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孤独と憂鬱、空っぽがいっぱい詰まった広い広い部屋で
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いつからだろう、毎日ニコニコして過ごせなくなっていった。
家庭のこと、学校のこと、人付き合いのこと。
全部不安で、だれも信用できない気がして、それは家族も先生も友達も近所の優しいおばあちゃんも、みんなみんなどうやっても自分を悪く言っている気がして。
夜も寝れなくなって、お腹も空いてないのにカップラーメンを食べた。
ポットでお湯を沸かす音を家族に聞かれると、また何か言われる気がして、たとえポットの中のお湯が沸いてなくてぬるま湯のやや水、ぐらいの温度でも構わずに注いで自室で食べた。美味しくもない、まともな味すらもしないただの食べられる何かの塊を次々に流し込んでいった。
ブクブク太って、益々他人がキライになっていった。
無意識のうちに自分で自分の髪の毛をブチブチ抜いていたらしく、ベッドの下はゴミと髪の毛でいっぱいになっていた。
テレビゲームやマンガ、小説、図鑑、江戸川乱歩もホームズも椎名誠もどくとるマンボウも、この時期にやたら読んだ。数少ない心を許してた、というか人に心を閉ざした和哉君を受け入れてくれてた公文式のイタガキ先生が勧めてくれた本も片っ端から読んだ。
エライ人の伝記から歴史のマンガ、海外の小説なんかが多かった。
学校になんか行かなくて、行っても教室に入れなくて屋上に続く階段に座って授業が終わるのを待ってた。学校に居るところを見つかったら、何を言われるかわからなかった。
それは自分にも原因はあるけど、あとの残りは今となってはなんだったのかわからない。
このあともフツーに話したり遊んだり出来た人も居るし、この時以来疎遠な奴もいる。
家にも学校にも行かず、祖父母の家にも行けないときはひたすら自転車を漕いで、なるべく遠くまで行っていた。気が付くと静岡県の、どこぞの知らない街に着いてたりした。
ウォークマンでイエローモンキーの曲を聴きながらどこまでも走った。
冬、枯れ草と夕暮れの陽射しと、田舎の川を渡る小さな橋の上に、いま記憶の中の自分が居る。
自転車をふと止めて橋の下を見ると、女の子がランドセルを下ろして座っていた。
その名前も知らない女の子と、その日その時だけ友達だったのを、いま思い出した。
もしかしたらそんな子は居なかったのかもしれない。
夜更かしも、朝寝坊も、不登校にも行き詰っていった。
家に居るほうのおばあちゃんには辛く当たり、その当時は離婚してまだ独身に戻ってた母は朝早くから夜遅くまで工場で働いていた。
事務職やヤクルトさんのパートなどをしていた母の手が、工場勤務でみるみる荒れていっていたのを覚えている。
自分の部屋のベッドの上で、マンガもゲームもエロ本も飽きて、ただぼんやりしていた。
ふと気が付くと部屋の中は荒れ果てていて、ゴミも服もガラクタも本も全部ぐっちゃぐちゃになっていた。ベッドもいつだったか暴れたときに壊してしまい、板が割れて少し傾いたまま寝ていた。
何年も干してない布団と毛布は埃っぽくて、飼っている猫の毛でいっぱいだった。
惨めだった。不安と焦燥でいっぱいだった。この先どうしよう、このままだったらどうしよう。
孤独と憂鬱、空っぽがいっぱい詰まった広い広い部屋で、独りぼっちだった。
自分で自分を独りぼっちにして、逃げて逃げて逃げていた。
寝ようとしても頭の後ろからじわじわと色んな考えがわいてきて、それは他人から嫌われていること、嫌われている自分と接しなくてはいけない他人のこと、明日どうしよう、オトナになったらどうしよう、そんなことばかりを考えていた。
結局そのまま小学生を終えて、中学で柔道部に入って仲間も出来て、環境がガラっと変わったことでかなり改善された。それでも、未だにその頃の名残なのかもう性根がそうなっているのか、時々どうしようもない憂鬱とか孤独とか不安が押し寄せてくる。
あの時は、この先どうしよう、だったのが、今は、どうしてこうなんだろう、になった。
より後ろ向きで、危険な兆候だ。
だけど、年々少しずつだけど考え方が変わってきていて。
33歳の今日(こんにち)、自分があの頃の自分からしたら、かなり気長に物事を考えられていることに気が付いた。
孤独も憂鬱も、ハシカや風邪のようなものだとずっと思ってた。
特効薬は他人と接すること、友達や彼女を作ること、仕事をすること、何でもいいから
「何も考えないで何かしている時間」を作ること。
それが出来れば苦労しない、という時期が私はわりと早く、長かったと思う。
だけどその分立ち直るのも早く済んで、中学・高校はそれなりに楽しめた。
小学高学年の数年間が地獄だった。
私にとっては、そうだった。
これが誰にでも当てはまるとか、こうだったからあなたも大丈夫だ、とは言えない。
ただ死なずに生きてるから、辛いことも楽しいことも今日まで沢山あった。
だからってあなたに生きろということでもない。
死んじゃったところで、もう文句も言えないしな。
残された人の悲しみを考えろ、なんて言う奴は、いま生きてることの辛さなんて考えてくれない。
いま生きてて辛いってんのに、残された人の悲しみを考えろなんて矛盾してらあ。
ショートケーキを食った後でイチゴを乗せようとしているようなものだ。
違うか。
33歳の私が、12歳の私に出会えたら、救ってやれるだろうか。
それともやっぱりガッカリされちゃうだろうか。
一緒に映画でも見に行こうか。
家庭のこと、学校のこと、人付き合いのこと。
全部不安で、だれも信用できない気がして、それは家族も先生も友達も近所の優しいおばあちゃんも、みんなみんなどうやっても自分を悪く言っている気がして。
夜も寝れなくなって、お腹も空いてないのにカップラーメンを食べた。
ポットでお湯を沸かす音を家族に聞かれると、また何か言われる気がして、たとえポットの中のお湯が沸いてなくてぬるま湯のやや水、ぐらいの温度でも構わずに注いで自室で食べた。美味しくもない、まともな味すらもしないただの食べられる何かの塊を次々に流し込んでいった。
ブクブク太って、益々他人がキライになっていった。
無意識のうちに自分で自分の髪の毛をブチブチ抜いていたらしく、ベッドの下はゴミと髪の毛でいっぱいになっていた。
テレビゲームやマンガ、小説、図鑑、江戸川乱歩もホームズも椎名誠もどくとるマンボウも、この時期にやたら読んだ。数少ない心を許してた、というか人に心を閉ざした和哉君を受け入れてくれてた公文式のイタガキ先生が勧めてくれた本も片っ端から読んだ。
エライ人の伝記から歴史のマンガ、海外の小説なんかが多かった。
学校になんか行かなくて、行っても教室に入れなくて屋上に続く階段に座って授業が終わるのを待ってた。学校に居るところを見つかったら、何を言われるかわからなかった。
それは自分にも原因はあるけど、あとの残りは今となってはなんだったのかわからない。
このあともフツーに話したり遊んだり出来た人も居るし、この時以来疎遠な奴もいる。
家にも学校にも行かず、祖父母の家にも行けないときはひたすら自転車を漕いで、なるべく遠くまで行っていた。気が付くと静岡県の、どこぞの知らない街に着いてたりした。
ウォークマンでイエローモンキーの曲を聴きながらどこまでも走った。
冬、枯れ草と夕暮れの陽射しと、田舎の川を渡る小さな橋の上に、いま記憶の中の自分が居る。
自転車をふと止めて橋の下を見ると、女の子がランドセルを下ろして座っていた。
その名前も知らない女の子と、その日その時だけ友達だったのを、いま思い出した。
もしかしたらそんな子は居なかったのかもしれない。
夜更かしも、朝寝坊も、不登校にも行き詰っていった。
家に居るほうのおばあちゃんには辛く当たり、その当時は離婚してまだ独身に戻ってた母は朝早くから夜遅くまで工場で働いていた。
事務職やヤクルトさんのパートなどをしていた母の手が、工場勤務でみるみる荒れていっていたのを覚えている。
自分の部屋のベッドの上で、マンガもゲームもエロ本も飽きて、ただぼんやりしていた。
ふと気が付くと部屋の中は荒れ果てていて、ゴミも服もガラクタも本も全部ぐっちゃぐちゃになっていた。ベッドもいつだったか暴れたときに壊してしまい、板が割れて少し傾いたまま寝ていた。
何年も干してない布団と毛布は埃っぽくて、飼っている猫の毛でいっぱいだった。
惨めだった。不安と焦燥でいっぱいだった。この先どうしよう、このままだったらどうしよう。
孤独と憂鬱、空っぽがいっぱい詰まった広い広い部屋で、独りぼっちだった。
自分で自分を独りぼっちにして、逃げて逃げて逃げていた。
寝ようとしても頭の後ろからじわじわと色んな考えがわいてきて、それは他人から嫌われていること、嫌われている自分と接しなくてはいけない他人のこと、明日どうしよう、オトナになったらどうしよう、そんなことばかりを考えていた。
結局そのまま小学生を終えて、中学で柔道部に入って仲間も出来て、環境がガラっと変わったことでかなり改善された。それでも、未だにその頃の名残なのかもう性根がそうなっているのか、時々どうしようもない憂鬱とか孤独とか不安が押し寄せてくる。
あの時は、この先どうしよう、だったのが、今は、どうしてこうなんだろう、になった。
より後ろ向きで、危険な兆候だ。
だけど、年々少しずつだけど考え方が変わってきていて。
33歳の今日(こんにち)、自分があの頃の自分からしたら、かなり気長に物事を考えられていることに気が付いた。
孤独も憂鬱も、ハシカや風邪のようなものだとずっと思ってた。
特効薬は他人と接すること、友達や彼女を作ること、仕事をすること、何でもいいから
「何も考えないで何かしている時間」を作ること。
それが出来れば苦労しない、という時期が私はわりと早く、長かったと思う。
だけどその分立ち直るのも早く済んで、中学・高校はそれなりに楽しめた。
小学高学年の数年間が地獄だった。
私にとっては、そうだった。
これが誰にでも当てはまるとか、こうだったからあなたも大丈夫だ、とは言えない。
ただ死なずに生きてるから、辛いことも楽しいことも今日まで沢山あった。
だからってあなたに生きろということでもない。
死んじゃったところで、もう文句も言えないしな。
残された人の悲しみを考えろ、なんて言う奴は、いま生きてることの辛さなんて考えてくれない。
いま生きてて辛いってんのに、残された人の悲しみを考えろなんて矛盾してらあ。
ショートケーキを食った後でイチゴを乗せようとしているようなものだ。
違うか。
33歳の私が、12歳の私に出会えたら、救ってやれるだろうか。
それともやっぱりガッカリされちゃうだろうか。
一緒に映画でも見に行こうか。
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