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第一章 現場 ─ゲンジョウ─ 1
第2話
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長野県は蕎麦処としても有名だった。冷たく清らかな水が蕎麦打ちに適しているらしい。そばの実も寒暖差の影響なのかはわからないが、風味のあるモノが収穫されるそうで、全国でも有数の蕎麦を提供する店が少なくない。少年が入った店は残念なことにその一つではなかったが、そこまで蕎麦に興味があるほうではなかったので、なんの不満もなかった。それでも出された蕎麦を口に運ぶと、普段大阪で食べている蕎麦とはたしかになにかが違うように感じられた。
蕎麦にはそば粉とつなぎの小麦粉の分量によって味に違いがあらわれ、最も蕎麦の味が濃く感じるのは十割そばというそば粉のみを使った蕎麦で、一般的に提供されるそば粉が八割、小麦粉が二割の二八蕎麦よりも色合いも風味も濃くなるのだそうだ。父がそのように説明してくれた。補足として、蕎麦湯というモノがあるとのことで、蕎麦二枚を堪能したあとで試みに飲んでみたのだが、どうも少年の口には合わなかった。
食事を終えた少年家族一行は近くの『須原宿』へ向かい、車を降りて宿場町の観光をして、夕刻に父の実家に到着するように時間を調節し、ふたたび車で北を目指した。
運転席でハンドルを握るのは少年の父親で、その後部座席には妹が、カーステレオから流れてくるJ‐POPに合わせて歌声を披露していた。助手席には母親が座り、父に楽しそうに話しかけている。その後部座席に座っていた少年は、窓の外を眺めながら家族のことを考えていた。
少年から見た父親は、非常に厳格だが口やかましくはなかった。少年のやりたいと思うことを常に優先して、困ったことがあれば適切な助言を与えてくれる、とても頼りがいがあり、良き理解者のように思えていた。決して放任主義なのではなく、自主自律を旨とし、自分で考え、自分で決め、自分で行動することを背中で教えてくれているように見えていた。外でお酒を飲んで帰ってくることもなく、賭け事も一切しない真面目な為人だった。そんな父のことは嫌いではなかった。高校生になっても家族旅行になんら不服を唱えずに同行するくらいなので、好意的でないはずはなかった。
母親に関しては、まったくといっていいほど不満を抱いてはいなかった。優しく温厚で、困ったことがあれば親身になって相談に乗ってくれる、とても頼りになる存在だった。生きて生活していれば気に染まないことがまったくないことはありえないのだが、子供に接する時には常に笑顔を絶やさず、暖かく包み込んでくれる、海のように広い心の持ち主だった。そんな母のことは嫌いではなかった。高校生になっても相談する相手が母から気心の知れた友人に変わらないのは、その証左だろう。友人からは穏当ではない言葉で訝られることもあったが、頼りになるのだから仕方がない。
二つ違いの妹は、兄の欲目も関係しているかもしれないが、可愛らしい女の子に見えていた。おそらく高校、大学と年齢を重ねていけば、男どもが放っておかない美しい女性になり、彼女の周りでは、恋の鞘当てで騒がしくなることだろう。そのように考えると、兄としては嬉しくもあり誇らしくもある。今でこそ人懐っこそうな笑顔を少年に向けてくるのだが、それもあと数年のことかもしれないと想像すると、一抹の寂しさを感じてしまう。そんな妹のことは嫌いではなかった。嫌う理由はまったくといっていいほどなく、いつまでも仲の良い兄妹でありたいと、本心から思っていた。
妹が歌っているJ‐POPグループはなんという名前だっただろうか、少年はぼんやりと外を眺めながら考えていた。少年の守備範囲はロックバンドに偏っているために、どうにも思い出せなかった。気持ち良さそうに美声を発しているのを遮るのは野暮というものなので、もうしばらく歌声を聞いておこうと足を組み替えた。
母は慣れない手拍子を打っているが、この年代の流行りの楽曲にはついていけないようで、少しテンポがずれてしまい、そのことを自覚していて、振り返って娘に微笑みかけていた。父もまったく屈託のない笑顔で笑っていた。少年は思ったものだ。家族四人とても仲がよく、たまには落ち込んだり悩んだり悲しんだりすることがあるものの、最終的には笑いあえるのだ。多少の気恥ずかしさはあったが、絵に描いたような良い家族ではないか、と。
蕎麦にはそば粉とつなぎの小麦粉の分量によって味に違いがあらわれ、最も蕎麦の味が濃く感じるのは十割そばというそば粉のみを使った蕎麦で、一般的に提供されるそば粉が八割、小麦粉が二割の二八蕎麦よりも色合いも風味も濃くなるのだそうだ。父がそのように説明してくれた。補足として、蕎麦湯というモノがあるとのことで、蕎麦二枚を堪能したあとで試みに飲んでみたのだが、どうも少年の口には合わなかった。
食事を終えた少年家族一行は近くの『須原宿』へ向かい、車を降りて宿場町の観光をして、夕刻に父の実家に到着するように時間を調節し、ふたたび車で北を目指した。
運転席でハンドルを握るのは少年の父親で、その後部座席には妹が、カーステレオから流れてくるJ‐POPに合わせて歌声を披露していた。助手席には母親が座り、父に楽しそうに話しかけている。その後部座席に座っていた少年は、窓の外を眺めながら家族のことを考えていた。
少年から見た父親は、非常に厳格だが口やかましくはなかった。少年のやりたいと思うことを常に優先して、困ったことがあれば適切な助言を与えてくれる、とても頼りがいがあり、良き理解者のように思えていた。決して放任主義なのではなく、自主自律を旨とし、自分で考え、自分で決め、自分で行動することを背中で教えてくれているように見えていた。外でお酒を飲んで帰ってくることもなく、賭け事も一切しない真面目な為人だった。そんな父のことは嫌いではなかった。高校生になっても家族旅行になんら不服を唱えずに同行するくらいなので、好意的でないはずはなかった。
母親に関しては、まったくといっていいほど不満を抱いてはいなかった。優しく温厚で、困ったことがあれば親身になって相談に乗ってくれる、とても頼りになる存在だった。生きて生活していれば気に染まないことがまったくないことはありえないのだが、子供に接する時には常に笑顔を絶やさず、暖かく包み込んでくれる、海のように広い心の持ち主だった。そんな母のことは嫌いではなかった。高校生になっても相談する相手が母から気心の知れた友人に変わらないのは、その証左だろう。友人からは穏当ではない言葉で訝られることもあったが、頼りになるのだから仕方がない。
二つ違いの妹は、兄の欲目も関係しているかもしれないが、可愛らしい女の子に見えていた。おそらく高校、大学と年齢を重ねていけば、男どもが放っておかない美しい女性になり、彼女の周りでは、恋の鞘当てで騒がしくなることだろう。そのように考えると、兄としては嬉しくもあり誇らしくもある。今でこそ人懐っこそうな笑顔を少年に向けてくるのだが、それもあと数年のことかもしれないと想像すると、一抹の寂しさを感じてしまう。そんな妹のことは嫌いではなかった。嫌う理由はまったくといっていいほどなく、いつまでも仲の良い兄妹でありたいと、本心から思っていた。
妹が歌っているJ‐POPグループはなんという名前だっただろうか、少年はぼんやりと外を眺めながら考えていた。少年の守備範囲はロックバンドに偏っているために、どうにも思い出せなかった。気持ち良さそうに美声を発しているのを遮るのは野暮というものなので、もうしばらく歌声を聞いておこうと足を組み替えた。
母は慣れない手拍子を打っているが、この年代の流行りの楽曲にはついていけないようで、少しテンポがずれてしまい、そのことを自覚していて、振り返って娘に微笑みかけていた。父もまったく屈託のない笑顔で笑っていた。少年は思ったものだ。家族四人とても仲がよく、たまには落ち込んだり悩んだり悲しんだりすることがあるものの、最終的には笑いあえるのだ。多少の気恥ずかしさはあったが、絵に描いたような良い家族ではないか、と。
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