幼馴染は俺のかみさま

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雨乞い

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「アオリ先輩、来てくれると思ってました」

 アオリ先輩は保護者とはぐれた迷子のように頼りない足取りで寮室へやって来た。細くすんなりとしたふくらはぎが緊張に強張っている。

「カクレ……」
「ん、アメくん」

 アメくんが俺の精霊縫いを指先でくいと引っ張って顔を向けさせる。
 「手の甲だ」と耳打ちされアオリ先輩の右手を見遣ると、俺が渡した精霊縫いとクマの編みぐるみを掴んで強張った手の甲には、引っ掻き傷のような一本の線が赤く滲んでいた。

 意識的に認識すれば、薄らとネムリさんの術式の気配が感じられた。
 盗聴と場所の把握といったところだろうか。疎い俺には詳しい術の内容までは分からない。

「過保護だなあ……まあ、いいや。アオリ先輩、ちゃんと一人で来れて偉いですね。内緒で来たの?」
「ぁ、カクレ、俺は……」

 迷うように揺れる瞳。柔らかな頬を包んで俯く顔を上げさせた。

「俺たちのことを信じてくれて、俺たちの信仰を、知ろうとしてくれて……嬉しい。アオリ先輩の目は、信仰を見ている。見ようとしている」
「う、ん。カクレ……俺は、何かを信じたくて、信仰が知りたくて、家族のみんなみたいになりたくて、一人でここに来た」
「うん。全部わかるよ。俺たちは全部見せる。だから、見て。覚えて、ずっと、忘れないで」

 あどけなさの残るしっとりとした頬からてのひらを離し、精霊縫いとクマを抱くアオリの手に重ねた。わずかに震えの残る手にやわく力を込める。
 
 バチ、と拒絶するような痛みがアオリの手の甲から伝わったが、それを無視してアオリと手を重ね合わせた。

 数秒を数えてアオリの顔を覗くと、じわりと目元に涙の膜ができている。帰る場所を示された子どものように単純で無垢で、綺麗な色だった。

 こくりと小さく頷くことでさらされたアオリの無防備な頭。アオリの手からそっと精霊縫いを引いて俯いたままの従順な頭に被せた。

「アワヤスカは初めて? 怖いことはない。これは、俺たちを……真実を知るための働きを促すものだ」
「ん……」

 はじめに俺がアワヤスカの葉巻を加えて、懐かしい故郷の煙を吸う。苦味と酸味の強いそれが肺を満たして、身体をめぐる空気を取り替える。
 次いでアオリに葉巻を咥えさせた。アオリは慣れない手つきで手を添え、やや性急に吸い込んで咽せる。

「ぅぐ、ぇほ、げっ……」
「ん、急ぐな。大丈夫。ゆっくり……そう、上手だな」

 年少組のクモツを相手にするような言葉もとるべき対応も、数年ぶりのそれはすんなりと身体の内側から溢れて動き出していた。懐かしさに息苦しく胸が詰まる。

 慎重に煙を吸い、そっと口先から吐き出された煙はゆるりと薄い紫色で天井へ昇っていく。上手だ上手だと褒めながら、精霊縫い越しに頭を撫でてやる。さらりとした清潔な手触りだった。
 ツンツンとした硬い毛並みを撫で、細い首まで下りる。薄く浮かぶ首筋を指の腹で辿った。
 
 煙を初めて吸った幼いクモツはぼんやりと夢を見ているような目つきで顔を上げる。

「んっ、くすぐったい……それ」
「御空はお前のような年若いクモツのまぐわいをお望みだ」
「クモツ……って、俺……?」
「そうだ」

 へら、と幼いクモツは頬を緩ませた。

「俺、何かに、なりたかった……」

 『ぱ』『ぱ』『ぱ』『ぱ』と気づけば音が鳴っている。pともfともhともつかないような曖昧な音が、空から降るように広く柔らかく、包み込むように。
 不規則な拍数で時折高低がつく精霊の唄に呑まれ、煙に包まれ、幸福な重厚感に沈む身体とは裏腹に、精神の部分はふうわりと浮かび上がっていく。
 ぱらぱらと屋根を叩く甘やかな雨音が身体の内側の深いところまで浸透するようで、多幸感に包まれる。

 くったりと力が抜けてしまったクモツを床に横たえる。ふにゃりとしたあどけない口もとと、遠くを見つめる恍惚とした眼差し。上手く煙がまわっているようだ。

 俺は自身に『認識阻害』の術をかけ、扉のすぐ横に控えた。おそらく、頃合いだろう。

「アオリ!」

 扉を開け放ったのは予想通りネムリさんで、普段の余裕も消え失せた焦りの滲んだ怒号だった。
 床に横たわるクモツが目に入った瞬間、冷静は全く失われていた。無防備だった。

 俺は粉末状のアワヤスカをネムリさんに向かって吹きかける。葉巻よりも効きが強く、まわりがはやいものだ。

 ふにゃりと力の抜けた足が一歩、二歩と迷うような弱々しい足取りで前進とも後退ともつかないような地面を踏む。
 自重を支えきれない足首はくんにゃりと柔らかく折れてクモツの上へ折り重なるように倒れ込んだ。

「御空は年若いクモツのまぐわいをお望みだ」

 即効性の興奮剤と、アメくんの『雨乞い』……精霊の唄。高いようで低いような、音の反響そのものを繰り返す境界の曖昧な唄が暗く閉ざされた狭い寮室に響く。
 ぱらぱらと甘く優しく降り注ぎ屋根を叩く雨音と混ざり合って部屋いっぱいにアメくんの柔らかで清らな魔力が満ち満ちて、アワヤスカの煙はゆらゆらと紫色に天井へと昇りながら数多に形を変える。
 
 クモツたちは初めて経験するその煙に、身を任せる他はない。
 ぼんやりと恍惚とした眼同士が互いを映して近づいていくのを尻目に、俺はアメくんの座るベッド横の壁の隙間へと身を滑らせた。

 狭く暗い隅が、いつも俺たちの儀式の場所だった。

「カクレ、痛い」
「舌が痛むのか? アメくん」

 暗い部屋の隙間から伸びるアメくんの両腕に半ば絡め取られるようにようにして後頭部と背中を掴まれ、かたい胸板に迎え入れられる。
 
 アメくんが「痛い」ともう一度静かに繰り返して甘く食んだのは俺のてのひらで、ネムリさんの術式に触れて火傷した箇所だった。

「んは、そこなら痛いのは俺だよ」
「痛い」
「……そうだな。俺たちが痛い。俺たちの痛みだよ」

 慰めるように舌が這い、ちうと軽く吸われ、痛みと熱が混ざる。

「アメくん」
 
 祈りみたいにその名を呼んだ。
 アメくんが確かに俺のそばにいると感じられる時だけ、息ができる。

「アメ、」

 祈りごと奪うような口付けに塞がれて、それでもその名を呼んで、アメくんの唄は全てを包むような慈愛に満ち満ちて柔らかく咥内へ、気道を通って肺まで送り込まれて、身体の内側が満たされて、満ち足りる。

 俺たちが細胞のレベルで渇望して止まない慈雨が直接注がれるような口付けに意識がとろりと溶けて曖昧に、抱き合う身体の熱が混ざり合って、境界を失って、まるで元々一つの生物のように個々の身体感覚は失われて、ただ俺たちが存在していることだけが確かになる。










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