8 / 97
第一部 信長様の大陸侵攻なり
8、碧海作戦
しおりを挟む
私は北京へ向かうことになった。織田信長の中国侵略を中国政府主導の下に行うために。
長らく私の保護者だった山鹿翁は、私の中国行きを好意的に理解してくれたようだ。
「中国を獲れ!」と、私を激励した。
山鹿翁は羽織袴姿で私を空港にまで見送りに来てくれた。しかもカーキ色のお揃いの服に身を包んだ一団を率いてだ。空港のロビーではマスコミが待ち構えており、沢山のカメラのフラッシュを浴びた。山鹿翁とカーキ色の軍団は、万歳三唱で私を送り出し、まるで出征兵士のような私の姿をメディアは伝えた。
私は中国政府の首脳たちと会談した。彼らはこの歴史介入作戦の命名を私に求めてきた。私は「碧海」と命名した。私が焦がれてやまない十六世紀の碧い海を作戦名選んだのだ。
「碧海作戦」の発動が宣言された。要するに中国側は、この作戦には日本人が大きくかかわっており、どんな結果になっても日本人も納得ずくのことなのだぞ、ということを大きくアピールしておきたかったらしい。
日本政府はひたすら恐縮していた。
「このたびは、貴国に侵略までさせていただきますこと、まことにいたみいります。ご迷惑がかからなければよいのですが、なにぶん歴史上の人物がしでかすことでございますから、何かありましても貴国のほうでご処分願えれば、こちらとしても異存はございません。」
と、いうわけだ。
北京では歴史介入実験チームが結成されていた。歴史学者だけでなく、物理学、化学、経済学、社会学の新進気鋭の研究者が勢ぞろいしていた。彼らは例外なく早口の中国語をまくし立てている。
無口なのは、人民解放軍の関係者のようだ。日本人は私一人である。一応、オブザーバー的立場なのだが、誰もが私に敬意をもって接してくれる。無口な奴らが私に敬礼してくれるので、思わず敬礼のお返しをしてしまった。
平均年齢はかなり若い。私がいちばん齢を食っているかもしれない。チームのリーダーは近世中国史研究の若きホープ、陳杭博士。三十台半ばの好男子だ。うれしいことに、李紅艶博士も私の通訳を兼ねてチームの一員となっていた。
私たちの最初の仕事は、碧海作戦の宣伝であった。要するにこの作戦が東アジアの諸国に理解され支持されるように世論操作をすることだ。
中国に大衆など存在しないと言い切った李紅艶博士の手並みは鮮やかなものだった。彼女は私へのインタヴューを企画し、その様子を撮影させた。
しまった、と思った時には既に遅し。編集された映像のなかの私は、中国は東アジアの盟主であり、日本もまた中華帝国の一部であるというようなことを言っていた。私は日本の政権のいくつかが中国に朝貢していた事実を語ったにすぎない。これが編集されると少しだけ意味が違ってくる。この「少し」が実は問題なのだ。歴史認識の違いとは、いつも「少し」の掛け違いのようなものである。だが、この作戦に参加する以上、小異を捨てて大同につく覚悟がなければやってられないのも事実だ。
私は日本から来た歴史学の大家だと言うことになっていた。その大家が日本は中国の属国だと言っているのだ。中国人にしてみれば、気分のいいことこの上無かったであろう。彼らは織田信長が何者であるかさえ知らなかった。ネットに流れていた情報でも、織田信長は日本の将軍で、中華皇帝を助けて西欧列強と戦うことになるだろう、という都合のいい解釈になっていた。
研究室には碧海作戦のドキュメンタリーを撮るという名目でカメラが据えつけられていた。カメラマンは中国人民解放軍広報部の諸君だ。なるほど、宇宙船のブリッジのようにかっこいい研究室も宣伝効果を考えてのことだろう。正面にはちょっとした映画館並みのモニターが取り付けられ、壁面には意味不明の計測器機のようなものが並んでいた。偉大な作戦はこういうかっこいい場所で遂行されねばならんという中国政府のこころにくい配慮だ。
メイン・モニター、オープン!
巨大モニターには私の大アップが映っていた。
私がカメラのまえでおどけてみせると、人民解放軍の諸君は露骨に嫌な顔をした。私は彼らの機嫌をとろうと、諸手をあげてにこやかに「万歳!」と言った。
中国メディアが私を紹介するときには必ずこの映像が使われた。中国人民は私に「万歳先生」の称号を贈った。
この様子は日本でも報道された。大衆は複雑な思いであっただろう。
ナショナリストたちは私が恥を忍んで中国人たちを篭絡し、日本人による中国侵略を成し遂げようとしているのだと、まことに都合のいい解釈をしてくれた。
自称良識派は眉をひそめた。私のやろうとしていることは侵略であり、そのために多くの民衆が犠牲になると言うのだ。人道主義や民族主義が十六世紀には存在しない概念であることが彼らは理解できないようだった。彼らが守ろうとしたのは十六世紀の無名の民衆の命ではない。彼らが唯一の拠り所とする戦後民主主義という歴史的にも地理的にもローカルな価値観である。彼らはそこに普遍性があると信じて疑わない。
しかしだ、普遍性というならば中華文明のほうがよっぽど普遍的なのだ。民主的でなかろうが人道的でなかろうが、何千年にもわたって広大な版図を統治してきた中華文明を、たかだか百年足らずの歴史しか持たない戦後民主主義の尺度を以って計ろうとしているのだからお笑いだ。
そんな日本の世論操作に一石を投じたのが陳杭博士である。私と陳杭博士の対談が日本のメディアで取り上げられたとき、陳杭博士が注目を集めた。ものすごいイケメンなのだ。時々見せる憂いを含んだような表情が日本の女子高生からおばちゃんまで、広範な女性層の心をわし掴みにしてしまった。陳杭博士は「憂いの貴公子」として、アイドル並みの扱いを受けることになる。
某テレビ局の美人アナウンサー朝倉奈美などは「陳杭博士、すてき!」とか「陳杭博士、大好き!」という不用意な発言を繰り返し、それは日本の不幸な男子たちの心をわし掴みにした。
陳杭という名前は中国語の発音ではチェン・ハンである。中国人名の日本語読みは場合によっては不適切であるというのが私の個人的な見解である。
女性を味方につけてしまえば世論など恐るるに足らんということだ。私は日本の大衆に一言だけ言ってやりたかった。
「這個愚民也(この愚民ども)」、と。
朝鮮半島の国々だけは、そうはいかなかった。反日・反中・反碧海をスローガンとするデモが日々巻き起こっていた。それはそうだろう。気持ちは分かる。朝鮮半島の国々が消滅してしまうのだから。だが許せ、日本も同時に消滅するのだ。東アジア全体の利益のために。
東南アジアの諸国は警戒心をあらわにしていた。インドははっきりと敵対的な態度をとった。西と東から同時に侵略を受ければたまったものではない。植民地支配を経験した国なら当然の反応と言わざるを得ない。
西欧諸国は静観しているかに見えたが、SPQR作戦の失敗のこともあってか、内心はらわたが煮えくり返っていただろう。「自国を侵略させて喜ぶ中国人」とか「日本人は最悪の侵略民族」とかいった西欧メディアの報道がそれを如術に表していた。
特に腹立たしかったのはSPQR作戦実行チームの一人であったイギリスの歴史学者ジョン・メイヤー博士の黄色人種に対する差別的な発言だった。黄色いサルどもに何ができるかと、メイヤー博士はご丁寧にサルの物まねまでして私たちを苛つかせた。私は聞き逃さなかった。自慢じゃないが英語の成績は人一倍悪かった私だが、その言葉はよく知っている。
チ○だと、ジャ○プだと、えー根性しとるやないか。
我が中華帝国は必ずやヨーロッパ文明に仇なすであろう。
ジョン・メイヤー博士の発言は逆に東アジアを、いやアジア全域をひとつにまとめあげた。朝鮮半島のデモは反西欧・反人種差別に切り替わり、東南アジア諸国やインドまでもが、条件付ではあるが碧海作戦に対して同意を示したのだ。その条件とは、
「西欧諸国に目にもの見せてやれ」、
ということだった。
ここで中国人の悪癖が出た。中国政府は碧海作戦のテーマ・ソングを発表したのだ。
「GO GO 壁海!」のシャウトで締めくくる勇壮なメロディーは、日本の伝説的テレビ・アニメーション「碧きポセイドン」の主題歌に酷似していたことが問題となり、世界中の嘲笑を浴びた。
李紅艶博士は中国政府にかわり私に陳謝したが、陳杭博士はこれをきっかけにジャパニメーションの熱烈なファンになってしまった。中国当局は碧海作戦の英雄となるべき陳杭博士が日本のオタク文化への傾倒者であることをひた隠しにしたが、その事実は一夜にして日本国民および中国人民の知るところとなった。
私がブログに書いたからだ。
さて、碧海作戦開始だ!
長らく私の保護者だった山鹿翁は、私の中国行きを好意的に理解してくれたようだ。
「中国を獲れ!」と、私を激励した。
山鹿翁は羽織袴姿で私を空港にまで見送りに来てくれた。しかもカーキ色のお揃いの服に身を包んだ一団を率いてだ。空港のロビーではマスコミが待ち構えており、沢山のカメラのフラッシュを浴びた。山鹿翁とカーキ色の軍団は、万歳三唱で私を送り出し、まるで出征兵士のような私の姿をメディアは伝えた。
私は中国政府の首脳たちと会談した。彼らはこの歴史介入作戦の命名を私に求めてきた。私は「碧海」と命名した。私が焦がれてやまない十六世紀の碧い海を作戦名選んだのだ。
「碧海作戦」の発動が宣言された。要するに中国側は、この作戦には日本人が大きくかかわっており、どんな結果になっても日本人も納得ずくのことなのだぞ、ということを大きくアピールしておきたかったらしい。
日本政府はひたすら恐縮していた。
「このたびは、貴国に侵略までさせていただきますこと、まことにいたみいります。ご迷惑がかからなければよいのですが、なにぶん歴史上の人物がしでかすことでございますから、何かありましても貴国のほうでご処分願えれば、こちらとしても異存はございません。」
と、いうわけだ。
北京では歴史介入実験チームが結成されていた。歴史学者だけでなく、物理学、化学、経済学、社会学の新進気鋭の研究者が勢ぞろいしていた。彼らは例外なく早口の中国語をまくし立てている。
無口なのは、人民解放軍の関係者のようだ。日本人は私一人である。一応、オブザーバー的立場なのだが、誰もが私に敬意をもって接してくれる。無口な奴らが私に敬礼してくれるので、思わず敬礼のお返しをしてしまった。
平均年齢はかなり若い。私がいちばん齢を食っているかもしれない。チームのリーダーは近世中国史研究の若きホープ、陳杭博士。三十台半ばの好男子だ。うれしいことに、李紅艶博士も私の通訳を兼ねてチームの一員となっていた。
私たちの最初の仕事は、碧海作戦の宣伝であった。要するにこの作戦が東アジアの諸国に理解され支持されるように世論操作をすることだ。
中国に大衆など存在しないと言い切った李紅艶博士の手並みは鮮やかなものだった。彼女は私へのインタヴューを企画し、その様子を撮影させた。
しまった、と思った時には既に遅し。編集された映像のなかの私は、中国は東アジアの盟主であり、日本もまた中華帝国の一部であるというようなことを言っていた。私は日本の政権のいくつかが中国に朝貢していた事実を語ったにすぎない。これが編集されると少しだけ意味が違ってくる。この「少し」が実は問題なのだ。歴史認識の違いとは、いつも「少し」の掛け違いのようなものである。だが、この作戦に参加する以上、小異を捨てて大同につく覚悟がなければやってられないのも事実だ。
私は日本から来た歴史学の大家だと言うことになっていた。その大家が日本は中国の属国だと言っているのだ。中国人にしてみれば、気分のいいことこの上無かったであろう。彼らは織田信長が何者であるかさえ知らなかった。ネットに流れていた情報でも、織田信長は日本の将軍で、中華皇帝を助けて西欧列強と戦うことになるだろう、という都合のいい解釈になっていた。
研究室には碧海作戦のドキュメンタリーを撮るという名目でカメラが据えつけられていた。カメラマンは中国人民解放軍広報部の諸君だ。なるほど、宇宙船のブリッジのようにかっこいい研究室も宣伝効果を考えてのことだろう。正面にはちょっとした映画館並みのモニターが取り付けられ、壁面には意味不明の計測器機のようなものが並んでいた。偉大な作戦はこういうかっこいい場所で遂行されねばならんという中国政府のこころにくい配慮だ。
メイン・モニター、オープン!
巨大モニターには私の大アップが映っていた。
私がカメラのまえでおどけてみせると、人民解放軍の諸君は露骨に嫌な顔をした。私は彼らの機嫌をとろうと、諸手をあげてにこやかに「万歳!」と言った。
中国メディアが私を紹介するときには必ずこの映像が使われた。中国人民は私に「万歳先生」の称号を贈った。
この様子は日本でも報道された。大衆は複雑な思いであっただろう。
ナショナリストたちは私が恥を忍んで中国人たちを篭絡し、日本人による中国侵略を成し遂げようとしているのだと、まことに都合のいい解釈をしてくれた。
自称良識派は眉をひそめた。私のやろうとしていることは侵略であり、そのために多くの民衆が犠牲になると言うのだ。人道主義や民族主義が十六世紀には存在しない概念であることが彼らは理解できないようだった。彼らが守ろうとしたのは十六世紀の無名の民衆の命ではない。彼らが唯一の拠り所とする戦後民主主義という歴史的にも地理的にもローカルな価値観である。彼らはそこに普遍性があると信じて疑わない。
しかしだ、普遍性というならば中華文明のほうがよっぽど普遍的なのだ。民主的でなかろうが人道的でなかろうが、何千年にもわたって広大な版図を統治してきた中華文明を、たかだか百年足らずの歴史しか持たない戦後民主主義の尺度を以って計ろうとしているのだからお笑いだ。
そんな日本の世論操作に一石を投じたのが陳杭博士である。私と陳杭博士の対談が日本のメディアで取り上げられたとき、陳杭博士が注目を集めた。ものすごいイケメンなのだ。時々見せる憂いを含んだような表情が日本の女子高生からおばちゃんまで、広範な女性層の心をわし掴みにしてしまった。陳杭博士は「憂いの貴公子」として、アイドル並みの扱いを受けることになる。
某テレビ局の美人アナウンサー朝倉奈美などは「陳杭博士、すてき!」とか「陳杭博士、大好き!」という不用意な発言を繰り返し、それは日本の不幸な男子たちの心をわし掴みにした。
陳杭という名前は中国語の発音ではチェン・ハンである。中国人名の日本語読みは場合によっては不適切であるというのが私の個人的な見解である。
女性を味方につけてしまえば世論など恐るるに足らんということだ。私は日本の大衆に一言だけ言ってやりたかった。
「這個愚民也(この愚民ども)」、と。
朝鮮半島の国々だけは、そうはいかなかった。反日・反中・反碧海をスローガンとするデモが日々巻き起こっていた。それはそうだろう。気持ちは分かる。朝鮮半島の国々が消滅してしまうのだから。だが許せ、日本も同時に消滅するのだ。東アジア全体の利益のために。
東南アジアの諸国は警戒心をあらわにしていた。インドははっきりと敵対的な態度をとった。西と東から同時に侵略を受ければたまったものではない。植民地支配を経験した国なら当然の反応と言わざるを得ない。
西欧諸国は静観しているかに見えたが、SPQR作戦の失敗のこともあってか、内心はらわたが煮えくり返っていただろう。「自国を侵略させて喜ぶ中国人」とか「日本人は最悪の侵略民族」とかいった西欧メディアの報道がそれを如術に表していた。
特に腹立たしかったのはSPQR作戦実行チームの一人であったイギリスの歴史学者ジョン・メイヤー博士の黄色人種に対する差別的な発言だった。黄色いサルどもに何ができるかと、メイヤー博士はご丁寧にサルの物まねまでして私たちを苛つかせた。私は聞き逃さなかった。自慢じゃないが英語の成績は人一倍悪かった私だが、その言葉はよく知っている。
チ○だと、ジャ○プだと、えー根性しとるやないか。
我が中華帝国は必ずやヨーロッパ文明に仇なすであろう。
ジョン・メイヤー博士の発言は逆に東アジアを、いやアジア全域をひとつにまとめあげた。朝鮮半島のデモは反西欧・反人種差別に切り替わり、東南アジア諸国やインドまでもが、条件付ではあるが碧海作戦に対して同意を示したのだ。その条件とは、
「西欧諸国に目にもの見せてやれ」、
ということだった。
ここで中国人の悪癖が出た。中国政府は碧海作戦のテーマ・ソングを発表したのだ。
「GO GO 壁海!」のシャウトで締めくくる勇壮なメロディーは、日本の伝説的テレビ・アニメーション「碧きポセイドン」の主題歌に酷似していたことが問題となり、世界中の嘲笑を浴びた。
李紅艶博士は中国政府にかわり私に陳謝したが、陳杭博士はこれをきっかけにジャパニメーションの熱烈なファンになってしまった。中国当局は碧海作戦の英雄となるべき陳杭博士が日本のオタク文化への傾倒者であることをひた隠しにしたが、その事実は一夜にして日本国民および中国人民の知るところとなった。
私がブログに書いたからだ。
さて、碧海作戦開始だ!
0
お気に入りに追加
50
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
無職ニートの俺は気が付くと聯合艦隊司令長官になっていた
中七七三
ファンタジー
■■アルファポリス 第1回歴史・時代小説大賞 読者賞受賞■■
無職ニートで軍ヲタの俺が太平洋戦争時の聯合艦隊司令長官となっていた。
これは、別次元から来た女神のせいだった。
その次元では日本が勝利していたのだった。
女神は、神国日本が負けた歴史の世界が許せない。
なぜか、俺を真珠湾攻撃直前の時代に転移させ、聯合艦隊司令長官にした。
軍ヲタ知識で、歴史をどーにかできるのか?
日本勝たせるなんて、無理ゲーじゃねと思いつつ、このままでは自分が死ぬ。
ブーゲンビルで機上戦死か、戦争終わって、戦犯で死刑だ。
この運命を回避するため、必死の戦いが始まった。
参考文献は、各話の最後に掲載しています。完結後に纏めようかと思います。
使用している地図・画像は自作か、ライセンスで再利用可のものを検索し使用しています。
表紙イラストは、ヤングマガジンで賞をとった方が画いたものです。
本能寺から始める異世界天下布武 ~転生した信長は第六天魔王になって異世界に君臨します~
朝日カヲル
ファンタジー
本能寺で死んだ織田信長は、小姓の蘭丸兄弟達と21世紀の日本に子供として転生してしまった。
そして、いつか戦国の世に戻れることを信じて、役に立ちそうな技術を片っ端から習得する。
火薬や製鉄冶金、農業技術や経済など、幅の広い知識を蓄え10年が過ぎた頃、蘭丸兄弟と同級生の女子高生「細川ガラシャ」と一緒になぜか異世界に転移させられてしまう。
そして、その世界を管理する神を名乗る者から、平和と安定をもたらして欲しいと懇願されてしまった。
その世界では、魔力をほとんど持たない非力な人族が、魔力や体力のある他の種族達から奴隷のような扱いを受けている過酷な世界だったのだ。
魔力を与えられた信長は第六天魔王を名乗り、魔法と科学を融合させた今までに無い強力な魔法を次々に生み出す。
そして、人族を虐げていた他種族の戦士を倒していく。
しかし、信長達がどんなに強くても国家には勝てないと悟り、一緒に異世界に来た蘭丸や細川達を四天王として率い、人族の王国を乗っ取ることにした。
そして、今まで多種族にこびへつらい奴隷根性の染みついていた人族に希望を与え、21世紀の内政チートで国力を増強し軍隊を強化する、そして世界を相手に大戦争を起こし、異世界で天下布武を実現する物語。
そして天下布武を実現した信長は、人族が虐げられていたこの世界の秘密に迫っていく。
登場および関連人物
織田信長・森蘭丸・力丸・坊丸・細川ガラシャ・帰蝶・明智光秀
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
暁のミッドウェー
三笠 陣
歴史・時代
一九四二年七月五日、日本海軍はその空母戦力の総力を挙げて中部太平洋ミッドウェー島へと進撃していた。
真珠湾以来の歴戦の六空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴が目指すのは、アメリカ海軍空母部隊の撃滅。
一方のアメリカ海軍は、暗号解読によって日本海軍の作戦を察知していた。
そしてアメリカ海軍もまた、太平洋にある空母部隊の総力を結集して日本艦隊の迎撃に向かう。
ミッドウェー沖で、レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットが、日本艦隊を待ち構えていた。
日米数百機の航空機が入り乱れる激戦となった、日米初の空母決戦たるミッドウェー海戦。
その幕が、今まさに切って落とされようとしていた。
(※本作は、「小説家になろう」様にて連載中の同名の作品を転載したものです。)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる