近づいた。
そしてその時には、もう三沢さんもテッドさんも居なくなってた。
世が世なら、どんな夢のカード、夢の組み合わせが生まれただろう。
歴史にifは禁物というけれど、たまにちょっと、そんなことを考えるのもいいじゃないか。
プロレスファンは立て続けの悲劇に見舞われることになる。
テッド田辺さん。
正直、三沢さんほどの知名度ではないけれど、プロレスマニアならテッドさんなくして語れない試合やドラマが数多くあることは良く知られている。
小柄ではあるがレスラー顔負けの真ん丸い肥満体で、よく通るカン高い声、世紀の大一番から数々のデスマッチにお笑いマッチまで何でも裁く名レフェリーだった。日本の平成インディープロレスはテッドさんのレフェリングなしでは語れないのである。
そんなテッドさんが6月14日、試合後に倒れたまま帰らぬ人となったのだ。
死亡はその翌日15日ではあるものの。
なんとなく、この13日と14日は、もう脳内で癒着したまま刻まれてしまっている。
テッドさんといえば自他共に認めるキャッチフレーズの「多団体男」が表す通り、雨後の筍のように乱立した大小さまざまなプロレス団体を渡り歩き、出張レフェリングも行い、未だに古い写真を見て
あれっ!この試合もテッドさんなんだ!
と驚くことがあるぐらいだ。
というか、物凄く今更だけど、こういう何でも屋さん、プロレスが好きすぎて何でもいいから関わりたい!と思ったことから何でも出来るようになり、引き受けてくれる人をアテにしてないと成り立たなかったってことなんだろうな。その頃のテッドさんのプロレス界での活動がどのぐらい経済的に成り立ってたかわからないけど、やりがい搾取に近い場面も多かったんじゃないか。
本当にどこでもなんでもやっている人、というのがテッドさんの印象だった。
みちのくプロレス、大阪プロレスでの活躍がその中でも主なものになると思うけど、例えばW★INGの人間焼き肉デスマッチも、FMWの電流爆破デスマッチもテッドさんだったし、女子プロレス団体でレフェリーになり、そもそもプロレス界に入るきっかけは最晩年の国際プロレスだったというから驚きだ。
そんな熟練のプロレスなんでも職人だったテッドさんのレフェリングは絶品で、反則を見逃したり、レスラーのお笑いムーブに鋭い突っ込みを入れたり、はたまた乱闘に巻き込まれたりとお客さんを飽きさせない、その場で巻き起こっているプロレスという現象の主要な登場人物としての仕事もさることながら、試合前にはリングの設営や会場の準備に奔走しているところも目撃したし、本まで書いていた。
それが今回のタイトルであるルチャバカ日誌。
日々の試合やそれにまつわる日常がコミカルに書かれていて、遠く東北のみちのくプロレスでの日常に思いをはせたものだ。
私がテッドさんのレフェリングで一番好きなのは、盟友でもある尊師ことザ・グレート・サスケさんが場外に空中殺法を放つとき。
サスケさんがまず相手の位置を確かめ、リングを疾走し、ついに飛び立つ!その瞬間までを
「サスケ!?サスケ、サスケェェェェーーーー!」
の三つの言葉だけで表してしまう。遠くのお客さんにも、角度的に見づらいお客さんにも
(あっ、いまサスケが何か凄いことをしようとしている!)
というのが伝わるし、テレビだとサスケさんが横一直線に走り、猛然と場外に飛び立つさまと見事にマッチしている。これがあるのとないのでは、あのノータッチトペコンの見栄えも全然違うのだ。
もう、それもこれも見られない・聞けないようになって9年。来年は10年になる。
三沢さんに続き、テッドさんまで。
と、よく言われる。私もそう思う。
だけど、お二人はプロレス界という地平にあって全然違う場所に居た。
国際プロレスから一旦全日本プロレスを経たという経歴から近づいたことはあれど、交わることのない二人。
今のような時代になっていれば、もしかすると
三沢光晴VSくいしんぼう仮面
や
三沢光晴VSえべっさん(初代)
や
松山勘十郎VS三沢光晴
などといった夢の試合を(3つ目のは願望だけどご存命だったら松山勘十郎座長ならやりかねない)テッドさんがレフェリングしていた可能性は大いにある。
平成初期の日本マット界を覆っていたのはとにかく固定観念だった。
それを突き崩していったのがインディープロレスだった。
下野したメジャー選手、自らの団体を運営することになった選手、その団体で夢をかなえた選手。
いろんな人たちが、プロレスが好きで好きで集まってきた。
そういう人達の先駆けのような人がテッドさんだと思う。
先人たちのそうした行動、そしてその後を追いかけてきた人々へのケアが、こんにちの隆盛を作り出したと言える。
一方でメジャー団体は、そうした人々を排除し、ふるいにかけることで品位を保ち、それがメジャーたる格であるとされてきた。良くも悪くも対極的だったものが様々な地殻変動の末にぐっと近づいた。
そしてその時には、もう三沢さんもテッドさんも居なくなってた。
世が世なら、どんな夢のカード、夢の組み合わせが生まれただろう。
歴史にifは禁物というけれど、たまにちょっと、そんなことを考えるのもいいじゃないか。
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