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第494回。緑の日
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6月13日。
世界中のプロレスファンが絶対に忘れることが出来ない日。
あの日も普通に過ごしていた。
たぶん、ネットやってたかテレビ見てたかしてたから、すぐに情報が飛び込んで来た。
テレビのテロップでも流れていた気がする。
こう言ってはナンだけどプロレスの試合中での怪我や負傷には、ある一定の温度がある。
自分の怪我をも次の試合に、次の大会に繋げる執念や責任の強さを何度も見てきた。
またレスラーの自伝などでは、負傷したことにして一旦その地域(たとえばテキサス州)を離れ、他の地域(フロリダ州など)で試合をし、その間にちょっと間隔を空けることで試合を盛り上げていく、という手法が取られたことも知られている。情報の少なかった古き良きアメリカンプロレスの時代ならではの逸話だ。
だけど、この時はもう一発で
これは何か違う
と思った。たぶん、長年プロレスを見てきたひと、特に四天王プロレスからNOAHに流れた人ほどそう思ったはずだ。
私がFMW末期、故・ハヤブサ選手の事故の時にそう思ったのと同じなんじゃないかな。
いつも満身創痍で、肘や膝の負傷・手術を繰り返していたハヤブサ選手。
色んな診断結果がいつもズラっと並んでいた。
だけど、あの事故のとき中学生だった私にだってわかった。
これは何か違う
あのときの、あの嫌な胸騒ぎを思い出して、気が気じゃなかった。
そしてニュース映像が映し出したのは、その嫌な予感が的中し、増幅されて胸の中からあふれ出したような異様な光景だった。
懸命の処置が施され、会場からは悲鳴や怒号のようなコールが起こった。
いつもは期待や高揚感でいっぱいの三沢コール。
私も超満員の有明コロシアムで声の限り叫んだことがあった。あの時は、私の大好きな故・冬木弘道ボスとの一騎打ち。のちに二人の友情を感じさせるプロレス界でも指折りのドラマの、その端緒になる試合だった。
あの有明コロシアムの一騎打ちからすぐにボスは引退し、ガンが発覚し、帰らぬ人となってしまった。
今度は、三沢さんが…。
どうにもならない、なんにも出来ないまま時間だけが過ぎていった。
そうして三沢さんは本当にボスのところへ行ってしまった。
気がかりだったのは、三沢さんのことだけじゃなかった。
対戦相手の斎藤彰俊選手は、私がずっとずっと大好きな選手だった。
何を隠そうプロレスマニアとしての道を邁進していた中学生の頃、私にフィニッシュホールドは延髄斬りだったのだ。これはアントニオ猪木さんではなく、斎藤彰俊選手のほう。
NOAH旗揚げ以来、第一線で活躍する斎藤選手をずっと応援していたし、事故の前に行われた地元でのNOAHの大会にも応援に行った。Tシャツを買ったら名刺をくれて、ガッチリ握手&少しお話もさせて頂いた。地元愛知での大会ということで気合も入っていたけど、それ以上に普段からとても優しくてファンサービスのいい人だと言われていたから、それを実際に感じられて本当にうれしかった。
スイクル・デス(死神の鎌)と名付けられた延髄斬りを武器に、NOAHで活躍する斎藤選手。
自らのイメージも死神とし、若かりし頃の烏天狗とはまた違ったアピールをしていたのが、本当に本当に皮肉な結果となって表れてしまった。
実際に心無い連中が、斎藤選手ご本人のみならずご家族にも迷惑をかけたという話もあって、まあそういう連中は元々ファンでもなんでもないと思うし、プロレスに限らず、大変なときに一番うるさくて邪魔で声だけはでかい連中というのはどこにでもいるのだろうけれど…長年のファンとして本当にいたたまれない気持ちだった。
受け身の名手。
壮絶な四天王プロレスの旗手と言われた三沢選手が最後に受けた技は、バックドロップだった。
写真を見た限りでは、急角度で落としたわけでも、低空で受け身が取りにくいわけでもなく。
綺麗な弧を描いた投げっぱなし式の一発だった。
脳天から、顔面から、場外に、トップロープから。
地獄のような危険技を受け続け、自らも放ち続けた男の最後の受け身。
試合後の映像を見ると、AEDや救急隊の応急処置などもしっかり残されていて、その中には今は現役を引退した選手、海外にいった選手、そして怪我をしてリハビリ中の選手もいて。
この数年間でプロレス界の風景は一変したと言える。NOAH自体も運営が変わり、選手も移り変わって、今また熱い戦いを繰り広げている。
正直言えば、私が有明コロシアムで見たNOAHと、地元の小さな体育館で見たNOAHは別物のようだった。地元出身の斎藤選手や青柳館長、そして一部の選手は張り切ってくれていたけれど、全体的なムードはどうしてもビッグマッチには及ばなかった。それはある意味で当然とは言わないまでも、他の団体では、それなりにまた別の盛り上がりがあったものなのだ。
言葉にしづらいけれど、例えばFMWでもWJでも大日本プロレスでも、首都圏や大都市でのビッグマッチでは見られない実験的なカードや、地方大会だからこそ組んでくれたいい試合、思いがけない盛り上がりを見せる試合、そのほか熟練のベテラン選手による鉄板の試合などなど、いくらでも地方のインディープロレス大会におけるお楽しみは存在しているのだ。
あの日あの時のNOAHにだけは、それが感じられなかった。
唯一の大技、有名技を出してくれたのは丸藤選手の不知火だけだったと思う。
あの事故が起こってしまったのも広島。地方大会だ。それでもタッグ選手権を行い、王者の三沢さんが防衛線に臨んだ、その日の事故だった。
全力のプロレスを全力で楽しみたいことに変わりは無いし、無事に家に帰って、選手生活を、なんなら余生を送って欲しい。ガッカリしたり、愛想をつかすようなことをしないでほしい。
どこの誰にでも思う普通の事を、プロレスラーの皆さんにも、プロレスという要素を通じて思っている。
いつかは引退したり、遅かれ早かれ世を去る日が来てしまうことは避けられない。
だからそれまで、だからこそ、それまでの日々を、私はイチ愛好家としてこれからもプロレスを応援していきたいし、もう祈るしかないのだけれど、悲しい事故が起こらないで欲しい。
日本の様々な現場では、緑の十字は安全のサイン。
プロレスを愛する人たちの中にも、緑のシンボルは悲しいものではなく、これからの未来を繋ぐサインとして残って行ってほしい。
世界中のプロレスファンが絶対に忘れることが出来ない日。
あの日も普通に過ごしていた。
たぶん、ネットやってたかテレビ見てたかしてたから、すぐに情報が飛び込んで来た。
テレビのテロップでも流れていた気がする。
こう言ってはナンだけどプロレスの試合中での怪我や負傷には、ある一定の温度がある。
自分の怪我をも次の試合に、次の大会に繋げる執念や責任の強さを何度も見てきた。
またレスラーの自伝などでは、負傷したことにして一旦その地域(たとえばテキサス州)を離れ、他の地域(フロリダ州など)で試合をし、その間にちょっと間隔を空けることで試合を盛り上げていく、という手法が取られたことも知られている。情報の少なかった古き良きアメリカンプロレスの時代ならではの逸話だ。
だけど、この時はもう一発で
これは何か違う
と思った。たぶん、長年プロレスを見てきたひと、特に四天王プロレスからNOAHに流れた人ほどそう思ったはずだ。
私がFMW末期、故・ハヤブサ選手の事故の時にそう思ったのと同じなんじゃないかな。
いつも満身創痍で、肘や膝の負傷・手術を繰り返していたハヤブサ選手。
色んな診断結果がいつもズラっと並んでいた。
だけど、あの事故のとき中学生だった私にだってわかった。
これは何か違う
あのときの、あの嫌な胸騒ぎを思い出して、気が気じゃなかった。
そしてニュース映像が映し出したのは、その嫌な予感が的中し、増幅されて胸の中からあふれ出したような異様な光景だった。
懸命の処置が施され、会場からは悲鳴や怒号のようなコールが起こった。
いつもは期待や高揚感でいっぱいの三沢コール。
私も超満員の有明コロシアムで声の限り叫んだことがあった。あの時は、私の大好きな故・冬木弘道ボスとの一騎打ち。のちに二人の友情を感じさせるプロレス界でも指折りのドラマの、その端緒になる試合だった。
あの有明コロシアムの一騎打ちからすぐにボスは引退し、ガンが発覚し、帰らぬ人となってしまった。
今度は、三沢さんが…。
どうにもならない、なんにも出来ないまま時間だけが過ぎていった。
そうして三沢さんは本当にボスのところへ行ってしまった。
気がかりだったのは、三沢さんのことだけじゃなかった。
対戦相手の斎藤彰俊選手は、私がずっとずっと大好きな選手だった。
何を隠そうプロレスマニアとしての道を邁進していた中学生の頃、私にフィニッシュホールドは延髄斬りだったのだ。これはアントニオ猪木さんではなく、斎藤彰俊選手のほう。
NOAH旗揚げ以来、第一線で活躍する斎藤選手をずっと応援していたし、事故の前に行われた地元でのNOAHの大会にも応援に行った。Tシャツを買ったら名刺をくれて、ガッチリ握手&少しお話もさせて頂いた。地元愛知での大会ということで気合も入っていたけど、それ以上に普段からとても優しくてファンサービスのいい人だと言われていたから、それを実際に感じられて本当にうれしかった。
スイクル・デス(死神の鎌)と名付けられた延髄斬りを武器に、NOAHで活躍する斎藤選手。
自らのイメージも死神とし、若かりし頃の烏天狗とはまた違ったアピールをしていたのが、本当に本当に皮肉な結果となって表れてしまった。
実際に心無い連中が、斎藤選手ご本人のみならずご家族にも迷惑をかけたという話もあって、まあそういう連中は元々ファンでもなんでもないと思うし、プロレスに限らず、大変なときに一番うるさくて邪魔で声だけはでかい連中というのはどこにでもいるのだろうけれど…長年のファンとして本当にいたたまれない気持ちだった。
受け身の名手。
壮絶な四天王プロレスの旗手と言われた三沢選手が最後に受けた技は、バックドロップだった。
写真を見た限りでは、急角度で落としたわけでも、低空で受け身が取りにくいわけでもなく。
綺麗な弧を描いた投げっぱなし式の一発だった。
脳天から、顔面から、場外に、トップロープから。
地獄のような危険技を受け続け、自らも放ち続けた男の最後の受け身。
試合後の映像を見ると、AEDや救急隊の応急処置などもしっかり残されていて、その中には今は現役を引退した選手、海外にいった選手、そして怪我をしてリハビリ中の選手もいて。
この数年間でプロレス界の風景は一変したと言える。NOAH自体も運営が変わり、選手も移り変わって、今また熱い戦いを繰り広げている。
正直言えば、私が有明コロシアムで見たNOAHと、地元の小さな体育館で見たNOAHは別物のようだった。地元出身の斎藤選手や青柳館長、そして一部の選手は張り切ってくれていたけれど、全体的なムードはどうしてもビッグマッチには及ばなかった。それはある意味で当然とは言わないまでも、他の団体では、それなりにまた別の盛り上がりがあったものなのだ。
言葉にしづらいけれど、例えばFMWでもWJでも大日本プロレスでも、首都圏や大都市でのビッグマッチでは見られない実験的なカードや、地方大会だからこそ組んでくれたいい試合、思いがけない盛り上がりを見せる試合、そのほか熟練のベテラン選手による鉄板の試合などなど、いくらでも地方のインディープロレス大会におけるお楽しみは存在しているのだ。
あの日あの時のNOAHにだけは、それが感じられなかった。
唯一の大技、有名技を出してくれたのは丸藤選手の不知火だけだったと思う。
あの事故が起こってしまったのも広島。地方大会だ。それでもタッグ選手権を行い、王者の三沢さんが防衛線に臨んだ、その日の事故だった。
全力のプロレスを全力で楽しみたいことに変わりは無いし、無事に家に帰って、選手生活を、なんなら余生を送って欲しい。ガッカリしたり、愛想をつかすようなことをしないでほしい。
どこの誰にでも思う普通の事を、プロレスラーの皆さんにも、プロレスという要素を通じて思っている。
いつかは引退したり、遅かれ早かれ世を去る日が来てしまうことは避けられない。
だからそれまで、だからこそ、それまでの日々を、私はイチ愛好家としてこれからもプロレスを応援していきたいし、もう祈るしかないのだけれど、悲しい事故が起こらないで欲しい。
日本の様々な現場では、緑の十字は安全のサイン。
プロレスを愛する人たちの中にも、緑のシンボルは悲しいものではなく、これからの未来を繋ぐサインとして残って行ってほしい。
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