412 / 1,299
第385回。バカの壁、たわけの溝。
しおりを挟む
阿呆の青天井。
私は常々バカな話書いてて、それが自分にあってて、楽しくて、好きな作業だったりするんだけど…時々いない?すげえバカのくせに大げさで中身のない文章ズラズラ書いてるひと。
バカのしてる賢いフリってすごいよね。
真面目なんだよ、もっと賢く、もっと賢くって思ってるからどんどん真面目がねじれてく。
結果、二重敬語どころか敬語で盛りつけたウエディングケーキみてえな文章が出来上がってさ。
あれって高くそびえ立ってるけど中はハリボテだったりするじゃない?
本当に賢くて真面目な文章をしっかり書くのが本物のケーキで、そうじゃないヤツはイミテーションの、形だけのケーキなんだろうね。きっと。
なんで急にこんな毒づいてるかっていうと
第377回。「プロレスリング・チームでら」さん観戦記。
「やはり本家が隣に居るとなると比較対象としては役不足なのは否めない」
「役不足なのは否めない」
この場合の役不足ってのは誤用なんだってね!!!
ほら、賢いフリして真面目な記事なんか書いてるからバカが出る…。
見事に馬脚を露す、いや豚足がコロリと出たキッドさん。
プロレスのことになると真面目になっちゃうぶん、こういうの恥ずかしいなあ…。
だいたいここに載せるときは三点リーダーもビックリマークのあとも気にせずそのまま、もう本当に対して読み返すこともなく投稿しちゃってるんだよね。あとで気づいたらコッソリ直してるけど。
そんなわけでおバカなりに頑張って書いてたけど、やっぱりミスがあっておかしいねっていう話。
昔から、それこそ小学4年ぐらいから日記を書いて提出するのが好きになって。
どんな宿題も忘れたい放題忘れたし、出さないし、なんだったらノートや課題ごと失くしたりもしてたけど…日記とか作文とか読書感想文とか、そういうものは比較的出してたなあ。それでも全体的に提出率は鬼のように低かったけど…。
小学生の頃は毎日の宿題のほかに小さい日記帳が配られて、それを書いて出すことになっていた。
結構家庭内の修羅場なんかもそのまま書いちゃって、先生が心配して母に電話をかけたりしてきたっけな。
中学に入ると、課題のほかに連絡帳を兼用した
命のノート
なるものが配られた。普通のノートよりデカくて、プロレスや映画のパンフレット…よりは小さいサイズってわかるかな???
あれ何版っていうんだ。とにかくデカいノートが配られた。
そこに日々の出来事や思ったことを徒然なるままに書くんだそうだけど…文章が苦手な奴は頑張って書いて数文字とか1行そこら。
普通の子でも数行。
和哉君(13歳)は見開き2ページとか平気で使ってた。
おかげでみんな通年で使うようなノートを年に1度は買い替えていた。
内容は愚痴から魂の叫びからプロレスの話からデートの話から色々で。
大仁田厚さんに感化されていたころは特に、大声で長時間がなり続けるのがカッコイイと思っていたから…ああ思い出しても身震いがする、背中がカユイ。
大仁田さんは要点を、的確に、絶妙な間とテンションで叩き付けるのでお客さんやテレビ・雑誌の向こうのファンにも響いたのであって、何でもいいから怒って叫んでいればいいというわけではない。
なんてなことがわかるようなガキだったらあんなダラダラ書きはしない。
本当に、当時心からシャクだった連中のことを延々書いてたり、かと思えば雑誌やビデオでかじった知識で似顔絵入りのルチャドール紹介をしてたり、当時好きだった女の子と別れなきゃならなくなった経緯を告白をしたりと盛りだくさん。
今と大して変わらないな…。
まあ、でも、今でも少しはマシになったであろうこの文章が、まだもぎたてヌルヌルの中学2年生の文体で延々続くわけだから…ガッコの先生ってなあエライ職業だよなあ…。
またそういう、ゆうべ捨てるのが面倒でドンブリに残ったままの豚骨スープみてえな文章であっても、しっかり最後まで毎回毎回読んでくれて、必ずひとこと赤ペンで感想を書いてくれてた1年の担任だった梅原先生と、2年3年と担任だった林先生には感謝するしかない…いや陳謝もするべきか。
私だったらノートの端で頭をスカン!と叩きかねないというのに。
それから中学生の頃は頼まれても課題でもないのに、自分でキャンパスノートに色付きのボールペンで日々のアレコレを書いていた。こっちは同級生の身内ネタが中心だったけど、3冊くらい書いたかな?どうせテストもろくに勉強しなかった(ちなみにテストのときは問題用紙の裏に4コマ漫画を好評連載)ので家に帰って一心不乱に机に向かっていたが、やってたのはそんなことだった。母が知ったら嘆くだろうか。
まあ、今も仕事から帰ってきたら一心不乱にこんなものを書いているので、本当にあの頃と大して変わらないな…母が知ったら嘆くだろうか。
そういえば300回記念のときは、メキシコ時代にも書いてた日記を公開してたね。
あんな地球の反対側まで行っても日記を付けてたのだから、よくよく私は自分の日記をヒトサマに見せていたい性癖の持ち主らしい。
もうすぐ400回だってさ。この変態プレイ日記。
皆さんいつもありがとね、今後ともよろしくお付き合いください。
私は常々バカな話書いてて、それが自分にあってて、楽しくて、好きな作業だったりするんだけど…時々いない?すげえバカのくせに大げさで中身のない文章ズラズラ書いてるひと。
バカのしてる賢いフリってすごいよね。
真面目なんだよ、もっと賢く、もっと賢くって思ってるからどんどん真面目がねじれてく。
結果、二重敬語どころか敬語で盛りつけたウエディングケーキみてえな文章が出来上がってさ。
あれって高くそびえ立ってるけど中はハリボテだったりするじゃない?
本当に賢くて真面目な文章をしっかり書くのが本物のケーキで、そうじゃないヤツはイミテーションの、形だけのケーキなんだろうね。きっと。
なんで急にこんな毒づいてるかっていうと
第377回。「プロレスリング・チームでら」さん観戦記。
「やはり本家が隣に居るとなると比較対象としては役不足なのは否めない」
「役不足なのは否めない」
この場合の役不足ってのは誤用なんだってね!!!
ほら、賢いフリして真面目な記事なんか書いてるからバカが出る…。
見事に馬脚を露す、いや豚足がコロリと出たキッドさん。
プロレスのことになると真面目になっちゃうぶん、こういうの恥ずかしいなあ…。
だいたいここに載せるときは三点リーダーもビックリマークのあとも気にせずそのまま、もう本当に対して読み返すこともなく投稿しちゃってるんだよね。あとで気づいたらコッソリ直してるけど。
そんなわけでおバカなりに頑張って書いてたけど、やっぱりミスがあっておかしいねっていう話。
昔から、それこそ小学4年ぐらいから日記を書いて提出するのが好きになって。
どんな宿題も忘れたい放題忘れたし、出さないし、なんだったらノートや課題ごと失くしたりもしてたけど…日記とか作文とか読書感想文とか、そういうものは比較的出してたなあ。それでも全体的に提出率は鬼のように低かったけど…。
小学生の頃は毎日の宿題のほかに小さい日記帳が配られて、それを書いて出すことになっていた。
結構家庭内の修羅場なんかもそのまま書いちゃって、先生が心配して母に電話をかけたりしてきたっけな。
中学に入ると、課題のほかに連絡帳を兼用した
命のノート
なるものが配られた。普通のノートよりデカくて、プロレスや映画のパンフレット…よりは小さいサイズってわかるかな???
あれ何版っていうんだ。とにかくデカいノートが配られた。
そこに日々の出来事や思ったことを徒然なるままに書くんだそうだけど…文章が苦手な奴は頑張って書いて数文字とか1行そこら。
普通の子でも数行。
和哉君(13歳)は見開き2ページとか平気で使ってた。
おかげでみんな通年で使うようなノートを年に1度は買い替えていた。
内容は愚痴から魂の叫びからプロレスの話からデートの話から色々で。
大仁田厚さんに感化されていたころは特に、大声で長時間がなり続けるのがカッコイイと思っていたから…ああ思い出しても身震いがする、背中がカユイ。
大仁田さんは要点を、的確に、絶妙な間とテンションで叩き付けるのでお客さんやテレビ・雑誌の向こうのファンにも響いたのであって、何でもいいから怒って叫んでいればいいというわけではない。
なんてなことがわかるようなガキだったらあんなダラダラ書きはしない。
本当に、当時心からシャクだった連中のことを延々書いてたり、かと思えば雑誌やビデオでかじった知識で似顔絵入りのルチャドール紹介をしてたり、当時好きだった女の子と別れなきゃならなくなった経緯を告白をしたりと盛りだくさん。
今と大して変わらないな…。
まあ、でも、今でも少しはマシになったであろうこの文章が、まだもぎたてヌルヌルの中学2年生の文体で延々続くわけだから…ガッコの先生ってなあエライ職業だよなあ…。
またそういう、ゆうべ捨てるのが面倒でドンブリに残ったままの豚骨スープみてえな文章であっても、しっかり最後まで毎回毎回読んでくれて、必ずひとこと赤ペンで感想を書いてくれてた1年の担任だった梅原先生と、2年3年と担任だった林先生には感謝するしかない…いや陳謝もするべきか。
私だったらノートの端で頭をスカン!と叩きかねないというのに。
それから中学生の頃は頼まれても課題でもないのに、自分でキャンパスノートに色付きのボールペンで日々のアレコレを書いていた。こっちは同級生の身内ネタが中心だったけど、3冊くらい書いたかな?どうせテストもろくに勉強しなかった(ちなみにテストのときは問題用紙の裏に4コマ漫画を好評連載)ので家に帰って一心不乱に机に向かっていたが、やってたのはそんなことだった。母が知ったら嘆くだろうか。
まあ、今も仕事から帰ってきたら一心不乱にこんなものを書いているので、本当にあの頃と大して変わらないな…母が知ったら嘆くだろうか。
そういえば300回記念のときは、メキシコ時代にも書いてた日記を公開してたね。
あんな地球の反対側まで行っても日記を付けてたのだから、よくよく私は自分の日記をヒトサマに見せていたい性癖の持ち主らしい。
もうすぐ400回だってさ。この変態プレイ日記。
皆さんいつもありがとね、今後ともよろしくお付き合いください。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる