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松山勘十郎座長、お誕生日おめでとうございます!
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4月13日は千両役者・松山勘十郎座長のお誕生日です。
今年はデビュー15周年!!
私がメキシコで勘十郎さんのお部屋の二段ベッドの上で寝ることになったのが今から14年前。2005年の5月の事でした。
もうそんなになるのかあ…。
あの頃からすでにプロレスラー・松山勘十郎は己の道を突き進み、他にも個性的な先輩方がひしめく寮の中でも異彩を放っていた。その異彩を放つ兄弟子に短い間だったけど可愛がっていただいていた弟弟子も今、創作アカウントとしては少々の異彩をチョロっとハミ出させている。
ちなみに勘十郎さんの同期でありライバル、そして今や世界のレインメーカー・オカダカズチカ選手がご結婚を発表なされた。
4月12日は結婚発表の日。
4月13日は座長生誕の日。
4月はめでたい。
こいつは春から縁起がええわい!
ある日の夜更け。
遠くの町まで試合に出かけた先輩方が寮に帰ってきた。その時ちょうどリビングにいた僕が玄関のドアを開けて出迎える。
「お疲れ様です!」
みんな本当に疲れ切った顔をして帰ってきた。何時間もかけて会場に向かって、試合をして、また同じ道のりで帰ってくるのだから無理もない。
その先輩の中のひとり、現在のアミーゴ鈴木さんの顔色がひと際悪かった。よく見ると顔面が緑色だ。プロレスマニアならすぐわかる、毒霧攻撃を食らったのだと。
メキシコにもグレート・ムタみたいな悪い奴がいるんだなあ、と思ったらそのすぐ後ろから帰ってきた勘十郎さんの口元が思いっきり緑色だった。
「おおー佐野!おつかれ、ありがとう」
そう言って笑う勘十郎さんの舌から歯からみんな緑色だった。この人が犯人だった。
またある日。近所に買い出しに行って寮の近くまで帰ってくると、玄関の前に赤い四駆が。リアガラスにはULTIMO DRAGON GYMと赤いマーク。
ウルティモ・ドラゴン校長のマスクの額についているあのマークだ。
つまり校長の車だ。
「さ、佐野。お腹すかないか…?」
「歩いたんで、ちょっと」
何故かそういうときだけは気が利く弟弟子。何故か踵を返して、交差点からほど近いところのトルタスの屋台に腰掛ける日本人ふたり。
そこでいちばんデカいトルタスをごちそうになりました。
30センチぐらいあって上に具がどっさり。
それとコーラ。
排気ガスとぎらつく日差しと木陰のワゴン。
寮の前にはまだ車。
ずいぶん日に焼けてから帰りました。
僕が渡墨したとき、勘十郎さんは先輩が飼っていたハムスターを引き継いで育てていました。名前はボナンザ。寮の4階から2階のリビングまでは吹き抜けになっていて、その吹き抜け部分から松永光弘さんばりのデンジャーダイブを相手もいないのに(てかプロレスラーでもないのに)敢行して右目を失うものの生きてたというツワモノ。
勘十郎さんも大層ボナンザを可愛がっていて、僕も一緒に餌を買いに行ったり新聞紙を破いて寝床を作ったりしていた。
ある夜、リビングで夕食の片づけをしていた僕のところに勘十郎さんがやってきて
「佐野、ボナンザを埋めに行くぞ」
と言った。また何か悪さでもしたかな…?と思って振り向いたら勘十郎さんの目が潤んでいた。ボナンザは動かなくなっていた。
外の大きな街路樹の下に彼を埋めた。
僕が帰国を決めたものの決意が揺らいだり飛行機が取れなかったりでなんだかんだしている間に、彼が先に行ってしまった。
小さなハムスターのことだけど、今でも忘れられない。
言わずもがな千両役者・松山勘十郎はプロレスラーである。
リング上では蝶のように舞い蜂のように刺す、日本人ルチャドールの中でも異彩を放つ孤高の怪奇派であり、能ある鷹は爪を隠すの言葉通り数々のルチャテクニックを持っている凄腕でもある。
が、実はぬいぐるみが大好きで沢山持っている。
私が帰国後にお付き合いしていた横浜のミキちゃんとズーラシアにいったとき、そこの名物アニマルのぬいぐるみをお土産にお送りしたところお礼のメールには
「ありがとう!今日から一緒に寝るよ」
と書かれていた。大事にして頂けて光栄です。
今ちらっと書いたけど、いつもは愉快で面白い試合をする松山勘十郎というプロレスラーは実は無限の引き出しとスタミナを誇る職人であり名人なのだと僕は思っております。
能ある鷹は爪を隠す。自分でわざわざいちいち言わないだけで、プロレスラーとして当たり前の技能や体力を高水準で持ち合わせていて、それがさらに当たり前だ、と。
本人でもないのに「ネットで色々書く奴いるじゃないですかー!」とエキサイトする私に
「そんなもの気にするなよ」
と至って冷静かつ芯のところはブレないで15年。
5月5日の大阪・生野区民センターでの大衆プロレス松山座本公演
「龍の松山を得る如し」
では校長との一騎打ちこそ叶わなかったものの。
このままで終わる勘十郎さんではないということは、ファンも僕もわかっています。
(あの時、寮の前であんだけ避けてたのは校長にお会いできても内緒にしておきますので…!)
(あと校長のモノマネが絶品なことも)
僕があの時あきらめてしまった夢を、今でも勘十郎さんのトペ・スイシーダに乗せて。
夢と現実と非日常に横たわり、だらだらのびる眩暈坂があの日の田上町民体育館に続いているのを、今でも僕はトボトボ歩いています。
そしてこの先20年、30年と松山勘十郎ある限り、どんな形でも私は千両役者が先頭に立った百鬼夜行についていくつもりです。
映画パプリカでドンチャカやってくる、あんな感じのパレードのなかで歩きまわる下駄の片っぽみたいに。
15周年&お誕生日おめでとうございます。
今年はデビュー15周年!!
私がメキシコで勘十郎さんのお部屋の二段ベッドの上で寝ることになったのが今から14年前。2005年の5月の事でした。
もうそんなになるのかあ…。
あの頃からすでにプロレスラー・松山勘十郎は己の道を突き進み、他にも個性的な先輩方がひしめく寮の中でも異彩を放っていた。その異彩を放つ兄弟子に短い間だったけど可愛がっていただいていた弟弟子も今、創作アカウントとしては少々の異彩をチョロっとハミ出させている。
ちなみに勘十郎さんの同期でありライバル、そして今や世界のレインメーカー・オカダカズチカ選手がご結婚を発表なされた。
4月12日は結婚発表の日。
4月13日は座長生誕の日。
4月はめでたい。
こいつは春から縁起がええわい!
ある日の夜更け。
遠くの町まで試合に出かけた先輩方が寮に帰ってきた。その時ちょうどリビングにいた僕が玄関のドアを開けて出迎える。
「お疲れ様です!」
みんな本当に疲れ切った顔をして帰ってきた。何時間もかけて会場に向かって、試合をして、また同じ道のりで帰ってくるのだから無理もない。
その先輩の中のひとり、現在のアミーゴ鈴木さんの顔色がひと際悪かった。よく見ると顔面が緑色だ。プロレスマニアならすぐわかる、毒霧攻撃を食らったのだと。
メキシコにもグレート・ムタみたいな悪い奴がいるんだなあ、と思ったらそのすぐ後ろから帰ってきた勘十郎さんの口元が思いっきり緑色だった。
「おおー佐野!おつかれ、ありがとう」
そう言って笑う勘十郎さんの舌から歯からみんな緑色だった。この人が犯人だった。
またある日。近所に買い出しに行って寮の近くまで帰ってくると、玄関の前に赤い四駆が。リアガラスにはULTIMO DRAGON GYMと赤いマーク。
ウルティモ・ドラゴン校長のマスクの額についているあのマークだ。
つまり校長の車だ。
「さ、佐野。お腹すかないか…?」
「歩いたんで、ちょっと」
何故かそういうときだけは気が利く弟弟子。何故か踵を返して、交差点からほど近いところのトルタスの屋台に腰掛ける日本人ふたり。
そこでいちばんデカいトルタスをごちそうになりました。
30センチぐらいあって上に具がどっさり。
それとコーラ。
排気ガスとぎらつく日差しと木陰のワゴン。
寮の前にはまだ車。
ずいぶん日に焼けてから帰りました。
僕が渡墨したとき、勘十郎さんは先輩が飼っていたハムスターを引き継いで育てていました。名前はボナンザ。寮の4階から2階のリビングまでは吹き抜けになっていて、その吹き抜け部分から松永光弘さんばりのデンジャーダイブを相手もいないのに(てかプロレスラーでもないのに)敢行して右目を失うものの生きてたというツワモノ。
勘十郎さんも大層ボナンザを可愛がっていて、僕も一緒に餌を買いに行ったり新聞紙を破いて寝床を作ったりしていた。
ある夜、リビングで夕食の片づけをしていた僕のところに勘十郎さんがやってきて
「佐野、ボナンザを埋めに行くぞ」
と言った。また何か悪さでもしたかな…?と思って振り向いたら勘十郎さんの目が潤んでいた。ボナンザは動かなくなっていた。
外の大きな街路樹の下に彼を埋めた。
僕が帰国を決めたものの決意が揺らいだり飛行機が取れなかったりでなんだかんだしている間に、彼が先に行ってしまった。
小さなハムスターのことだけど、今でも忘れられない。
言わずもがな千両役者・松山勘十郎はプロレスラーである。
リング上では蝶のように舞い蜂のように刺す、日本人ルチャドールの中でも異彩を放つ孤高の怪奇派であり、能ある鷹は爪を隠すの言葉通り数々のルチャテクニックを持っている凄腕でもある。
が、実はぬいぐるみが大好きで沢山持っている。
私が帰国後にお付き合いしていた横浜のミキちゃんとズーラシアにいったとき、そこの名物アニマルのぬいぐるみをお土産にお送りしたところお礼のメールには
「ありがとう!今日から一緒に寝るよ」
と書かれていた。大事にして頂けて光栄です。
今ちらっと書いたけど、いつもは愉快で面白い試合をする松山勘十郎というプロレスラーは実は無限の引き出しとスタミナを誇る職人であり名人なのだと僕は思っております。
能ある鷹は爪を隠す。自分でわざわざいちいち言わないだけで、プロレスラーとして当たり前の技能や体力を高水準で持ち合わせていて、それがさらに当たり前だ、と。
本人でもないのに「ネットで色々書く奴いるじゃないですかー!」とエキサイトする私に
「そんなもの気にするなよ」
と至って冷静かつ芯のところはブレないで15年。
5月5日の大阪・生野区民センターでの大衆プロレス松山座本公演
「龍の松山を得る如し」
では校長との一騎打ちこそ叶わなかったものの。
このままで終わる勘十郎さんではないということは、ファンも僕もわかっています。
(あの時、寮の前であんだけ避けてたのは校長にお会いできても内緒にしておきますので…!)
(あと校長のモノマネが絶品なことも)
僕があの時あきらめてしまった夢を、今でも勘十郎さんのトペ・スイシーダに乗せて。
夢と現実と非日常に横たわり、だらだらのびる眩暈坂があの日の田上町民体育館に続いているのを、今でも僕はトボトボ歩いています。
そしてこの先20年、30年と松山勘十郎ある限り、どんな形でも私は千両役者が先頭に立った百鬼夜行についていくつもりです。
映画パプリカでドンチャカやってくる、あんな感じのパレードのなかで歩きまわる下駄の片っぽみたいに。
15周年&お誕生日おめでとうございます。
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