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9、歴史学講義
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山東半島に渡った信長を阻んだのは倭寇鎮圧のための明の水軍だったが、鉄甲船を主力とする織田水軍の敵ではなかった。
上陸した信長軍は陸上でも快進撃を始めた。山東半島にはわずかな守備兵がいた程度で大きな抵抗はなかった。鉄砲が火を噴けばたちまち逃げ出してしまうのだ。
碧海作戦が意図したとおり、明王朝は腐敗しきっていて、朝鮮半島での出来事さえも対岸の火事のごとく捉えていたのである。明王朝の動きは鈍かった。
信長の水軍は青島の湾内に錨を下した。現在では中国人民解放軍の海軍基地が置かれる軍事上の拠点だが、この当時は単なる漁村である。
青島での軍議の際、信長は驚くべき命令を各武将たちに下したのだ。
鎧兜を残らず献上せよ、というものだ。
戦国武将といえば、それぞれに個性的な兜と煌びやかな鎧である。
戸部典子は泣き出した。
必死になってメイン・モニター映し出された信長に懇願している。
「信長さまぁ、それだけは、それだけはお許しくださいませなり。この典子が操を差し出しますゆえ、どうかご勘弁をなりぃ。」
いちいちうるさい奴だ。おまえの操などいらん。
豪華絢爛たる鎧兜が無ければ、戦国武将の魅力も半減ということだ。
悪いな、戸部典子!
浅井長政が鎧を脱ぎ、配下に持ってこさせた兜を信長に差し出したのが初めだった。各武将たちも複雑な表情をしながらも次々に鎧兜を差し出していく。
「うう、あの鎧兜、全部欲しいなり。」
さっきまで泣いていたくせに。今度はお宝を前に涎をたらしてやがる。
信長のパシリ、伊達政宗は最後まで抵抗した。なにしろ半月の飾りのあるド派手な兜を新調したばかりだったからだ。
「こわっぱ!」
上杉景勝の一喝で、政宗はしぶしぶ兜を脱いだ。
信長は武将たちが、てんでんばらばらに戦うのを見て、苦々しく思っていたのだ。これからの軍の主力は鉄砲である。もはや英雄豪傑の時代ではないことを信長は認識していた。
「これは一体どういうことなんですか?」
と、李博士が質問してきた。
李博士だけではない、陳博士もいぶかっている。研究室中がざわめいている。
陳博士も李博士も純粋な歴史学の研究者だ。私の場合は少し別の角度から歴史を捉えてきた。強いて言えば、歴史社会学的な立場だ。歴史を社会や経済、思想の変遷として考えることより、もう一つのストーリーを歴史の中に見出すのだ。
よろしい、ここは私が説明しよう。研究者だけでなく人民解放軍の諸君も興味があるようなので…
久々にやるか! 万歳先生の歴史学講義だ。
碧海作戦のブリーフィング・ルームで私は歴史学講義を行った。意外にも盛況で、立見が出るほどだった。
戸部典子が一番前の席に陣取っている。「おまえは後ろに行け」、と言うと五列目に座りなおした。その席は私の視界のど真ん中ではないか。
そこでにまにま笑うな!
近代というものについて考えるのがこの講義の目的だ。
「皆さん、歴史の区分を知っていますか。古代・中世・近世・近代と大まかに四つに分けられます。」
これはヨーロッパの歴史区分である。近代になって西欧から歴史学が輸入された時、この歴史区分に東洋史を強引に当てはめたのだ。この考えを西欧中心主義と批判するのは容易であるが、近代もまた西欧の産物であるとするならば、アジアの歴史を一度はここに当てはめてみることは思考実験として有効だと思う。
西欧では西ローマ帝国の滅亡をもって古代の終わりとし、中世が始まる。暗黒の中世は文明の後退の時期であり、分裂と宗教の時代だ。歴史は常に進歩するものではない。後退することもあるのだ。中世末期はルネサンスの時代だ。ルネサンスは文芸復興、つまりは古代のギリシャやローマの文明に立ち返ろうという運動である。
異論はあるものの、中世の終わりは一四九二年を以ってするのが定説だ。この年、コロンブスはアメリカ大陸に到達し、イベリア半島からイスラム勢力を追い落としてレコンキスタが完了する。
次は近世ということになる。近世は英語ではアーリー・モダンだ。つまり、近代の先駆けであり早期近代と訳した方がいいくらいだ。近世とは近代の始まりである。
「さて、中国人諸君、中国における近世の始まりが分かりますか?」
「はいはいはいはい!」
戸部典子だ。こいつは大学時代に私の講義を散々聞いている。知っていてあたりまえだ。私は戸部典子を睨みつけた。
「黙るなり…」
さすがの戸部典子もしゅんとした。
「日本の歴史学の先駆者、内藤湖南博士は北宋の時代で中国史は近世に入ると指摘されていましたね。」
陳博士の答えを李博士が訳した。さすが陳博士だ。
中国の早期近代は北宋王朝によって始まる。十二世紀のことだ。
この時、何が起こったかというと、身分というものが無くなったのだ。ただし、皇帝を除いて。
皇帝の下、全ての民衆は平等になった。貴族というものがいなくなったのだ。
でも官僚はいる。官僚は科挙と呼ばれる試験で採用される。どんな貧しい出自であっても、勉強して試験にさえ受かれば支配階級になれるのだ。ただし一代限りで、息子がボンクラならそれで終わりだ。
同時期、中国は貨幣経済の時代を迎える。宋銭が流通し市場が形成される。つまりは貨幣を蓄えたものが力を持つ社会だ。自由至上主義者が大好きな自由競争の世界が中国に生まれたのだ。
中国では、平等と共に超競争社会がやってきた。誰もが出自にかかわらず平等に競争できるのである。中国が今もって激しい競争社会なのは中国近世の遺伝子があるからだ。
「それから朱子学という学問が宋王朝では採用されました。これは儒教をこの時代の政策に合わせてカスタマイズしたものです。」
つまり、身分制と君主制を尊重しつつも、科挙に合格した者が人民を支配する事を正当化したのだ。学問のできる者は人の上に立つ資格があるとされた。
日本人はこういう思想をエリート主義として退ける性向があるが、十二世紀においては非常に画期的な考え方だったということを忘れてはいけない。
人民解放軍の諸君がなるほどと頷いている。
「さて、それでは日本の近世はどうかな?」
日本の近世は安土・桃山時代を含むとい説もあるが徳川期以降としていいだろう。
「はいはいはいはい!」
また戸部典子だ。こいつは無視だ。
「黙るなり…」
李博士が答えた。
「江戸時代は身分制度を厳格にして統治された時代ですわ。」
そう、日本史と中国史は構造が違うのだ。
日本は士農工商の身分制度を厳格化することにより、競争を抑えた。競争原理を封じ込めることによって世の中を安定させた。安定の代償として支払わなければならなかったのは、どんなに実力があっても出世できないことなのだ。競争が無い代わりに、不平等な社会である。
下級武士だった福沢諭吉が「門閥は親の仇」といったのがよくわかる。優秀な彼がボンクラの上級武士には逆立ちしても逆らえなかったのだ。
このあたりは、宋王朝の自由主義的、実力主義的な考え方と正反対である。
徳川政権も朱子学を採用した。けれども宋王朝の政策に合わせた思想に江戸時代の政策はマッチしないのだ。日本の思想界は国学を生み出し、水戸学を発達させ、蘭学を学んだ。日本人の思想的雑食性は江戸時代に醸成されたのかもしれない。
同じく儒教の影響を受けた李氏朝鮮はその教えを支配理念とした。日本よりも身分制度が厳しく、科挙は実施されたものの、支配階級である両藩と良民だけが受験資格を持ち、賎民は除外された。儒教以外の思想を認めず、仏教でさえ退けられた。崇儒廃仏である。日本人の思想的雑食性とは驚くほど違っているのだ。
なぜこのようになったのか。李氏朝鮮は小中華として優等生であろうと努力したのだ。だからこそ本家、中国以上に儒教のドグマに絡めとられてしまったのだと私は理解している。
日本人は中華の劣等生、はみ出し者、いや、オタクと言うべきか。中国という先生がいて、朝鮮は学級委員長である。
「その隅で、日本はせっせとサブ・カルチャーにうつつをぬかしていたなりね。歌舞伎に浮世絵に読み本、クール・ジャパンの原型なりよ。」
戸部典子の発言に、中国人諸君が大笑いしているではないか。
満州族が建てた「清」も少数民族が中華を支配する大義名分として儒教の教えを守った。漢民族が建てた王朝ならばここまで儒教に拘泥しなかっただろうと思う。間の悪いことに清王朝の時代に西欧近代と対峙することになってしまったのだ。
孔子や孟子の名誉のために言っておくが、儒教が間違った教えだったのでは断じてない。儒教は、西欧が作り出した近代のパラダイムからするとミス・マッチだったに過ぎない。今でも孔子の教えが人々を魅了するのは、それが普遍性を持っているからだ。
儒教は中華文明の基盤のひとつでしかない。春秋戦国時代には諸子百家が様々な思想を戦わせ議論した。孔子、孟子の儒教だけでなく、無為自然を説く道家、法による秩序を重視する法家、博愛と平等を謳う墨家などなど、様々な思想が中華思想の根本にある。秦は法家の思想を統治に用いたが、漢は儒教を採用した。道教は土着的な宗教となり民衆の中に根を張った。これら様々な思想が交じり合い中華文明を普遍的なものにしてきたのだ。
明治維新以降、日本は四民平等を謳い身分制度を廃したが、日本近世の遺伝子は競争よりも協調を尊しとなす日本人の指向として残っているのだ。戦後の日本経済を支えた終身雇用制度や年功序列制度などがいい例である。
ただ明治時代だけは競争原理が優先された。急速な近代化を成し遂げるためもあったろうが、明治の元勲たちは優秀な下級武士の出身が多い。
「中国の皆さんはおそらくご存じないが、近代化した直後の明治時代には『女工哀史』というのがありました。近代的な工場で働く女性のなかには労働の厳しさに耐えかねて悲惨な運命をたどる者がいた。これが日本の一般的なイメージです。でもね、その反面、優秀な女工さんたちは、せっせと稼いで蔵まで建てたらしい。近代化直後の日本は今の中国みたいだったわけです。」
笑いが起こった。人民解放軍の諸君も面白いという顔をしている。面白さなら戸部典子に負けないぞ!
社会学者の鄭博士が質問した。
「中国の近世が世界に先駆けるものだということがわかって、とても嬉しいです。でも、近代化が遅れたのは何故でしょうか?」
「いい質問です。でも私には答えられない。その質問に答えを与えるのが碧海作戦なのです。」
一同が、おーっ、と唸った。
「ただ、西欧で産業革命が起こるまで、中華が世界をダントツでリードしていたことは間違いありません。十九世紀でさえ、中国のGDPは世界の三十パーセント以上を占めいたはずです。」
皆が嬉しそうにしている。中国にナショナリズムが根付いている証拠だ。
だが中国人諸君、「奢れるものは久しからず」という言葉が日本にはあるのだ。
さて、信長が鎧兜を捨てさせたのは何故か?
槍や刀と違って、鉄砲は大した訓練もなく使うことができる。民衆に鉄砲を渡し、軍事教練を施せば、鎧兜に身を包んだ武将を一撃必殺できるのだ。
「西欧では、銃の普及が市民社会を生み出したのだと考えられます。フランス革命のときには民衆が銃を取って戦いました。その後、ナポレオンが創設した近代的軍隊は彼らが主役でした。」
誰でもが兵士になれるというのが近代国民国家の条件なのだ。
豊臣秀吉は「刀狩り」と称して、民衆から刀や鉄砲を取り上げた。民衆が武装することを嫌ったからだ。徳川政権もこの方針を継承し、市民社会の誕生を阻んだ。
「刀狩り」を平和政策のように教える良識派を自称する教師がいるが、私は問題だと思う。そこに憲法九条の精神を重ね合わせるなど愚かとしか言いようがない。為政者が市民の武装を恐れた結果であり、市民の自立という観点からすれば「刀狩り」は、それを妨げるものなのだ。武装の放棄は市民という概念の放棄につながりかねない。
「それなら憲法第九条の下に市民はいないなりか?」
それは難しい問題だ。近代国家が成熟すると国家は武器を独占する。国家が武装することで戦争は国家の仕事になる。そうなると市民は武装を解除されてしまう。
「アメリカなんかには市民軍の伝統があるなり。独立戦争でも南北戦争でも市民軍が活躍したのだ。でも市民に武装の権利があるから今でも銃社会になっているなり。」
アメリカは個人に武装の自由を与えている。原理からすれば、市民が武器を取って政府を転覆する権利を持っていると言える。アメリカの歴史は市民軍が独立戦争を戦ったことから始まった。その歴史的遺伝子が今でも生きているのだ。
いっそのこと日本も自衛隊を止めて、市民軍を創ったらどうだろう。
「自衛隊の分割民営化みたいになるなりよ!」
ははは、市民軍なら国家が武装しないから、憲法九条には引っかからないかもな。
国家が武装を乗り越えることにより、近代そのものを乗り越えることができるかどうかは、これからの課題なのだ。
それにしても日本人が中国人の前で、日本の武装に関する議論しているとういうのも妙なものである。
中国人諸君、途中で脱線して失礼した。これで講義を終わる。
さて、我らの信長様はこの問題を如何にするのか。
信長が近代を理解していたとは思えない。ただ中世というものに違和感を持っているのだ。天才の堪がささやくのだろう。
戦国武将たちは、装飾を取り払ったシンプルで実用的な鎧兜を新調した。なかには西欧の甲冑を参考にしたものが多く見受けられる。
大陸において実にすっきりとした織田軍団が出来上がった。
まだまだ近代式の軍制には程遠かったが、これもひとつの進歩である。
伊達政宗はシンプルな兜の額に半月のマークを刻み込んでいる。半月の飾りにあるド派手な兜を取り上げられた政宗のせめてもの意地である。
おいおい、それってナイキのマークじゃないか。商標権侵害で訴えられるぞ、政宗君。
この中に変わり者がいた。若干二十歳の若武者・真田信繁だ。
彼は馬上で鉄砲を撃つことを考え、新式銃の開発に着手し始めた。堺から連れてきた鉄砲鍛冶たちを集めては日に夜にディスカションを繰り返している。
信繁君、馬上で鉄砲を撃つだと、それは近代的発想とは言えないのだよ。
と、説教してやりたくなったが、これはこれで面白いのかもしれない。こういう発想が副産物として元込め銃や連発銃を生み出すことになるからだ。
メイン・モニターに映し出された真田信繁は腕組みして知恵を絞っている。
ハンサムとは言えないが、いい面構えをしている。それに才気を感じる。
「真田信繁君、素敵なり。」
戸部典子がうっとりしている。昨日までは政宗君じゃなかったのか。この浮気女!
「こういう若者がいるというのは、中国人には羨ましいですわ。儒教の思想なんかにとらわれず、自由にものを考えられるって、素敵ですわね。」
李博士がぽつりとつぶやいた。
上陸した信長軍は陸上でも快進撃を始めた。山東半島にはわずかな守備兵がいた程度で大きな抵抗はなかった。鉄砲が火を噴けばたちまち逃げ出してしまうのだ。
碧海作戦が意図したとおり、明王朝は腐敗しきっていて、朝鮮半島での出来事さえも対岸の火事のごとく捉えていたのである。明王朝の動きは鈍かった。
信長の水軍は青島の湾内に錨を下した。現在では中国人民解放軍の海軍基地が置かれる軍事上の拠点だが、この当時は単なる漁村である。
青島での軍議の際、信長は驚くべき命令を各武将たちに下したのだ。
鎧兜を残らず献上せよ、というものだ。
戦国武将といえば、それぞれに個性的な兜と煌びやかな鎧である。
戸部典子は泣き出した。
必死になってメイン・モニター映し出された信長に懇願している。
「信長さまぁ、それだけは、それだけはお許しくださいませなり。この典子が操を差し出しますゆえ、どうかご勘弁をなりぃ。」
いちいちうるさい奴だ。おまえの操などいらん。
豪華絢爛たる鎧兜が無ければ、戦国武将の魅力も半減ということだ。
悪いな、戸部典子!
浅井長政が鎧を脱ぎ、配下に持ってこさせた兜を信長に差し出したのが初めだった。各武将たちも複雑な表情をしながらも次々に鎧兜を差し出していく。
「うう、あの鎧兜、全部欲しいなり。」
さっきまで泣いていたくせに。今度はお宝を前に涎をたらしてやがる。
信長のパシリ、伊達政宗は最後まで抵抗した。なにしろ半月の飾りのあるド派手な兜を新調したばかりだったからだ。
「こわっぱ!」
上杉景勝の一喝で、政宗はしぶしぶ兜を脱いだ。
信長は武将たちが、てんでんばらばらに戦うのを見て、苦々しく思っていたのだ。これからの軍の主力は鉄砲である。もはや英雄豪傑の時代ではないことを信長は認識していた。
「これは一体どういうことなんですか?」
と、李博士が質問してきた。
李博士だけではない、陳博士もいぶかっている。研究室中がざわめいている。
陳博士も李博士も純粋な歴史学の研究者だ。私の場合は少し別の角度から歴史を捉えてきた。強いて言えば、歴史社会学的な立場だ。歴史を社会や経済、思想の変遷として考えることより、もう一つのストーリーを歴史の中に見出すのだ。
よろしい、ここは私が説明しよう。研究者だけでなく人民解放軍の諸君も興味があるようなので…
久々にやるか! 万歳先生の歴史学講義だ。
碧海作戦のブリーフィング・ルームで私は歴史学講義を行った。意外にも盛況で、立見が出るほどだった。
戸部典子が一番前の席に陣取っている。「おまえは後ろに行け」、と言うと五列目に座りなおした。その席は私の視界のど真ん中ではないか。
そこでにまにま笑うな!
近代というものについて考えるのがこの講義の目的だ。
「皆さん、歴史の区分を知っていますか。古代・中世・近世・近代と大まかに四つに分けられます。」
これはヨーロッパの歴史区分である。近代になって西欧から歴史学が輸入された時、この歴史区分に東洋史を強引に当てはめたのだ。この考えを西欧中心主義と批判するのは容易であるが、近代もまた西欧の産物であるとするならば、アジアの歴史を一度はここに当てはめてみることは思考実験として有効だと思う。
西欧では西ローマ帝国の滅亡をもって古代の終わりとし、中世が始まる。暗黒の中世は文明の後退の時期であり、分裂と宗教の時代だ。歴史は常に進歩するものではない。後退することもあるのだ。中世末期はルネサンスの時代だ。ルネサンスは文芸復興、つまりは古代のギリシャやローマの文明に立ち返ろうという運動である。
異論はあるものの、中世の終わりは一四九二年を以ってするのが定説だ。この年、コロンブスはアメリカ大陸に到達し、イベリア半島からイスラム勢力を追い落としてレコンキスタが完了する。
次は近世ということになる。近世は英語ではアーリー・モダンだ。つまり、近代の先駆けであり早期近代と訳した方がいいくらいだ。近世とは近代の始まりである。
「さて、中国人諸君、中国における近世の始まりが分かりますか?」
「はいはいはいはい!」
戸部典子だ。こいつは大学時代に私の講義を散々聞いている。知っていてあたりまえだ。私は戸部典子を睨みつけた。
「黙るなり…」
さすがの戸部典子もしゅんとした。
「日本の歴史学の先駆者、内藤湖南博士は北宋の時代で中国史は近世に入ると指摘されていましたね。」
陳博士の答えを李博士が訳した。さすが陳博士だ。
中国の早期近代は北宋王朝によって始まる。十二世紀のことだ。
この時、何が起こったかというと、身分というものが無くなったのだ。ただし、皇帝を除いて。
皇帝の下、全ての民衆は平等になった。貴族というものがいなくなったのだ。
でも官僚はいる。官僚は科挙と呼ばれる試験で採用される。どんな貧しい出自であっても、勉強して試験にさえ受かれば支配階級になれるのだ。ただし一代限りで、息子がボンクラならそれで終わりだ。
同時期、中国は貨幣経済の時代を迎える。宋銭が流通し市場が形成される。つまりは貨幣を蓄えたものが力を持つ社会だ。自由至上主義者が大好きな自由競争の世界が中国に生まれたのだ。
中国では、平等と共に超競争社会がやってきた。誰もが出自にかかわらず平等に競争できるのである。中国が今もって激しい競争社会なのは中国近世の遺伝子があるからだ。
「それから朱子学という学問が宋王朝では採用されました。これは儒教をこの時代の政策に合わせてカスタマイズしたものです。」
つまり、身分制と君主制を尊重しつつも、科挙に合格した者が人民を支配する事を正当化したのだ。学問のできる者は人の上に立つ資格があるとされた。
日本人はこういう思想をエリート主義として退ける性向があるが、十二世紀においては非常に画期的な考え方だったということを忘れてはいけない。
人民解放軍の諸君がなるほどと頷いている。
「さて、それでは日本の近世はどうかな?」
日本の近世は安土・桃山時代を含むとい説もあるが徳川期以降としていいだろう。
「はいはいはいはい!」
また戸部典子だ。こいつは無視だ。
「黙るなり…」
李博士が答えた。
「江戸時代は身分制度を厳格にして統治された時代ですわ。」
そう、日本史と中国史は構造が違うのだ。
日本は士農工商の身分制度を厳格化することにより、競争を抑えた。競争原理を封じ込めることによって世の中を安定させた。安定の代償として支払わなければならなかったのは、どんなに実力があっても出世できないことなのだ。競争が無い代わりに、不平等な社会である。
下級武士だった福沢諭吉が「門閥は親の仇」といったのがよくわかる。優秀な彼がボンクラの上級武士には逆立ちしても逆らえなかったのだ。
このあたりは、宋王朝の自由主義的、実力主義的な考え方と正反対である。
徳川政権も朱子学を採用した。けれども宋王朝の政策に合わせた思想に江戸時代の政策はマッチしないのだ。日本の思想界は国学を生み出し、水戸学を発達させ、蘭学を学んだ。日本人の思想的雑食性は江戸時代に醸成されたのかもしれない。
同じく儒教の影響を受けた李氏朝鮮はその教えを支配理念とした。日本よりも身分制度が厳しく、科挙は実施されたものの、支配階級である両藩と良民だけが受験資格を持ち、賎民は除外された。儒教以外の思想を認めず、仏教でさえ退けられた。崇儒廃仏である。日本人の思想的雑食性とは驚くほど違っているのだ。
なぜこのようになったのか。李氏朝鮮は小中華として優等生であろうと努力したのだ。だからこそ本家、中国以上に儒教のドグマに絡めとられてしまったのだと私は理解している。
日本人は中華の劣等生、はみ出し者、いや、オタクと言うべきか。中国という先生がいて、朝鮮は学級委員長である。
「その隅で、日本はせっせとサブ・カルチャーにうつつをぬかしていたなりね。歌舞伎に浮世絵に読み本、クール・ジャパンの原型なりよ。」
戸部典子の発言に、中国人諸君が大笑いしているではないか。
満州族が建てた「清」も少数民族が中華を支配する大義名分として儒教の教えを守った。漢民族が建てた王朝ならばここまで儒教に拘泥しなかっただろうと思う。間の悪いことに清王朝の時代に西欧近代と対峙することになってしまったのだ。
孔子や孟子の名誉のために言っておくが、儒教が間違った教えだったのでは断じてない。儒教は、西欧が作り出した近代のパラダイムからするとミス・マッチだったに過ぎない。今でも孔子の教えが人々を魅了するのは、それが普遍性を持っているからだ。
儒教は中華文明の基盤のひとつでしかない。春秋戦国時代には諸子百家が様々な思想を戦わせ議論した。孔子、孟子の儒教だけでなく、無為自然を説く道家、法による秩序を重視する法家、博愛と平等を謳う墨家などなど、様々な思想が中華思想の根本にある。秦は法家の思想を統治に用いたが、漢は儒教を採用した。道教は土着的な宗教となり民衆の中に根を張った。これら様々な思想が交じり合い中華文明を普遍的なものにしてきたのだ。
明治維新以降、日本は四民平等を謳い身分制度を廃したが、日本近世の遺伝子は競争よりも協調を尊しとなす日本人の指向として残っているのだ。戦後の日本経済を支えた終身雇用制度や年功序列制度などがいい例である。
ただ明治時代だけは競争原理が優先された。急速な近代化を成し遂げるためもあったろうが、明治の元勲たちは優秀な下級武士の出身が多い。
「中国の皆さんはおそらくご存じないが、近代化した直後の明治時代には『女工哀史』というのがありました。近代的な工場で働く女性のなかには労働の厳しさに耐えかねて悲惨な運命をたどる者がいた。これが日本の一般的なイメージです。でもね、その反面、優秀な女工さんたちは、せっせと稼いで蔵まで建てたらしい。近代化直後の日本は今の中国みたいだったわけです。」
笑いが起こった。人民解放軍の諸君も面白いという顔をしている。面白さなら戸部典子に負けないぞ!
社会学者の鄭博士が質問した。
「中国の近世が世界に先駆けるものだということがわかって、とても嬉しいです。でも、近代化が遅れたのは何故でしょうか?」
「いい質問です。でも私には答えられない。その質問に答えを与えるのが碧海作戦なのです。」
一同が、おーっ、と唸った。
「ただ、西欧で産業革命が起こるまで、中華が世界をダントツでリードしていたことは間違いありません。十九世紀でさえ、中国のGDPは世界の三十パーセント以上を占めいたはずです。」
皆が嬉しそうにしている。中国にナショナリズムが根付いている証拠だ。
だが中国人諸君、「奢れるものは久しからず」という言葉が日本にはあるのだ。
さて、信長が鎧兜を捨てさせたのは何故か?
槍や刀と違って、鉄砲は大した訓練もなく使うことができる。民衆に鉄砲を渡し、軍事教練を施せば、鎧兜に身を包んだ武将を一撃必殺できるのだ。
「西欧では、銃の普及が市民社会を生み出したのだと考えられます。フランス革命のときには民衆が銃を取って戦いました。その後、ナポレオンが創設した近代的軍隊は彼らが主役でした。」
誰でもが兵士になれるというのが近代国民国家の条件なのだ。
豊臣秀吉は「刀狩り」と称して、民衆から刀や鉄砲を取り上げた。民衆が武装することを嫌ったからだ。徳川政権もこの方針を継承し、市民社会の誕生を阻んだ。
「刀狩り」を平和政策のように教える良識派を自称する教師がいるが、私は問題だと思う。そこに憲法九条の精神を重ね合わせるなど愚かとしか言いようがない。為政者が市民の武装を恐れた結果であり、市民の自立という観点からすれば「刀狩り」は、それを妨げるものなのだ。武装の放棄は市民という概念の放棄につながりかねない。
「それなら憲法第九条の下に市民はいないなりか?」
それは難しい問題だ。近代国家が成熟すると国家は武器を独占する。国家が武装することで戦争は国家の仕事になる。そうなると市民は武装を解除されてしまう。
「アメリカなんかには市民軍の伝統があるなり。独立戦争でも南北戦争でも市民軍が活躍したのだ。でも市民に武装の権利があるから今でも銃社会になっているなり。」
アメリカは個人に武装の自由を与えている。原理からすれば、市民が武器を取って政府を転覆する権利を持っていると言える。アメリカの歴史は市民軍が独立戦争を戦ったことから始まった。その歴史的遺伝子が今でも生きているのだ。
いっそのこと日本も自衛隊を止めて、市民軍を創ったらどうだろう。
「自衛隊の分割民営化みたいになるなりよ!」
ははは、市民軍なら国家が武装しないから、憲法九条には引っかからないかもな。
国家が武装を乗り越えることにより、近代そのものを乗り越えることができるかどうかは、これからの課題なのだ。
それにしても日本人が中国人の前で、日本の武装に関する議論しているとういうのも妙なものである。
中国人諸君、途中で脱線して失礼した。これで講義を終わる。
さて、我らの信長様はこの問題を如何にするのか。
信長が近代を理解していたとは思えない。ただ中世というものに違和感を持っているのだ。天才の堪がささやくのだろう。
戦国武将たちは、装飾を取り払ったシンプルで実用的な鎧兜を新調した。なかには西欧の甲冑を参考にしたものが多く見受けられる。
大陸において実にすっきりとした織田軍団が出来上がった。
まだまだ近代式の軍制には程遠かったが、これもひとつの進歩である。
伊達政宗はシンプルな兜の額に半月のマークを刻み込んでいる。半月の飾りにあるド派手な兜を取り上げられた政宗のせめてもの意地である。
おいおい、それってナイキのマークじゃないか。商標権侵害で訴えられるぞ、政宗君。
この中に変わり者がいた。若干二十歳の若武者・真田信繁だ。
彼は馬上で鉄砲を撃つことを考え、新式銃の開発に着手し始めた。堺から連れてきた鉄砲鍛冶たちを集めては日に夜にディスカションを繰り返している。
信繁君、馬上で鉄砲を撃つだと、それは近代的発想とは言えないのだよ。
と、説教してやりたくなったが、これはこれで面白いのかもしれない。こういう発想が副産物として元込め銃や連発銃を生み出すことになるからだ。
メイン・モニターに映し出された真田信繁は腕組みして知恵を絞っている。
ハンサムとは言えないが、いい面構えをしている。それに才気を感じる。
「真田信繁君、素敵なり。」
戸部典子がうっとりしている。昨日までは政宗君じゃなかったのか。この浮気女!
「こういう若者がいるというのは、中国人には羨ましいですわ。儒教の思想なんかにとらわれず、自由にものを考えられるって、素敵ですわね。」
李博士がぽつりとつぶやいた。
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歪な家族の形。
「この家族ごっこはいつまで続けるおつもりですか?お父様」
「お人形遊びはいい加減卒業なさってください、お母様」
「家族?いいえ、貴方は他所の子です」
ユースティティアは、そんな家族の形に呆れていた。
「可愛いあの子は、伯爵夫人のお気に入り」から「伯爵夫人のお気に入り」にタイトルを変更します。
お幸せに、婚約者様。私も私で、幸せになりますので。
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