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理不尽大王・冬木弘道ボスと私
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ボスと私と理不尽と
3月19日は私が最も心酔したプロレスラー、冬木弘道(ふゆき こうどう)さんの命日だった
3月だったのは漠然と覚えてた。でも、私にとってボスが亡くなったのを知ったその週の週刊ゴングの発売日が命日って感じで、実はそこまで日付そのものにこだわりがない……というか、知りようがなかった自分の立場が寂しくて、悔しくて、腹立たしくて、そんなやりきれない田舎のプロレスマニアのガキ、という身分と、今もそう大差なく田舎でマニアをやっている現実に背中がとても寒くなってしまう思いだ
あの日
いつものように木曜の朝、学校行く途中で昔馴染みのココストア(昔々そういうコンビニチェーンがあったんだヨ)で週刊ゴングを買ってカバンに仕舞いこんで学校に向かう。ただそれだけのはずだった。でも表紙には、満面の笑顔のボス
とびっきりの笑顔で、サヨナラだ
その週のコピーを今も覚えている
追悼の増刊号も出ていた。天龍源一郎さんと近しい記者でボスとも通じていた小佐野さんによるインタビューを中心に、ボスの生前の記録が残された一冊の本
それが全ての事実だった
冬木が死んだ
ボスが死んだ
プロレスラー冬木弘道は、もう、この世にいない
その日は一日ぼーっとしていた
近在でも選りすぐりのバカを集めた定時制高校の昼間部、にいちばん近い掃きだめみたいな場所で、いつもなら同級生とふざけたりバカ話をしたりプロレスごっこに興じている私だったが、その日ばかりはボスの笑顔を前に呆然としているしか術はなかった
なかなかページをめくることが出来なかったのを覚えている
これを開いたら、その事実と向き合わなくちゃならない
それでも意を決して表紙をめくった
その先のことは、よく覚えていない
でも未だに、その週刊ゴングと増刊号は大事に保管している
もちろん生前に出版された
理不尽大王の高笑い
と
鎮魂歌
もいっしょに
理不尽大王の高笑いは、私がボスに心酔し情報に飢えていた当時、この豊橋の田舎町で奇跡的に手に入ったボスの自伝だった
何度も何度も読み返した
生まれ育った東京で国際プロレスの中継を見て、チケットプレゼントに応募して観戦を繰り返し、やがて入門。怪我をするも乗り越えて、国際プロレスは倒産するものの全日本プロレスに入門し海外へ
アメリカ、メキシコ、プエルトリコで修行し帰国
この時期に、どっぷりと各地で本場のプロレスに浸かったことで培われたものが晩年まで活かされることとなった
天龍源一郎さんに追従し全日本プロレスを離脱
SWS、WARとともに進む
新日本プロレスとの対抗戦でも活躍し、やがて天龍さんに反旗を翻す
ここで理不尽大王として覚醒する
長い長いバイプレーヤー「冬木弘道(ひろみち)」としてのレスラー人生から一転、手下を自在に操って自らも高度なテクニックと憎たらしいキャラクターを有する理不尽大王・冬木弘道(こうどう)へと変貌を遂げたのだ
天龍さんの団体を飛び出し、インディーマット界を荒らしまくった冬木さんは独自のプロモーションを設立。主戦場をFMWに定める
私が冬木さんに出会ったのは、まさにここだった
今から考えればすでにレスラー人生、そして冬木さんの生涯は晩年に差し掛かっていたころだと言えるだろう
99年夏のFMW豊橋大会
黄色いパンツにもじゃもじゃヘアー、でっぷり太っていながらマッチョバディを自称し、試合中は奇声を上げたり汚い反則を繰り出したりするも、実は正統派の実力者でもある
当時のFMWでは抜群のキャリアと肉体を誇る強大な悪の親玉、まさに
ボス
として君臨していた冬木さんは、素晴らしくカッコよかった
正直言えば、ハヤブサさんより黒田さんより私は冬木さんが好きだったし、冬木さんがいなかったらここまでFMWに愛着も思い入れも持たなかったと思う
個々の個性はそれはそれで素晴らしいものがあったけど、それをより引き立てて引き出して高めていったのは冬木さんだったと思う
この日を境に私は一気にインディープロレスマニア、冬木信者への道を驀進していくことになる
月日は流れて2年後
2001年10月12日金曜日
パワースプラッシュ2001シリーズ豊橋大会
もちろん特別リングサイドのチケットを買ってボスの応援をしに行った
理不尽大王の高笑いを懐に抱いて
なんとかサインがもらえないか、と思っていたけど、いざプロレスラーを前にするとビビってしまって中々話しかけられなかった。それでも金村キンタローさんには、週刊ゴングのインタビューのページにサインを頂くことが出来た
ちなみに金村さんはペンを渡すとそのままじっと固まっているので
「あの……?」
と困っていると
「フタ、取って(ハート)」
と可愛くおねだりする、というギャグまで披露してくれた
これでテンションが上がった私は理不尽大王の高笑いを片手に持って会場内をウロウロウロウロしていたけど、開場時間になるまでボスの姿は無く。諦めて廊下の椅子に座って本をパラパラめくっていた
その目の前をボスが通り過ぎていった
試合前に汗を流していたらしく、座ってる私が見上げるとまるで巨像のようにでかかった。
あっ!
と思った瞬間にボスがチラっと私を見た。気がした
結局話しかけることが出来ずに大会は開始され、この日はハヤブサさんの劇的勝利に終わった。もちろんハヤブサさんも大好きだ。熱いタッチと握手とマイクで大会を締めくくり、そのままリングと会場の撤収のお手伝いにも参加した
小さなインディープロレス団体は地方大会でリング屋さんを雇うと費用がかさむので、若手選手やスタッフの皆さんに混じって会場のファンにもお手伝いを募ることがよくあった。私は毎回参加していた。すると粗品として色んなグッズがもらえたり、未来のスターと一緒にマットを運んだり、何よりあのプロレスのリングを解体していく様子が間近で見られるのだ。これは参加しない手はない
若手選手の皆さんは親切で、この太ったガキにも優しく指示をしてくれた
ぜーんぶ終わってがらんとした体育館を背に、駐車場と体育館のあいだのところでその日お手伝いをしていたマニアのおじさん・お兄さんと一緒に今日の試合をアレコレ語っていると、
まだ駐車場に一台だけ、ハイエースが停まっているのが見えた。マニアの一人が
「冬木さんの車だ」
という。私はオズオズと懐から理不尽大王の高笑いを取り出して経緯を話すと、またもう一人のマニアの人が
「行っておいでよ。大丈夫だよ。冬木さんはサインしてくれるよ、絶対」
と言ってくれた。が、本当だろうか……大丈夫だろうか……相手は理不尽大王だぞ?
ウルセーッ!
って言われて終わりじゃなかろうか……
みんなに背中を押されるようにして、駐車場に一歩、明らかにハイエースに向かって歩き出してしまった。もう後には引けない
近づいていくとやっぱりその車には助手席に冬木さん
運転席にはリングアナウンサーの中村吉佐さんが座っていた
死ぬほどビビって、蚊の鳴くような声で、おっかなびっくり本を差し出し
「あ、あの、ボスのファン……です、あの、サインください!」
と、今でもこの一言一句を覚えているが、絞り出すようにしてお伝えするとボスは
いいよ
と言って本を受け取ってサラサラサラーと慣れた手つきでサインをしてくれて、ガッチリ握手をしてくれた。岩みたいな分厚い手だった
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
嬉しさと安堵でテンションマックスでみんなの元へダッシュすると、ハイエースもゆっくり走り出していった
待っててくれたんだろうか
ボスは私が廊下で本を持ってるのに気づいてくれていたんだろうか
今でも覚えている
いや
永遠に忘れることの出来ない、私と冬木さん、私のボスとの思い出のひととき
3月19日は私が最も心酔したプロレスラー、冬木弘道(ふゆき こうどう)さんの命日だった
3月だったのは漠然と覚えてた。でも、私にとってボスが亡くなったのを知ったその週の週刊ゴングの発売日が命日って感じで、実はそこまで日付そのものにこだわりがない……というか、知りようがなかった自分の立場が寂しくて、悔しくて、腹立たしくて、そんなやりきれない田舎のプロレスマニアのガキ、という身分と、今もそう大差なく田舎でマニアをやっている現実に背中がとても寒くなってしまう思いだ
あの日
いつものように木曜の朝、学校行く途中で昔馴染みのココストア(昔々そういうコンビニチェーンがあったんだヨ)で週刊ゴングを買ってカバンに仕舞いこんで学校に向かう。ただそれだけのはずだった。でも表紙には、満面の笑顔のボス
とびっきりの笑顔で、サヨナラだ
その週のコピーを今も覚えている
追悼の増刊号も出ていた。天龍源一郎さんと近しい記者でボスとも通じていた小佐野さんによるインタビューを中心に、ボスの生前の記録が残された一冊の本
それが全ての事実だった
冬木が死んだ
ボスが死んだ
プロレスラー冬木弘道は、もう、この世にいない
その日は一日ぼーっとしていた
近在でも選りすぐりのバカを集めた定時制高校の昼間部、にいちばん近い掃きだめみたいな場所で、いつもなら同級生とふざけたりバカ話をしたりプロレスごっこに興じている私だったが、その日ばかりはボスの笑顔を前に呆然としているしか術はなかった
なかなかページをめくることが出来なかったのを覚えている
これを開いたら、その事実と向き合わなくちゃならない
それでも意を決して表紙をめくった
その先のことは、よく覚えていない
でも未だに、その週刊ゴングと増刊号は大事に保管している
もちろん生前に出版された
理不尽大王の高笑い
と
鎮魂歌
もいっしょに
理不尽大王の高笑いは、私がボスに心酔し情報に飢えていた当時、この豊橋の田舎町で奇跡的に手に入ったボスの自伝だった
何度も何度も読み返した
生まれ育った東京で国際プロレスの中継を見て、チケットプレゼントに応募して観戦を繰り返し、やがて入門。怪我をするも乗り越えて、国際プロレスは倒産するものの全日本プロレスに入門し海外へ
アメリカ、メキシコ、プエルトリコで修行し帰国
この時期に、どっぷりと各地で本場のプロレスに浸かったことで培われたものが晩年まで活かされることとなった
天龍源一郎さんに追従し全日本プロレスを離脱
SWS、WARとともに進む
新日本プロレスとの対抗戦でも活躍し、やがて天龍さんに反旗を翻す
ここで理不尽大王として覚醒する
長い長いバイプレーヤー「冬木弘道(ひろみち)」としてのレスラー人生から一転、手下を自在に操って自らも高度なテクニックと憎たらしいキャラクターを有する理不尽大王・冬木弘道(こうどう)へと変貌を遂げたのだ
天龍さんの団体を飛び出し、インディーマット界を荒らしまくった冬木さんは独自のプロモーションを設立。主戦場をFMWに定める
私が冬木さんに出会ったのは、まさにここだった
今から考えればすでにレスラー人生、そして冬木さんの生涯は晩年に差し掛かっていたころだと言えるだろう
99年夏のFMW豊橋大会
黄色いパンツにもじゃもじゃヘアー、でっぷり太っていながらマッチョバディを自称し、試合中は奇声を上げたり汚い反則を繰り出したりするも、実は正統派の実力者でもある
当時のFMWでは抜群のキャリアと肉体を誇る強大な悪の親玉、まさに
ボス
として君臨していた冬木さんは、素晴らしくカッコよかった
正直言えば、ハヤブサさんより黒田さんより私は冬木さんが好きだったし、冬木さんがいなかったらここまでFMWに愛着も思い入れも持たなかったと思う
個々の個性はそれはそれで素晴らしいものがあったけど、それをより引き立てて引き出して高めていったのは冬木さんだったと思う
この日を境に私は一気にインディープロレスマニア、冬木信者への道を驀進していくことになる
月日は流れて2年後
2001年10月12日金曜日
パワースプラッシュ2001シリーズ豊橋大会
もちろん特別リングサイドのチケットを買ってボスの応援をしに行った
理不尽大王の高笑いを懐に抱いて
なんとかサインがもらえないか、と思っていたけど、いざプロレスラーを前にするとビビってしまって中々話しかけられなかった。それでも金村キンタローさんには、週刊ゴングのインタビューのページにサインを頂くことが出来た
ちなみに金村さんはペンを渡すとそのままじっと固まっているので
「あの……?」
と困っていると
「フタ、取って(ハート)」
と可愛くおねだりする、というギャグまで披露してくれた
これでテンションが上がった私は理不尽大王の高笑いを片手に持って会場内をウロウロウロウロしていたけど、開場時間になるまでボスの姿は無く。諦めて廊下の椅子に座って本をパラパラめくっていた
その目の前をボスが通り過ぎていった
試合前に汗を流していたらしく、座ってる私が見上げるとまるで巨像のようにでかかった。
あっ!
と思った瞬間にボスがチラっと私を見た。気がした
結局話しかけることが出来ずに大会は開始され、この日はハヤブサさんの劇的勝利に終わった。もちろんハヤブサさんも大好きだ。熱いタッチと握手とマイクで大会を締めくくり、そのままリングと会場の撤収のお手伝いにも参加した
小さなインディープロレス団体は地方大会でリング屋さんを雇うと費用がかさむので、若手選手やスタッフの皆さんに混じって会場のファンにもお手伝いを募ることがよくあった。私は毎回参加していた。すると粗品として色んなグッズがもらえたり、未来のスターと一緒にマットを運んだり、何よりあのプロレスのリングを解体していく様子が間近で見られるのだ。これは参加しない手はない
若手選手の皆さんは親切で、この太ったガキにも優しく指示をしてくれた
ぜーんぶ終わってがらんとした体育館を背に、駐車場と体育館のあいだのところでその日お手伝いをしていたマニアのおじさん・お兄さんと一緒に今日の試合をアレコレ語っていると、
まだ駐車場に一台だけ、ハイエースが停まっているのが見えた。マニアの一人が
「冬木さんの車だ」
という。私はオズオズと懐から理不尽大王の高笑いを取り出して経緯を話すと、またもう一人のマニアの人が
「行っておいでよ。大丈夫だよ。冬木さんはサインしてくれるよ、絶対」
と言ってくれた。が、本当だろうか……大丈夫だろうか……相手は理不尽大王だぞ?
ウルセーッ!
って言われて終わりじゃなかろうか……
みんなに背中を押されるようにして、駐車場に一歩、明らかにハイエースに向かって歩き出してしまった。もう後には引けない
近づいていくとやっぱりその車には助手席に冬木さん
運転席にはリングアナウンサーの中村吉佐さんが座っていた
死ぬほどビビって、蚊の鳴くような声で、おっかなびっくり本を差し出し
「あ、あの、ボスのファン……です、あの、サインください!」
と、今でもこの一言一句を覚えているが、絞り出すようにしてお伝えするとボスは
いいよ
と言って本を受け取ってサラサラサラーと慣れた手つきでサインをしてくれて、ガッチリ握手をしてくれた。岩みたいな分厚い手だった
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
嬉しさと安堵でテンションマックスでみんなの元へダッシュすると、ハイエースもゆっくり走り出していった
待っててくれたんだろうか
ボスは私が廊下で本を持ってるのに気づいてくれていたんだろうか
今でも覚えている
いや
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