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Extra.糸の魔術師

Ex5.糸で縛り付ける ★

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 月明かりの綺麗な夜だった。
 リアは眼下の光景に目を細め、蠱惑的に微笑んだ。

 窓から差し込む仄かな月光に照らされて、ゼルドリックの黒い肌に滑らかな輝きが灯る。潤む青い貴石のような瞳、さらさらとした黒い髪。リアは心の底から夫の姿を美しいと思った。

 眉間を少し寄せたような鋭い目線と野性的な顔つきが彼の特徴であるのに、ゼルドリックは快楽に沈み、蕩けきった顔を己に晒している。下がる眉、赤く染まった目元。強さを失い、弱々しくなぶられるばかりのこの男をなお支配したいという欲望が、リアの心に強く湧き上がる。

「ぐ、うっ……うあああっ……り、あ……リア……!」

「ふうっ、ふ、んんっ……あっ……ふ、ふふっ……! 気持ちよさそうね、ゼル……?」

「ふあっ、あ、ああっ……つっ……慎みが、ないぞ……!」

「あははっ、慎み? 面白いことを言うのね……」

 私から慎みを奪ったのはあなたでしょうと囁けば、ゼルドリックは顔を紅潮させ、長い睫毛を快楽から来る雫で濡らした。内に迎えた屹立が僅かに震えたのを感じ、リアは込み上げる愛おしさに笑い声を上げた。

 ゼルドリックはリアの魔力の糸によって、全身の自由を奪われていた。腕と腹は寝台に固定され、足は大きく開かれている。リアは彼の身体の上に跨り、剛直を飲み込んだまま白く美しい裸体を揺らした。彼の情欲を煽るように喘ぎ、わざと豊かな双丘を揺らすように腰を動かす。ゼルドリックは潤んだ瞳で、淫らな妻の姿を見上げた。

「はっ、はあっ……んっ、んんっ……いい、いいわ、ゼル……この感覚、本当にっ、久しぶりっ!」

「ああっ、う、うっ……リア……リア! お願いだ、これ、解いてくれ……!」

 身を捩っても決して解けない魔力の糸に、ゼルドリックの目縁から涙が流れる。まるで彼の姿は蜘蛛の巣に捕まった蝶のように哀れだと、リアは頬を濡らす夫の顔をうっとりと見た。

「触れたいんだ、君に……! 俺だってずっと君に触れたかった! もう我慢、できなっ……」

「ふふ、ゼル……可愛いわ。でももう少し耐えてね? 私、まだあなたを味わってたいの……!」

 リアが咥え込んだ陰茎にぐりぐりと刺激を与えるように腰を動かせば、ゼルドリックは息を呑んだ後身体をぶるりと震わせ、絶頂を迎えた。

「っ、う、うあああっ……!」

「ふ、ああああっ……ふ、ふふっ……あつ、い……!」

 リアは最奥でゼルドリックの子種を飲み込んだ。乾いた身体の奥が潤う。彼のもとへ戻るまでに感じていた焦燥感や孤独感が和らいでいく。触れ合うところから伝わる熱に、リアもまた赤い瞳を潤ませ、歓喜の涙を一筋流した。

「好き。好きよ……ゼル……」

「リア……リア、君は……」

「ずっとあなたに触れたかったの……寂しかったの……。あなたの隣こそ、私の居場所だって強く強く実感したわ。今、こうして傍にいられてとっても幸せよ……」

 ゼルドリックは己の胸に宿ったばかりの赤い薔薇から、リアが抱えてきた感情を吸い上げた。

「君は……ずっとこんな想いを抱えて、一人で頑張ってきたのか……?」

 不和と不信に苦しみ、血の滲むような苦しい思いをしながら生き延びた妻に、ゼルドリックは手を伸ばそうとした。だがリアの魔力の糸がそれを阻み、寝台へと縫い付ける。

「ぐっ……リア……君に、触れたいっ……」

「優しいゼル。寂しい思いをした分、後でたくさん頭を撫でてもらいたいけれど……今はまだだめよ。……ねえ、まだ頑張れるでしょ?」

「あっ、ううっ……リア、どうし、てっ……?」

 腰を動かし始めたリアに、ゼルドリックは悲痛が入り混じった声を上げた。リアを抱きしめたくて堪らない。揺れる双丘に手を伸ばし、白い肌を味わいたい。ゼルドリックは妻が与えてくる快楽ともどかしさに喉を震わせた。

「はっ、は、ああっ……! ふふっ、意地悪したいのよ、あなたに……! 悔しかったのよ、握手で見破られたのがっ! 一回くらい、あなたの間抜け面をっ、見てみたかったの……!」

「間抜け、面だって……? 馬鹿言えっ! 気配の消し方からっ、握手まで……隠す気がないのかと思ったぞ……!」

 ゼルドリックは快楽に息を詰まらせながらも、リアを見上げてにやりと笑った。口の片端だけを曲げる特徴的な笑い方。目を潤ませながらも自分を真っ直ぐに見上げるゼルドリックの顔に、リアはぞくぞくと背が震えるのを感じた。

「あははっ……まだ虐められたいみたいね?」

「う、あっ!」

 リアが顔を近づけて滑らかな顎の線から黒く長い耳にまでねっとりと舌を這わせてやれば、ゼルドリックは顔をなお赤くして身を捩らせた。耳の形を確かめるように舐め、穴に舌を挿し込む。そしてわざと水音と色を多分に含んだ吐息を注げば、ゼルドリックは小さく喘ぎを漏らした。

「はっ、は、はあっ! やめ……てくれ! エルフ、の耳はっ……ん、敏感なんだぞ……!」

「知ってる。よーく知っているわ、ゼル。だからしているのよ」

 敏感な耳を優しく噛んでやれば、唇の中でひくひくと黒い耳が震えた。その震えを愛おしく思いながらリアはゼルドリックの両頬に手を添え、ちろちろと柔らかな舌を耳に這わせながら、噛み締めた唇から漏れ出る夫の声を愉しんだ。

「ね、噛んじゃだめ。あなたの声を聴かせて……」

「ふうっ、あ……だ、め……だ、こえ、出てしまうからっ……」

「出して?」

「うっ、あああっ……」

 ゼルドリックの敏感な耳を舐りつつ、リアはかりかりとゼルドリックの乳首を優しく爪で引っ掻いた。すっかり肉が落ちてしまった肩や腕に手を這わせる。以前よりずっと細くなってしまっても己の王子には変わりない。リアもまた、ゼルドリックがどんな姿になっても自分は彼を愛するのだろうと思った。

(私を想ってこんなに痩せてしまったことが哀しい。私を想ってこんなに痩せてしまったことが嬉しい)

 胸に宿す青い薔薇から、ゼルドリックの歓喜と安堵が伝わってくる。それに応えるように、リアもまた胸に愛の炎を燃やす。赤い契りの薔薇を伝って、ゼルドリックの魂へとそれを届けるように、強く強く彼を想う。

(好きよ、好き……愛しているわ、私の王子様……)

「リア、リア……!」

 ゼルドリックの顔がリアの方に向けられる。涙に潤む青い目を細め、ゼルドリックは妻の桃色の唇を優しく塞いだ。

(ゼル……)

 キスをする時は目を閉じるなとゼルドリックに教え込まれた記憶が蘇る。リアは細められた青の目を恍惚とした視線で捉え返した。リアがゼルドリックの手を握ればしっかりとした力で握り返される。もう、決して放さないというように。

 契りの薔薇から伝わる感情に溺れながら身体を重ねること、それは至上の快楽だった。安堵、歓喜、幸福が流れ込む。互いの存在が互いの支えであり、救いになる。運命と奇跡。二人は幸福の海に揺蕩い、穏やかに笑みを浮かべた。

「ふ、んんんっ!?」

 リアは大きく目を見開いた。ゼルドリックの舌が深く腔内に入り込み、逃げようとするリアの舌を絡め取る。歯列をなぞられ、敏感な上顎をじっくりとなぞられ、リアは忽ち涙を溢れさせた。

 リアの小さな手がぐっと握り込まれ、強さのある青い目が向けられる。猛禽類を思わせる鋭い瞳。唾液を啜られ、飲まされ、リアは快感から魔法を解いてしまった。

「はっ、んふっ、う、あああっ……や、んむっ……」

「んんっ、り、あっ……リア……!」

 ゼルドリックの腕が伸ばされ、リアは黒い腕に力強く抱き締められた。後頭部に大きな手が添えられ、なお深く腔内に舌が入り込んでくる。柔らかな舌に熱烈な刺激を与えた後、ゼルドリックは満足そうな顔でリアから離れた。

「形勢逆転だな? 姫君」

「は、はあっ、ず、ずるいわ……ゼル……」

「まだ甘いということだ、くくっ……生まれ変わっても、快楽に弱すぎるのには変わりないな」

 荒い息を吐くリアの頭を撫でながら、ゼルドリックは蕩けるような微笑みを浮かべた。

「可愛い可愛いリア……俺が、たっぷりと気持ちよくしてやるからな……」

「あっ、や、待って! まだ私がっ……!」

「それはまた今度……。後で君に攻めさせてやるから、だから今は触れさせてくれ……もう、限界なんだ」

 リアの身体が持ち上げられ優しく横たえられる。そしてその上にゼルドリックが伸し掛かってくる。

「好きだ。大好きだ、リア」

 真っ直ぐな告白がリアの胸を震わせる。リアは仕方ないとばかりに微笑んだ後、ゆっくりと目を閉じてゼルドリックを受け入れた。額から敏感な耳、首筋、胸まで丹念にキスが落とされる。

「ふ、あっ……」

 リアの胸の頂きがそっと口に含まれる。ごく優しく噛まれ、吸われ、リアは官能の息を漏らした。夫の黒い髪を梳けば、ゼルドリックは嬉しそうに目元を緩ませた。

「ふっ……やあっ、ゼル! あ、ああっ……ふ、うぅ……!」

 赤く熱い舌でじっくりと尖りを舐め回される。緩やかだが決して逃げられない快楽が蓄積されていく。

「あああっ……ん、んんっ……ふ、ううっ、ぜるぅ……」

「ん、ちゅっ……んっ……く、くくっ……リア、気持ちいいな……?」

「うん、うん……!」

 喜色を顔に浮かべ素直に頷くリアに、ゼルドリックは顔を緩ませた。

「リア……可愛いな……」

 彼の丁寧な愛撫は長く続く。リアは身体の奥に積み重なっていく快楽ともどかしさに身を捩り、ゼルドリックの逞しい胸に甘えるようにすり寄った。

「は、あっ……おうじ、さま……私の、王子様……」

「リア……」

「疼くの、私のうつろが……ねえ、早く埋めて……?」

 月明かりに、ぼんやりとリアの身体が照らされる。薔薇の花が咲くように、赤く長い髪が寝台に広がる。ゼルドリックは目の前の温かさに涙を溢れさせた。焦がれ続けた姫君の存在が、何よりも尊く、何よりも奇跡に思えた。

(女神に感謝を)

 ゼルドリックはリアの手を優しく握った。柔らかく温かい手。かつてそうしたように掌を指でなぞりあげれば、リアはきゅっとその指を握り込み、笑みを向けた。ゼルドリックが宝物とする、陽だまりのような姫君の笑み。ゼルドリックは胸が一杯になる心地だった。リアの泥濘にそっと陰茎を突き立てる。

「リア、リアっ……」

「ふ、あああああああああっ……」

 ゼルドリックの男根がリアの内に入り込む。リアは満ち足りた吐息を漏らし、蕩けた顔で王子を求めた。ゼルドリックはその求めに応え腰を大きく動かした。弱いところを執拗に擦られ、リアはゼルドリックにしがみつき大きな声を上げた。

「ふっ、あああっ、あああああああ! ふ、ううっ、ゼル、ゼル、ゼル……!」

「ふっ、くうっ、リア、リア……はあっ……気持ち、いいっ……」

「あ、ああっ、はあっ……あ、やああああっ……ふ、ううっ……つよ、い……ゼル……!」

「はあっ、リア……ごめんな? 我慢、できないんだ……!」

 ゼルドリックは腰の動きを速めた。肉のぶつかり合う音が響き、結合部からは粘り気のある水音がした。最奥を柔らかくも執拗に突かれる。煮込まれ蕩けきった身体に、快楽の杭が打ち込まれる。

「はあ、あ、あっ……や、ああああああああっ……!」

「ああっ……リア、リア……!」

 リアは強烈な絶頂を迎えた。深いところから幸せと快楽が迫り上がる。潤む瞳でゼルドリックの顔を見つめれば、彼は甘い微笑みをリアに返した。何度も触れるだけの口付けを交わし、二人は寝台に深く身体を沈み込ませた。

「……幸せだ、リア」

 ゼルドリックはリアの顔を見ながらそう呟いた。

「君が本当に戻ってきてくれた。しかも契りの薔薇まで創って。君はこんなに、俺を愛してくれているのだな」

 ゼルドリックは黒い胸に手をあて、深く息を吐いた。

「ふふっ……私の魂。そして百年以上紡ぎ続けた恋情の結晶。ずっとずっと、その胸の中で大切にしてね」

「ああ、もちろん。俺の宝物がまたひとつ増えた」

 リアは微笑みながら、気遣わしげにゼルドリックの細くなった腕を撫でた。

「あなた……すっかり痩せてしまったわね」

「ああ。君を喪ってから、どうしても食欲が湧かなくてな。長の仕事をやり始めてから身体を動かす機会も少なくて、こうなってしまった」

「……寂しい思いをさせてごめんなさい」

「いいや。危険な目にも遭っただろうに、君はこうして俺のもとに戻ってきてくれたんだ。それで充分だ」

「ね、ゼル。明日は一緒に森へ行きましょう。ブラックベリーをたくさん摘むのよ。あなたの大好物のコブラーを作るから、たくさん食べてね」

「本当か? ああ、嬉しい……! 君のコブラーを食べるのは百三十六年ぶりだ!」

「よく覚えてるわね」

「君にかかわるものは何一つ忘れない!」

 くすくすとリアは笑って、サイドテーブルに目を向けた。その上には、氷晶の薔薇と家族写真、そして己が身に着けていたチョーカーが飾られている。ゼルドリックと共におよそ五十年を過ごした、見慣れた部屋の風景。

(戻ってきたのね、やっと……)

 心の支えであり続けた愛しい夫の生活。
 それがまた新たに始まろうとしている。

(王子様。黒の王子様)

 リアが心の中で呼びかけると、ゼルドリックもまた心の中で姫君と呼んだ。ふと、リアの心に熱が伝わる。ゼルドリックは目を潤ませ、リアの頬に手を添えた。

「ゼル。もしかして……まだしたいと思ってる?」

「ああ。俺がこの程度じゃ収まりがつかないことはよく分かっているだろう? 君を抱くのは何年ぶりだと思っているんだ? まだ付き合ってくれ、リア」

 ゼルドリックの顔が近づけられる。リアはにやりと笑い、近づいてくるゼルドリックの唇を人差し指で止めた。

「おい」

「ふふっ! ねえ、その前にあなたに見せたいものがあるのよ」

 リアは悪戯っぽく笑って素早くゼルドリックの身体の上に乗った。そして青い瞳を真っ直ぐに覗き込んだ後、彼の黒い胸元に唇を寄せ魔法を発動させた。長年抱え続けてきた宿願が今叶えられようとしている。ゼルドリックとリアの精神が共鳴していく。

「っ!? なん、だ!?」

 ゼルドリックは目を大きく見開いた。辺りの景色が歪んでいく。

「あなたを見習って創ったの。気に入ってくれるといいのだけど」

 ゼルドリックの視界が赤く赤く染まる。それは己の周囲に赤い花びらが舞っているせいなのだと、ゼルドリックは強く漂う薔薇の芳香の中で気が付いた。

「ここ、は……」

 薔薇の花吹雪が消えた後、ゼルドリックは大きな寝台の上にいた。真上を見上げると吹き抜けの向こうに銀河や星雲が見える。天から薔薇の雨が降り注ぐ。広間、階段、噴水、絵画、つる薔薇、白い柱、輝くシャンデリア。辺りは絢爛な光に満ちている。

 ゼルドリックは、幻想的なその光景に見覚えがあった。

「精神世界……!」

「そうよ、驚いてくれた?」

 ゼルドリックは今度こそ、口を開けて呆けた。リアはその顔を見て大きな笑い声を上げた。

「ふふっ、あなたがそんな顔をするなんて! 頑張って創った甲斐があったわ……!」

 リアは得意げな顔を向けた後、ゼルドリックを強く抱き締めた。

「リ、ア……」

 ゼルドリックは震える腕をリアの背に回した。己への強い愛に満たされた城。

 彼の胸が、強い興奮と歓喜に揺れる。

「どうして……精神世界は己の魔力を鍵としてしか向かうことができないはずだ、なぜ俺を――」

「引きずり込めたか、ですって? ここは私の精神の中よ。あなたが望めば私の過去を覗くことができるわ」

 そしてゼルドリックは、毎夜毎夜リアが家を訪れ、自分の身体に赤い糸を括り付けているのを視た。
 蜘蛛の巣に捕らえられた蝶のように、自分の身体には糸が何重にも巻き付いている。その糸は自分の身体にリアの魔力を纏わせ、この精神世界へと引きずり込むのに充分な力を与えていた。

 ゼルドリックは息を止めた後、混乱した頭を落ち着かせるように深く息を吐いた。

「リア、君はずっと俺の近くまで来ていたのか!?」

「ええ、そうよ」

「パルシファーの綿毛を使って俺を監視していたのか!」

「ええ。ゼルが鷹をいっぱい飛ばして私を監視してたみたいにね」

 リアは涼しい顔でそう言い放った。

「似たもの夫婦よね、私たち。私もあなたの不安がよく分かったわ。ゼルが奪われるかもしれない、離れるかもしれないと思うと怖くて仕方がなかったの。たとえ、契りの薔薇を胸に宿していてもね……」

 リアはぱちりと指を鳴らした。

 城の壁中に貼られた何十万枚もの写真が現れる。ゼルドリックにかかわる品を陳列した何百もの硝子箱が、ふわふわと宙に浮き上がる。黒い肌と青い目が一斉に飛び込んでくる。ゼルドリックは自分が映った大量の写真を見て唇を戦慄かせ、リアの方にもたれ掛かった。

「……ぁ」

「驚いた?」

「……ああ、腰が抜けた」

「あの時の私の気持ちを分かってくれたかしら?」

 リアはにやりと笑い、ゼルドリックを寝台の上に押し倒した。

「魔力を操れないあなたと子供たちを守るために、誰よりも強くなろうって決めたのよ。ゼルに追いつく、ゼルを追い越す。私はそれを目標として、必死に修行し続けてきたの。ねえ、ゼル……。私は、精神世界を創り上げられるくらいの力を得たわよ」

 あなたを追い越したかしら?と耳元でゆっくり囁けば、ゼルドリックの黒い耳がぴくりと動いた。

「ゼル。後で君に攻めさせてやるからって言ったわよね? 今度は大人しくしてちょうだいね……」

 だがリアは手首を掴まれ、勢い良く寝台へと沈み込まされた。自分の顔の横にゼルドリックの手が置かれ、彼の顔が近づいてくる。リアを見据える青い瞳には、いつもの鷹の目のような鋭さが宿っていた。

「っ、ちょっと」

「誰が誰を超えただと?」

「ふうっ!? あっ……」

 ゼルドリックはリアの首筋を強く吸い上げた。そしてそこに咲いた赤い痕を認め暗く笑った。

「リア。俺はまだ君に深淵を見せていない。それなのに俺を超えただと? 戯言を言うのもいい加減にしろ」

「ふ、やあっ……ちょっと、みみ! 耳、舐めないでっ……!」

「ああ、分かってる。よく分かっているよ、敏感で辛いんだよな? だから舐めてやってるんだ……!」

 耳をれろれろと舐め回されそこに色を含んだ低い声を注ぎ込まれる。リアは大きく身体を震わせた。

「忘れたか、リア。俺は分身もできるのだぞ? また君を複数人で舌責めにしてやろうか?」

 ゼルドリックに身体を抑え込まれ全身を舐られた時の快楽が蘇る。リアは身体を強張らせた。

「はああっ、ふうっ! あれは無理、もう無理! い、いやあっ……」

 リアが怯えてみせれば、ゼルドリックは僅かに酷薄さを滲ませた青い目を向けた。

「君を木馬に座らせて、ゴムの玉を陰核に押し付けて、快楽から降りられなくしてやろうか……?」

「あ、あれはいやっ!お願い! 気持ちよすぎておかしくなるから!」

 ゼルドリックは目を潤ませ涙を溢れさせるリアをじっと見た後、狂気の混じった笑い声を上げた。

「くくっ……あははははははははははっ……! 本当に、本当に君は……!」

 赤い瞳から流れた涙を嬉しそうに舐め取り、ゼルドリックは赤い髪を何度も撫でた。

「本当に君は最高の女だ。俺の奇跡、運命の女。強くて、そのくせ快楽に弱くて、どこまでも可愛くて、少し生意気で……そして、俺をこんなにも愛してくれる……」

 頬を上気させ、ゼルドリックは甘い微笑みを浮かべた。
 己の身体に縛り付けられた赤い糸。ゼルドリックはそれを見て、心から幸せだと感じた。

「ああ、リア。赤い髪の姫君。こんな風に縛られては、俺はもうどこにも行けない。ずっとずっと一緒だ、リア。俺は君のもの。そして君は永遠に、俺のもの……!」

 どちらが上なのか分からせてやると言い捨て、ゼルドリックはリアの身体を暴き始めた。リアは身体に与えられる嵐のような快楽の中、ぼんやりと考えた。

(ゼルは悔しがっている、心の底から悔しがってる。私が強くなったから、自分を置いてどこかへ行ってしまうのではないかって怖がってる。ああ、本当にどうしようもなく可愛いひと。決してそんなことはないのにね)

 リアはわざと煽り立てるような言葉を言ってゼルドリックの焦燥感に火をつけようとした。すぐ反応した己の夫が愛おしく、リアは唇を弧に歪めた。ゼルドリックの首に着けられた枷に手を伸ばし、形を確かめるようにそれをなぞる。

(この首の枷が取り除かれた時、私はどんな逆襲を受けるのだろう?)

 リアは目を閉じ、期待に胸をときめかせた。きっと、魔力を取り戻したゼルドリックは自分を縛り付け、精神世界に引きずり込み、甘く優しく、けれど残酷に自分を嬲り続けるのだろう。
 リアはそれを素敵だと思った。なんて幸福なことなのだろうかと心を喜びに震わせた。

 監禁され、気がおかしくなりそうな快楽を与えられた時の記憶が蘇る。何度も何度も抱かれ、敏感な陰核を一日中責められ、媚薬を含んだ薔薇の香油を塗られ、どんなに我慢をしても呆気なく折られた時の記憶が過ぎる。

(あの時は怖かったけど、今は何も怖くない。ゼルは私を深く愛してくれて、私もゼルを愛している。私がどうなっても王子様は愛してくれる。だから……)

 幸せのまま壊されたいと、リアは望んだ。

(このひとは、次はどんな風に私を壊してくれるのだろう?)

 罪人の枷が外される時が心から楽しみだと、リアは微笑みながら枷を撫でた。

「リア……リア……」

「ゼル……ゼルドリック……!」

 お互いの抱える狂愛が心に流れ込む。暗闇の中に隠されていた果てなき愛欲が、獣性が露わになる。綺麗なばかりではない穢い感情。それを曝しあって愛に溺れるのは、なんて心地良いことなのかとリアは思った。

 リアはミーミスの言葉を思い出した。

 ――契りを交わせば、君の胸にゼルドリックの感情が流れ込んでくる。その感情は、やがて君の人格や思考をすっかり変えてしまう。ゼルドリックが君を想って狂ったように、君もまた彼を想って狂う日が来る。それでも契ることを望むのかい?

(私は、狂ったのだろうか?)

 ――仔よ。胸に花を宿した仔よ。

 女神の声が聞こえ、胸に契りの薔薇が宿った時のことを思い出す。あの時の自分は嫉妬と殺意を抑えられなかった。とても平常の精神ではいられなかった。

(……私は、随分前から狂ってた。オーレリアは私の心の闇から感情を掬い上げただけ)

 リアはゼルドリックの精神世界に引きずり込まれた時のことを思い出した。
 壁中に貼られた写真。硝子箱の中に仕舞われた自分にかかわる品々。そしてゼルドリックの過去。
 心の内の女に恋い焦がれ、四万の夜を祈りに捧げた男。自分を囲い込むために書類を偽造し、死霊術に手を出し、手紙を廃棄し、自分を魔力漬けにして酔わせた男。

(怖ろしいひとだって今でも思う。でも、嬉しかった。ゼルは私をこんなにも愛してくれる、それを確認してあの時本当に嬉しいと感じたの……。だから、私はずっとずっと前から狂ってた。ゼルとばら屋敷で暮らしていた頃から狂ってた)

 ――蜜の集め仔。汝、花を咲かせよ。妾に甘美な蜜を味わわせよ。

 複腕の女神。蜜を啜る花蜘蛛を思わせる愛の女神。
 リアは、オーレリアが望むものが何なのか解った気がした。

 彼女自身が編み出したと云われる契りの薔薇の魔法。オーレリアは各々が胸に咲かせたその花を介し、あの世とこの世の狭間にて「蜜」を啜るのだ。

 女神の望む蜜とは、あの冥府の河にて頭の中に流れ込んできた闇の概念、死、運命、眠り、苦悩、復讐、愛欲、争い、欺瞞、狂気、殺戮、偏執、破滅……。
 契りの薔薇によって生み出される感情や拗れた関係、それによって招かれる不幸や幸福を、あの女神は蜜と呼び、愉しむのだろう。オーレリアはその蜜を愉しむために、ゼルドリックの望みに応え、そして自分を生まれ変わらせた。

 リアは笑った。

(あの女神が何を企もうが、どんな目的を持とうが関係ない。これは私たちにとっては祝福に違いない)

「リア、リア……」

 己の名を何度も幸せそうに呼ぶ夫に微笑み、リアは彼の唇を塞いだ。

(私たちはずっと一緒。狂気と愛の海で溺れ続ける。これ以上の幸せはない)

「ゼル。ゼルドリック、愛しているわ……」

 リアが赤い糸でゼルドリックの身体を縛り付ければ、彼はうっとりと顔を綻ばせた。

(女神の祝福に感謝を。あなたは私が感じるこの幸福を、あの冥府の河で愉しんでいるのだろうか)

 これからもゼルドリックとずっと一緒にいられるなら、この幸福を味わい続けられるのなら。
 自分は喜んで蜜の集め仔となろうと、リアは仄暗く笑った。


 ――――――――――


 リアはオリヴァー専用の執務室の扉を優しく開けた。窓から射し込む夕暮れ時の光が、彼の整頓されていない机や豪華なソファを柔らかく照らす。オリヴァーは安楽椅子に腰掛け、夕焼けを眺めながら茶を飲んでいた。

「戻ったか」

「はい、只今」

 リアが丁寧なエルフ式の挨拶をすると、オリヴァーは片手を上げて応えた。

「大したものだ、綿毛女。全ての任務を成功させて帰ってくるとはな。ゼルドリックに見破られたのは残念だが、私は優秀な部下を持てたことを嬉しく思っている」

「ありがとうございます、オリヴァー様」

 リアが頭を下げると、オリヴァーは緑色の目を細め口角を上げた。

「ところで綿毛女、貴様に聞きたいことがある。そこに座ってくれ」

 オリヴァーは立ち上がり、リアにソファへ腰掛けるように言った。リアの向かいに、オリヴァーはどかりと座り、腕を組んで部下の赤い瞳を真っ直ぐに見た。

「円卓が壊滅した」

 オリヴァーは一言だけ言い、部下の反応を伺った。
 リアはただ微笑んだ。困惑も何も浮かべることなく、まるでそうなることが分かっていたかのように微笑んだ。

「貴様が任務に出ている間に悲劇が起きた。同士討ちのような状況だったと聞く。円卓を構成する五十五人が互いの身体を刃物で刺し合い、一人残らず血の海に沈んだ」

「…………」

「信じられない話かもしれんが事実だ。集団狂騒に陥ったかのように、一晩のうちに多くの者が殺し、殺された」

「…………そうですか」

「思うところはないのか」

 リアは目を閉じた。目を閉じ微笑みを浮かべるその顔は、どこか女神像に似ているとオリヴァーは思った。

「オリヴァー様もご存知の通り、私は円卓から仕事を受けていました。上層部は汚れきっていた。汚職と賄賂、不和と不信。エルフへの憎悪と侮蔑。緑の国エリテバラントの掲げる平和と共存の理念は、そこには無かった」

「…………」

「不和と不信も撚り合わされば、破滅を招く糸となるものです。彼らは円卓の席に座りながらもお互いを利用し、恨みあっていたのでしょう。上層部は身から出た錆によって自滅し、中央政府は清廉潔白に一歩近づいた。喜ばしいことではありませんか?」

「……貴様は、何か知っているのではないか?」

 若草色のおかっぱ頭が夕暮れの光を受けて美しく輝く。リアは目を眇めてそれを見た。

「中央政府を揺るがす大事件だ。数十人の優れた魔術師が招集され現場調査を行ったが、彼らはそこで魔力の残滓を見つけることはできなかった。私は上から要請を受け、本部の地下へと向かった……」

「……」

「魔力探知に特別優れる私は、はっきりと見えずとも何らかの魔法的な力があることに気が付いた。小さくて、細くて、長い……。その魔法的な力を例えるならば、糸だ」

 糸。リアはその言葉を聞いて目を見開いた。

「不思議なものだった。糸からは何も感じない。攻撃魔法も幻惑魔法も施されていない、目的の分からぬ魔術。その糸のようなものが、奴らの指に絡みついていた」

「ふふっ……」

 リアは笑った。

「オリヴァー様。あなたは私が何か細工をしたと、そう仰りたいのですか?」

「その可能性は高いと見ている。綿毛女、貴様の魔術的特性はゼルドリックと同じ、魔力操作術に突出して優れていることだと思っていた。だが実のところ、貴様はまた別の特性を持っているのではないか?」

「…………」

「糸。それが何を意味するかは分からんが、貴様はその糸を操って上層部の壊滅を招いた。他者の精神、あるいは未来に作用するような極々珍しい特性だ。ミーミス様が持つ『九つの命』、あるいはレントが持っていた『未来視』の能力に匹敵するほどの、珍しい特性だ」

「……綿毛女、強くなったのは貴様だけではない、私もだ。ゼルドリックの一件があってからなお強くなれるように励んだ。隠そうとしても無駄だぞ?」

「……ふふっ……あはははははっ……!」

 リアは大きく笑った。

「ふふふっ……! ふう……。弟子というのは、師には敵わないものなのでしょうかね? そう、そうです。オリヴァー様。私は糸の魔術師です。人の指に絡みついた糸を、切ったり結んだりすることができます」

「貴様の操る、糸とは何だ?」

「愛であったり、友情であったり。あるいは不幸や死を表す未来であったり……」

 リアの言葉に、オリヴァーは緑の目を見開いた。

「……綿毛女。貴様は何をした?」

「彼らの指に絡みついた不和と不信の糸……それを少し、弄っただけですよ」

 リアは糸を撚り合わせるように指を動かしてみせた。

「彼らは私の夫をしつこくしつこく狙い続けていたので。諦めてもらおうと思って、つい」

 罪悪感の全く感じられない声音に、オリヴァーは深い溜息を吐いた。

「私を捕らえますか? オリヴァー様」

「……いいや。あの糸自体に他者を害する魔法は仕掛けられていなかった。貴様が手を下したという判断は出来ない。法律に照らし合わせて、貴様を罪に問うことは不可能だ」

(綿毛女。貴様のしたことは怖ろしい。だが、貴様の言う通り中央政府の癌が消え去ったこともまた事実だ)

 夕焼けに照らされて爛々と光る赤い瞳を、オリヴァーはどこか鮮血のようだと思った。

「……北部オルフィアンの誇り、赤のオフィーリアか。貴様は怖ろしい女になってしまった。ゼルドリックの贈った契りの薔薇が、奴の愛が、貴様をすっかり変えてしまったのだろうか?」

「ふふっ……さあ、どうでしょうね」

 眉を下げ、痛ましいものを見るようなオリヴァーに向けてリアは微笑んだ。

「オリヴァー様、私はとても幸せです。愛とは素晴らしいものですよ。……あなたもいつか誰かを深く愛して、その胸に契りの薔薇を育てたくなる時が来るかもしれませんよ?」

 ――年若きオリヴァー。君も将来、この薔薇を創り出したくなる時が来るかもしれないよ。誰かを愛して、そしてその感情の重さに戸惑う時が来るかもしれない。

 いつかそのようなことをミーミスから言われたことがあったと思い、オリヴァーはリアの言葉に首を横に振った。

「……貴様のその力、決して悪用はするな。緑の国エリテバラントの掲げる平和と共存の理念を叶えるためだけに使うのだ。分かったか?」

「ええ、オリヴァー様」

「よし。話は終わりだ、行っていいぞ」

 リアは頭を下げ、オリヴァーの執務室を後にした。オリヴァーは夕暮れの光をぼんやりと見ながら、深く溜息を吐いた。

「……やはり、愛とは怖ろしいものだな」

 彼の呟きが、静かに部屋の中に響いた。
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