298 / 1,299
ダム巡り。
しおりを挟む
今日はあんまり天気がいいんで、思い立ってダムに行ってきた。最近は知多半島に思いのほか通うことも出来たので久しぶりに山の方へ。
紅葉シーズンに入ると混みあうし、そういうとこ来るのはお年寄りが多いのであぶない。空いてる今ならいいかなーと思ったら大当たり。
まず最初は大島ダム。
静かで、鳥のさえずり以外は何も聞こえない。
青すぎるくらい青い空に、ほとんど同じ色になって山肌を反射する鏡のような湖面。朝霧湖のほとりで写真を撮って、管理事務所兼展示室を覗いてみる。
このところの天災、水害でダムへの関心は高まったと思う。でもツイッターでアレコレ言うだけより、実際に見て学ぶことの方がより身になるとも思う。
というか展示室に入ってからそう思った。なんとなく、気分がダムに向いていたのはその辺のこともあるのかもしれない。
余談と言うかついでというか、うちの祖父母の結婚式は伊勢湾台風の翌日だったという。あの暴風雨が過ぎ去って台風一過の青空を見上げて
こりゃあ結婚式どころじゃねえや
と家で呆然としていたおばあちゃんのところに、髪結いさんがすっ飛んできてマッハで支度して結婚式を決行したのだそうな。
電気も停まってるし当然ご馳走もなく道路も寸断されていたが、とにかく挙げちゃったらしい。未だに、何故またよりにもよって!?と思うが、生きてるうちに聞きそびれてしまった。
仲人を務めたのがその後に豊橋市長にもなったけど何かで捕まっちゃった人だったって話も聞いた。
結局その伊勢湾台風で我が家は無事だったから今ここに私がいるわけで、でもその台風でいけすがやられてウナギが全部逃げちゃったんで養鰻業は畳んだらしいのでそっちも無事だったら良かったのになと思う今日この頃。
そんな皆さんの暮らしを支え、命を守ってくれるインフラ。
そうダム。
ダムにもいろんな種類があって、出来た年代や地形、使い方によって様々。
大島ダムの展示室はこじんまりしているけどどれも読みやすくてわかりやすい、丁寧な展示でした。近所の小学校の生徒さんが作った自由研究も貼ってあって、これがまた見事な出来栄えだった。チョウチョの観察なんだけど大変に立派でした。見たら結構前に作られてたので今頃はどっか賢い学校に行っているのかしら。
まさかロングスカートでペタンコのカバンに鉄板入れて、右手にカミソリを仕込んで
お前はマーティ・フリードマンか!
ってクルクルパーマに真っ赤なルージュをひいたカミソリのお竜、なんてなことには…なってたら面白いけどなってないといいなー
そこから最近新しくできた佐久間道路を通って佐久間ダムにも行ってきた。
何しろこの佐久間道路が出来たのはつい最近なんだけど、その前は天竜川を遡上していくか、東栄町から浦川経由でぐるっと回りこむしかなかったんだから便利になりました。
私が子供のころはそもそも国道151号線も狭くて、新城のバイパスも無かったし市原トンネルもなくって物凄い狭くて急なカーブを曲がらなくちゃならなかった。
佐久間にはレールパークという鉄道の博物館があって、そこにおじいちゃんと何度か行った。古い電車に乗ってご満悦の私の写真が残っている。
私の鉄道好きは筋金入りなのだ。
第二東名の引佐からは三遠南信道路も伸びてるし、これもかなり便利で宇連ダムから竜ヶ岩洞までほぼ一本道になる。
道路ってすごいな。
建築ってすごいな。
そんでもって日本一の佐久間ダムだ。
佐久間電力館というJPOWERさんの施設でダムの歴史や周辺の文化についてもたっぷり学ぶことが出来ます。
当時の新聞記事や映像で見る佐久間ダム建設の歩み。
脳裏に中島みゆきが流れてくるよね、もう。
え?違うよ、なんでMUGO・ん…色っぽい、なんだよ、そこはフツー地上の星だろ!?
大島ダムにしても佐久間ダムにしても、そこにダムを建設するために色んな犠牲もあれば功罪あるのは重々承知とはいえ、やはり自分が生まれた頃すでに便利な暮らしを享受している以上はせめてちゃんと知っておかなくちゃならないってことはいっぱいあるんじゃないか。
想像以上のスケールと、これを今よりずっと不便でエアコンも自動車も性能の劣る時代にやってた人たちがいると思うと物凄いことだなって思う。
そりゃ今の若いもんは、とか言いたくなるのもわかるが、今は今で大変なのでそこはぐっと堪えて頂きたい(:誰に?)
でその不便な時代に書かれた井上靖さんの小説に、この佐久間ダムをはじめ在りし日の北遠地方が登場するので図書コーナーに資料があった。
それによると井上さんは何度かこの地を訪れ、工事現場を見学したり飯田線で川沿いの情景を眺め、作中にもそれらが活かされているという。
小説「満ちて来る潮」
というのがそれで、これについての井上靖さん本人の解説もある。潮の満ち引きに重なるヒロインの心の動きに関しての記述には心を揺さぶられるものがあった。
ド理系で超体育会系の現場があった地でこれ以上ないくらい文系モードに入ってる、というのも凄い話だ。
佐久間ダムが完成して60年が経つ。そのさらに前の時代だ。
電車も「つばめ」という名前が出てくる。東海道線を走っていた当時の特急列車で、当然まだ新幹線もない時代。井上さんは東京から辰野まで来て、そっから飯田線で中部天竜か佐久間あたりまで来たことになる。
私を佐久間レールパークまで連れてってくれたおじいちゃんは(伊勢湾台風翌日の花婿でもある)新婚旅行で東京へ行き、帰りは辰野から飯田線で7時間ぐらいかけて帰ってきたという。その3分の2ぐらいの行程を井上さんも乗ったことになる。
またある時は三方原を車で突っ切って佐久間ダムまでやってきたとか。
あの当時の鉄道、あの当時の自動車だ。今の鉄道や電車でも大変なのに、あの当時よくやったなあ、と思う。
こういう話、好きなんだよね。力道山時代のプロレスラーが青森から函館までフェリーに乗って行ったとか、どくとるマンボウ航海記の北杜夫さんが水産庁の調査船で60年代に船旅をしてたとか。
同じ国、同じ場所なのにまるでおとぎ話のようで。
佐久間ダムも、小説「満ちて来る潮」も自分の目の前にちゃんとある。
でもそれは誰かが懸命になって作り出し、そこに存在しているからだ。
ダムも道路も他色々なインフラも在るものを当たり前として消費・削減・搾取するばっかりの、血の通わない考えではこの先とても困る日が来ると思うし、その時になって血の通わない措置をされたと金切り声をあげても、きっと決壊した社会の濁流に呑まれて誰にも届くことはないだろう。
そんなことを考えるフリをしながら、腹が減ったので便利で早い三遠南信道路を引佐まで有難く走って、竜ヶ岩洞で焼きみそまんと五平餅を食べました。五平餅はその場で焼いてくれたのでアッツアツのモッチモチで美味しかったです。
あとマテリアさんのジェラート。これを食べなきゃここに来た甲斐がない。
古代のチーズを再現した「蘇」というやつと、ホワイトクリームというミルクの風味たっぷりのをダブルで。
店員さんは「同じ系統の味になっちゃいますけど…?」って聞いてくれるし実際に「蘇」はホワイトクリーム味をベースに作ってるんで実に親切かつタダシイご指摘なんだけど、私はこれが好きなのだ。
で、三ケ日を回って帰ってくる。充実した一日でした。
ダムいいな、ダム。
紅葉シーズンに入ると混みあうし、そういうとこ来るのはお年寄りが多いのであぶない。空いてる今ならいいかなーと思ったら大当たり。
まず最初は大島ダム。
静かで、鳥のさえずり以外は何も聞こえない。
青すぎるくらい青い空に、ほとんど同じ色になって山肌を反射する鏡のような湖面。朝霧湖のほとりで写真を撮って、管理事務所兼展示室を覗いてみる。
このところの天災、水害でダムへの関心は高まったと思う。でもツイッターでアレコレ言うだけより、実際に見て学ぶことの方がより身になるとも思う。
というか展示室に入ってからそう思った。なんとなく、気分がダムに向いていたのはその辺のこともあるのかもしれない。
余談と言うかついでというか、うちの祖父母の結婚式は伊勢湾台風の翌日だったという。あの暴風雨が過ぎ去って台風一過の青空を見上げて
こりゃあ結婚式どころじゃねえや
と家で呆然としていたおばあちゃんのところに、髪結いさんがすっ飛んできてマッハで支度して結婚式を決行したのだそうな。
電気も停まってるし当然ご馳走もなく道路も寸断されていたが、とにかく挙げちゃったらしい。未だに、何故またよりにもよって!?と思うが、生きてるうちに聞きそびれてしまった。
仲人を務めたのがその後に豊橋市長にもなったけど何かで捕まっちゃった人だったって話も聞いた。
結局その伊勢湾台風で我が家は無事だったから今ここに私がいるわけで、でもその台風でいけすがやられてウナギが全部逃げちゃったんで養鰻業は畳んだらしいのでそっちも無事だったら良かったのになと思う今日この頃。
そんな皆さんの暮らしを支え、命を守ってくれるインフラ。
そうダム。
ダムにもいろんな種類があって、出来た年代や地形、使い方によって様々。
大島ダムの展示室はこじんまりしているけどどれも読みやすくてわかりやすい、丁寧な展示でした。近所の小学校の生徒さんが作った自由研究も貼ってあって、これがまた見事な出来栄えだった。チョウチョの観察なんだけど大変に立派でした。見たら結構前に作られてたので今頃はどっか賢い学校に行っているのかしら。
まさかロングスカートでペタンコのカバンに鉄板入れて、右手にカミソリを仕込んで
お前はマーティ・フリードマンか!
ってクルクルパーマに真っ赤なルージュをひいたカミソリのお竜、なんてなことには…なってたら面白いけどなってないといいなー
そこから最近新しくできた佐久間道路を通って佐久間ダムにも行ってきた。
何しろこの佐久間道路が出来たのはつい最近なんだけど、その前は天竜川を遡上していくか、東栄町から浦川経由でぐるっと回りこむしかなかったんだから便利になりました。
私が子供のころはそもそも国道151号線も狭くて、新城のバイパスも無かったし市原トンネルもなくって物凄い狭くて急なカーブを曲がらなくちゃならなかった。
佐久間にはレールパークという鉄道の博物館があって、そこにおじいちゃんと何度か行った。古い電車に乗ってご満悦の私の写真が残っている。
私の鉄道好きは筋金入りなのだ。
第二東名の引佐からは三遠南信道路も伸びてるし、これもかなり便利で宇連ダムから竜ヶ岩洞までほぼ一本道になる。
道路ってすごいな。
建築ってすごいな。
そんでもって日本一の佐久間ダムだ。
佐久間電力館というJPOWERさんの施設でダムの歴史や周辺の文化についてもたっぷり学ぶことが出来ます。
当時の新聞記事や映像で見る佐久間ダム建設の歩み。
脳裏に中島みゆきが流れてくるよね、もう。
え?違うよ、なんでMUGO・ん…色っぽい、なんだよ、そこはフツー地上の星だろ!?
大島ダムにしても佐久間ダムにしても、そこにダムを建設するために色んな犠牲もあれば功罪あるのは重々承知とはいえ、やはり自分が生まれた頃すでに便利な暮らしを享受している以上はせめてちゃんと知っておかなくちゃならないってことはいっぱいあるんじゃないか。
想像以上のスケールと、これを今よりずっと不便でエアコンも自動車も性能の劣る時代にやってた人たちがいると思うと物凄いことだなって思う。
そりゃ今の若いもんは、とか言いたくなるのもわかるが、今は今で大変なのでそこはぐっと堪えて頂きたい(:誰に?)
でその不便な時代に書かれた井上靖さんの小説に、この佐久間ダムをはじめ在りし日の北遠地方が登場するので図書コーナーに資料があった。
それによると井上さんは何度かこの地を訪れ、工事現場を見学したり飯田線で川沿いの情景を眺め、作中にもそれらが活かされているという。
小説「満ちて来る潮」
というのがそれで、これについての井上靖さん本人の解説もある。潮の満ち引きに重なるヒロインの心の動きに関しての記述には心を揺さぶられるものがあった。
ド理系で超体育会系の現場があった地でこれ以上ないくらい文系モードに入ってる、というのも凄い話だ。
佐久間ダムが完成して60年が経つ。そのさらに前の時代だ。
電車も「つばめ」という名前が出てくる。東海道線を走っていた当時の特急列車で、当然まだ新幹線もない時代。井上さんは東京から辰野まで来て、そっから飯田線で中部天竜か佐久間あたりまで来たことになる。
私を佐久間レールパークまで連れてってくれたおじいちゃんは(伊勢湾台風翌日の花婿でもある)新婚旅行で東京へ行き、帰りは辰野から飯田線で7時間ぐらいかけて帰ってきたという。その3分の2ぐらいの行程を井上さんも乗ったことになる。
またある時は三方原を車で突っ切って佐久間ダムまでやってきたとか。
あの当時の鉄道、あの当時の自動車だ。今の鉄道や電車でも大変なのに、あの当時よくやったなあ、と思う。
こういう話、好きなんだよね。力道山時代のプロレスラーが青森から函館までフェリーに乗って行ったとか、どくとるマンボウ航海記の北杜夫さんが水産庁の調査船で60年代に船旅をしてたとか。
同じ国、同じ場所なのにまるでおとぎ話のようで。
佐久間ダムも、小説「満ちて来る潮」も自分の目の前にちゃんとある。
でもそれは誰かが懸命になって作り出し、そこに存在しているからだ。
ダムも道路も他色々なインフラも在るものを当たり前として消費・削減・搾取するばっかりの、血の通わない考えではこの先とても困る日が来ると思うし、その時になって血の通わない措置をされたと金切り声をあげても、きっと決壊した社会の濁流に呑まれて誰にも届くことはないだろう。
そんなことを考えるフリをしながら、腹が減ったので便利で早い三遠南信道路を引佐まで有難く走って、竜ヶ岩洞で焼きみそまんと五平餅を食べました。五平餅はその場で焼いてくれたのでアッツアツのモッチモチで美味しかったです。
あとマテリアさんのジェラート。これを食べなきゃここに来た甲斐がない。
古代のチーズを再現した「蘇」というやつと、ホワイトクリームというミルクの風味たっぷりのをダブルで。
店員さんは「同じ系統の味になっちゃいますけど…?」って聞いてくれるし実際に「蘇」はホワイトクリーム味をベースに作ってるんで実に親切かつタダシイご指摘なんだけど、私はこれが好きなのだ。
で、三ケ日を回って帰ってくる。充実した一日でした。
ダムいいな、ダム。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる