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第一八章 「それが俺の仕事で――、あの子の望みだ」

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 Ⅰ

 ――アチラは目の前で自身の椅子に腰かけ、冷たく男を見下ろしていた。


 時は、数時間前に遡る――。

 子どもたちの転生が無事に終わりを告げ、それから二週間が経過しようとしていた、今日のこと。
 アチラは局長であるレイに呼ばれて、局長室へと足を運んでいた。
 アチラがノックもそこそこに、部屋へと足を踏み入れれば、局長であるレイはそれに対して何も言わずにハッキリと用件を告げる。
「――お前に任せたい転生者が現れた」
 レイの言葉に、アチラは一瞬目を瞬くも、すぐにニヤリと口元に笑みを称える。それから、部屋の扉を閉めながら、局長に向かって言葉を紡いだ。
「へー、局長が珍しいじゃん。そんなこと言うなんて」
 アチラが不思議に思うのも無理はない。本来なら、これは異例の事態である。

 基本的にアチラたち審判者の元に来る転生者は、あらかじめ階層分けがされていた。それは、転生者の前世の行いによって、罰がない者から罰の重たい者へと分けられていく。
 アチラはその中でも罰の重たい者――このほとんどの者が「奈落」と呼ばれる清算部に送られる――を担当している。
 だが――。
 局長であるレイが、自ら呼び出して指示を出すことなどそうそうあることではない。基本的に転生者の割り振りは、「情報屋」もとい情報管理部が集めた情報を元に行っている。
 そのため、本来レイが担当者に口を出すことはない――はずだった。
 というのにもかかわらず、今アチラの目の前でレイは指示を出そうとしている。
 何か懸念事項があるのか、それとも別の理由があるのか……。
 アチラが不思議そうに思いながらも思考の海に浸っていると、レイは深くため息をついた。
「……何故、楽しそうにしている」
「あ、ばれた?」
 アチラは困った様子もなく、ただニヤリと笑うだけだった。日常とは違うことが起これば、多少なりとも気分が上がる。たまには非日常も体験したいと思ってしまうのだ、仕方がないと思って欲しい。
 すると、レイは頭を抱えた。
「楽しそうにするな。……それに、本来これはお前の担当ではあるんだ」
 アチラはその言葉に目を細める。
「へえ……。そうだと言うのに、わざわざ局長が俺に釘を刺すということは、何かあるってことだよねえ?」
 アチラが確信を持って問えば、レイは間髪入れずに頷く。それから、重々しく口を開いた。
「……そいつは、今回の転生者は、先日の子どもたち関係だ」
「……へえ」
 アチラの蒼い瞳が鋭くなる。
 レイがバサリと机に投げ出すようにして置いた資料に、アチラは歩み寄って手を伸ばす。それから、パラパラと資料をめくっていく。
 その様子を見ながら、レイはさらに言葉を紡いだ。
「お前が一番深く関わった、少年の父親だ」
「……あの子か」
 レイの言葉に、アチラは記憶を呼び覚ます。

 先日、アチラたちが子どもたちを審判した際、子どもたちはタガが外れたように泣いた。
 その中で、アチラが優しく抱きしめた少年。カズネが少年の身を案じて出した大声に身体を震わせ、自身の身体を小さくさせて謝罪を繰り返していた、あの子ども。アチラの言葉に我慢していた想いを決壊させ、最後は笑って送り出すことができた、あの小さな姿。

 アチラはそれを思い出して、怪訝そうに眉を寄せる。
「……それを、その父親であった転生者を、局長は俺に任せたい、と。しかも、わざわざ呼び出してまで」
「……どちらかと言えば、やり過ぎないかの心配、だがな。だが、今回ばかりはお前の判断に任せたいと思った」
「それは、局長が基本的に口を出すのことはない――ってことだよねえ?」
 アチラが局長を視界に捉える。蒼い瞳が普段より何倍も鋭くなった。鋭利な刃物のようである。
 レイはそれを見逃さず、肩を落として言葉を紡ぐ。
「……基本はな。というのも、お前があの少年と深く関わったからだ。少年の想いをよく受け止めていることだろう。だからこそ、お前に任せる。だが、報告は必ず入れろ。良いな」
 アチラは自身の上司の言葉に、ニヤリと笑う。
 ――その言葉が貰えれば、十分だ。
 アチラはそう思いつつも、優雅に一礼するだけであった。
「――お任せを、局長殿」
 アチラは資料を机の上に置くと、颯爽と部屋から立ち去った。
 左手で抱えた大鎌を担ぎ直す。

 腹の奥で燻っていた炎を再燃させ、「死神」が再びこの場所に降臨するのであった――。



 Ⅱ

 その後、アチラはすぐに男と対峙した。待ち望んだこの瞬間である。
「こちらは死神のアチラです。あちらに行くのにあなたが相応しいか、判断しにコチラに伺いました」
 アチラは男と邂逅して、まずは普段通り挨拶をする。左手で手にしている大鎌が、何もしていないのにアチラの意思を尊重するかのようにギラギラと光り輝いているように見えた。

 それはまるで、獣が今にも餌に飛びつこうとしているかのようで――。

 アチラは内心で急いている思いに蓋をしつつ、まだだと自分自身に言い聞かせる。
 ……衝動で動くな。俺が行っているのは、「仕事」だ。
 頭では痛いほどに理解している。だが、心は前へ前へと動こうとしていた。大鎌を簡単に振り下ろしてしまいそうで、アチラは何度も自身に言い聞かせていた。
 それは、つい先日目の前にした子どもの姿が脳裏に焼き付いているからなのだろう。こうも早くに、少年の父親と邂逅するとは思っていなかったが、これは少年たちの想いを知っているから好都合だと思ってしまう。少年や他の子どもたちの姿が脳裏をよぎるたび、強く大鎌を握る手に力が入る。問答無用で振り下ろしたくなる衝動に駆られそうになるのだ。
 落ち着け、まずは話を聞け。勝手に手を下すな。情報が揃っているからって、話を聞かずに行動しようとするな。それをしてしまったら――、俺は、目の前の男と何も変わらない。
 アチラは何度も心に語りかける。自身を押さえつけ、自身を落ち着かせようと心がける。そして、表には出さないように表情を取り繕いながら、男へと声をかけた。
「……君の、第二の人生が歩めるか、話をしよう。判断はそれからだ」
 自分の言葉に、嫌悪感が走る。少年に何をしたか理解しているのに、情報が出揃っているのに、そんなことを言わなきゃいけないことに、腹が立つ。目の前の男を、今すぐに「奈落」に送り込んでやりたい、そんな思いで心を埋め尽くされていく。
 だが――。
 ……あの少年は、それを
 アチラはふと思い出す。少年を送り出すまでに交わした言葉を。少年の、密かな想いを。
 今は自身の思いで埋め尽くされそうになっているが、根本的なことを間違えてはいけない。
 少年の心が何を望んでいたのか、それを受け止めたのは自分だ――。
 アチラはそう思いつつ、男へと視線を向けた。
 男は痩せこけていた。いや、痩せこけているのではなく、やつれているのだろう。虚ろに見える視界が、アチラと交わる。
 アチラが見た情報では、男は少年から標的を自身の妻へと変えた。結果、妻とは言い合いになり、共倒れのように亡くなった――。
 その妻の姿はないが、妻も遅からずこちらに送られてくることだろう。アチラが担当するかは分からないが。
 男が内容を理解したのか、アチラへと問いかけてくる。
「……お、俺はまた生きられるのか!?    本当に!?」
「……それは、君次第だ」
 アチラは表情を取り繕ったものの、その一言を返すことが精一杯だった。
 椅子を取りだし、男と向かい合う。
 男の目には、希望が映っていた。
 ……お前が、希望を持つな。
 アチラの内心で、怒りが燻っていく。だが、それを隠して、アチラは男へと声をかけた。
「……君の前世のことは、事前に調べてある。隠したり、嘘をついたりしても無駄だよ。それだけは理解しておいてね、十三とさつとむ
 アチラが釘を刺すように告げれば、一瞬男は身体をビクリと震わせた。目をキョロキョロとさせ、挙動不審になったかのように落ち着かない。
 見に覚えがある、そう言っているかのようであった。
 ……そうだろうな。
 アチラは内心で納得する。だが、それを表に出すことはなかった。
 ふつふつと次から次へと沸き起こってくる怒りが、アチラを内側から燃やし尽くそうとしている。
 だが、まだ何も始まっていない。
 冷静になれ。審判者が冷静さを欠くな。
 アチラは何度目かは分からないが自分自身に言い聞かせると、話を前に進めることにしたのであった。



 Ⅲ

 そして、現在に至る――。

 男を冷たく視界で捉える。
 アチラにとって、苦痛の時間であった。
 アチラが話を進め、問いかけて行くたびに男は少しずつボロが出ていく。男は自分を庇護しようと口を開くが、アチラの元には正確な情報がある。どれだけ言い訳を述べようが、どれだけ嘘を並べようが、無駄な話であった。アチラが言い返せば、さらに言い訳を考えているのだろう、言葉にならない言葉で時間を稼いでいく。
 ああ、イライラする……。
 アチラはいつも以上に冷静さを欠いていた。
 感情が高ぶることは、今までも何度もあったことだった。こうして転生者と対峙している時やカズネの仕事のやり方を見た時、転生先で話を聞いている時など、あらゆる場面でふつふつと怒りが沸き起こることはあったのだ。
 だが、先日の子どもたちの悲痛な叫びを聞いたからか、はたまた少年の大声で泣く姿を見たからか、男の話を聞くたびにアチラの中で必死に繋いでいる理性が焼き切れそうになる。
 目の前の男に、怒りをぶつけてしまいそうになっているのだ――。
 少年がことは痛いほど理解している。

 だが――。

 アチラは目を細める。

 ――許せるか、許せないかは別の話だ。それに……。

 アチラは先ほどから気になっていることがあった。男は気がついていないのか、何度も会話には出てくるのことを、まるで他人行儀のように話すのだ。
 それが、てめえの普段の行動だった、と見て良いのか……。
 それ相応の罰は下す。だが、その前に言いたいことだけは言っておかなくてはいけない。
 アチラは自身の椅子の肘掛けに肘を置き、そこに頭を預ける。そして、今も言い訳を戯言のように繰り返している男の言葉を遮った。
「……もう、てめえと話しても無駄だよねえ」
「え……」
 アチラの言葉に、男は口から言葉を零した。
 アチラは気にすることなく、言葉を紡いでいく。
「さっきからてめえの話は自分を守ることしか考えていないよなあ。だが、始めに言ったはずだ、いくら隠そうとしたって無駄だって、な」
 アチラは冷たく男を見下ろす。
 男はビクリと身体を震わした。だが、男の口から出てきた言葉は困ったもので。
「ち、違うんだ!    俺は……!」
 まだ言い訳を述べようとしている男の口を、アチラは言葉を遮ることで黙らせる。
「――てめえは、自分の息子に暴言を吐き、痛めつけ、幾度となく謝罪をさせた。挙句の果てに、あの子の命すら奪った。あの子は、何も悪くなかったっていうのに」
「そ、それは……!」
「それにさあ、てめえは気がついているのか?」
 アチラは男を睨みつける。そして、一番許せなかったことを伝えるために口を開く。

 アチラが一番許せなかったこと、それは――。

「……てめえが説明するたびに何度も出てきているはずなのに、てめえは一度も呼ばなかった。てめえは自分の息子だっていうのに、あの少年の名前を一度も呼んでいねえんだ」
 アチラの言葉に、男は動きを止める。その表情は、今さら気がついたと言っているようなものであった。

 ――そう、この男、アチラと話をしている際に何度も自身の息子のことを話す機会があったというのに、一度も名前を呼ぶことがなかったのである。

 毎回毎回、話を出されるたびに「息子は」と告げるものの、一度も名前を出すことはなかった。
 おまけに――。
「――俺がてめえにわざわざ息子の名前を尋ねた時、てめえははぐらかしてたよねえ?    そして、名前を出すことは結局なかった」
「……あ」
「息子の名前を一瞬忘れたって感じでもなかった。てめえの息子の話を聞こうとしても、てめえは一度もその話に食いつかなかった。まさか……、てめえの記憶には残らねえほど、少年の名前を呼ぶことはなかったってことなのか?」
 アチラは蒼い瞳に、怒りの炎を宿す。サファイアが、アメジストのように見えた。その瞳に捉えられただけで、男は身動き一つ取れずにいた。
 アチラは椅子からゆっくりと立ち上がり、大鎌を担ぎ上げる。
「……ねえ、俺が教えてやろうか、てめえの息子の名前を」
 アチラが尋ねても、男は何も言わない。アチラは気にすることなく続けた。
「……てめえの息子の名前は、『夢登ゆめと』。夢に向かって登って行く、素晴らしい名前だよなあ。そして――」
 アチラは大鎌を構えて足に力を入れる。
「――てめえによって、夢に向かうことを余儀なく絶つことしかできなかった、一人の少年の名前だ」
 アチラは男に一瞬で距離を詰めると、大鎌を男に突きつける。
 男の口からは情けない悲鳴が上がった。
 だが、アチラはまだ完全に振り下ろしてはいない。男の首元に突きつけ、今にも刺さりそうな距離で止める。
「……少年がてめえに何をした。あの子はずっと震えて、謝罪を繰り返していた。てめえの挙動に怯え、普段から謝罪を繰り返すようになってしまった。てめえが、少年の未来を奪ったんだ」
 アチラが言い放てば、男は怒りを露わにする。
「……お、俺のせいじゃねえ!    あいつが、あいつが泣くから、騒ぐから教育として――!」
 ……ああ、この男はどこまで行ってもダメなんだな。
 アチラはギリッと奥歯を噛み締める。だが、まだ振り下ろさない。
 言いたいことは、山ほどある。
 アチラは口を開いた。
「……子どもの仕事は、よく食べて、よく寝て、よく遊ぶことだ。よく泣いて、よく笑うことだって大事なことだ。そうして、感情だって豊かになっていく。それは、てめえだって同じことだっただろうが、そうして大人になったんだろうが。……予想以上に救いようのねえ奴だ、てめえはすぐには転生できねえよ」
「なっ!?    てめえ、嘘をついたのか!?」
「てめえ次第って言ったはずだ」
 男が激昂するのを、アチラは睨んで黙らせる。それから、アチラは一つ指をパチンと鳴らした。男を十字架に磔にすると、男は喚いた。
 耳障りな声に、アチラは顔を顰めるも、静かに口を開く。
「あの子が……夢登が、てめえに何を望んだか、分かるか?」
「んなもん、知らねえ!」
「――黙って、聞け」
 アチラは冷たく男を見据える。
 男はあまりの恐怖に口を閉ざした。それだけ、アチラが放つオーラが怖いのだろう。身体が小刻みに震えていた。
 アチラはそれを見ても何も思わなかった。ただ、冷たく告げるだけである。
「俺はてめえを狩りたいほどに怒りが沸き起こっている。今にでも大鎌を振り下ろしたくて仕方がねえ。……だが、少年が望んだのは――、てめえとてめえの妻の幸せだけだった」
「は……」
 男の口から言葉が零れ落ちる。呆気に取られているようだった。
 アチラはそれを聞きながらも続ける。
「……俺は、てめえが罪を清算し終えたら、またこうして邂逅するはずだ。それが俺の仕事で――、あの子の望みだ」
 アチラは今度こそ大鎌を振り下ろそうと構える。
「……十三努、審判を下す。清算後、再度ここへ来い。それまでは、次の道は与えん」

 ――アチラが大鎌を振り下ろす時、一瞬だけ男の顔が歪んでいるように見えたのであった。



 IV

 アチラは男を「奈落」へと送り込むと、一つため息をつく。
「……この仕事って、本当に難しいよねえ」
 それを呟くと、自身の椅子に向かって歩き、そこに腰掛ける。深く深くため息をつきながら、アチラは思いを馳せた。


 ――思い出すのは、少年――夢登との会話。
『本当に、それが望んでいることなわけ?』
 アチラが不思議そうに尋ねれば、夢登は笑う。
『そうだよ。……ぼくね、おとうさんとおかあさんがしあわせになれなかったの、ぼくがいるからかなって思ったの。ぼくがいなかったら、わらえていたんじゃないかなって』
『それは違うよ。君は本当は望まれていたんだから』
『でも、ちがったから。……だからね、こんどはおとうさんとおかあさんがわらっていられるようにしてほしいんだ。お兄ちゃん、どうにか、できる……?』
 アチラの顔を覗き込んで伺うように聞いてくる小さな姿。
 アチラはそれを見て、苦しく思う。
 なぜ、この子がこんな目に遭わなきゃいけなかったのだろう……。けど、それがこの子の望みなら……。
 アチラは夢登に手を伸ばす。まだびくつく身体を見ながらも、アチラは小さな頭を撫でた。
『……すぐには難しいと思う。けど、必ず、君の想いを尊重するよ』
 アチラがそう言えば、夢登は満面の笑みでアチラを見たのであった――。


 アチラはそれを思い出して、瞳を伏せる。蒼い瞳が、なりを潜めた。
 アチラたちにも感情はある。怒りも、苦しみも、痛みも、嬉しいことや悲しいことだってある。
 仕事でも一喜一憂するし、頭を抱えたり、心を痛めたりすることもある。

 それでも――。

「……頭では分かっているのにねえ。俺もまだまだってことかあ」
 アチラはゆっくりと目を開く。それから、ローブのポケットからスマートフォンを取り出し、局長にメールを打つ。
 送信すると、何もない天井を見上げる。
「……君の望むとおりに、俺はできたのかなあ。ねえ、夢登。……君が、次の人生で笑えていることを、幸せになっていることを、俺はひたすらに願うよ」

 愛されなかった子どもたち。
 痛みを知ることしかできなかった、小さな姿。
 それでも、自分の親を心配する優しい心を持つ。

 アチラの背中には哀愁が漂っていたものの、その心は子どもたちのことばかりを思っていたのであった。

 ただ、あの子たちの幸せを願って――。
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