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第一章 4
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少年が通う高校は、小高い丘の中腹にあった。森を切り拓いて、出来うる限り自然を残すように建てられている。自然を残したいほど守りたいのであれば、そもそも場所の選定からして矛盾しているのだが、あまり気にかけている生徒、教師はいないようである。
坂道は、それほど急勾配ではない。それでも、麓から学校までの数十メートルを一気に自転車を漕ぎ続けるのはさすがに疲れてしまう。省力を規範とすることを公言している少年は、自転車をこぐのをやめて、しばらく歩いて坂を登った。丁度良いことに車だまりがあったので、そこで、小休止することにした。自転車を止めると、ガードレールに近づいた。
「……」
少年は息を飲んだ。自分が住んでいる街を一望できたのである。 甍が朝日を浴びてキラキラと輝いていた。自分がよく行く書店が見える。ファストフード店の看板も見えた。都市中心部に電車の駅がある。中学校の校庭も見えた。その景色に少年はしばし心を奪われた。清冽な風が、遠くに飛来する鳥の鳴き声とともに、少年に吹きつけてきた。風が少年を洗った。
入学式は午後に行われたので、朝の白白とした薄い膜のようなものに覆われているような街には気がつかなかった。
「街が生きている」
「おっ、詩人だねえー」
ふいに声をかけられて、少年は驚いた。近づいてきた気配が、まったくしなかったのである。少年が振り返るより前に、声をかけてきた人は少年の横にいた。相手は、自分と同じブレザーを着用していた。同じ高校の、おそらく先輩であろう。その人物は、自転車を少年の自転車の横に止めてスタンドをかけた。
「絶景だろう?」
「ええ、そうですね」
少年は念のために敬語を使うことにした。
「新入生かい?」
「はい、そうです。先輩、ですよね?」
「ん、まあ、そうなるな」
その先輩のいいようは謎めいて聞こえた。
「お前さん、 氏名は?」
その問いかけは意外であった。相手の名字が知りたい場合は、普通に「名字は?」や「名前は?」と聞けばいいのに、「氏名」と尋ねられたのである。その単語自体も、日常会話ではあまり、どころかほとんど使われることはない。古風な方だな、と思いながら、少年は名乗った。
「 中蔦です」
先輩の眉がかすかに跳ねあがった。
「ナカツタのナカはどんな字だ?」
妙なところが気になる方である。変わった方だと思った。
「中心とか中央とかの『 中』です」
「ほーう、なーるほど」
先輩は興をそそられたような目で、後輩を見ている。ただ、中蔦少年は、先輩が自分の話したことのどこに反応を示したのかはわからなかった。特段気になるようなことは話してはいないのだから。
「じゃあ、名前は?」
「 眞央といいます」
「ふむ、ナカツタマヒロか。舌を噛みそうな名前だな」
「ええ、結構いわれます」
「そうか、結構いわれるか」
先輩は楽しそうに笑った。後輩は困ったように頬をかいた。
「今日この時に自分たちが出会ったのは、なにかの縁かもしれんな」
「どういうことです?」
中蔦眞央は、この風変わりな先輩に興味をいだいた。もう少し話をしていたい気になった。
「その時が来ればわかるさ」
先輩は意味ありげにウィンクした。どうも、煙に巻かれてしまったようである。
「自分はもう行くが、 央ちゃんはどうする?」
ものすごい勢いで、先輩は後輩との間を詰めてきた。そのことに困惑しながらも、眞央は少し考えてから返事をした。
「えと、もう少し、この景色を目に焼きつけたいです」
「そうか、ふふ。ただし、遅れるなよ」
「そのつもりです」
先輩が先に行ったのを、眞央は小首をかしげてしばらく眺めていた。これは、良い出会いといえるのだろうか、と。
「まあ、いいか」
眞央はスマートフォンを取り出すと、眼下に広がる街並みを写真に収めた。確認して問題がないことがわかると、更に四、五枚ほど撮影した。まったく最近のスマートフォンのカメラは性能がいい。デジタルカメラを駆逐するほどである。ただ、カメラの性能を上げるよりも他にやることはないのだろうか。例えば、声紋に依る認証や音声で機能を使えるようにするとか。それに、OSの度々のアップデートなど、穴やバグがありすぎる。更新の度に問題点や不具合が生じるのでは、更新した意味がない。人力を傾注して、OSの安定化をこそ重視すべきだと思うのであった。
「おれは、何様なのかね」
面白くもなさそうに独り言つと、眞央はスマートフォンをしまって、再び坂道を登っていった。
「夕方の景色、と、夜景も撮りたいところだな」
とりあえず、新入生中蔦眞央の直近の目標ができた。
坂道は、それほど急勾配ではない。それでも、麓から学校までの数十メートルを一気に自転車を漕ぎ続けるのはさすがに疲れてしまう。省力を規範とすることを公言している少年は、自転車をこぐのをやめて、しばらく歩いて坂を登った。丁度良いことに車だまりがあったので、そこで、小休止することにした。自転車を止めると、ガードレールに近づいた。
「……」
少年は息を飲んだ。自分が住んでいる街を一望できたのである。 甍が朝日を浴びてキラキラと輝いていた。自分がよく行く書店が見える。ファストフード店の看板も見えた。都市中心部に電車の駅がある。中学校の校庭も見えた。その景色に少年はしばし心を奪われた。清冽な風が、遠くに飛来する鳥の鳴き声とともに、少年に吹きつけてきた。風が少年を洗った。
入学式は午後に行われたので、朝の白白とした薄い膜のようなものに覆われているような街には気がつかなかった。
「街が生きている」
「おっ、詩人だねえー」
ふいに声をかけられて、少年は驚いた。近づいてきた気配が、まったくしなかったのである。少年が振り返るより前に、声をかけてきた人は少年の横にいた。相手は、自分と同じブレザーを着用していた。同じ高校の、おそらく先輩であろう。その人物は、自転車を少年の自転車の横に止めてスタンドをかけた。
「絶景だろう?」
「ええ、そうですね」
少年は念のために敬語を使うことにした。
「新入生かい?」
「はい、そうです。先輩、ですよね?」
「ん、まあ、そうなるな」
その先輩のいいようは謎めいて聞こえた。
「お前さん、 氏名は?」
その問いかけは意外であった。相手の名字が知りたい場合は、普通に「名字は?」や「名前は?」と聞けばいいのに、「氏名」と尋ねられたのである。その単語自体も、日常会話ではあまり、どころかほとんど使われることはない。古風な方だな、と思いながら、少年は名乗った。
「 中蔦です」
先輩の眉がかすかに跳ねあがった。
「ナカツタのナカはどんな字だ?」
妙なところが気になる方である。変わった方だと思った。
「中心とか中央とかの『 中』です」
「ほーう、なーるほど」
先輩は興をそそられたような目で、後輩を見ている。ただ、中蔦少年は、先輩が自分の話したことのどこに反応を示したのかはわからなかった。特段気になるようなことは話してはいないのだから。
「じゃあ、名前は?」
「 眞央といいます」
「ふむ、ナカツタマヒロか。舌を噛みそうな名前だな」
「ええ、結構いわれます」
「そうか、結構いわれるか」
先輩は楽しそうに笑った。後輩は困ったように頬をかいた。
「今日この時に自分たちが出会ったのは、なにかの縁かもしれんな」
「どういうことです?」
中蔦眞央は、この風変わりな先輩に興味をいだいた。もう少し話をしていたい気になった。
「その時が来ればわかるさ」
先輩は意味ありげにウィンクした。どうも、煙に巻かれてしまったようである。
「自分はもう行くが、 央ちゃんはどうする?」
ものすごい勢いで、先輩は後輩との間を詰めてきた。そのことに困惑しながらも、眞央は少し考えてから返事をした。
「えと、もう少し、この景色を目に焼きつけたいです」
「そうか、ふふ。ただし、遅れるなよ」
「そのつもりです」
先輩が先に行ったのを、眞央は小首をかしげてしばらく眺めていた。これは、良い出会いといえるのだろうか、と。
「まあ、いいか」
眞央はスマートフォンを取り出すと、眼下に広がる街並みを写真に収めた。確認して問題がないことがわかると、更に四、五枚ほど撮影した。まったく最近のスマートフォンのカメラは性能がいい。デジタルカメラを駆逐するほどである。ただ、カメラの性能を上げるよりも他にやることはないのだろうか。例えば、声紋に依る認証や音声で機能を使えるようにするとか。それに、OSの度々のアップデートなど、穴やバグがありすぎる。更新の度に問題点や不具合が生じるのでは、更新した意味がない。人力を傾注して、OSの安定化をこそ重視すべきだと思うのであった。
「おれは、何様なのかね」
面白くもなさそうに独り言つと、眞央はスマートフォンをしまって、再び坂道を登っていった。
「夕方の景色、と、夜景も撮りたいところだな」
とりあえず、新入生中蔦眞央の直近の目標ができた。
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