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第一二章 ヴァンパイアと名乗る女性
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Ⅰ
葵羽は目をぱちくりとしただけで、それから言葉が紡がれることはなかった。
女性は強気で掴みかからんとする勢いだ。だが、葵羽の足元でセレストが寝ているからか、葵羽に何かすることはなかった。
セレストの耳はぴく、ぴくと動いている。どうやら、眠っているわけではなさそうであった。先程の騒動もあってか、葵羽の危機に立ち向かえるように備えているらしい。小さな音も聞き逃さないよう、耳を動かしているように見える。だが、セレストが顔を上げることはなかった。
シークは眠気に勝てずに、葵羽の肩ですでに二度寝している。カイルに至っては、起きてくる気配はない。
葵羽は、沈黙が空間を支配する中、静かに言葉を紡いだ。
「……今、ヴァンパイア、と言ったか」
「そうだ」
「……この世界って、ある意味なんでもありだよな。ヴァンパイアがいるとは、思いもしなかった」
「貴様、愚弄する気か」
「そういうつもりで言っていないんだが」
葵羽は頭を抱えつつ、女性の言葉を否定する。噛み合っているようで、噛み合っていない会話に、少し頭が痛くなった。
なるほど、それであの赤い瞳か……。
葵羽がいた世界では、アニメや漫画などの物語の世界で、「ヴァンパイア」もしくは「吸血鬼」はよく出現していた。血を吸うモンスター、言い方は良くないかもしれないが、そんな感じで出てくるのである。もちろん、ヴァンパイアもしくは吸血鬼が、必ずしも悪い奴として描かれているわけではなかった。
ちらり、と女性を見る。何やらそれを誇らしく思っているのか、彼女は葵羽に対してふんぞり返っている姿を見せている。
別にそれをどうこうと思うわけではないが、それよりも気になっているのは、彼女に狙われた理由であった。
吸血鬼、じゃなかった、ヴァンパイア、か……。だが、俺は一度も会った覚えがない。彼女に会った記憶もないんだがな……。
葵羽は一つため息をつく。彼女はそれに対して、ムッとした顔をする。
「おい、貴様」
「……どうでもいいが、そんなに敵対しないでくれるか。それに、どちらかと言えば、俺が怒る立場だと思うんだが」
「貴様の状態など、私は知らん」
「あー、ハイハイ。だが、いつまでも、『貴様』呼びされるのも、嫌なんだがな」
葵羽は目を細める。彼女を睨んだわけではなかったが、目の前の女性は少し怯んだようであった。「うっ……」と小さく言葉が零れる。少し大人しくなった女性に、葵羽はやれやれと首を振る。
そんな中、頭の中に冬景色の声が響いた。
――この女、好きにさせておく気か。
葵羽はそれに返すことなく、少し悩む素振りをする。「どうするかな」、と小さく呟いた。その言葉は、小さすぎて目の前にいるヴァンパイアに届くことはなかった。
「……あのな、あー……。とりあえず、自己紹介といくか。俺は、樹神葵羽だ。アンタの名前は?」
「……スカーレット」
「へえ、良い名だな」
葵羽が素直に褒めれば、スカーレットと名乗った女性は頬を染める。それから、ふんとそっぽを向いた。
「そ、そんなことない!」
「あー……。うん、そうか」
葵羽は面倒になる気がして、言葉を返すのを最低限にした。下手なことを言って、機嫌を損ねたくはない。また襲いかかってこられたら、たまったもんじゃないからだ。
それとは別に、ふと思う。
……こういうのって、ツンデレ、って言うのか?
――ツンデレ、とはなんだ。
次いで、冬景色の言葉が届く。葵羽はどう説明するか悩んだが、胸中で言葉を紡いだ。
なんというか……。まあ、冷たい態度と甘える態度とある者のこと、って感じだろうな。甘える態度は時折の頻度だったと記憶しているが……。照れ隠ししちまうんだと。
――……よく分からん。
冬景色の言葉を聞いて、葵羽はそりゃそうか、と納得してしまう。苦笑して、再度彼女に向き直ることにした。
Ⅱ
葵羽はスカーレットを見つめる。火の明かりしかないので、あまりよく見えないが、美人の類だろうと思う。綺麗な人だ、と素直に思った。
だが、やはり記憶を手繰り寄せても、彼女の記憶にスカーレットらしき人物はいなかった。
「なあ、スカーレット。悪いが、俺はアンタに命を狙われる筋合いはないんだが」
「……貴様、私を忘れたというのか!」
「はあ?」
そうは言われても、本当に記憶にない。
葵羽は自分は記憶力が高いほうだと思っている。だから、記憶に彼女がいないということは、彼女には一回も会っていないということであった。言ってしまえば、見かけた覚えもない。彼女に怒られる理由が思いつかなかった。
再度確認する。
「……いや、悪いが、本当に記憶にない。ヴァンパイア、というからには、俺の血が吸いたい、ってことなのか? もしくは、俺はアンタを怒らせてしまったのか?」
「怒らせたわけではない!」
「……じゃあ、なんだっていうんだ」
「そ、れは……」
スカーレットは急に口ごもる。指をいじりながら頬を染めるスカーレットを見て、葵羽は首を傾げた。彼女の様子が急に一変してしまったため、状況が読めていないのだ。
なんなんだ……。
葵羽は黙ってしまったスカーレットに、声をかける。
「スカーレットみたいな美人さんなら、忘れるとも思えないんだよな。それに、アンタと話した覚えがないんだ」
「……話しては、いない」
「だったら、何故――」
「ちょっとー、あおはー……? どうしたの……」
この騒ぎの中で、起きてしまったのだろう。カイルが目を擦りながら、のそりと起き上がる。ふあー、と呑気に欠伸をして、葵羽を見てくる。
その姿に、思わず葵羽は苦笑した。
子ども、みたいだな……。
「カイル、起きたか」
「うー、これだけ騒がしければね……。まだ眠いー……って誰!?」
カイルはスカーレットの姿を目に留めると、勢いよく叫ぶ。さすがに眠気が吹っ飛んだようであった。口をぱくぱくと開閉させている。
スカーレットは彼を見て、ぎろりと睨んだ。
葵羽は自分の横にカイルを招き、それから今までの会話を彼に話し始めたのだった。
Ⅲ
「へー、なるほどね」
カイルは話をすべて聞き終えると、ふむふむと頷く。
今の説明で何か分かったのか、と葵羽は不思議に思った。自分はあれだけスカーレットと会話をしていても、まったく分からなかったというのに、彼は今の説明を聞いただけで理解したようなのである。
凄いな、カイル……。
そう思いながら、カイルに問いかけた。
「何か分かったのか」
「いやー、分かりやすいというか、なんというか……」
「今のがか?」
葵羽はカイルの言葉を聞いて、目を見開く。今の会話のどこが分かりやすかったのか、彼女には皆目見当もつかない。
カイルだから、分かったのだろうか……。
「まあ、まず言えるとしたら、葵羽に見覚えがなくても、無理はないってことかな」
「……俺の認識は、当たっていたということか」
「そうだね。俺も彼女のことは見覚えないし、会話した記憶もないからさ」
「ヴァンパイアって、初めて見たよー」と呑気に告げているカイルは嬉しそうである。何故かほわほわとしていて、それは葵羽をも和ませたが、今はそんな場合ではなかった。
葵羽は再度カイルに確認する。
「なあ、カイル。俺はこの女性に、スカーレットに失礼なことをしたのだろうか?」
「いやー、それは違うと思うよ。ね、スカーレットさん?」
「……ふん」
スカーレットはカイルの言葉に、少し頬を赤くしてそっぽを向く。
葵羽はますます訳が分からなかった。一人首を傾げる中、頭に届くのは呆れた刀の声。
――鈍感だな。
はあ?
葵羽は反射的に刀に声を返す。納得がいかない。この感じでは、おそらく冬景色も理解しているのであろう。
何故こいつらは簡単に分かるんだ……?
難しい顔をして考え込む葵羽を、カイルは笑って見ている。カイルは、葵羽を見つめながら告げた。
「おそらくだけど、スカーレットさんは、葵羽に一目惚れしたんだと思うよ」
「……は?」
「……ふん」
カイルの言葉に、葵羽とスカーレットは各々声を出す。カイルは嬉しそうに語った。
「葵羽は歩いてるだけでも、目立ちそうだもんねー。街中とかで歩いてるところを見かけて、追っかけてきたんじゃない?」
「目立つことはしてないと思うんだが……。それにしても、追っかけてくる理由はなんだ? 暗闇で襲いかかってくる理由も分からねえし」
「それは本人に聞くべきだよ。ね、スカーレットさん」
スカーレットはカイルの言葉を受け、ゆっくりと言葉を紡いだ。ちらちらと視線は、葵羽に向けられている。
だが、葵羽はその視線に関しても、首を傾げるだけであった。
「……私は、ヴァンパイアだ。陽の光は好かん。それに――」
「それに?」
口を揃えて、葵羽とカイルは問い返す。スカーレットはまた指をいじりながら、口ごもった。しかし、意を決したのか、少し時間を置くと、半ば叫ぶようにして二人にぶつける。
「……私は! イケメンから血を吸いたいんだ!」
「……」
「あー、なるほどねー」
彼女の言葉を聞き、葵羽は沈黙した。カイルはぽんと手を打ちながら、納得する。
葵羽は首を傾げながら、確認する。
「……人違いではないのか?」
「葵羽は、少し自分を過小評価し過ぎだと、俺は思うよー」
カイルはのほほんと返す。スカーレットも興奮気味に頷く。
そうなのか……?
葵羽はよく分かっていないが、聞き返すことはしなかった。黙って二人の様子を窺う。
しかし、疑問に思った点があった。
「……ちょっと待て。なら、何故俺がスカーレットを忘れたことになるんだ」
「貴様、本当に忘れているのだな!」
「何の話だって言ってんだよ」
「……そ、それは……。街中で、目が合った、だろう……」
もじもじと告げる彼女に、葵羽もカイルもぽかんと口を開いてしまう。カイルは我に返ると、「いやいや」と首を振った。
「僕たちが街にいたのなんて数時間だし、あれはお昼の時間だったよ!? 陽の光は嫌いだって、言ってたじゃん!」
「ローブを被って、日陰にいたからなんとかなったんだ!」
「……本当に、なんでもありだな、この世界は」
カイルとスカーレットの言い争いを見つつ、葵羽は再度痛みがぶり返してきた頭を抱えた。
だが、その時にも目が合った記憶などない。葵羽は素直に白状した。
「悪いが、目が合った記憶もないぞ。やはり、人違いではないのか」
「違う! お前のその視線だった! 鋭い突き刺すような瞳、それに私は惹かれたのだ! ……とは言っても、勘違いするなよっ!」
「あー、ハイハイ。……なら、たまたま視線が交わったってとこか」
葵羽は一人ふむと考える。
スカーレットは気を取り直して、葵羽を見つめた。
「私が吸いたいと思った男は、数少ないのだ! 光栄に思え!」
「とは言ってもなあ……。スカーレットの要望に応えられないのが、現状なんだよな」
「そうだねー、諦めてもらうしか答えがないかなあ」
「な、何を……!」
「あのな、スカーレット。期待を裏切ってすまないが、俺は女だぞ」
憤る彼女へ、葵羽は淡々と告げた。沈黙が三人を包み込んだ。
Ⅳ
最初に言葉が出たのは、スカーレットであった。
「……は?」
「いや、だからな、女なんだって」
「分かる。勘違いしちゃうよねー」
「んなこと言ったってなー、俺はこれが落ち着くんだよ」
葵羽はカイルと話し始めてしまう。そんな中、小さな声が二人に届いた。
「その、話し方……。それに、その格好……」
「好きでこの話し方をしているし、好きでこの格好をしている。女の格好は好かなくてな」
葵羽の言葉に、スカーレットは呆然とした。葵羽は冷静に言葉を返していたが、内心申し訳なく思っていた。
まさか、そこまで勘違いさせていたとは……。
葵羽のいた世界でも、何度か間違えられたことはあった。だが、本気で狙ってきた女性はいなかったし、訂正すればそれはそれで何故か楽しまれていた。
そのため、今回のパターンは実は初めてだったのである。
葵羽は考えつつ、言葉を続けた。
「……まあ、血を吸われたいとは思っていないし、スカーレットの要望に応えられるわけでもないから、出来れば諦めて欲しいんだが」
葵羽がそう言えば、スカーレットは顔を俯かせる。数秒じっとしていたかと思えば、勢いよく顔を上げた。羞恥で顔が赤く、瞳が滲んでいた。
涙目の彼女を見て、葵羽は胸が痛む。
「……ま、紛らわしいことをするな!」
「すまない」
「……し、失礼する!」
勢いよく去っていく彼女を見て、思わず追いかけようか迷った。だが、変な期待をさせても良くないと考え直し、葵羽は踏みとどまった。
はー、と一つ息が出てしまう。
「……申し訳ないことをしたな」
葵羽が素直に言葉を零せば、カイルは苦笑した。
「まあ、こればっかりはね。……でも、あの子、戻ってくる気がするんだよなー」
「……何故だ?」
カイルの言葉に、葵羽は問いかける。理由が分からなかった。カイルはうーんと悩んだ後、言葉を紡ぐ。
「……そんな簡単に、忘れられないでしょ、葵羽のこと」
葵羽はそれを聞いて、結局分からずに首を傾げた。よく分からない。
カイルはそれを見ながら、ため息混じりに「厄介な相手選んじゃたねー……」と呟く。
ますます訳が分からない葵羽に、冬景色は再度呟いたのであった。
――鈍感だな。
葵羽は目をぱちくりとしただけで、それから言葉が紡がれることはなかった。
女性は強気で掴みかからんとする勢いだ。だが、葵羽の足元でセレストが寝ているからか、葵羽に何かすることはなかった。
セレストの耳はぴく、ぴくと動いている。どうやら、眠っているわけではなさそうであった。先程の騒動もあってか、葵羽の危機に立ち向かえるように備えているらしい。小さな音も聞き逃さないよう、耳を動かしているように見える。だが、セレストが顔を上げることはなかった。
シークは眠気に勝てずに、葵羽の肩ですでに二度寝している。カイルに至っては、起きてくる気配はない。
葵羽は、沈黙が空間を支配する中、静かに言葉を紡いだ。
「……今、ヴァンパイア、と言ったか」
「そうだ」
「……この世界って、ある意味なんでもありだよな。ヴァンパイアがいるとは、思いもしなかった」
「貴様、愚弄する気か」
「そういうつもりで言っていないんだが」
葵羽は頭を抱えつつ、女性の言葉を否定する。噛み合っているようで、噛み合っていない会話に、少し頭が痛くなった。
なるほど、それであの赤い瞳か……。
葵羽がいた世界では、アニメや漫画などの物語の世界で、「ヴァンパイア」もしくは「吸血鬼」はよく出現していた。血を吸うモンスター、言い方は良くないかもしれないが、そんな感じで出てくるのである。もちろん、ヴァンパイアもしくは吸血鬼が、必ずしも悪い奴として描かれているわけではなかった。
ちらり、と女性を見る。何やらそれを誇らしく思っているのか、彼女は葵羽に対してふんぞり返っている姿を見せている。
別にそれをどうこうと思うわけではないが、それよりも気になっているのは、彼女に狙われた理由であった。
吸血鬼、じゃなかった、ヴァンパイア、か……。だが、俺は一度も会った覚えがない。彼女に会った記憶もないんだがな……。
葵羽は一つため息をつく。彼女はそれに対して、ムッとした顔をする。
「おい、貴様」
「……どうでもいいが、そんなに敵対しないでくれるか。それに、どちらかと言えば、俺が怒る立場だと思うんだが」
「貴様の状態など、私は知らん」
「あー、ハイハイ。だが、いつまでも、『貴様』呼びされるのも、嫌なんだがな」
葵羽は目を細める。彼女を睨んだわけではなかったが、目の前の女性は少し怯んだようであった。「うっ……」と小さく言葉が零れる。少し大人しくなった女性に、葵羽はやれやれと首を振る。
そんな中、頭の中に冬景色の声が響いた。
――この女、好きにさせておく気か。
葵羽はそれに返すことなく、少し悩む素振りをする。「どうするかな」、と小さく呟いた。その言葉は、小さすぎて目の前にいるヴァンパイアに届くことはなかった。
「……あのな、あー……。とりあえず、自己紹介といくか。俺は、樹神葵羽だ。アンタの名前は?」
「……スカーレット」
「へえ、良い名だな」
葵羽が素直に褒めれば、スカーレットと名乗った女性は頬を染める。それから、ふんとそっぽを向いた。
「そ、そんなことない!」
「あー……。うん、そうか」
葵羽は面倒になる気がして、言葉を返すのを最低限にした。下手なことを言って、機嫌を損ねたくはない。また襲いかかってこられたら、たまったもんじゃないからだ。
それとは別に、ふと思う。
……こういうのって、ツンデレ、って言うのか?
――ツンデレ、とはなんだ。
次いで、冬景色の言葉が届く。葵羽はどう説明するか悩んだが、胸中で言葉を紡いだ。
なんというか……。まあ、冷たい態度と甘える態度とある者のこと、って感じだろうな。甘える態度は時折の頻度だったと記憶しているが……。照れ隠ししちまうんだと。
――……よく分からん。
冬景色の言葉を聞いて、葵羽はそりゃそうか、と納得してしまう。苦笑して、再度彼女に向き直ることにした。
Ⅱ
葵羽はスカーレットを見つめる。火の明かりしかないので、あまりよく見えないが、美人の類だろうと思う。綺麗な人だ、と素直に思った。
だが、やはり記憶を手繰り寄せても、彼女の記憶にスカーレットらしき人物はいなかった。
「なあ、スカーレット。悪いが、俺はアンタに命を狙われる筋合いはないんだが」
「……貴様、私を忘れたというのか!」
「はあ?」
そうは言われても、本当に記憶にない。
葵羽は自分は記憶力が高いほうだと思っている。だから、記憶に彼女がいないということは、彼女には一回も会っていないということであった。言ってしまえば、見かけた覚えもない。彼女に怒られる理由が思いつかなかった。
再度確認する。
「……いや、悪いが、本当に記憶にない。ヴァンパイア、というからには、俺の血が吸いたい、ってことなのか? もしくは、俺はアンタを怒らせてしまったのか?」
「怒らせたわけではない!」
「……じゃあ、なんだっていうんだ」
「そ、れは……」
スカーレットは急に口ごもる。指をいじりながら頬を染めるスカーレットを見て、葵羽は首を傾げた。彼女の様子が急に一変してしまったため、状況が読めていないのだ。
なんなんだ……。
葵羽は黙ってしまったスカーレットに、声をかける。
「スカーレットみたいな美人さんなら、忘れるとも思えないんだよな。それに、アンタと話した覚えがないんだ」
「……話しては、いない」
「だったら、何故――」
「ちょっとー、あおはー……? どうしたの……」
この騒ぎの中で、起きてしまったのだろう。カイルが目を擦りながら、のそりと起き上がる。ふあー、と呑気に欠伸をして、葵羽を見てくる。
その姿に、思わず葵羽は苦笑した。
子ども、みたいだな……。
「カイル、起きたか」
「うー、これだけ騒がしければね……。まだ眠いー……って誰!?」
カイルはスカーレットの姿を目に留めると、勢いよく叫ぶ。さすがに眠気が吹っ飛んだようであった。口をぱくぱくと開閉させている。
スカーレットは彼を見て、ぎろりと睨んだ。
葵羽は自分の横にカイルを招き、それから今までの会話を彼に話し始めたのだった。
Ⅲ
「へー、なるほどね」
カイルは話をすべて聞き終えると、ふむふむと頷く。
今の説明で何か分かったのか、と葵羽は不思議に思った。自分はあれだけスカーレットと会話をしていても、まったく分からなかったというのに、彼は今の説明を聞いただけで理解したようなのである。
凄いな、カイル……。
そう思いながら、カイルに問いかけた。
「何か分かったのか」
「いやー、分かりやすいというか、なんというか……」
「今のがか?」
葵羽はカイルの言葉を聞いて、目を見開く。今の会話のどこが分かりやすかったのか、彼女には皆目見当もつかない。
カイルだから、分かったのだろうか……。
「まあ、まず言えるとしたら、葵羽に見覚えがなくても、無理はないってことかな」
「……俺の認識は、当たっていたということか」
「そうだね。俺も彼女のことは見覚えないし、会話した記憶もないからさ」
「ヴァンパイアって、初めて見たよー」と呑気に告げているカイルは嬉しそうである。何故かほわほわとしていて、それは葵羽をも和ませたが、今はそんな場合ではなかった。
葵羽は再度カイルに確認する。
「なあ、カイル。俺はこの女性に、スカーレットに失礼なことをしたのだろうか?」
「いやー、それは違うと思うよ。ね、スカーレットさん?」
「……ふん」
スカーレットはカイルの言葉に、少し頬を赤くしてそっぽを向く。
葵羽はますます訳が分からなかった。一人首を傾げる中、頭に届くのは呆れた刀の声。
――鈍感だな。
はあ?
葵羽は反射的に刀に声を返す。納得がいかない。この感じでは、おそらく冬景色も理解しているのであろう。
何故こいつらは簡単に分かるんだ……?
難しい顔をして考え込む葵羽を、カイルは笑って見ている。カイルは、葵羽を見つめながら告げた。
「おそらくだけど、スカーレットさんは、葵羽に一目惚れしたんだと思うよ」
「……は?」
「……ふん」
カイルの言葉に、葵羽とスカーレットは各々声を出す。カイルは嬉しそうに語った。
「葵羽は歩いてるだけでも、目立ちそうだもんねー。街中とかで歩いてるところを見かけて、追っかけてきたんじゃない?」
「目立つことはしてないと思うんだが……。それにしても、追っかけてくる理由はなんだ? 暗闇で襲いかかってくる理由も分からねえし」
「それは本人に聞くべきだよ。ね、スカーレットさん」
スカーレットはカイルの言葉を受け、ゆっくりと言葉を紡いだ。ちらちらと視線は、葵羽に向けられている。
だが、葵羽はその視線に関しても、首を傾げるだけであった。
「……私は、ヴァンパイアだ。陽の光は好かん。それに――」
「それに?」
口を揃えて、葵羽とカイルは問い返す。スカーレットはまた指をいじりながら、口ごもった。しかし、意を決したのか、少し時間を置くと、半ば叫ぶようにして二人にぶつける。
「……私は! イケメンから血を吸いたいんだ!」
「……」
「あー、なるほどねー」
彼女の言葉を聞き、葵羽は沈黙した。カイルはぽんと手を打ちながら、納得する。
葵羽は首を傾げながら、確認する。
「……人違いではないのか?」
「葵羽は、少し自分を過小評価し過ぎだと、俺は思うよー」
カイルはのほほんと返す。スカーレットも興奮気味に頷く。
そうなのか……?
葵羽はよく分かっていないが、聞き返すことはしなかった。黙って二人の様子を窺う。
しかし、疑問に思った点があった。
「……ちょっと待て。なら、何故俺がスカーレットを忘れたことになるんだ」
「貴様、本当に忘れているのだな!」
「何の話だって言ってんだよ」
「……そ、それは……。街中で、目が合った、だろう……」
もじもじと告げる彼女に、葵羽もカイルもぽかんと口を開いてしまう。カイルは我に返ると、「いやいや」と首を振った。
「僕たちが街にいたのなんて数時間だし、あれはお昼の時間だったよ!? 陽の光は嫌いだって、言ってたじゃん!」
「ローブを被って、日陰にいたからなんとかなったんだ!」
「……本当に、なんでもありだな、この世界は」
カイルとスカーレットの言い争いを見つつ、葵羽は再度痛みがぶり返してきた頭を抱えた。
だが、その時にも目が合った記憶などない。葵羽は素直に白状した。
「悪いが、目が合った記憶もないぞ。やはり、人違いではないのか」
「違う! お前のその視線だった! 鋭い突き刺すような瞳、それに私は惹かれたのだ! ……とは言っても、勘違いするなよっ!」
「あー、ハイハイ。……なら、たまたま視線が交わったってとこか」
葵羽は一人ふむと考える。
スカーレットは気を取り直して、葵羽を見つめた。
「私が吸いたいと思った男は、数少ないのだ! 光栄に思え!」
「とは言ってもなあ……。スカーレットの要望に応えられないのが、現状なんだよな」
「そうだねー、諦めてもらうしか答えがないかなあ」
「な、何を……!」
「あのな、スカーレット。期待を裏切ってすまないが、俺は女だぞ」
憤る彼女へ、葵羽は淡々と告げた。沈黙が三人を包み込んだ。
Ⅳ
最初に言葉が出たのは、スカーレットであった。
「……は?」
「いや、だからな、女なんだって」
「分かる。勘違いしちゃうよねー」
「んなこと言ったってなー、俺はこれが落ち着くんだよ」
葵羽はカイルと話し始めてしまう。そんな中、小さな声が二人に届いた。
「その、話し方……。それに、その格好……」
「好きでこの話し方をしているし、好きでこの格好をしている。女の格好は好かなくてな」
葵羽の言葉に、スカーレットは呆然とした。葵羽は冷静に言葉を返していたが、内心申し訳なく思っていた。
まさか、そこまで勘違いさせていたとは……。
葵羽のいた世界でも、何度か間違えられたことはあった。だが、本気で狙ってきた女性はいなかったし、訂正すればそれはそれで何故か楽しまれていた。
そのため、今回のパターンは実は初めてだったのである。
葵羽は考えつつ、言葉を続けた。
「……まあ、血を吸われたいとは思っていないし、スカーレットの要望に応えられるわけでもないから、出来れば諦めて欲しいんだが」
葵羽がそう言えば、スカーレットは顔を俯かせる。数秒じっとしていたかと思えば、勢いよく顔を上げた。羞恥で顔が赤く、瞳が滲んでいた。
涙目の彼女を見て、葵羽は胸が痛む。
「……ま、紛らわしいことをするな!」
「すまない」
「……し、失礼する!」
勢いよく去っていく彼女を見て、思わず追いかけようか迷った。だが、変な期待をさせても良くないと考え直し、葵羽は踏みとどまった。
はー、と一つ息が出てしまう。
「……申し訳ないことをしたな」
葵羽が素直に言葉を零せば、カイルは苦笑した。
「まあ、こればっかりはね。……でも、あの子、戻ってくる気がするんだよなー」
「……何故だ?」
カイルの言葉に、葵羽は問いかける。理由が分からなかった。カイルはうーんと悩んだ後、言葉を紡ぐ。
「……そんな簡単に、忘れられないでしょ、葵羽のこと」
葵羽はそれを聞いて、結局分からずに首を傾げた。よく分からない。
カイルはそれを見ながら、ため息混じりに「厄介な相手選んじゃたねー……」と呟く。
ますます訳が分からない葵羽に、冬景色は再度呟いたのであった。
――鈍感だな。
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