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第二章 「幸せなら、それで良い」

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 Ⅰ

 アチラの仕事が終わった。胸くそ悪い仕事だった、その仕事の後でそのままこの部屋に残るか迷った。仕事がまだあれば、どんな理由があろうとこの部屋に残らなければならない。アチラはとりあえずスマートフォンの中身を確認することにした。
 操作して今日のスケジュールを確認すれば、今のところは急ぎの用件がない。しかも、今日の仕事は先ほどの案件が最後だったらしい。
 ま、俺に対しての相手がいなかっただけだろうな……。
 アチラは目を細めて考える。
 毎日のように、転生者は現れる。だが、それも日によるものはあった。一日に何十件と仕事が立て込む日が最近は多いものの、今日のようにたまたま数件で終わる日もある。五人で仕事を割り振っている、というのもあるのだろうが、五人にはそれぞれ役割もある。それに合うように転生者を割り振っていれば、件数も波があるのだろう。今日は割と落ち着いている、というだけなのだ。
 アチラは一つため息をついた。大袈裟にため息をつくからか、部屋の中では余計に響いて聞こえた。
「悪役令嬢の相手も終わったことだし、気分転換もしたいことだし。……行ってみますか」
 アチラは大鎌をぐるんと回し、担ぎ上げた。まるで、バトントワリングのバトンのように、大鎌が扱われていた。頷くかのように重々しいガチャンという音が部屋の中で奏でられる。

 アチラたちが持っている武器は、個人の好みだったり、手に馴染んだだけだったり、と理由は様々であった。
 そして、その武器にちなんで、彼らには呼び名がある。
 二丁拳銃使い、通称「狙撃者」。
 刀使い、通称「侍」。
 薙刀使い、通称「執行人」。
 聖剣使い、通称「勇者」。
 そして、大鎌使い、通称「死神」のアチラである。

 それにしても、とアチラは自分たちのことを思い出して考える。
 ……ちょっと、後半はファンタジー感があるよねえ。
 自身の通り名、呼び名、コードネーム……、呼び方はなんでも良いのだが、それに関してはアチラは気に入っていた。
「死神」、死を司る神なんて、カッコイイではないか。
 だが、自分の「死神」と、通称「勇者」以外は、どちらかと言えば現実味のある呼び名だ。現代で呼ばれる者もいるわけだし、「侍」だって今はいなくとも昔はいたと証明されているわけである。存在していたことが明らかであれば、それは現実味があると言えるだろう。
 だが、「死神」も「勇者」も、存在を見た者はいない。ハッキリと言ってしまえば、創作の世界でしか見られない、架空上の存在なのだ。これがファンタジーと言わずに、なんと言う。
 ……ま、別に良いんだけどね。
 アチラは一人で完結させた。
 呼び名にこだわりなんてない。言ってしまえば、ただの通称だ。自分が気に入って、仕事ができればそれで良いのだ。
 それに、「こちらは死神のアチラです」、これは気に入って名乗っている。今さら変えようとは思わないし、今後変更する気もない。

 ――通称「死神」。
 死を司る神だと言われている存在。
 だからなのか、アチラの元に来る転生者は、正直に言えばろくな奴がいなかった――。

 アチラが大鎌を振るった回数は、もう数え切れないほど。一万や二万で事足りる数字ではない。おそらく、一億ですら、余裕に超えていることだろう。
 転生することが確定しているなら、大鎌を振るう必要はない。つまり、現代で転生する、もしくは二次創作の世界で転生することが確定していれば、それで大鎌を出す必要がなくなるということだ。だが、そうでない場合、大鎌の登場が確定する。
 おそらく、アチラ同様、他の四人も武器を振るいたくて振るっている者などいないだろう。少なくとも、アチラはそうである。
「……生きづらい世の中になったもんだよねえ」
 アチラは誰に言うでもなく呟いた。誰かが返答してくれるわけでもない。同意してくれるわけでもない。だが、妙に一人で納得してしまったのは、以前同僚がボヤいていたのを聞いたからであろうか。
 現代では、毎日のように悲しいニュースが流れていく。その中には、転生に関係しているものが多かった。おかげでアチラたちは忙しいのだが、それは彼らの負の感情からなのか、世界の理なのか……。悲しきかな、それが今や世界の「普通」になってしまってきている。
 アチラはそこまで考えて首を横に振った。やれやれといった様子である。
「あー、やだやだ。仕事の後って、どうしても滅入るんだよね。特に、厄介な奴を相手にした時。ろくなことを考えないし。……さっさと行くとしますか」
 アチラは大鎌をぐるんと回してから構える。そして、空間に向かって振りかぶった。部屋の中の空間に、切れ目が生じる。それはすぐに大きくなって、空間を切り裂いていた。
 その空間の先に道があるのかも分からない、そんな場所にアチラは気にすることなく足を踏み出した。アチラが歩き始めると、空間は人が通ったことを察知し、門番のように空間を閉じるのであった。



 Ⅱ

 アチラは空間の出入り口を切り裂き、出口から飛び出してトンと降り立った。
 降り立った場所は、現代での流行りである、「異世界」と呼ばれるに相応しい場所であった。アチラは人目につかないように気配を消しつつ、姿をくらませるようにして歩く。とは言っても、我が物顔で歩いている姿は、どこにいようとも変わらないのだが。ここに来るのは数え切れないほどなのだ、もはや自分の庭と言っても過言はなかった。
 アチラは誰もいないことを確認してから大鎌をぐるんと回して宙に放り投げた。すると、大鎌はどこに行ったのやら、落ちてくる気配はなかった。使わない道具をずっと持っている必要はない、そう判断して一度空間にのである。
 森の中を歩いていれば、そこから見えるのは大きな街。現代のヨーロッパのような街並みを遠目に確認しながら、アチラは森の中にポツンと建っている小屋に近づいて行く。草が自由気ままに多い茂っているので、歩くたびにがサリと音を奏でるが、警戒するものは何もなかった。
 アチラがゆっくりと小屋に歩み寄っていけば、ちょうど小屋の横では洗濯物を干している少女がいて。小屋、なんて呼んでいるが、彼女が住んでいる家なのである。
 アチラが音を消すつもりもなく歩いていれば、その音に気がついたのか、少女が顔を上げた。アチラへと視線を向けた少女は、その姿を見てパアッと顔を輝かせる。そして、可憐な声で名を呼んだ。
「アチラさん!」
 アチラはそれに応えるかのように、右手をひらりと振って見せた。そのまま、少女の目の前まで歩いてくると、優雅に一礼をしてみせる。
「こんにちは、お久しぶり、と言っておこうかな」
「相変わらず、お元気そうで」
 少女はクスクスと笑う。幸せそうなその顔に、アチラは思わず口元を緩めていた。

 ――アチラたちが転生させた者たちは、皆あの空間で話したことも、アチラたちの存在すらも記憶には残らずに転生する。
 だが、ごくまれにアチラたちのことを覚えたまま、転生する者たちがいた。
 その共通点としては、二次創作の世界に転生していること、そして彼らに絶大な感謝を示したことであった。だが、アチラたちのことを覚えている確率は、全体の一割にも満たないほど。
 まさに、「奇跡」と言っても過言ではないだろう。

 この少女は、アチラが担当した者であった。アチラの担当にしては珍しく、彼女は転生前は立派な成人女性だったのである。泣いて感謝して、アチラに何度もお礼を言っていた姿は、記憶に新しい。
 以前の女性と、今の少女では、名前も違うし、なんと言っても住む世界が違う。アチラは彼女の元の名前も、転生した今の姿の名前も、どちらも知ってはいたが、少女の名はどちらにせよ呼ばないようにしていた。
 それは、別次元にいると、アチラが理解し忘れないようにするためであった。つまり、彼なりのケジメなのである。いくら仕事で関わったとはいえ、それ以上の手助けはしてはいけない。これからの第二の人生は、彼女自身が自らの力で歩いていかなければいけないからであった。
 だが、多少なりとも関われば、その後どう過ごしているかは気になるもの。アチラはこっそりと転生者たちの様子を気分転換も兼ねて見に行くようにしていた。もっとも、今目の前にいる少女のような場合は、例外で会話をしたり、堂々と会ったりしていたのだが。

 この少女は、二次創作でありきたりな、いわゆるブラック企業に勤めていて過労死してしまった者であった。「ありきたり」、そうは言うものの、その現状がいまだに現代ですべて改善されたわけではないというのが、悲しくも辛い現実。どれだけ世間が呼びかけようとも、その存在がなくなるにはまだしばらく年月が必要なのだろう。
 アチラは少女と長椅子に腰掛けて近況報告も兼ねて会話をすることにした。
「楽しそうだね」
 アチラがそう言えば、少女は頷く。
「はい、こちらの世界に来てから、今までと違って充実しています!    毎日がとても楽しいんです」
「それは何より」
 アチラは少女の答えを聞いて、口元を緩めた。

 ――転生者の種類は三つ。
 一つ目は、現代に転生する者。それは、「輪廻転生」と呼ばれるに相応しく等しい。
 二つ目は、少女と同じ二次創作の世界に転生する者。実は、これに関してはアチラたちの采配にもよる。基本的に判断基準として、現代で寿命をまっとうできず、来世での望みがある者、もしくは現代での後悔を違う世界で叶えたいと願った者などを送るようにしていた。
 そして、三つ目は、清算してから転生する者。

「あー、嫌なことまで思い出した」
 アチラは転生者の条件を思い出して、最後に苦虫を噛み潰したような表情をした。数刻前に終わらせた仕事のことまで思い出してしまったのである。自分に向けてぶん殴りたい衝動に駆られた。
 そのアチラの表情を見た少女は目を丸くしつつ、アチラを心配して声をかける。
「だ、大丈夫ですか?」
 アチラはそれを聞いて、苦笑しつつ返答する。
「あー、うん、大丈夫、大丈夫。……君みたいな子ばかりだと話がしやすいんだけどね。厄介な奴も多いから」
「……お仕事、大変なんですね」
 少女の顔が曇る。
 アチラはそれをじっと見つめてから、少女の額を軽く指で弾いた。少女は小さく痛みを訴えてから、額を手で抑える。アチラはそれを見ながら真剣な表情で告げた。
「君がそんな表情しないの。これは、俺の問題。君の問題じゃない。君はすでに二つ目の人生を歩き出しているんだから」
「け、けど、私は仕事の辛さはよく知ってますし、アチラさんには本当にお世話になって――」
「だからでしょ」
 アチラは再度少女の頭を指で弾く。額を守っていた少女の手は無意味で、第二の攻撃を食らった少女は再度痛みを訴えた。アチラはそんな少女を見つつ、クスリと笑う。
「俺は――俺たちは、君たちを二度目の人生に誘ういざなうことが仕事。そして、君はすでに二度目の人生を歩き始めた。辛さも痛みも知っている君だからこそ、人に優しくなれる。けど、その優しさは俺に向けるものじゃない。つまり、君が俺の仕事の痛みを引き受けることはないってこと」
「……」
 少女は額を抑えたまま、アチラを見つめる。アチラはさらに続けた。
「お世話になっているとか、感謝しているとか、そんなことも関係ない。君はこの世界で今までできなかったことを思う存分にやって、楽しむことが大事。せっかく転生したんだから、楽しまなかったら勿体ないでしょ。そして、転生したんだからこそ、わざわざ人の痛みや辛さを引き受けることはしなくて良いの。……ま、この世界で痛みや辛さがまったくないとは言えないけどさ」
 アチラが最後に冗談めかして言えば、少女は苦笑いする。
「あ、アチラさん、なんでそんな不安になるようなこと言うんですかー……」
「だって、それは本当のことでしょ。どこにいたってそれは変わらないからさ」
「もうー……」
 少女が困り顔で言えば、アチラは笑う。
「ごめん、ごめん。……けど、ここは君が望んだ世界だ。君が最優先することは楽しむこと。俺のことを気遣うことではないってこと。良いね?」
 アチラはポンと少女の頭に手を置いた。そして、言い聞かせるように告げて、少女の目線に自分の目線を合わせる。
 少女はそれを見て顔を赤くしてからこくんと頷いた。
 アチラはそれを見てしばし考えてから口を開く。
「待てよ……。これってもしかしてセクハラ?    俺、訴えられる?」
「う、訴えるわけないじゃないですかー!」
 アチラの言葉に、少女は勢いよく返した。

 ――本当に、どこででも、最後まで締まらない青年である。



 Ⅲ

 アチラと少女はその後もしばらく近況報告をした。くだらない話も交えて会話をしていれば、あっという間に時間は過ぎてしまっていて。
 日が暮れ始めているのを、二人は夕日を見て理解した。アチラはじっとオレンジに染まる日を眺め、重たい腰を上げるかのようにゆっくりと立ち上がった。
「さて、そろそろ帰るようにしますか。邪魔したね」
「いえ、楽しかったです!    また来てください」
 少女がにこやかに答えるのを聞いて、アチラはふとからかいたくなった。ニヤリと笑いつつ、少女に声をかける。
「来るのは構わないんだけどね。君、この世界でちゃんと人とかかわれてるの?」
 アチラがそう言えば、少女はそれに「もう!」と告げつつ頬を膨らます。
「ちゃんとかかわっていますよ!    失礼です!」
「ハハ、ごめん、ごめん」
 アチラはまったく悪びれる様子もなく、軽く謝罪した。少女はまた頬を膨らませてから、一つ息をついて語る。
「……この世界の人たちは、優しい人ばかりです。とても、良くしてもらってます」
「……なら、いいや」
 アチラはフードを右手でクイッと引っ張って深く被り直した。口元を緩め、視線を少女へと向ける。蒼く輝く眼光は、今日は三日月のように優しく見守る視線であった。

 ――その優しい眼差しに少女は時が止まったかのように感じていた。

 アチラは言葉を紡ぐ。
「……君が幸せなら、それで良い。俺の采配が間違っていなかったと、自信を持てるから」
 アチラが言えば、少女は笑って返す。
「アチラさんはきっと、たくさんの人を幸せにしていますよ。私みたいに」
 少女が満面の笑みで告げるのを、アチラは受け止めてクスリと笑う。そして、自信満々に答えた。
「それは光栄だ。……ならば、ここでお暇いたしますよ、レディ?」
「はい、また」
 アチラは少女に向けて優雅に一礼してみせると、その場を後にした。ひらりと右手を振って踵を返した青年の後ろ姿を、少女は姿が見えなくなるまで見守り続けた。
 夕日と重なった青年の眩しい姿に、少女は目を細める。その目元には、感謝の雫が浮かび上がっていた。
 いつまでも、色褪せない感謝の雫である――。



 Ⅳ

 アチラは少女の姿からだいぶ離れ、人目がないことを感じ取ってからパチンと指を鳴らした。すると、どこからともなく大鎌が現れた。半ば宙から落下してくるそれをいとも簡単にパシリと掴み、ぐるんと一度回してから担ぎ上げる。
 一つ満足した息を吐き出す。
「……良いね、あの顔が見られるのは」
 アチラは満足していた。彼の気分転換にもなり、心は温かく満たされている。清々しく晴れ渡った心を大事に抱えて、アチラは沈み行く夕日を眺めた。
「この仕事をしている唯一のやりがいだ。これでまた、自信を持って仕事ができそうだ」
 アチラはローブのポケットにしまっていた何も文句を言わないスマートフォンへと手を伸ばす。操作をしても何も連絡は来ていない。来る前に確認した状態と変わらないということは、今日の仕事は終了と考えて問題ないだろう。
 アチラは大鎌を振りかざし、空間に裂け目を作った。暗いだけのその空間を見て、アチラは告げる。
「――じゃ、帰りますか」
 アチラはトンと地面を蹴って空間に足を踏み入れた。勢いよく飛び込んだアチラを迎え入れた空間は、ゆっくりと入口を閉ざしていく。

 彼の足取りは行きとは違い軽く、そして自信に満ち溢れたものへと変わっていたのであった――。
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