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After.花図鑑

Aft4.日陰菫

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 緑の国エリテバラントの首都。
 エルフを始めとした多種族が共に暮らし、中央政府の本部がある綺羅びやかなる王都。

 王都という場所は非常に美しいところだった。
 古のエルフは王都を、世界中の美と楽しみを集約させた永遠の楽園であると評した。

 建ち並ぶ見事な屋敷、黄金色の塔、通りを囲うようにして丁寧に植えられた花々。複雑かつ麗しいエルフ様式の装飾を施した街灯や石畳、そして数多のエルフが魔力を注ぎ込んで育て上げた桜の大樹。春になればその大樹からは桜の雨が降り落ちて、王都を桃色に染め上げていく。

 この緑の国が一番美しく、一番豊かで優れた国なのだと。
 その中心である王都で手に入らないものがあってはならないのだと。
 エルフの王族貴族たち――パルナパ家を始めとする豊かな者は、誇りと自らの権威、愛国心を示すために、挙って世界中からあらゆるものを蒐集しようとした。

 緑の国の王都には世界各地から様々なものが集められる。
 それは美術品であったり、高価なワインや食物などであったりしたが、植物もまたパルナパ家の蒐集の対象であった。

 エリテバラント国立大植物園。
 ヴィオラはそこで植物の世話をする職員として働いていた。

 王都中心部にあるその大植物園には、パルナパ家が世界中から集めた様々な植物が展示されている。
 極彩色の花々、珍しい熱帯の木、高山にしか生えない草、真っ赤な綿毛をつけるパルシファーまで、植物園には異なる環境下で育つ植物たちが、不思議な魔法の力によって共に植わっていた。

 白い大理石造りの天井を見上げ、ヴィオラはその美しさに深い息を吐いた。
 つる薔薇が這うドームの中心には丸く切り取られた青空が見え、そこから射す陽の光が極彩色の花々に柔らかく落ちていく。薔薇の花びらの雨は光の粒子となって、辺りに育つ植物に魔力という糧を与えている。

 色とりどりの花と温かな光に満ちた植物園は、まるで楽園のようだった。

「いい香りね」

 ヴィオラは清らかな声で呟いた。
 彼女がいる植物園の一画は、南国に咲く色鮮やかな花々の、甘く噎せ返るような芳香に満ちている。ヴィオラは植物の手入れをしながら存分にその香気を楽しんだ後、また別の区画へと向かおうとした。

「待ちなさい、リローラン」

 冷たさを感じさせるような風が吹いた後、ヴィオラの前にひとりのエルフが姿を現した。
 男の長い髪が魔法の風にさらさらと揺れる。エルフの男は美しい白銀の髪を靡かせながら、ヴィオラを真っ直ぐに見つめた。

「……ディステル様」

「あなた、手を切っているでしょう」

 男はヴィオラに近づき素早く彼女の手を取った。ヴィオラは頬を染め、自分の手を握る美貌のエルフを見上げた。背の高いエルフの男――ディステルはヴィオラの白い手についた傷を見た後、速やかに治癒魔法を施した。春の陽のような温かさが手から全身へと巡っていく。ヴィオラはその心地よさにうっとりと微笑んだ。

「ありがとうございます、ディステル様」

 ディステルの銀縁の眼鏡が、陽光を受けてきらりと光る。
 彼はヴィオラの顔をじっと見下ろしながら、淡々とヴィオラに注意をした。

「リローラン。あなたはこの大植物園で働く職員としての自覚が足りない。血を酷く嫌う植物もあると知っているでしょうに。あなたの血のせいで枯れる植物があったらどうするつもりです? 傷がついたままの手で世話を続けようとするなど以ての外。もっと自分の手に気を配りなさい」

「は、はい」

 ヴィオラの白い手を撫でたり、ゆっくりと指でなぞりあげたりしながら、ディステルは静かな声で続けた。

「あなたは魔力がない。私のように自力で傷を治すこともできない。あなたの手に傷がつくと植物の世話が滞るのですよ? 魔法を使えないなら使えないなりに考えて行動しなさい。棘のある植物を扱う際は充分注意するように」

「……はい。申し訳ありませんでした」

 ヴィオラは深く頭を下げた後、剪定道具が入った籠を抱えてその場を去ろうとした。だがその籠をディステルにさっと取り上げられ、困惑の視線を彼に向けた。

「あの、ディステル様?」

「ドワーフの血を引く者でもあるのに全く力もない。華奢なあなたに持たせていては非効率です。来なさい、この籠は私が持ちます」

 ディステルは戸惑うヴィオラを一瞥し、足早に歩き始めた。


 ――――――――――


 ヴィオラ=リローラン。
 ダークエルフの父ゼルドリックと、ハーフドワーフの母リアの間に生まれた、五人の子の四番目。

 ヴィオラは兄や姉、弟とは異なり、リア譲りの白い肌を持って生まれてきた。彼女が持つ色彩は淡く、ほんのりと色づいたすみれの花のような薄紫色の髪と、ラリマーのような水色の瞳が特徴的な子供だった。

 ヴィオラはリアの面影を残した非常に可愛らしい顔立ちをしており、ゼルドリックは将来ヴィオラがどんなに美しい女性に育つのだろうかと楽しみにしていた。

 ヴィオラは父譲りの長い耳と、母譲りの低い背を持って生まれてきたが、彼女は父から魔力を受け継ぐことも、母から膂力を受け継ぐこともなかった。

 特別な力を持たないヴィオラだったが、彼女は決して自分に劣等感を抱くことはなかった。両親や親切なエルフたちが、他の子供たちと分け隔てなく愛情を注いでくれる。たくさんの愛を受け取ったヴィオラは、ごく素直な少女に育っていった。

 すこし内気で、料理や植物を好むヴィオラは、自分の家に時折顔を出す穏やかなハーフエルフの男――レント=オルフィアンのことがお気に入りだった。
 レントはメルローやオリヴァーと共にはずれの村にやってきては、王都で手に入れてきたワインや菓子などをリアに手渡した。

「ふう……重かった。はい、リアさん。こちらをどうぞ! 多めに買っておきましたからね」

「わああ、十個も! レントさん、どうもありがとうございます!」

 王都でしか手に入らないお気に入りのホールチーズを受け取り、リアはレントに満面の笑みを向けた。するとリアの笑顔を隠すように、ゼルドリックが素早くレントの前に立った。

「おいレント、リアの笑顔を見るな。目を瞑れ! お前の目にリアの笑顔が映るのは気に入らぬ!」

「……ゼルドリック様、まだ僕に嫉妬しているのですか?」

「当たり前だろう! リアの可愛い笑顔を見る男は俺だけでいい! 特にリアと歳の近いお前は油断ならない! もっと後ろに下がれ、リアから離れろ!」

 顔をしかめるゼルドリックを見て、レントはゆっくりと首を横に振った。

「はあ……ゼルドリック様、あなたは歳相応の余裕と落ち着きを持ってください。その調子ではまたリアさんに嫌がられますよ」

「何だと!?」

「リアさんと契りを交わしたというのに全く情けない。……リアさん、あなたも大変ですね」

 レントは苦笑いをし、五人の子供たちに集まるよう声を掛けた。待ちかねていた子供たちが一斉にレントの傍に集まる。彼はひとりひとりの子供に丁寧な挨拶をした後、机の上に手料理やジュース、王都で買ってきた菓子を並べた。

 子供たちはいつもレントが訪ねてくる日を心待ちにしていた。料理上手な彼が作ったキッシュやゼリーはとても美味しく、リリーやウィロー、イリスは目を輝かせてそれらに手をつけた。

 だがヴィオラだけは、レントが持ってくる茶葉の方に興味津々だった。彼はあらゆるハーブを合わせて、香り豊かな茶を子供たちに振る舞った。

「これ、美味しい」

 ヴィオラがハーブティーを飲んでそう呟くと、レントは嬉しそうに微笑んだ。

「そうでしょう! 今日はレモングラスとミント、そしてベルガモットで作ってみました。ヴィオラはいつも僕が淹れた茶を褒めてくれますね」

 レントの綺羅びやかな笑みを見て、ヴィオラは照れたようにはにかんだ。

「レントお兄さん、私もハーブティーを淹れてみたい。作り方を教えてもらえる?」

「ええ、もちろん! それではこの後、僕と一緒に林へ行きましょうか。野生のハーブの探し方から教えますね」

 ヴィオラはレントと共に林を巡り、茶を淹れるのに向く香草を集めた。田舎育ちのレントは野の植物について豊富な知識があり、ヴィオラは彼との交流から少しずつそれを学んでいった。

 レントは野菜を育てるのも得意だった。ヴィオラは土の耕し方から作物の育て方、そして収穫したものを使った料理の作り方まで、彼から丁寧な指導を受けた。ヴィオラが趣味で楽しんでいたささやかな家庭菜園は、やがて立派なものへと変わっていった。

 ヴィオラはいつもレントと行動を共にした。ヴィオラは優しく穏やかで、自分と趣味の合う彼のことが大好きだった。レントが家を訪ねてくる度に指導を乞い、別れるときは涙ながらに見送った。

「私ね、レントお兄さんのことが好き! 将来はお兄さんみたいな王子様と結婚したいなあ……」

 顔を赤らめながら笑うヴィオラを見て、ゼルドリックはさっと険しい顔をレントに向けた。
 じりじりと焼け付くような強烈な視線がレントに注がれる。レントはダークエルフの恐ろしげな視線から逃れるように勢い良く身体を背けた。

(はは……。ヴィオラと結婚なんてしたら、僕は今度こそゼルドリック様に殺される)

「レント、分かってるだろうな? 俺の可愛い可愛いヴィオラに手なんて出したら……」

「ああもう、出す訳ないでしょう! ゼルドリック様、あなたは少し落ち着いてください!」

(全く、幼い子供の話を真に受けることはないだろうに。ゼルドリック様はすぐむきになるんだから!)

「レント! 俺からヴィオラを奪ったら許さんぞ!」

「はいはい……」

 レントはごく面倒くさそうに頷いた。

(ヴィオラ、あなたと将来結婚する男は大変ですね。あの面倒くさいダークエルフと戦わなくちゃいけない。リアさんによく似た娘を奪われるかもしれないと思うと気が気じゃないんだろうな……)

 ヴィオラの淡い紫色の髪を優しく撫でながら、レントはそっと苦笑いをした。





 ヴィオラはある日、両親にずっと気になっていたことを尋ねた。

「ねえ、お父さんはどうしてお母さんと結婚しようと思ったの? 純血のエルフが他種族と番うのは良い顔をされないのでしょう?」

 娘の問いに、ゼルドリックは微笑みながら頷いた。

「そうだな。周りからあれこれ言われることもあった。だが俺は、エルフの恥晒しと言われようがどうでも良かった。リアと契ることしか考えられなかったのだ。リアのことを……心の底から愛しているから」

「……まあ」

 父の深みのある声で紡がれた熱烈な愛の言葉に、ヴィオラは目を輝かせた。

 ゼルドリックは隣に座るリアの手を握り、妻の顔を真っ直ぐに見つめた。

「リアがハーフドワーフでも何でも関係ない。種族の差などどうでもいい。周りが何を言おうとも、俺にはリアしかいない。リアはたった一人の姫君だから……」

「ゼ、ゼル……」

 リアはぽっと顔を赤らめた。

「私もよ、私もあなたを心から愛しているわ。種族の差も周りの目も関係ない。あなたの隣こそ私の居場所よ。ゼル、私だけの王子様……」

「リア……ああ、愛しいリア……」

 ゼルドリックとリアは目を潤ませながら見つめ合った。

(……何だか邪魔しない方が良さそう)

 両親から漂う雰囲気に妖しげなものを感じ取ったヴィオラは、二人の傍をそっと離れた。

(ふふっ……素敵だなあ。お父さんは種族の差や周りの目なんてどうでもいいと言ってしまえるほどに、お母さんを深く愛しているんだね)

(私もお母さんみたいに、自分を真っ直ぐに愛してくれる「王子様」を見つけられたらいいなあ)

(いつか私も、誰かの「姫君」になれるかしら……?)

 仲睦まじい両親の姿は、ヴィオラの中に強い憧れとして刻まれた。




 ヴィオラが一人の美しい女性となった後も、レントとの交流は続いていた。

 幼い頃にレントへと抱いた可愛らしい憧れは尊敬へと形を変え、ヴィオラはレントを歳の離れた兄のような存在として慕った。彼が家を訪れる度、ヴィオラは嬉々としてレントに自分の畑を見せた。

「レントお兄さん。どう? 私の畑は!」

「……ほう」

 レントはヴィオラの畑を見渡し感心の息を吐いた。

 ヴィオラの畑には色鮮やかな花々がぎっしりと植わっている。
 いずれも葉や花びらの先まで瑞々しい潤いがあって、萎れた花はひとつも見当たらなかった。

 姉のリリーに似て勉強熱心なヴィオラは、図書室にある花の育て方や植物学の本を読み漁り、得た知識を積極的に役立てようとした。彼女の経験と知識に基づいた手入れにより、彼女の畑に植わった花々は、長く美しく咲き続けていた。

「すごいですよ、ヴィオラ……! まるで花畑のようじゃないですか! あなたは本当に植物を育てるのが上手いですね」

「うふふっ、本当に?」

「ええ。ひとつひとつの花が本来の美しさを発揮している。この花たちもヴィオラに育てられて幸せでしょうね」

 レントの称賛に、ヴィオラは可愛らしく顔を綻ばせた。

「ねえ、レントお兄さん。イリス姉さんがもうすぐ王都へと向かうのですって。私も姉さんについていこうと思うの。王都で植物学を学んで、ゆくゆくは国立大植物園で働いてみたいわ。私の手で色々な植物を育てられたら、きっと楽しいだろうなあ……」

「はははっ……そうですね、植物園はヴィオラにとって宝物庫でしょう。国立大植物園には、パルナパ家が蒐集した世界中の植物があると聞きます。パルシファーから高山でしか育たぬ植物、月からやってきたという伝説の花、そして異国の珍しい果物までが、不思議な古代の魔法によって共に植わっているとか……」

「わあ……」

 ヴィオラは水色の瞳を期待に輝かせた。レントは彼女の薄紫色の髪を撫で、綺羅びやかな笑みを浮かべた。

「ヴィオラ。オリヴァー様があなたに部屋を貸してくださるそうですよ、イリスとセージも一緒にね。王都は治安の悪い所もありますが、オリヴァー様の屋敷に住むなら僕も安心です」

「オリヴァー様が? 本当に!? 彼は魔法の大樹に住みながら色々な植物を育てているのでしょう? そんな素晴らしい家に住みながら王都の大学に通えるなんて! ああ、本当に楽しみだわ……!」

 顔を紅潮させるヴィオラをレントは微笑ましく見つめていたが、ふと何かを思い出したように顔を強張らせた。

「あ、そうだ。これだけは絶対に言っておかなければ!」

「……? どうしたの?」

「いいですかヴィオラ。オリヴァー様は全く家事が出来ません。部屋も散らかしっぱなしですし、特に……特に料理の腕は壊滅的です。僕の同期がオリヴァー様の料理を食べて死にかけたことがあるんです! 自分の胃腸を痛めたくなければ、決して彼の作った料理には手をつけないように! いいですね? 口に入れては駄目ですよ? 絶対ですよ!」

「え? う、うん……分かったわ」

 強く念押しするレントに、ヴィオラは戸惑いつつもこくりと頷いた。




 それからヴィオラは、姉のイリス、弟のセージと共にオリヴァーの屋敷に住み始めた。

 オリヴァーの家はまるで森のようだった。繁茂する様々な植物が、彼の家を外からすっかり隠している。緑豊かな庭の突き当たりには大樹があって、そしてその大樹こそが彼の屋敷だった。

 オリヴァーは魔法の大樹の中に住んでいた。植物操作魔法に優れる自分はたったひとつの種からこの家を創り出したのだと、オリヴァーは三人の子たちの前で得意げに話した。
 やたらに大きな声で紡がれる長い自慢話にイリスとセージはうんざりしていたが、ヴィオラは目を輝かせながらオリヴァーの話に耳を傾けた。

 植物に溢れたオリヴァーの家はヴィオラにとって心地良いものだった。彼の家と王都の大学を行き来しながら、ヴィオラは存分に植物学を学んだ。勉強熱心な彼女は柔らかな土が水を吸い込むように、植物に関する膨大な知識を素早く身に着けていった。

 王都での生活は順調だったが、一点困ったことがあった。
 それは家主オリヴァーの生活能力だった。

 オリヴァーは真面目で面倒見が良くとても親切なエルフだったが、レントの言う通り家事が全くできない男で、屋敷中を酷く散らかしては三人の子に呆れられた。

 特に料理の腕は壊滅的で、有毒煙を立ち上らせる「何か」を食事として出された際、ヴィオラはイリス、セージと共に一切の家事を引き受けることに決めた。
 料理上手なヴィオラだったが、その腕はオリヴァーとの生活によってさらに磨かれた。

 忙しくも充実した生活を送りつつ、ヴィオラは六年ほどかけて王都の大学を卒業した。
 そしてオリヴァーの紹介のもと、彼女は憧れだったエリテバラント国立大植物園の職員として働くことになった。




 ディステルとヴィオラ。
 二人の出逢いは友好的なものではなかった。

「ふうん、ヴィオラ=リローランね……」

 嘲りと呆れが含まれた声が落ちる。ヴィオラは緊張から胸の前で手を握りしめた。

 ヴィオラの目の前には美貌の男が座っている。白銀の髪と瞳を持つ、銀狼を思わせるエルフの男。
 男が動く度に、高い位置でひとつに結わえられた髪が美しく光を放った。

 中央政府の黒い制服をきっちりと着こなしたエルフの男は、白銀の髪を気怠げに指に絡ませつつ、ヴィオラの頭からつま先までを検分するように見つめた。

「オリヴァー様の紹介だというから、どんなに有能な者がやってくるかと期待していたのですが。やってきたのは出来損ないの混ざり血ですか。全く、オリヴァー様も困った人だ。こんな者を寄越してはこの大植物園の評判も、己の評判も落とすだけだというのに……」

 大植物園の管理者であるエルフの男――ディステル=オルフィアン。
 彼は緊張に強張るヴィオラの顔をじっと見据え、そう溢した。

 ディステルがかける銀縁の眼鏡がきらりと光る。
 白銀の目が、ヴィオラの怯えを見透かすように細められた。

「お前、ハーフエルフらしいですが全く魔力を持たないそうですね? おまけにドワーフの血を引いているくせに力もないと」

 ヴィオラの細腕を見遣り、ディステルはわざとらしく溜息を吐いた。

「魔力は持たない。力仕事も期待できそうにない。困りましたね。一体お前に何が出来るのです? 魔力なしに、どうやって特殊な植物を育てるつもりで?」

 ヴィオラは息を吸い、彼の白銀の瞳を真っ直ぐに見つめながら力強く答えた。

「私は王都の大学で植物学を修めました。植物を育てるのは得意です。魔力がなくたって、どんな植物でも育て上げてみせます!」

「はっ……。植物を育てるのは得意か。笑わせる、家庭菜園か何かの話ですか?」

 ディステルは鼻で笑った。

「いいですか、混ざり血の女。お前が今まで植木鉢や畑で育ててきた雑草と、ここの植物は全く性質が異なるのですよ。異なる環境下で育つ植物を共に展示するために、数多のエルフが細心の注意を払いながら魔力を注ぎ込んでいる。魔力を持たぬお前がこの植物園で働けるとは思えない」

「…………」

「ここはパルナパ家が管轄する大植物園。世界中の植物を集めた楽園でなければならないのです。この国立大植物園には、緑の国エリテバラントの威信が掛かっているのですよ。役立たずの混ざり血を雇ったことで、貴重な植物を傷めることがあったら堪らない。去りなさい。ここにお前の居場所はない」

 ディステルはそう言い捨て椅子から立ち上がろうとしたが、ヴィオラは必死に彼を引き止めた。

「ま、待ってください! 役立たずかどうかは私の働きを見てから決めてください! 雑用でも何でもやります! この植物園で働くことが私の夢だったんです! ですからどうかここに置いてください……! お願いします!」

 ヴィオラは頭を下げながら懇願し続けた。ディステルは彼女を鬱陶しそうに見ていたが、やがて根負けしたように息を吐いた。

「……失敗したら許しませんよ。混ざり血が」

 安心したように顔を上げるヴィオラを一瞥し、ディステルはその場から立ち去った。




 ヴィオラは一生懸命働いた。
 農薬や剪定道具の入った重い籠を持ちながら広大な植物園を歩き回るのは、華奢で非力なヴィオラにとっては大変なことだった。

 だがヴィオラは、決して嫌になることはなかった。憧れ続けたエリテバラント大植物園で働くことが、見たこともない植物に触れることが楽しくて仕方なかった。

 パルシファー、異国の果樹、曲がりくねった根を持つ魔法の大木に、世界に数輪しかない花。どんな植物でも、ヴィオラは身に着けた豊富な知識を以て立派に世話をしてみせた。彼女が手入れをした植物たちは、魔力なしでも活き活きとした本来の美しさを発揮した。

 そうして、ヴィオラが植物園で働き始めてからあっという間に数年が経った。

 ヴィオラの実力と誠実な態度に己の認識を改めたのか、ディステルはヴィオラを「混ざり血」「役立たず」と罵ることはしなくなり、彼女の呼び方もいつの間にか「お前」から「あなた」へと変わった。
 ディステルは相変わらず冷たさのある言葉を吐きながらも、ヴィオラを気遣うような素振りを見せた。

「痛っ! ああ、また怪我しちゃった……」

 ヴィオラは棘が深く刺さった指を見て、困ったように息を吐いた。

(私は本当に間抜けだなあ。……ディステル様に怒られる)

 指からは赤い雫が滴り落ちようとしている。ヴィオラは急いでポケットから布を取り出し、傷口を強く抑えた。

「リローラン」

 ふと冷たい風が吹く。
 ヴィオラが振り返ると、そこには険しい顔をしたディステルが立っていた。

「あなた、また手を怪我しましたね? 棘には気をつけなさいとあれだけ言ったのに……」

「す、すみませんっ……! でも浅い傷ですからすぐに血は止まります! ですからお気になさらず! それでは……」

 ヴィオラは後ずさりその場を立ち去ろうとしたが、腕をディステルに掴まれた。

「逃げるな。下らない遠慮もしないようにとこの前言ったばかりでしょう」

 指についた傷が、ディステルの治癒魔法によってあっという間に塞がる。ヴィオラの滑らかな指を何度も摩りながら、ディステルは彼女の水色の瞳をじっと見つめた。美貌の男に顔を覗き込まれ、ヴィオラは顔を赤くした。

「あ……ディステル様、ありがとうございます」

「はあ……。あなたは本当によく怪我しますね。間抜けなリローラン、私は毎日あなたに治療を施している」

「……すみません」

「いつも言っているでしょうに。植物だけではなく自分にもしっかり気を配りなさいと。私の手を煩わせたくなければ、もう傷は作らないように」

「……はい」

 ヴィオラの白い手首から指先までをゆっくりとひと撫でした後、ディステルはそっと手を離した。

「……まあ、明日も間抜けなあなたの手を治す羽目になるのでしょうけど」

 頭を下げるヴィオラを一瞥し、ディステルはその場から転移した。

「間抜けか。……事実よね」

(……ディステル様は未だに冷たい言い方をするけれど。それでも……私を気遣ってくれているのを感じる。間抜けだと言いつつも、毎日私を傷を治してくれる……)

 彼の温度が残る手を摩り、ヴィオラはそっと微笑んだ。

(彼は優しい人だと思う。それにとても……格好いいわよね。まるで雪の国から来た王子様みたいな……)

 銀縁の眼鏡。切れ長の白銀の目。そして高い位置で結わえられた真っ直ぐな長い髪。
 すらりとした体型、長身、落ち着いた美しい声。

 それらを思い浮かべ、ヴィオラは自分の胸が高鳴るのを感じた。

(……ディステル様は素敵だなあ)

 ヴィオラは、自分とディステルが両親のように仲睦まじく過ごしている想像をした。
 それはヴィオラの心を高揚させたが、彼女はすぐに眉を下げた。

(こんな想像をしては駄目だよね。私が辛くなるだけ……)

 純血のエルフが、同じ純血のエルフ以外と番うのは良い顔をされない。
 特に混ざり血であり罪人の子である自分は、あの王子の隣には立てない。
 これは決して叶わぬ夢なのだ。

(あーあ……。最初はただの冷たいエルフだと思っていたのに。私はレントお兄さんみたいな穏やかな人が好きなのに。なのにどうして……。いつからディステル様のことを好きになってしまったんだろう?)

 ヴィオラは哀しく微笑み、また植物の手入れに取り掛かり始めた。

(格好いいから? 毎日治療してくれるから? 馬鹿だなあ、それでディステル様を好きになってしまったの? 私は単純ね。……諦めなきゃ自分が苦しいだけなのに)

 報われないと解っていても、ヴィオラはディステルへの淡い恋心を捨てきれないでいた。
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