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17、えくすぺんだぶるす
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あたしは裁判なんて映画とか小説のなかだけのもので、自分の人生とは関係のないものだと思っていたし、普通に生きている人たちの大半がそうだ思う。
けれど、裁判所では毎日裁判が開かれているし、誰でもが裁判に巻き込まれる可能性があるのだということを、あたしは初めて知った。
部長は被告なのか?
「これは刑事裁判ではなくて民事裁判なんだよ。だから私は被告ではなく債務者だ。」
債務者っていう言い方にも違和感がある。なんだかお金を借りて返さない人みたいなのだ。
「そうだね。訴えるほうが債権者。訴えられるほうが債務者という、法律用語みたいなものだ。」
あたしの知らない世界には、あたしの知らない言葉があるということなのだろうか。
家に帰ってから、お兄ちゃんに裁判のことを尋ねた。
お兄ちゃんは裁判の傍聴に行ったことが何度もある。小説のネタ探しって言っていたけど、ただの興味本位だと思う。
「ほお、松永の奴、ついに裁判に訴えてきたんか。こっちは焦土作戦進行中や、今更、裁判しても遅い。」
お兄ちゃんはタカをくくっているけど、ほんとうに大丈夫なのか心配になってきた。
「大丈夫や。弁護士が全部やってくれる。」
部長は、弁護士さんはお願いしないって言ってたのだ。
「そやな、どうせ時間稼ぎや。阿部部長やったら自分でなんとかするかもな。でもな、知り合いの弁護士にアドバイスだけしてもらうわ。」
弁護士費用は高いのじゃないか? と言うあたしに、
お兄ちゃんは
「タダや。」
と、一言答えた。
お兄ちゃんは自称プロのボランティアなのだ。
家の仕事も小説の仕事もあまりしないけど、京都のあちこちにでかけて行って知恵としぼりアイディアを提供して、みんなに頼りにされている。
お兄ちゃんがボランティアをすると「貸し」なのだそうだ。「借り」を作った人はお返しにお兄ちゃんの頼みをきいてくれる。
なんか物々交換みたいだ。
お兄ちゃんの原稿料は、みんな富江義姉さんが管理していて、お小遣いにすら困っているのに、弁護士さんをタダで使うことができる。
「お金というのはな、交換の仲介物にしか過ぎん。お金そのものには価値はない。お金でモノが交換できるから、誰もがお金そのものに価値があると思い込んでる。価値がひっくり返っとんのや。」
お兄ちゃんの説明どおりなら、お兄ちゃんのボランティアでの働きはお金みたいなものなんだろうか。
「そやな、昔、地域通貨なんていうものが流行ったけど、それに似ているかも知れんな。」
そうか、お金は交換のための道具なんだ。
そう思うとキャッシュ・フローで毎日あくせくしている自分が馬鹿みたいに思えてしまう。
その三日後、お兄ちゃんは弁護士さんを会社に連れてきた。弁護士さんだけでなく税理士さんと司法書士さんも一緒だった。
みんなお兄ちゃんの一声で集まったボランティアなのだ。
お堅い職業だけど、今日はボランティアだからか、みんな懐かしのロック・ミュージシャンのTシャツを着ている。それに柄は違っても色はお揃いの黒だ。
要するに、お兄ちゃんの同好の士なのだよ・
「どうや、エクスペンダブルスみたいやろ。」
お兄ちゃんは「エクスぺンダブルス」っていうアクション映画が大好きで、あたしもDVDで強制的に見せられた。
昔のアクション映画の大スターが総出演なんだけど、みんな歳をとったせいかアクションが鈍い。
映画のおじいちゃんヒーローたちは、何故かみんな黒のTシャツを着ている。はっきり言うけど、おしゃれじゃ無い。
それでも、お兄ちゃんは、大盛り上がりでDVDを観ているのだ。
「よっしゃ、バンダム!」
とか、
「ブルース・ウイリス、キター。」
とか、うるさいのだ、
あたしが「ブルース・ウイルス」って言うと、怒られた。
一作目はまあまあ面白かったけど、二作目は途中で寝た。三作目は観てない。
弁護士さんと阿部部長が話し込んでいる。優しそうなおじさんだけど、アタマ良さそうって感じ。
弁護士・横山博之って書いてある名刺をもらった。
Tシャツはキング・クリムゾンだ。
「クリムゾン・キングの宮殿」のレコードがお父さんの遺品のなかにあったからよく知っている。
弁護士の横山さんは大きな声で阿部部長にアドバイスしている。
「こっちの強みはね、この会社を占有していることですよ。この会社を実質的に運営しているのはこっちですからね。要するにね、こんなもん、居座ったほうが勝ちなんですよ。」
なんだかすごく乱暴な理論なんだけど、弁護士さんが言うと説得力がある。
横山さんはさらに続けた。
今度の裁判は時間稼ぎが目的だから情報を小出しにしていくこと。
今後、京都駅前店の経営移管で松永から訴えられる可能性があるから、松永の横領の証拠となる書類はすべてコピーを取っておくこと。
さすがに本物の弁護士さんのアドバイスは的確だって感心してしまった。
司法書士さんはこの会社の登記をやってくれた方で、日高さんと呼ばれていた。
U2のTシャツを着た三十代くらいの女性で大人っぽいお姉さんみたいな人だ。今日は自分が登記に携わった会社を見学にきたそうだ。
あたしは日高さんに登記のやりかたを教えてもらった。会社の住所や役員の変更くらいの登記ならあたしにもやれそうだ。
税理士さんは三十前後の男の人で矢野さんといった。トーキング・ヘッズのTシャツをおしゃれに着こなしている。
「トーキング・ヘッズかぁ、お父さんも好きだったよね」、って思うとなんだか親近感が沸いた。
お兄ちゃんに言わせれば、矢野さんの数字に対する勘は天才的らしい。
矢野さんは昔の帳簿を一枚一枚持ち上げて蛍光灯の光に透かして見ている。この仕草にどんな意味があるのかわからなかったけれど、何か気になることがあるみたいだ。
「この会社のお金、抜かれている可能性がありますよ。」
松永が横領したのはみんな知っているのだ。
「違いますよ。今年の三月以前から抜かれているんですよ。」
阿部部長が顔色を変え、「思い当たるフシがある」と言った。
矢野さんは人差し指を立てて部長に言った。
「この会社に何があったかは貴司さんから聞いています。おそらく三好社長と松永の間には何かあります。その何かが、おそらくこの消えたお金と関係があるんではないかと推測します。」
阿部部長は以前から三好水産の内部留保が少なすぎることを不審に思っていたのだそうだ。
「調べますか?」
「お願いしたい。」
部長の言葉を受けて、矢野さんはあたしに視線を移しながら言った。
「貴志さんの妹さん、会社の経理資料を集めてほしい。」
「あー、また仕事が増えるー」、って苦笑いしたのだけれど、あたしだって消えたお金のことを知りたい。
あたしは矢野さんに「いつまでですか?」って聞いた。
矢野さんは「なるはや」と言っただけだった。
なるべく早く。つまりは今週中?
コクリと頷いた矢野さんが、あたしにはサイコ・キラーに見えた。
♪ おーおーおーおー、ややややーやーやー
頭の中にトーキング・ヘッズの「サイコ・キラー」が流れて、ヘビー・ローテーションが始まってしまったのだよ。
今年は忙しすぎて祇園祭の見物にも行けなかった。
なんて、いうと哀しそうに聞こえるけど、京都の人はわざわざ祇園祭を見物に行ったりしない。繁華街に出かけたときに、山鉾が立っていく風景や、祇園囃子を耳にして、夏の風情を楽しむ程度だ。
祭りが終わると、京都盆地は蒸し風呂のような暑さにみまわれて、大文字焼きまで観光客の足も遠のいてしまう。
裁判が開かれたのは、そんな静かな夏の日だった。
「証人は証言台へ!」
とか
「異議あり!」
とかいう、ドラマで見かける裁判のシーンを想像していたのだけど、現実は地味だった。
こういう小さな民事裁判の第一回目というのは、小さな部屋で裁判官が双方の意見を聞き取るだけなのだ。
松永の側は代理人の弁護士が来ただけで、本人は来なかったらしい。
あたしは傍聴席で裁判のゆくえを見守りたかったのに残念なのだ。
裁判で決まったことは、第二回公判は八月二十日だということだけだった。
裁判にはお金も時間もかかる。
松永だって裁判なんかにしたくなかっただろう。
あたしたちが会社に居座っているから、裁判しか方法がなかったのだ。
横山弁護士の言うように居座り続けることが勝ちなのかも知れないけれど、こんな不安定な状態で経営を続けるほうにも体力と気力がいるのだよ。
けれど、あたしたちは既に出口を見つけている。
ここから脱出するのだ。
けれど、裁判所では毎日裁判が開かれているし、誰でもが裁判に巻き込まれる可能性があるのだということを、あたしは初めて知った。
部長は被告なのか?
「これは刑事裁判ではなくて民事裁判なんだよ。だから私は被告ではなく債務者だ。」
債務者っていう言い方にも違和感がある。なんだかお金を借りて返さない人みたいなのだ。
「そうだね。訴えるほうが債権者。訴えられるほうが債務者という、法律用語みたいなものだ。」
あたしの知らない世界には、あたしの知らない言葉があるということなのだろうか。
家に帰ってから、お兄ちゃんに裁判のことを尋ねた。
お兄ちゃんは裁判の傍聴に行ったことが何度もある。小説のネタ探しって言っていたけど、ただの興味本位だと思う。
「ほお、松永の奴、ついに裁判に訴えてきたんか。こっちは焦土作戦進行中や、今更、裁判しても遅い。」
お兄ちゃんはタカをくくっているけど、ほんとうに大丈夫なのか心配になってきた。
「大丈夫や。弁護士が全部やってくれる。」
部長は、弁護士さんはお願いしないって言ってたのだ。
「そやな、どうせ時間稼ぎや。阿部部長やったら自分でなんとかするかもな。でもな、知り合いの弁護士にアドバイスだけしてもらうわ。」
弁護士費用は高いのじゃないか? と言うあたしに、
お兄ちゃんは
「タダや。」
と、一言答えた。
お兄ちゃんは自称プロのボランティアなのだ。
家の仕事も小説の仕事もあまりしないけど、京都のあちこちにでかけて行って知恵としぼりアイディアを提供して、みんなに頼りにされている。
お兄ちゃんがボランティアをすると「貸し」なのだそうだ。「借り」を作った人はお返しにお兄ちゃんの頼みをきいてくれる。
なんか物々交換みたいだ。
お兄ちゃんの原稿料は、みんな富江義姉さんが管理していて、お小遣いにすら困っているのに、弁護士さんをタダで使うことができる。
「お金というのはな、交換の仲介物にしか過ぎん。お金そのものには価値はない。お金でモノが交換できるから、誰もがお金そのものに価値があると思い込んでる。価値がひっくり返っとんのや。」
お兄ちゃんの説明どおりなら、お兄ちゃんのボランティアでの働きはお金みたいなものなんだろうか。
「そやな、昔、地域通貨なんていうものが流行ったけど、それに似ているかも知れんな。」
そうか、お金は交換のための道具なんだ。
そう思うとキャッシュ・フローで毎日あくせくしている自分が馬鹿みたいに思えてしまう。
その三日後、お兄ちゃんは弁護士さんを会社に連れてきた。弁護士さんだけでなく税理士さんと司法書士さんも一緒だった。
みんなお兄ちゃんの一声で集まったボランティアなのだ。
お堅い職業だけど、今日はボランティアだからか、みんな懐かしのロック・ミュージシャンのTシャツを着ている。それに柄は違っても色はお揃いの黒だ。
要するに、お兄ちゃんの同好の士なのだよ・
「どうや、エクスペンダブルスみたいやろ。」
お兄ちゃんは「エクスぺンダブルス」っていうアクション映画が大好きで、あたしもDVDで強制的に見せられた。
昔のアクション映画の大スターが総出演なんだけど、みんな歳をとったせいかアクションが鈍い。
映画のおじいちゃんヒーローたちは、何故かみんな黒のTシャツを着ている。はっきり言うけど、おしゃれじゃ無い。
それでも、お兄ちゃんは、大盛り上がりでDVDを観ているのだ。
「よっしゃ、バンダム!」
とか、
「ブルース・ウイリス、キター。」
とか、うるさいのだ、
あたしが「ブルース・ウイルス」って言うと、怒られた。
一作目はまあまあ面白かったけど、二作目は途中で寝た。三作目は観てない。
弁護士さんと阿部部長が話し込んでいる。優しそうなおじさんだけど、アタマ良さそうって感じ。
弁護士・横山博之って書いてある名刺をもらった。
Tシャツはキング・クリムゾンだ。
「クリムゾン・キングの宮殿」のレコードがお父さんの遺品のなかにあったからよく知っている。
弁護士の横山さんは大きな声で阿部部長にアドバイスしている。
「こっちの強みはね、この会社を占有していることですよ。この会社を実質的に運営しているのはこっちですからね。要するにね、こんなもん、居座ったほうが勝ちなんですよ。」
なんだかすごく乱暴な理論なんだけど、弁護士さんが言うと説得力がある。
横山さんはさらに続けた。
今度の裁判は時間稼ぎが目的だから情報を小出しにしていくこと。
今後、京都駅前店の経営移管で松永から訴えられる可能性があるから、松永の横領の証拠となる書類はすべてコピーを取っておくこと。
さすがに本物の弁護士さんのアドバイスは的確だって感心してしまった。
司法書士さんはこの会社の登記をやってくれた方で、日高さんと呼ばれていた。
U2のTシャツを着た三十代くらいの女性で大人っぽいお姉さんみたいな人だ。今日は自分が登記に携わった会社を見学にきたそうだ。
あたしは日高さんに登記のやりかたを教えてもらった。会社の住所や役員の変更くらいの登記ならあたしにもやれそうだ。
税理士さんは三十前後の男の人で矢野さんといった。トーキング・ヘッズのTシャツをおしゃれに着こなしている。
「トーキング・ヘッズかぁ、お父さんも好きだったよね」、って思うとなんだか親近感が沸いた。
お兄ちゃんに言わせれば、矢野さんの数字に対する勘は天才的らしい。
矢野さんは昔の帳簿を一枚一枚持ち上げて蛍光灯の光に透かして見ている。この仕草にどんな意味があるのかわからなかったけれど、何か気になることがあるみたいだ。
「この会社のお金、抜かれている可能性がありますよ。」
松永が横領したのはみんな知っているのだ。
「違いますよ。今年の三月以前から抜かれているんですよ。」
阿部部長が顔色を変え、「思い当たるフシがある」と言った。
矢野さんは人差し指を立てて部長に言った。
「この会社に何があったかは貴司さんから聞いています。おそらく三好社長と松永の間には何かあります。その何かが、おそらくこの消えたお金と関係があるんではないかと推測します。」
阿部部長は以前から三好水産の内部留保が少なすぎることを不審に思っていたのだそうだ。
「調べますか?」
「お願いしたい。」
部長の言葉を受けて、矢野さんはあたしに視線を移しながら言った。
「貴志さんの妹さん、会社の経理資料を集めてほしい。」
「あー、また仕事が増えるー」、って苦笑いしたのだけれど、あたしだって消えたお金のことを知りたい。
あたしは矢野さんに「いつまでですか?」って聞いた。
矢野さんは「なるはや」と言っただけだった。
なるべく早く。つまりは今週中?
コクリと頷いた矢野さんが、あたしにはサイコ・キラーに見えた。
♪ おーおーおーおー、ややややーやーやー
頭の中にトーキング・ヘッズの「サイコ・キラー」が流れて、ヘビー・ローテーションが始まってしまったのだよ。
今年は忙しすぎて祇園祭の見物にも行けなかった。
なんて、いうと哀しそうに聞こえるけど、京都の人はわざわざ祇園祭を見物に行ったりしない。繁華街に出かけたときに、山鉾が立っていく風景や、祇園囃子を耳にして、夏の風情を楽しむ程度だ。
祭りが終わると、京都盆地は蒸し風呂のような暑さにみまわれて、大文字焼きまで観光客の足も遠のいてしまう。
裁判が開かれたのは、そんな静かな夏の日だった。
「証人は証言台へ!」
とか
「異議あり!」
とかいう、ドラマで見かける裁判のシーンを想像していたのだけど、現実は地味だった。
こういう小さな民事裁判の第一回目というのは、小さな部屋で裁判官が双方の意見を聞き取るだけなのだ。
松永の側は代理人の弁護士が来ただけで、本人は来なかったらしい。
あたしは傍聴席で裁判のゆくえを見守りたかったのに残念なのだ。
裁判で決まったことは、第二回公判は八月二十日だということだけだった。
裁判にはお金も時間もかかる。
松永だって裁判なんかにしたくなかっただろう。
あたしたちが会社に居座っているから、裁判しか方法がなかったのだ。
横山弁護士の言うように居座り続けることが勝ちなのかも知れないけれど、こんな不安定な状態で経営を続けるほうにも体力と気力がいるのだよ。
けれど、あたしたちは既に出口を見つけている。
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