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第4話 人気アイドル裏の顔
しおりを挟む――翌日。
頭が痛い。超絶痛い。
明らかに二日酔いだった。
何も考えられないまま、鞄を抱えて昨日と同じルートを辿る。
営業トークもその際のテンションも、もう勝手に口が動くくらいには沁みついているから、こんな調子でもなんとか仕事はこなせた。
しかし、時間が経てば二日酔いも治まってくるだろうという予想に反して、身体はどんどんしんどさを増していく。
CDショップが入っているビルの前を通りかかると、モニターにアイドルが映し出されていた。
音楽番組のステージでマイクを持ち、踊りながら歌っている。
踊るたびに、薄い材質が幾重にも重ねられたスカートがひらひらと揺らめき、ツインテールが跳ねる。
ブリーチした髪の先はピンクに染められていた。瞳には青のカラコンが入っているらしい。すらりとしたスタイルの良さが特徴的だった。
しばらくぼうっとそれを眺めてから、ふと気づく。
……あ。この子だ。
名前は確か、『愛沢マイ』。通称マイマイだ。
『この世に嫌な人なんていない。いるのは寂しい人と、悲しい人だけ』という、あの台詞が頭によみがえる。
あのドラマに出演していた時は清楚な印象の黒髪だったが、やっぱりウィッグか何かだったのだろうか。
こうして『ゆめかわいい』とかんなんとかいうファッションに身を包み、『うーん、あたしちょっとわかんない』『ごめんなさい、今なんの話してたっけ?』『宇宙、だいすきー!』なんていう具合にゆるふわなトークで場を沸かせているところを見ると、同一人物とは思えない。
アイドルにも芸能人にもさして興味はないが、あのドラマがなぜか記憶に残っていて、俺はこの子の名前もなんとなく覚えていた。
歌がサビに入る前に、俺はモニターに背を向けた。
高く元気な歌声は普段だったら可愛らしく聞こえただろうが、二日酔いの頭にはただただ辛い。
俺はそそくさとモニターの前を離れて、静かな裏通りへと入った。
……テレビの中でいつでも明るい笑顔を振りまき、ファンに大きな声援を送られる彼女でも、こんな風に二日酔いとみじめな気持ちを抱えて仕事をしたことはあるのだろうか。
――いや。そんなこと、考えるだけ無駄だ。
もしそうだとしても、きっと俺とは何もかもが違う。だって彼女は、自分の夢を見つけ、それを実現した立派な人間なんだから。
胃が気持ち悪い。
このまま次の訪問先に行ったら、玄関先でぶっ倒れかねない。
腕時計を確認すると、時刻はちょうどお昼だった。もちろん食欲はない。
……そうだ。今日も昼食の代わりにどこかで休んで行こう。
俺はしばらく歩いてから、のろのろと顔を上げる。そこには、昨日見たのと同じ看板があった。
お昼寝カフェ【BAKU】。
店長も店員も……というかお手伝いらしき女の子も人生3周目の変人だということを除けば、このカフェにはなんの文句もない。
ウォーターベッドもあることだしな。
俺は重い身体を引きずって、大人しくここで休むことにした。
ドアを引いて、ちりりん、というベルの涼やかな音を聞く。
――はずだったのだが、そのささやかな音は怒声に遮られた。
「なんなのこの店! 悪徳商法じゃないの!?」
「なにもお金をだまし取ろうとしているわけではありませんよ」
4人掛けのテーブル席を、一人の派手な若い女性が足を組んで占領している。
ヒョウ柄のパーカーに、ショート丈のジーンズ。
黒っぽいタイツに包まれた足は長く、ヒールの高いブーツへと綺麗な曲線を描いていた。
規格外にスタイルが良い。
サングラスをしていて顔はよく見えないが、とにかくとてつもなく怒っていることが伝わって来た。
その傍らに立った困り顔の店長が、なだめるように言葉を続ける。
「あなた、このままでは体調を崩して倒れてしまいます。ですから、しばらく定期的にこちらに通って頂いて――」
「あのね。こっちはそういう商売、嫌になるほど知ってんの。高級エステに霊感商法、金持ってそうな芸能人ってだけでいいカモにされんのよ! そうやって不安をあおってくるのも一緒。言っておくけど、あたしそこまで馬鹿じゃないから。そりゃベッドは寝心地良かったけど、またここに来るかどうかはあたしが決める」
……ん? この高くてよく通る声、どこかで――。
思い出そうとしているうちに、女性は財布から何枚か札を出すと、テーブルの上にたたきつけた。
「お釣りはいらないからっ!」
……その台詞使うヤツ、現実にいるんだ。思わず感心してしまう。
女性は財布以外に何も入らなそうなバッグをひっつかむと、席を立った。
よく手入れをされた金髪が、まるでシャンプーのCMのようにつややかに揺れる。
その毛先は、独特のピンク色に染まっていた。
……あれ? あの子もしかして――
「愛沢マイ?」
まさかと思いつつ思わず声に出して呟くと、女性が弾かれたようにこちらを振り向く。
そして、つかつかと俺の方に詰め寄った。
その勢いのまま乱暴にサングラスを外し、俺を睨みあげる。
あらわになったのは、さっきモニターで見たのとは違う色の瞳。今日はグレーのカラコンらしい。
顔小さっ。肌、白っ……。ホントに俺と同じ人間か?
そのまま視線を下ろしていくと、パーカーを押し上げる胸の谷間がアップで視界に入って、俺は慌てて顔を上に逸らした。
「あん!? どこ見てんのよ」
「な、なんも見てないです」
秒で嘘をついたら舌打ちされた。
「……言っとくけど、今のあたしの発言SNSに書いたりして悪評立てたらただじゃおかないから。いい?」
あまりの迫力に、俺はただこくこくと頷いた。
愛沢マイはメンチを切るようにしばらく俺を睨みつけた後、隣をすり抜けるようにして店を出て行った。
「……アイドルってこえーな……」
テレビのあれは、作られたキャラだったってことか。
メイクと服装と喋り方でこうも変わるもんなんだな。
モニターを見たばかりじゃなきゃ、たぶん気付かなかった。
「すみませんお客様。大丈夫ですか?」
店長――夢見獏がが慌てたように俺の方に駆け寄ってくる。
「お見苦しいところをお見せしました」
「いえ……。ええと、もしかして通い放題定額プランみたいなものがあるんですかね?」
さっきの話を断片的に聞いた限り、そんな感じだった。案の定、夢見が頷く。
「ええ。どうしても必要なお客様にだけ、おすすめしてるんです」
ふむ。どうしても必要だと思われるような何かが、あの子にはあったらしい。
「放っておけばいいんですよ。私たちの知ったこっちゃありませんし」
割って入ってきた舌ったらずな声に店の奥を見ると、ベッドエリアに続くドアから、昨日の生意気な女子小学生がシーツを持って出てくるところだった。
「あの女が行き倒れようが、夢に喰われようが、私たちにはなんの関係もありません」
「……夢に喰われる?」
物騒な言葉に反応すると、幼い少女は冷ややかな視線で俺を見た。
「おまえにはもっと関係ないわ。口をつぐんで寝てなさい」
……。
どう教育したらこんな子どもになるんだろうか。
というか、このゆるふわ店長には敬語で、俺に対しては辛辣な言葉遣いなのはなぜなのか。
「すみませんね、お客様。幸世さんはちょっと気が立っているようで」
「はあ……」
あくまでも朗らかなその声になんだか気が抜けて、曖昧に頷く。
どうやら、妙なタイミングで来てしまったらしい。
「本日もベッドのご利用でよろしいですか?」
「はい。1時間で」
「お目覚めの際のお飲み物は――」
「あ、水でお願いできますか? 二日酔いなんで、ちょっと胃に負担かけたくなくて」
「かしこまりました。……二日酔いは辛いですね」
同情するように眉を下げた店長の隣に、幸世さん(名前覚えちまった)がやってきて、「ふうん」と気のない相槌を打つ。どうやら会話に加わりたいらしい。
「じゃあグレープフルーツジュースでも飲んどけば? 酒の飲み方も知らないガキにはお似合いでしょ」
……酒の味も知らねえガキに言われたくねえ。
というかそんな台詞どこで覚えたんだ。
「はははっ、物知りな子ですね」
つい乾いた愛想笑いが口をついて出た。
「そういえば、幸世さん前に教えてくれましたっけ。二日酔いにはグレープフルーツだって」
「ふん。たまたま冷蔵庫にあったから言っただけですよ」
幸世さんはふいっとそっぽを向き、カウンターの奥へと引っ込んでいく。
グレープフルーツジュースを勧めてくれたのは、どうやら彼女なりの気遣いだったらしい。
わかりにくっ。
「じゃあ、もしよかったら、グレープフルーツジュースもらえますか?」
「ええ、もちろん。目覚めの時間に合わせてご用意しておきます」
腕時計型デバイス受け取り、奥の部屋のドアを開ける
今日もこの時間帯の客は俺ひとりしかいないらしい。
あとは、この身を重力に任せてベッドにダイブするだけだ。
目を閉じると、意識がゆっくりと溶けていく。
眠る寸前に訪れるこの一瞬は、すべての動物に捧げられた安寧の時間だ。
例えこれから見る夢が悪夢であったとしても、この一瞬だけは、すべてを忘れて幸せな気持ちで意識を手放すことができる。
強制的に忘れさせられると言っても過言ではないかもしれない。
暴力的な安寧。すべてをシャットダウンして、静かな、自分だけの世界に沈んでいく。
この一瞬を奪われた時、人は狂気に陥るのかもしれない。
夢の訪れはいつも唐突だ。
俺は鞄を持ってコンクリートの上を歩いていた。いつもの営業ルートだ。
――今日は客に怒られるパターンだろうか。
夢とはいえ、憂鬱になる。
最高のベッドで寝ているというのに、どうしてこうも仕事が付きまとうのだろうか。
ため息をつきながら、それでも足を動かし歩いていると……唐突に、よく分からない光景に出くわした。
白い獣が、バリバリと道を食べている。
……いや、食べているのは空間そのものだろうか。
獣が背伸びをするように体を伸ばして、今度はよく晴れた青空の端に牙を立てる。
すると空は餅のようにみょんと伸び、剥がれ、白い獣がもぐもぐと口を動かすたびに、その口へと吸い込まれていった。
そして剥がれた後に残るのは、ただ白く、何もない空間だ。
獣はぺろりと美味しそうに唇を舐め、今度はビルを齧り始める。
サクサクと、まるでウエハースを齧るような軽い音がした。
不思議なもので、獣の何十倍も大きなビルも、いつの間にか小さく砕かれ獣の胃袋に入っていった。
白い獣の食事風景を見ていると、なんとなく胸がすっとする。
変わり種の大食い選手権を見ているようだ。
ぼうっとその様を眺めていると、たった今俺に気付いたように、獣がこちらを向いた。
『あ、すみません、こちら工事中です。あちらの道へどうぞ』
律義な口調でそう言って、もふっとした手が、俺が来た方の道を示す。
振り向いた先には、コンクリートで舗装されていない、柔らかな土の道が出来上がっていた。
そちらに足を向けると、道の両脇からみるみるうちに木が生え、大きく茂り、まだ空に残っている太陽の強烈な光を遮ってくれる。
車の音が遠ざかり、代わりに鳥の鳴き声が聞こえて来た。
ほどよい涼しさの風が、そよそよと頬を撫でる。
近くに小川があるようで、穏やかな水音もした。
まるで森の中を散策しているような心地よさだ。
久しぶりに、悪夢ではない夢の中を、ただ散策する。
いつからかすべての感覚が周囲に溶けて、俺は夢を見ない深い眠りへと落ちていった。
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