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第三章

56.恋獄

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 王都に建ち並ぶ見事な屋敷よりも更に更に大きい、見事な桜の樹。冬の間ランタンの灯りによって黄金色に照らされていたそれは、今は淡桃色の美しい花を咲かせ、王都中に花びらの雨を降らせていた。

「……」

 リアは大きな桜の樹を見上げた。広場は辺り一面桃色に染まっている。リアは桜の花のカーペットを踏みしめ、大樹の根元へと近づいた。色褪せて見えた桜の花びらが、今は少しだけ美しいと思う。リアは目を細め、ひらひらと落ちてきた桜の花びらをそっと掌に閉じ込めた。

(この広場に来ると、あの雪の日のことを思い出すわね。ゼルの魔法で作られた雪の薔薇園とお城。……綺麗だったわね)

「次の春には、ゼルと一緒にこの桜の樹を見れるかな」

 願いを口に出し、リアは深い息を吐いた。それを叶えるための道のりは長いのだと、リアははっきりと感じた。記憶のないゼルドリックに話しかけ続け、自分を思い出してもらうのはとても大変なことのように思えた。

(正直、不安で仕方ないわ。記憶を取り戻さなかったらどうしようって。でも……彼が私を思い出せなくても、もう一度私を好きになってもらうために。前向きに過ごしていかなくちゃ。ゼルは、私の笑顔が好きだって言ってくれたから。悲しくても、笑わなくちゃ……)

 ぽたり。

「あ……」

 雫が滴る。

「ははっ……でも、どんなに誤魔化しても……やっぱり辛いわね。ゼルが私にあんな目を向けるなんて……」

 リアは目を瞑り涙を拭った。それでも次々に涙は溢れ、リアはとうとう顔を覆ってしまった。

(駄目……こんなところで泣いちゃ……)

 傷付いた額が再びずきずきと痛み始め、リアは近くのベンチに座り込んだ。

(ゼル……王子様。黒の王子様。……会いたい。好きって言ってほしい。戻ってきて、私の王子様……)

「リアさん!!」

「…………ぁ」

 ゆるゆると顔を上げると、レントが心配そうな顔でリアを見下ろしていた。そして乾いた血が付く額に気が付きざっと顔を強張らせると、急いでリアの額に治癒魔法を施した。

「リアさん、捜したのですよ。病室にいらっしゃらなかったのでとても心配したのです、どうしてここに……」

「……レントさん、すみません」

「いえ、ですが……頭の傷は一体?」

 リアは眉を下げ、レントに隣に座るよう促した。

「私、ゼルに会いに行ったんです」

 レントが息を呑み、リアの額にそっと触れた。

「なんてことを……。もしかして、彼に傷付けられたのですか?」

「…………」

 リアの無言に、レントは顔を青褪めさせ大きな声を出した。

「リアさん、危険です! ゼルドリック様に会いに行くなんて!」

「……そうでしょうね。彼は私のことを全然覚えてなくて、いきなり現れた私に敵意を剥き出しにしてきました」

 リアは乾いた笑い声を上げた。

「でも……。ファティアナ様やマル、アンジェロ様、ミーミス様や他の人たちと話して、ゼルに会いたいと思ったんです。私はどうしても彼を諦められない。諦めるのは無理なんだって、はっきり自覚しました」

「リアさん……」

「ご心配をおかけしました、レントさん。これから無断で病室を抜けたりしません。でも今日は許して下さい。ゼルに会いに行くなんてメルローちゃんに言ったら、彼女は外に出してくれないと思ったから」

「当然です、メルローだけではない。僕もリアさんを病室から絶対に出しません。ですが……」

「レントさん?」

「僕は、あなたを止める権利など無いのかもしれません」

 レントは桜の大樹を見上げた。春の穏やかな空気が頬を撫でる。
 母が自ら命を絶った日も、こんな麗らかな春の日だったと彼は哀しみを顔に宿した。

「僕はあの未来を視て、友人であるリアさんを救いたい……。確かにそう思ったのです。でも、僕はそれよりも、リアさんに母をそっくり重ねていた。リアさんを救うことで僕が救われようとした」

「……」

「あなたに謝らなければなりません。僕のエゴが、リアさんに不幸をもたらしてしまったのかもしれないのに。僕が無理やりゼルドリック様からあなたを引き離さなければ、リアさんはあそこまで傷付けられることはなかったかもしれないのに。もっとやりようが、あったかもしれないのに……」

「……レントさん」

「ゼルドリック様は実際に誰かを殺めることはしなかった。実際にあなたの手足を奪うこともしなかった。僕の視た光景が、彼の幻惑魔法によるものだと早くに気が付いていれば、こんなことにはなっていなかったのだと思います。僕が無理やり引き離すことを提案したから、あなた達は……」

「レントさん、聞いて下さい」

 レントの手を握り、リアは首を振った。

「レントさんの介入がなければ、私はきっと、ゼルと対話が出来ないまま屋敷の中で飼い殺しにされていたでしょう。皆さんが助けてくれなければ、私とゼルはあの地下牢の中で死んでいたのでしょう。拗れてはしまいましたが、ゼルも私も生きている。生きている限り、前に進むことは出来る」

 灰色の瞳がリアに向けられる。リアは友を安心させるように微笑んだ。

「私にお母様を重ねていたとしても、それでも、レントさんは危険を冒して私を助けてくれたのです。あなたは私に次へ進む機会をくれました。私とゼルを救ってくれたのです……だから伝えたいです、ありがとうって」

「……リアさん」

「命ある限り絶対に諦めません。ゼルの記憶を取り戻すために、私は出来ることを何だってやるつもりです」

「……ふふっ、はははっ……」

 レントは呆けた顔でリアを見た後、笑った。

「リアさん、あなたは強いですね。真面目で一生懸命で、とても強い人だ。さっきまで辛くて泣いていたのでしょうに、僕を慰めるような言葉をくれる」

「……泣いてたって、やっぱり分かりますか?」

「ええ。睫毛が濡れていますから」

「恥ずかしい」

 リアはごしごしと自分の目元を擦った。

「ゼルは、私の心の拠り所でした。深く傷付けられたけれど、それでも好きなのは彼だけ。そんな彼から向けられた視線が、とっても痛くて……」

「……可哀想に。ショックだったでしょう」

「はい。想像以上にきつかったです」

 レントはリアの背を摩りながら、ぽつりと呟いた。

「王子様のような方ですか」

「……?」

「瞳がきらきらしていて、長い耳が可愛らしくて、背が高くて、優しくて、甘い微笑みが素敵で、いつも私の名を呼んでくれて、話が合って、ロングコートがよく似合っている……でしたっけ? あの行商人の方にそう伝えていましたよね?」

「え!? レントさん、まさか聞いてたんですか!?」

「ええ。一応あの時はリアさんの護衛をしてましたからね。何かあってはいけないと、一言一句聞き漏らしませんでしたよ。いやあ、恋とは……すごいですね。あのゼルドリック様をそう形容するとは」

 顔を真っ赤にしたリアを見て、彼は愉快そうに笑い声を上げた。リアは笑い続けるレントをむっとした顔で見たが、やがてリアもくすくすと笑い声を上げた。

 レントはリアの風に揺れる赤い髪を見つめ、そこに赤毛の母を重ねた。春の日に母はいなくなってしまったが、今こうしてリアが目の前で笑っている。

(僕は、リアさんを救うことが出来たんだろうか)

 レントの考えていることが伝わったのか、リアはしっかりと彼の手を握りまたありがとうと呟いた。
 温かな友の手が決して癒えなかった母の欠落を少しずつ埋めていく。その手の温度にレントは目を潤ませた。

(リアさん、あなたに会えて良かった。僕はあなたを救えたことで……やっと母さんの死と向き合えるかもしれない)

「リアさん。どうか、悔いのない選択を。あなたに幸があるように……」

(神よ、お願いいたします。どうかリアさんに祝福を。陽の当たる道を、胎の子と共に歩いていけるように……)

 祈りと感謝を込め、レントはリアをそっと抱き締めた。リアの手が金の髪を労るように撫でる。

(きっと大丈夫。彼女は絶対に諦めないと言い放った。だから僕の母さんと同じ道は選ばない。……どうか、幸せになってください、リアさん……)

 母を思い出させるその手の動きに、レントはとうとう涙を流した。







 ふと、レントは空が暗くなったことに気が付いた。リアも異変に気が付き、上を見上げる。

「なんだか急に暗くなりましたね……」

「ええ、一雨来るのでしょうか。降り出しては大変です。リアさん、病院に戻りましょう」

 レントがリアの手を取った時、突然甲高い笛のような音が響き渡った。

(何だ……!?)

 レントは辺りを見渡した。その笛のような音は段々と大きく、段々と近づいてくる。聞いたことのないような異様な音が広場に響き渡る。周囲のエルフやオーク、人間たちはその音に怯え、散り散りになった。あっという間に辺りから人気が無くなる。

 そしてレントは肌を焼かれるような、内臓を無理やり揺り動かされるような不快な衝撃に倒れ込んだ。

(これは……魔力酔い? ……この黒い靄のような攻撃的な魔力の形……これは……まさか……)

「レントさん! 大丈夫ですか!」

 身体を支えるリアを制し、レントは必死に魔法を紡いだ。

「……リア、さん……ここから逃げて下さいっ……」

「…………ぁ」

 影が辺りを支配する。その暗さにリアは空を見上げた。

 一つ、二つ、十、そして何百もの黒い「何か」があっという間に寄り集まり、広場の上空を旋回する。黒い煙のようにひとつの渦を巻くそれ。見覚えのあるそれにリアは目を見開き、そしてふらふらと立ち上がった。導かれるように、黒い渦へと歩いていく。

「あれ、は……」

「駄目だ、リアさんっ! リアさん!!」

 レントは必死にリアを引き留めた。だがレントが転移魔法を発動させる前に、リアは鷹の檻に閉じ込められた。甲高い笛の様な音が響き渡る。黒い鷹が作り出す渦の中にリアは飲まれた。

「…………」

 桜の雨も広場も、レントの姿も見えなくなる。
 ただ黒一色が、リアの視界を支配した。

「……黒い鷹」

 リアは渦の正体をはっきりと認めた。

「そこにいるのでしょう」

「ああ」

 背後からそっと抱き締められる。
 リアの傷付いた額に黒く大きな手が当てられて、灯火のような温かさが巡っていく。リアは目を閉じ、懐かしいその感覚に涙を流した。

 リアはゆっくりと振り返った。そこには眉を下げたゼルドリックが立っていて、リアを影のある瞳で見つめていた。哀しみに揺らぐ青の瞳には、後悔とリアへの思慕が宿っている。自分の知るゼルドリックが戻ってきたのだと、リアは歓喜に胸を震わせた。

「痛かっただろう……怖ろしい思いをさせた」

「ええ。あんな風に床に打ち付けられるとは思わなかった。あなたは乱暴ね」

「済まなかった。本当に済まなかった……」

 ゼルドリックは次々に流れ落ちるリアの涙をそっと指で拭った。

「何よりも愛おしい女を傷付けて、死なせかけて、挙げ句の果てに忘れて……俺は最低だな」

 彼らしからぬ、か細く弱々しい声だった。ゼルドリックは震える声でリアの名を何度も呼び、許しを請うように背を摩った。

「……思い出したの?」

「ああ。全て思い出した。俺が君に何をしたのか。どれだけの罪を重ねたのか……」

 ゼルドリックは哀しみに満ちた顔をリアに向けた。

「リア。ごめんな……。謝っても謝りきれない。俺は手酷く君を傷付けた」

「……ゼル」

 顎をそっと掴まれ、唇を優しく塞がれる。リアはゼルドリックからの優しいキスに胸を詰まらせた。

「君を傷付けた俺が、こうして触れる権利はない。それでも、この想いはどうしても止められない」

 ゼルドリックはリアを正面から抱き締め、ふわふわとした赤い髪を愛おしげに撫でた。

「リア、最後に俺の夢を叶えてくれないか。これで最後だから、どうか……」

 ゼルドリックがリアの耳元で呪文を囁く。リアは意識を失い、くたりとゼルドリックに寄りかかった。

「リア。赤い髪の姫君。ずっとずっと愛している」

 意識を失ったリアの唇を、ゼルドリックは涙に濡れる己の唇で塞いだ。








「ん、う……」

 リアの意識が浮上する。リアは目を開き、そして見覚えのない光景に何度も目を瞬かせた。

「……ここは?」

 赤いシーツが張られた豪奢な寝台。その上に寝かされたリアは赤いドレスを纏っていた。どこかの国の王女が着るような美しいドレスに、リアは思わずほうと息を漏らした。

 真上を見上げると、吹き抜けの向こうに銀河や星雲が見える。そしてどこからか薔薇の雨が降り注ぎ、芳しい香りが漂う。幻想的なその光景に、リアは暫しぼんやりと上を眺めていた。

 辺りを見回す。ゼルドリックの姿は無い。
 リアは寝台から降り、ゆっくりと様子を伺いながら歩き始めた。

(……まるでお城ね)

 広間、階段、噴水、絵画、つる薔薇、白い柱、輝くシャンデリア。それらはゼルドリックの屋敷にもあったものだが、ここにある全てが、美しさも大きさも、何もかも上回っていた。

(綺麗。それに不思議な場所だわ。何かに包まれているような感じがする)

 胸がとくとくと跳ねる。優しく心をくすぐられるような、切なく愛おしい気持ちが込み上げる。

(ゼルが、すぐ傍にいる気がする。私を抱きしめてくれている……)

 リアはゆっくりと目を閉じた。ここにある何もかもが自分によく馴染み、歓迎してくれるように思えた。
 ずっとここにいたい。離れたくない。そんなことを思ってしまうほどに居心地が良い。

 リアはふと、壁がまだら色になっていることに気が付いた。

(……? 何か、変)

 赤く見えるが所々白や茶、青などの色も入り混じっている。不審に思い、誘われるように壁に向かう。

 そしてリアは、壁の色が奇妙な理由に気が付いてしまった。

「……ぁ、……」

 強い衝撃に、リアは息が出来なくなった。
 身体が震える。立っていられず床にへたり込む。リアは壁を食い入るように見つめた。

 視線の先には自分の写真があった。
 高い高い壁の向こうまで埋め尽くすように貼られた、大量の自分の写真が。

「わ、たし……?」

 一分の隙間もなく城の壁中に貼られた何万枚もの……何十万枚もの写真。
 自分の赤い髪と瞳が、白い肌が一斉に飛び込んでくる。

「ぁ、ぁぁっ……うそ、こんなの……!」

 異様な光景にリアは首を横に振り、後ろに下がった。リアの見開いた目から涙が溢れる。

 微笑み、泣き顔、淫らな顔、憂う顔、眉を寄せる顔。怒りを露わにする顔。満面の笑み。
 入浴、着替え、睡眠、食事、会話、読書、仕事、外出、そしてゼルドリックとの触れ合い……。

 送ってきた生活の営みの全てが、ここに記録されている。はずれの村で暮らしていた頃の写真もあり、リアはぞっと背を震わせた。

「……ぁ、いったい……いつから……?」

 ――いつから? いつからゼルドリックは自分を監視していた?

 強い衝撃にひゅー、ひゅーとリアは擦り切れた息を吐いた。胸に手を当て、自分の姿で埋め尽くされている壁から目を逸らす。リアは立ち上がろうとしたが、腰が抜けて立てず、座ったままずるずると後ずさった。

 リアの背に何かが当たる。空に浮いた数多の硝子の箱のひとつが、リアの近くに漂っていた。リアは透き通った硝子の箱越しにその中身を確認し、なお慄いた。

(っこれ、……マルへ送った手紙だ)

 手紙の一枚一枚が板に留められ、自分の書いた丸みのある文字が奇妙に霞んでいる。
 それは文字の形を確かめるように、指で何度も何度もなぞられたように見えた。

 リアは這いながら別の箱を手に取った。自分が使った空の香水瓶、書き損じ丸めた紙、欠けてしまい処分した櫛、そして櫛についた赤い己の髪。それらがまるで宝物のように、硝子箱の中に陳列されている。

 失くしたと思った口紅。ゼルドリックから手渡され身体を拭いた高級なタオル。胸の辺りがきつくやがて着なくなってしまった服。身に着けていた下着。ゼルドリックに編んだマフラーやセーター。そしてその糸くず。履いていた靴。仕事の際に間違えて砕いてしまった宝石の原石。
 どうやって集めたのかは分からないが、その他たくさんのリアにかかわる物が、硝子の箱の中に丁寧に仕舞われている。

 硝子箱のひとつには水晶球があり、リアがそれを覗き込むと見慣れた自室の風景が浮かび上がった。ゼルドリックがこの水晶球を用いて、自分を監視していたことは明白だった。水晶球の隣には分厚い冊子が置いてある。何が書かれているのか分からないが、その表紙には自分の写真が貼られており、この冊子もまた自分にかかわるものなのだと察した。

「ひっ……あ、ああっ……」

 リアは顔に熱が巡るのを感じた。未だかつてないほどに胸が大きく跳ねている。身体の震えが止まらず、目から涙が溢れ出る。

「リア」

 ゼルドリックの声が後ろから聞こえる。リアは振り返ることが出来ず、力の入らない身体を荒く上下させることしか出来なかった。へたり込んだままのリアは、背後からゼルドリックにすっぽりと抱き締められた。

 リアは前に回されたゼルドリックの腕にしがみつき、震える声で必死に話しかけた。

「こっ……これが、あなたの愛なの……? こんな、私を監視して、下着やごみを集めて、写真を壁中に貼ってっ……」

「ああ、そうだ。これが俺の愛だ」

 ゼルドリックはリアの耳を優しく噛み、そこに低く掠れた声を注いだ。

「君が俺から離れていくことが怖かった。離れていくかもしれないと思うと想いを告げるのが怖かったんだ。俺から離れていくかもしれない、俺ではない誰かの元に行ってしまうかもしれない。だから大量の鷹を飛ばし、君の様子を常に伺った。監視し何事もないことを確認しなければ気がおかしくなりそうだった。そして毎夜毎夜君の写真を現像し、壁に貼り続けた……」

 泥濘のような愛を含んだ言葉が、どろどろとリアの耳に入り込んでいく。

「君にかかわる全てが愛おしい。君にとって必要のないものでも、君が触れたものならそれは俺の宝なのだ。リア、君は俺の奇跡。何一つ溢すことなく全てここに記録しておきたい。俺は君の写真を見ながら心を満たし、君が触ったものに触れ、そして睦み合いの記録を見ながら……何度も何度も、ここで愛を遂げた」

 リアの肩がぐっと掴まれる。ゼルドリックの腕が、薔薇の蔦のように身体に絡みつく。

 ゼルドリックはリアの耳にキスを落とした後、彼女を優しく姫抱きにし、そして玉座のような豪奢な椅子にそっと座らせた。ゼルドリックはその前にかしづき、リアの手の甲にそっとキスを落とした。

「赤い髪の姫君。君をここに連れてくることを、この椅子に座らせることをずっと夢見ていた……。ああ、百年以上だ。百年以上抱えてきた宿願が、今やっと叶った」

 ゼルドリックは夢を見ているようなうっとりとした視線をリアに向けた。
 紅潮した顔は心からの喜びを浮かべていて、なぜかリアはその顔を見て胸が一杯になる気持ちだった。

「あなたが私を連れてきたかったというこの場所。……ここは不思議ね。何だか温かくて、あなたにずっと抱き締められているような気がするの。ねえ、ここは一体どこなの?」

 ゼルドリックは優しく微笑んだ。

「精神世界。己の想像を実際の物体として具現化させる高等魔術領域。分かりやすく言えば、ここは俺の精神の中だ」

「ゼルの精神?」

「ああ。誰からも邪魔されぬ不可侵の聖域。俺は己の精神の中にこの城を創り上げ、そして君を引きずり込み、共にここで暮らそうとした」

 玉座に座るリアを熱の入った視線で見つめ、ゼルドリックは続けた。

「精神世界には、己の魔力を鍵とすることでしか入れない。外部から精神世界に何かを持ち込むには、己の魔力を強く纏わせなければならない」

「……あなたが私に自分の魔力を注いできたのは……私を、ここに連れてくるため……?」

「そうだ。誰にも邪魔されない聖域で、君と暮らしていく。それが俺の夢だった」

 頬に手を添えられ、顔を覗き込まれる。愛に満ちた青の瞳が、リアの心を切なくくすぐる。

 リアはずっと震えていた。恐怖ではない、何か別の感情が強く込み上げてきて止まらない。リアはその感情の動きを不快と思うことは全くなかった。だがゼルドリックはリアが自分への恐怖に震えていると思ったのか、くしゃりと顔を歪め、リアの頭をそっと撫でた。

 リアは潤んだ瞳で青い瞳を見つめ返した。

「どうして? ゼル。あなたはどうして私にそこまで執着するの……?」

 ゼルドリックは異常な男なのだとそう再認識した。だが、彼に対する恐怖は一切ない。
 リアは彼が己になぜこれほどの執着を向けてくるのか、今度こそ、その理由を知りたいと思った。

 再びの問いにゼルドリックは眉を下げ項垂れた。

「ここは俺の精神そのものだ。君が望めば、俺の過去を覗くことが出来る」

「……」

「リア。俺が君を求め続けた理由を。百年以上焦がれ続けたと言った理由を……その目で確かめてくれ」

 ゼルドリックはリアの手を握った。
 リアはゆっくりと目を閉じ、自分の身体を包み込む不思議な温かさに身体を委ねた。
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