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第3話 追憶―邂逅/少年と少女
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そして、何年の歳月が経っただろうか。
満月が綺麗な夜だった。
私は庭で、いつものように小鳥を捕まえて食事をしていた。牙で小さな傷をつけ、滴る血を唇で受け止める。甘酸っぱい果実のような味が口の中に広がり、今日も私が生きていることを教えてくれた。
こくりと喉を鳴らしたその時、ふいに繁みが揺れた。
獣ではない。
もっと、音を立てずにそうっとこちらを伺うような……。
私は小鳥から唇を離し、そちらを見た。
「うわっ!」
小さな悲鳴が上がる。
驚いて思わず手を緩めると、小鳥が囀りながら飛んでいった。
私は仕方なく茂みに歩み寄る。
そこには、腰を抜かしたように尻もちをつく少年の姿があった。
見た目は私よりもさらに幼く、小さくやせ細っている。
着ている服はボロボロで、まるで焼却炉の中から逃げ出してきたゴミのようだ。
吸血鬼? それとも……人間?
なんと声をかけるべきだろう。
言葉の通じる他者がいる状況など子供の頃ぶりで、私はどうすればいいのか分からなかった。
だから、思ったままを口にする。
「逃げてしまったわ。まだお腹が空いているのに」
「な……なな、なにをしてたの?」
少年が怯えたように聞く。金の髪が月光にきらめいて、少しうっとうしかった。
「食事。別に驚くことではないでしょう? 鳥を食べる動物は多いはずよ」
久しぶりに聞く自分の声は少ししゃがれていて、まるで古く手入れの行き届いてないこの屋敷のようだと思った。
唇の端に残った血を指先で拭いながら、少年に歩み寄る。
「吸血鬼……!」
どうやら人間だったようで、私の言葉は少年の動揺を誘ってしまった。
少年はふっくらとした頬を青ざめさせて、尻餅をついたまま後ずさる。そして首にかけていた何かを手で手繰り寄せると、私の方に突き出した。
「それは?」
「じゅ、十字架だ……! 滅びろ、吸血鬼!」
少年が大切に掲げ持つおもちゃを、私は冷めた目で見る。
「そんなものじゃ無理よ。人間だって信仰心のせいで死んだりしないでしょう?」
ゆっくりと言い聞かせるようにして告げると、みるみる少年の瞳に絶望が浮かんできた。
「おれを、食べるの?」
「食べない。でも、私が怖いならもと来た道を引き返せば良い」
「……帰れない」
途方に暮れた様子で呟いて、少年はぽろぽろと涙を流し始めた。
なぜ泣くのか、わけがわからない。
ただなんとなく、血とは違うそれに触れてみたくなって、指で透明な雫をぬぐい、舐めてみる。
涙が塩辛いのは、人間もヴァンパイアも同じのようだった。
少年はしゃくりあげながら、やがてぽつりぽつりと自分のことを話し始めた。
いわく、彼は数日前、劣悪な環境の孤児院から逃げ出し、馬車の荷台に忍び込んで遠くを目指したらしい。
そして立ち入り禁止になっているこの森を見つけ、何日もさ迷い歩いてここにたどり着いたそうだ。
孤児院のことは書物で読んで知っている。
両親がいない子供たちが暮らす場所だ。
つまり、ひとりぼっちの子供が。
……ああ、なんだ。この子どもは、ひとりが寂しくて泣いているだけだ。
彼の小さな手は十字架を離さない。
これはたしか、神に祈るための道具だ。神とのつながりを確認するための道具。ひとりではないと、そう自分い言い聞かせるための。
でも、神が何をしてくれるというの?
神は決して生き物を助けようとはしない。
ただ眺め、驚くほどの身勝手さで善なる選択を迫るだけだ。
神への怒りと共に沸いてきたのは、目の前の子供への哀れみだった。だから、なるべく優しい声でこう言う。
「私もひとりよ。あなたと同じ。だから、私の屋敷に招待してあげる。名前は?」
語りかけると、少年は頬を伝う涙を腕で乱暴に拭った。
「……レオン。きみは?」
「アンネ」
自分の名を呼んだことなど、どれくらいぶりだっただろうか。
レオンの心の中に自分の名前を刻みつけるように、ゆっくりと発音する。
十字架など……神など、何の役にも立たない。
それよりも、神に見放された吸血鬼の生き残りである自分の方が、今この時ボロきれのような彼を守ることができる。
その事実が、なぜかとても誇らしかった。
満月が綺麗な夜だった。
私は庭で、いつものように小鳥を捕まえて食事をしていた。牙で小さな傷をつけ、滴る血を唇で受け止める。甘酸っぱい果実のような味が口の中に広がり、今日も私が生きていることを教えてくれた。
こくりと喉を鳴らしたその時、ふいに繁みが揺れた。
獣ではない。
もっと、音を立てずにそうっとこちらを伺うような……。
私は小鳥から唇を離し、そちらを見た。
「うわっ!」
小さな悲鳴が上がる。
驚いて思わず手を緩めると、小鳥が囀りながら飛んでいった。
私は仕方なく茂みに歩み寄る。
そこには、腰を抜かしたように尻もちをつく少年の姿があった。
見た目は私よりもさらに幼く、小さくやせ細っている。
着ている服はボロボロで、まるで焼却炉の中から逃げ出してきたゴミのようだ。
吸血鬼? それとも……人間?
なんと声をかけるべきだろう。
言葉の通じる他者がいる状況など子供の頃ぶりで、私はどうすればいいのか分からなかった。
だから、思ったままを口にする。
「逃げてしまったわ。まだお腹が空いているのに」
「な……なな、なにをしてたの?」
少年が怯えたように聞く。金の髪が月光にきらめいて、少しうっとうしかった。
「食事。別に驚くことではないでしょう? 鳥を食べる動物は多いはずよ」
久しぶりに聞く自分の声は少ししゃがれていて、まるで古く手入れの行き届いてないこの屋敷のようだと思った。
唇の端に残った血を指先で拭いながら、少年に歩み寄る。
「吸血鬼……!」
どうやら人間だったようで、私の言葉は少年の動揺を誘ってしまった。
少年はふっくらとした頬を青ざめさせて、尻餅をついたまま後ずさる。そして首にかけていた何かを手で手繰り寄せると、私の方に突き出した。
「それは?」
「じゅ、十字架だ……! 滅びろ、吸血鬼!」
少年が大切に掲げ持つおもちゃを、私は冷めた目で見る。
「そんなものじゃ無理よ。人間だって信仰心のせいで死んだりしないでしょう?」
ゆっくりと言い聞かせるようにして告げると、みるみる少年の瞳に絶望が浮かんできた。
「おれを、食べるの?」
「食べない。でも、私が怖いならもと来た道を引き返せば良い」
「……帰れない」
途方に暮れた様子で呟いて、少年はぽろぽろと涙を流し始めた。
なぜ泣くのか、わけがわからない。
ただなんとなく、血とは違うそれに触れてみたくなって、指で透明な雫をぬぐい、舐めてみる。
涙が塩辛いのは、人間もヴァンパイアも同じのようだった。
少年はしゃくりあげながら、やがてぽつりぽつりと自分のことを話し始めた。
いわく、彼は数日前、劣悪な環境の孤児院から逃げ出し、馬車の荷台に忍び込んで遠くを目指したらしい。
そして立ち入り禁止になっているこの森を見つけ、何日もさ迷い歩いてここにたどり着いたそうだ。
孤児院のことは書物で読んで知っている。
両親がいない子供たちが暮らす場所だ。
つまり、ひとりぼっちの子供が。
……ああ、なんだ。この子どもは、ひとりが寂しくて泣いているだけだ。
彼の小さな手は十字架を離さない。
これはたしか、神に祈るための道具だ。神とのつながりを確認するための道具。ひとりではないと、そう自分い言い聞かせるための。
でも、神が何をしてくれるというの?
神は決して生き物を助けようとはしない。
ただ眺め、驚くほどの身勝手さで善なる選択を迫るだけだ。
神への怒りと共に沸いてきたのは、目の前の子供への哀れみだった。だから、なるべく優しい声でこう言う。
「私もひとりよ。あなたと同じ。だから、私の屋敷に招待してあげる。名前は?」
語りかけると、少年は頬を伝う涙を腕で乱暴に拭った。
「……レオン。きみは?」
「アンネ」
自分の名を呼んだことなど、どれくらいぶりだっただろうか。
レオンの心の中に自分の名前を刻みつけるように、ゆっくりと発音する。
十字架など……神など、何の役にも立たない。
それよりも、神に見放された吸血鬼の生き残りである自分の方が、今この時ボロきれのような彼を守ることができる。
その事実が、なぜかとても誇らしかった。
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