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第九章 少女が通う学校内の第二関門
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Ⅰ
吟はセレーナとともに、二つ目の建物へと足を踏み入れていた。セレーナが利用しているという寮である。教師陣の次は、この建物内の上の者に許可を貰わねばならない、そのために吟はセレーナとともに訪れていたのであった。教師陣に何とか許可を得たものの、この建物内に入出するのであれば、当然ここでの許可も必要となる。セレーナが説得するのに、吟はついて行くほかなかった。
吟がセレーナとともに廊下を歩いていれば、次から次へと向けられる人の視線。セレーナのように、この寮を利用している、学校の生徒たちなのだろう。随分と若く見える、吟はそう思った。もっとも、自分の今の年齢が、彼らとそう変わらないということは棚に上げていたのだが。
さすがに次々に向けられる痛い視線に、吟は居心地の悪さを感じていた。教師陣から向けられるものとは違い、不安そうな視線が突き刺さる。
視線に敏感というのは、こういう時困るものだな……。
吟はふと思った。
戦国時代より戦いの場に赴いていた吟は、人の気配や視線に敏感になっていた。少しの気配や視線でも気がつくし、気になってしまう。特に、戦国時代では余計に気にしていたものであった。少しでも自分が油断すれば、自分の身が危ういし、守りたいものも守れない結果となる。そんな理由も含めて、吟は気配や視線に敏感になっていたのであった。
今、吟に向けられている視線は、不審、不安、嫌悪、困惑……。歓迎の意思は一つも伝わってこない。それは些細なことだし、そんなことは気にもしていなかった。自分が警戒されることなんて、日常茶飯事であった。
だが、不安や困惑の視線を向けられるとなれば、吟は気になってしまう。教師陣よりも圧倒的に多い視線の数。そして、彼らを不安にさせている原因が自分となれば、若い彼らに対して申し訳なくなってくるのだ。自分がどんな目で見られようが気にならないが、彼らを困らせたくはなかった。
こんな思考に陥るとは……。それにしても、セレーナ殿に迷惑がかからなければ良いのだが……。
吟はチラリとセレーナへ視線を向けた。しかし、セレーナと視線は交わらない。セレーナは前を向いて堂々と歩いているだけであった。吟はその姿に目を瞬いてしまう。
やはり、強いな……。
この少女の堂々とした姿に、強い心に、吟は何度となく驚かされてきた。吟が前世から何百年生きていようと、いまだに学ぶことは多い。
セレーナ殿を、見習わなくてはな……。
吟は思わず口元を緩めた。微かな笑いを聞き取ったらしい少女が振り向く。
「ウタ様?」
「いや、何もない」
吟は緩く首を横に振ってから、前を向く。セレーナの横を歩きながら、次の関門も無事に突破できることを祈るのであった。
Ⅱ
辿り着いたのは、「寮長室」と記載されていた部屋で。吟はセレーナの後に続いて入室した。
目の前にある机を挟んで座っていたのは、凛と佇む女性で。美人の類に含まれるであろう彼女は、セレーナを見た後に吟へと視線を移した。
女性の近くには、優しい雰囲気を纏った男性がおり、彼は吟を見て驚いた表情をしたが、すぐに微笑んだ。
セレーナは挨拶してから、すぐに女性に話を振る。吟はその後ろ姿をじっと見つめていた。セレーナの会話に耳を傾けていれば、時折女性の質問が加わる。基本的にセレーナの話を聞いているだけの女性は時折吟へ視線を寄越すが、不審を抱いている様子はない。男性もセレーナの話を聞き、相槌を打つだけで何か言うことはなかった。
一通りの話が終わったようで、女性は机の上で指を組んだ。それから、吟をじっと見つめて静かに口を開く。
「ウタ殿、でよろしかったか」
「一青吟と申す。吟で良い」
「そうか。今、セレーナから話は伺った。その内容に間違いはないな」
女性の言葉に、吟はすぐに頷いて肯定の意を示す。
「ああ、嘘偽りない」
じっと女性から向けられる視線を、吟は正面から受け止めた。女性はそれを見てふむと頷いた後、男性へと視線を向ける。それから、彼と二言、三言会話をすると、再度吟とセレーナに向き直った。腕を組んで堂々と言い放つ。
「良かろう、滞在を許可する」
これには、吟は驚いていた。教師陣には、相当な時間と説得が必要だったのに、やけにあっさり許可を貰えたからであった。
横にいるセレーナは喜んでいるものの、吟は目を見開いて固まっている。その姿を見た女性は呆れたようにため息をついた。
「なんだ、もう少し嬉しそうにしたらどうなんだ」
「……いや、やけにあっさりしていたものだからな。拍子抜けしているのだ」
吟が正直に感想を延べれば、女性はなんだと言わんばかりに再度息をつく。それから、 冷静に告げた。
「先生方が許可を出したのだ。私がとやかく言うことでもない。それに、セレーナは普段から正直者で優秀な者だ。信用しているのに、疑うことなどなかろう」
「それに、あなたから不穏な気配はなかったので、問題ないかと判断しました」
女性に続けて、男性が初めて口を開いた。穏やかに話す内容に、吟は再度目を見開く。
一応、判断材料があったということか……。
吟はそれにすぐに目を細めた。
男性は「不穏な気配がなかった」と言った。つまり、それを感じ取るか、何かで調べていたということ。吟の頭の中に甦るのは、ここにはいない要の言葉。最初に話を聞いた時に、魔法がある世界だと言っていた。
……魔法、とやらを使っているのであれば、いつかは話を聞いてみたいものだな。
吟には馴染みのない話だが、この世界では一般的な力となっている。警戒するものとして、該当するだろう。
吟はそこまで考えてから、感想を述べる。
「……若いのに、しっかりしているのだな」
「その言葉、そっくりそのままお返しするぞ」
吟の言葉に、呆れた様子で告げる女性は、一度言葉を区切ってから、再度口を開いた。
「申し遅れた、グロリア・キャッスルだ。この寮の寮長を務めている」
「私はアルフレッド・スチュアートです。グロリア寮長の補佐、といったところでしょうか」
「副寮長が何を言っているんだか」
グロリアと名乗った女性が、アルフレッドと名乗った男性に呆れた声音で返している。アルフレッドは苦笑していた。吟はその言葉を聞きつつじっと二人を見ていれば、セレーナがこそりと耳打ちをしてくる。
「アルフレッド副寮長は、グロリア寮長の補佐と仰っていますが、この寮の二番目に偉い方ではあります。ご謙遜されてはいますが、実力もしっかりと認められているのですよ」
「……なるほど」
吟はセレーナの言葉を聞いて頷く。
確かに、グロリアとアルフレッドの二人からは何やら強そうな気配を感じ取っていた。それが、体術なのか、剣術なのか、はたまた魔法という力なのか、どれが優れているのかは分からずとも、実力があることは感じ取っていたのである。強者の気配、そう言えるものである気がした。
何にせよ、許可が貰えたとなれば、これからの行動はしやすくなるだろうな。
吟がそう考えていれば、グロリアが向き直る。二人の会話が終わったらしい。グロリアは腕を組みながら、吟へと声をかけた。
「時に、ウタ殿。この学園の異変に気がついているというのは、本当か」
吟はその言葉に、表情を引き締めた。それから、小さく「いや」と呟く。グロリアとアルフレッドが厳しい表情をした。吟はそれを見つつ、言葉を紡ぐ。
「……異変、と呼べる確証には至っていない。ただ、この学校とやらの領域に入ってから何かしらの気配を感じ取っている、というだけだ」
「いや、それは大きな進歩だ。その気配に気がつく者は今まで誰一人としていなかった。それに気がつかれただけで、今後動く指標となる」
グロリアの言葉に、吟はふむと頷いた。これほどの人間がいて、誰一人気がついていなかったということは、やはり妖怪の類なのだろうか。
それとも――。
――まったく、別物の何かなのか。
吟はそれを考えつつ、口を開く。
「嫌な気配、邪悪な気配、それぐらいしかまだ分かっておらぬが、道中にはなかった気配だ。それには我も少し引っかかっている。この中で何かが起きると言うのだろうか」
「分からん。だが、生徒が消えているというのは揺るがぬ事実だ。その話はセレーナから聞いているのだろう。……ウタ殿がいれば、早くにこの事件に決着がつくかもしれん。力を貸して欲しい」
グロリアの真っ直ぐな視線を見て、吟は頷いた。
「我はすでにセレーナ殿より依頼を受けている身。役に立つかは分からぬが、微力ながら力を貸す所存だ」
「そうか、なら――」
グロリアが吟の言葉を聞いて、握手をしようと手を差し伸べた、その時――。
「――ちょっと待った!」
――勢いよく扉が開かれ、第三者の声が部屋中に響き渡ったのであった。
Ⅲ
ズカズカと背後に人を引き連れつつ、中へと入ってきた男。ニヤリと笑ったその顔に、吟は思わず顔を顰めていた。
少し、いや、かなり好かんと思ってしまったのだ。
人を見た目で判断するのもどうかとは思うのだが、こやつとはウマが合いそうではないな……。
吟がじっと男の行動を窺っていれば、グロリアが声を上げる。
「何用だ、アンドレ」
グロリアの表情も厳しい。アルフレッドもしかめっ面をしていた。
アンドレと呼ばれた男はふんと鼻を鳴らしてから、偉そうに口を開く。
「そんな部外者、信用できませんよねえ、寮長?」
「口を慎め。大体にして私だけの判断ではない。先生方が許可をして、アルフレッドも認めている。我々か偉そうに何かを言えるわけでもあるまい。それに、彼はすでに気配に気がついているという。彼の力があれば、この事件、早くに決着をつけられるかもしれないのだ」
グロリアはそう告げるが、男は納得いかないとばかりに再度口を開く。表情には笑みを称えているが、目は笑っていなかった。
「得体の知れない奴を中に入れて、誰が納得するっていうんだ。大体にして見てみろよ、廊下をな」
アンドレの背後にいた者たちもそうだが、廊下から扉の中を覗き込んでこちらの様子を窺っている者たちも小声で何かを話していた。言葉としては聞こえず、ザワザワと騒がしく聞こえただけではあるが、不安そうな目がいくつも吟に向けられている。
吟は男の言葉はもっともであると思っていた。得体の知れない、その言葉は的を射ていると思っている。だが、何故だか男の言葉に納得したくなかった。妙に癪に障る、そう思ってしまうのである。
すると、そこに口を挟んだのは、セレーナである。
「アンドレ、下がりなさい。ウタ様に失礼なことを言うのであれば、私が許しませんわ」
だが、アンドレはそれを聞いて笑うだけだった。背後にいた者たちも、それに賛同するかのように笑った。馬鹿にするような笑いだ。吟はそれを見てさらに眉を寄せた。
アンドレは笑いながら声を上げる。
「女に守られるなんてなあ、滑稽だ!」
ギャハハと笑っている男を見つつ、吟は刀の柄に手をかけた。親指で鍔を押す。抜くつもりはさらさらなかったが、何かあった時のためだ。
だが、そこで動いたのは、アルフレッドであった。
「アンドレ、やめるんだ」
アルフレッドが短く告げつつ、男の肩に手を置く。アンドレはその手を払い、さらにアルフレッドへ手を上げようとした。だが、それを制したのは、吟である。アンドレの手を掴み、ギリっと力を込めた。
セレーナが吟の名を呼ぶ。
「ウタ様!」
吟はそれに答えることなく、セレーナをチラリと見ただけであった。それから、視線を男に戻し、冷酷に告げる。
「……我のことは好きに言えば良い。何を言われても構わん。だが、セレーナ殿や彼らを巻き込むな。不愉快だ」
「はっ、意外と動けるんだな。だが、そいつのところに雇われているんだろ? どうせ、金目当ての――」
アンドレの言葉はそれ以上続かなかった。
吟が掴んでいた手を勢いよく離してから、アンドレの背後をとって刀を抜いたのである。首元に突きつけられた刀を見て、アンドレはヒュッと息を呑んだ。周囲でざわめく声がするが、吟はそれを気にすることはない。
アンドレ一人のためにほかの者たちを怖がらせるのはどうかとは思ったが、吟も舐められたままでは終わらない。少しばかり、お灸を据えようと考えたのである。
吟は男の耳元で低く言葉を発する。
「貴様の勝手な判断で物事を語るな。命取りになるぞ。――我は手荒な真似はしたくはない。退け」
「……っ! ふざけるな! おいっ!」
アンドレの背後にいた者たちが、雄叫びを上げながら吟へと襲いかかる。吟はセレーナが無事であることを確認してから、彼らへチラリと視線を寄越した。それから、アンドレを突き飛ばし、刃が当たらないように峰の部分を下にして、狭い部屋の中を最小限の動きで動く。二、三人を峰打ちで吹っ飛ばし、壁に叩きつけた後、床をトンと蹴って長い足で数人を蹴飛ばす。力は相当加減していた。
アンドレが引き連れていた者たち全員を叩きのめすと、突き飛ばされて呆然としていたアンドレへ視線を向ける。ゆっくりと足を進めれば、アンドレは床に座ったまま後退りし始めた。壁にぶつかったアンドレを見下ろし、吟は刀を向ける。アンドレの鼻先で刀を止めたまま、低い声で言葉を発した。
「……金目当ての実力のない者と見られるとは、我も修行が足りぬということか」
「て、てめっ……!」
「――次はないぞ」
吟はアンドレの顔の横に刀を突きつける。アンドレは口を何回か開閉させて気絶してしまった。
吟はそれを見届けてから、刀を鞘に収める。そして、踵を返してセレーナたちに歩み寄った。セレーナは拍手をしながら喜んでいたが、グロリアとアルフレッドは盛大なため息をついている。
吟自身、騒ぎを起こした自覚はあったし、少しやり過ぎたかとも思っていたので、素直に謝罪することにした。
「すまぬ、いらぬ騒ぎを起こした」
「本当にな。元はと言えばあいつのせいではあるが、それにしてもこれはなかなか……。どうするんだ、言い訳を考えるにしても、その前に周囲の不安な声をどうにかせねば」
「しかし、ウタさんは強いんですね。お見事です」
「アルフレッド、呑気に言っている場合か」
頭を抱えるグロリアと、呑気に感想を述べているアルフレッドは両極端である。今後のことを考えて頭を悩ませているグロリアを見つつ、吟も扉の先へと視線を移した。中の様子を窺っていた生徒たちが、吟を怯えた目で見ている。
許可を貰ってすぐにこうなるとはな……。
吟も反省していれば、セレーナは焦ることなく、自信満々に告げた。
「グロリア寮長、ウタ様のことなら大丈夫ですわ! 特に、女性からの支持はすぐに受けられるかと!」
セレーナの言葉に、三人は首を傾げる。吟自身、思い当たる節がなく、セレーナへと問いかけた。
「セレーナ殿、一体何を……」
セレーナは吟の言葉を聞いても動じることなく、信じて疑わないと言わんばかりの目を向けながら、堂々と言い放つ。
「ウタ様のご尊顔を皆様に見せたら、それだけで虜になるはずですから! ウタ様を見て文句を言う方なんていなくなりますわ!」
吟はその言葉を聞いて絶句した。対するグロリアやアルフレッドは興味津々に声を上げている。セレーナは吟に詰め寄りつつ、吟の首に巻いている布へと手を伸ばす。吟は布を死守しながら、少しずつ後退した。
「さあ、ウタ様!」
「……セレーナ殿、毎度思うのだが、我の顔にそこまでの需要があるとは思えないのだが」
「何を仰います! ウタ様のご尊顔は皆様に見せるほどの国宝ですわ!」
「セレーナ殿、勝手に期待値を上げないでいただきたい。それから、セレーナ殿は少々、我の顔に固執し過ぎだ」
吟はいまだに自身の顔をそうそう見せようとは思わなかった。前世のあの痛々しい傷が、なくなったことが判明したとはいえ、見せることに抵抗がある。マスクも布もないと気になって仕方がないし、自分の顔に自信を持つことなどできなかった。コンプレックス、とまではいかないが、前世より引き摺っている節があるのだ。そうそう「見せろ」と言われて承諾できるものではない。
――もっとも、そんな吟の事情など、セレーナに通用するはずもなく、最終的に素顔を見せることとなったのではあるが。
Ⅳ
「いや、確かにご尊顔と呼ぶに相応しい顔だったな」
「……グロリア殿、我はそのような感想を求めてはいない」
「すまん、すまん。しかし、隠しているのが勿体ないとは思うぞ」
吟はセレーナやグロリアとともに廊下を歩いていた。アルフレッドは現在、アンドレたちの対応に追われているため、不在なのである。
結局、あの後全員の前で吟は素顔を晒すことになり、女性生徒たちから一斉に黄色い声が上がったのは言うまでもなかった。全員が一瞬で吟に落ちたのである。なんなら、近くにいたアルフレッドも吟の素顔を見て見惚れていたし、男性生徒たちの何人かも心を奪われていた。ちなみに、吟はまったくそんなこと露知らず、ため息をついていた。その姿すらも、生徒たちからすれば目の保養になっていたのだが。
何とか場の混乱を収めることに成功した吟たちは、部屋を見るために移動して、現在に至る。
吟は前を歩くセレーナとグロリアの姿を見つつ、周囲を見渡す。木製の寮内は、戦国時代を生き抜いていた吟からすれば、どこか安心する雰囲気であった。
吟が周囲を見つつ足を進めていれば、グロリアが振り向く。
「して、ウタ殿。貴殿の部屋のことなのだが――」
吟はグロリアの言葉に意識を戻し、すぐに口を開いた。
「我は廊下で良い。セレーナ殿の警護に来ているのだ。元々部屋が欲しくて許可を貰ったわけではない。ゆっくりしている暇もないだろう。気にしなくて良い」
この言葉に、セレーナもグロリアもぴしりと固まった。足を止めて、目を見開いている。
吟は首を傾げるだけだった。
――この後、部屋についてまた一悶着あったのは、別の話であった。
吟はセレーナとともに、二つ目の建物へと足を踏み入れていた。セレーナが利用しているという寮である。教師陣の次は、この建物内の上の者に許可を貰わねばならない、そのために吟はセレーナとともに訪れていたのであった。教師陣に何とか許可を得たものの、この建物内に入出するのであれば、当然ここでの許可も必要となる。セレーナが説得するのに、吟はついて行くほかなかった。
吟がセレーナとともに廊下を歩いていれば、次から次へと向けられる人の視線。セレーナのように、この寮を利用している、学校の生徒たちなのだろう。随分と若く見える、吟はそう思った。もっとも、自分の今の年齢が、彼らとそう変わらないということは棚に上げていたのだが。
さすがに次々に向けられる痛い視線に、吟は居心地の悪さを感じていた。教師陣から向けられるものとは違い、不安そうな視線が突き刺さる。
視線に敏感というのは、こういう時困るものだな……。
吟はふと思った。
戦国時代より戦いの場に赴いていた吟は、人の気配や視線に敏感になっていた。少しの気配や視線でも気がつくし、気になってしまう。特に、戦国時代では余計に気にしていたものであった。少しでも自分が油断すれば、自分の身が危ういし、守りたいものも守れない結果となる。そんな理由も含めて、吟は気配や視線に敏感になっていたのであった。
今、吟に向けられている視線は、不審、不安、嫌悪、困惑……。歓迎の意思は一つも伝わってこない。それは些細なことだし、そんなことは気にもしていなかった。自分が警戒されることなんて、日常茶飯事であった。
だが、不安や困惑の視線を向けられるとなれば、吟は気になってしまう。教師陣よりも圧倒的に多い視線の数。そして、彼らを不安にさせている原因が自分となれば、若い彼らに対して申し訳なくなってくるのだ。自分がどんな目で見られようが気にならないが、彼らを困らせたくはなかった。
こんな思考に陥るとは……。それにしても、セレーナ殿に迷惑がかからなければ良いのだが……。
吟はチラリとセレーナへ視線を向けた。しかし、セレーナと視線は交わらない。セレーナは前を向いて堂々と歩いているだけであった。吟はその姿に目を瞬いてしまう。
やはり、強いな……。
この少女の堂々とした姿に、強い心に、吟は何度となく驚かされてきた。吟が前世から何百年生きていようと、いまだに学ぶことは多い。
セレーナ殿を、見習わなくてはな……。
吟は思わず口元を緩めた。微かな笑いを聞き取ったらしい少女が振り向く。
「ウタ様?」
「いや、何もない」
吟は緩く首を横に振ってから、前を向く。セレーナの横を歩きながら、次の関門も無事に突破できることを祈るのであった。
Ⅱ
辿り着いたのは、「寮長室」と記載されていた部屋で。吟はセレーナの後に続いて入室した。
目の前にある机を挟んで座っていたのは、凛と佇む女性で。美人の類に含まれるであろう彼女は、セレーナを見た後に吟へと視線を移した。
女性の近くには、優しい雰囲気を纏った男性がおり、彼は吟を見て驚いた表情をしたが、すぐに微笑んだ。
セレーナは挨拶してから、すぐに女性に話を振る。吟はその後ろ姿をじっと見つめていた。セレーナの会話に耳を傾けていれば、時折女性の質問が加わる。基本的にセレーナの話を聞いているだけの女性は時折吟へ視線を寄越すが、不審を抱いている様子はない。男性もセレーナの話を聞き、相槌を打つだけで何か言うことはなかった。
一通りの話が終わったようで、女性は机の上で指を組んだ。それから、吟をじっと見つめて静かに口を開く。
「ウタ殿、でよろしかったか」
「一青吟と申す。吟で良い」
「そうか。今、セレーナから話は伺った。その内容に間違いはないな」
女性の言葉に、吟はすぐに頷いて肯定の意を示す。
「ああ、嘘偽りない」
じっと女性から向けられる視線を、吟は正面から受け止めた。女性はそれを見てふむと頷いた後、男性へと視線を向ける。それから、彼と二言、三言会話をすると、再度吟とセレーナに向き直った。腕を組んで堂々と言い放つ。
「良かろう、滞在を許可する」
これには、吟は驚いていた。教師陣には、相当な時間と説得が必要だったのに、やけにあっさり許可を貰えたからであった。
横にいるセレーナは喜んでいるものの、吟は目を見開いて固まっている。その姿を見た女性は呆れたようにため息をついた。
「なんだ、もう少し嬉しそうにしたらどうなんだ」
「……いや、やけにあっさりしていたものだからな。拍子抜けしているのだ」
吟が正直に感想を延べれば、女性はなんだと言わんばかりに再度息をつく。それから、 冷静に告げた。
「先生方が許可を出したのだ。私がとやかく言うことでもない。それに、セレーナは普段から正直者で優秀な者だ。信用しているのに、疑うことなどなかろう」
「それに、あなたから不穏な気配はなかったので、問題ないかと判断しました」
女性に続けて、男性が初めて口を開いた。穏やかに話す内容に、吟は再度目を見開く。
一応、判断材料があったということか……。
吟はそれにすぐに目を細めた。
男性は「不穏な気配がなかった」と言った。つまり、それを感じ取るか、何かで調べていたということ。吟の頭の中に甦るのは、ここにはいない要の言葉。最初に話を聞いた時に、魔法がある世界だと言っていた。
……魔法、とやらを使っているのであれば、いつかは話を聞いてみたいものだな。
吟には馴染みのない話だが、この世界では一般的な力となっている。警戒するものとして、該当するだろう。
吟はそこまで考えてから、感想を述べる。
「……若いのに、しっかりしているのだな」
「その言葉、そっくりそのままお返しするぞ」
吟の言葉に、呆れた様子で告げる女性は、一度言葉を区切ってから、再度口を開いた。
「申し遅れた、グロリア・キャッスルだ。この寮の寮長を務めている」
「私はアルフレッド・スチュアートです。グロリア寮長の補佐、といったところでしょうか」
「副寮長が何を言っているんだか」
グロリアと名乗った女性が、アルフレッドと名乗った男性に呆れた声音で返している。アルフレッドは苦笑していた。吟はその言葉を聞きつつじっと二人を見ていれば、セレーナがこそりと耳打ちをしてくる。
「アルフレッド副寮長は、グロリア寮長の補佐と仰っていますが、この寮の二番目に偉い方ではあります。ご謙遜されてはいますが、実力もしっかりと認められているのですよ」
「……なるほど」
吟はセレーナの言葉を聞いて頷く。
確かに、グロリアとアルフレッドの二人からは何やら強そうな気配を感じ取っていた。それが、体術なのか、剣術なのか、はたまた魔法という力なのか、どれが優れているのかは分からずとも、実力があることは感じ取っていたのである。強者の気配、そう言えるものである気がした。
何にせよ、許可が貰えたとなれば、これからの行動はしやすくなるだろうな。
吟がそう考えていれば、グロリアが向き直る。二人の会話が終わったらしい。グロリアは腕を組みながら、吟へと声をかけた。
「時に、ウタ殿。この学園の異変に気がついているというのは、本当か」
吟はその言葉に、表情を引き締めた。それから、小さく「いや」と呟く。グロリアとアルフレッドが厳しい表情をした。吟はそれを見つつ、言葉を紡ぐ。
「……異変、と呼べる確証には至っていない。ただ、この学校とやらの領域に入ってから何かしらの気配を感じ取っている、というだけだ」
「いや、それは大きな進歩だ。その気配に気がつく者は今まで誰一人としていなかった。それに気がつかれただけで、今後動く指標となる」
グロリアの言葉に、吟はふむと頷いた。これほどの人間がいて、誰一人気がついていなかったということは、やはり妖怪の類なのだろうか。
それとも――。
――まったく、別物の何かなのか。
吟はそれを考えつつ、口を開く。
「嫌な気配、邪悪な気配、それぐらいしかまだ分かっておらぬが、道中にはなかった気配だ。それには我も少し引っかかっている。この中で何かが起きると言うのだろうか」
「分からん。だが、生徒が消えているというのは揺るがぬ事実だ。その話はセレーナから聞いているのだろう。……ウタ殿がいれば、早くにこの事件に決着がつくかもしれん。力を貸して欲しい」
グロリアの真っ直ぐな視線を見て、吟は頷いた。
「我はすでにセレーナ殿より依頼を受けている身。役に立つかは分からぬが、微力ながら力を貸す所存だ」
「そうか、なら――」
グロリアが吟の言葉を聞いて、握手をしようと手を差し伸べた、その時――。
「――ちょっと待った!」
――勢いよく扉が開かれ、第三者の声が部屋中に響き渡ったのであった。
Ⅲ
ズカズカと背後に人を引き連れつつ、中へと入ってきた男。ニヤリと笑ったその顔に、吟は思わず顔を顰めていた。
少し、いや、かなり好かんと思ってしまったのだ。
人を見た目で判断するのもどうかとは思うのだが、こやつとはウマが合いそうではないな……。
吟がじっと男の行動を窺っていれば、グロリアが声を上げる。
「何用だ、アンドレ」
グロリアの表情も厳しい。アルフレッドもしかめっ面をしていた。
アンドレと呼ばれた男はふんと鼻を鳴らしてから、偉そうに口を開く。
「そんな部外者、信用できませんよねえ、寮長?」
「口を慎め。大体にして私だけの判断ではない。先生方が許可をして、アルフレッドも認めている。我々か偉そうに何かを言えるわけでもあるまい。それに、彼はすでに気配に気がついているという。彼の力があれば、この事件、早くに決着をつけられるかもしれないのだ」
グロリアはそう告げるが、男は納得いかないとばかりに再度口を開く。表情には笑みを称えているが、目は笑っていなかった。
「得体の知れない奴を中に入れて、誰が納得するっていうんだ。大体にして見てみろよ、廊下をな」
アンドレの背後にいた者たちもそうだが、廊下から扉の中を覗き込んでこちらの様子を窺っている者たちも小声で何かを話していた。言葉としては聞こえず、ザワザワと騒がしく聞こえただけではあるが、不安そうな目がいくつも吟に向けられている。
吟は男の言葉はもっともであると思っていた。得体の知れない、その言葉は的を射ていると思っている。だが、何故だか男の言葉に納得したくなかった。妙に癪に障る、そう思ってしまうのである。
すると、そこに口を挟んだのは、セレーナである。
「アンドレ、下がりなさい。ウタ様に失礼なことを言うのであれば、私が許しませんわ」
だが、アンドレはそれを聞いて笑うだけだった。背後にいた者たちも、それに賛同するかのように笑った。馬鹿にするような笑いだ。吟はそれを見てさらに眉を寄せた。
アンドレは笑いながら声を上げる。
「女に守られるなんてなあ、滑稽だ!」
ギャハハと笑っている男を見つつ、吟は刀の柄に手をかけた。親指で鍔を押す。抜くつもりはさらさらなかったが、何かあった時のためだ。
だが、そこで動いたのは、アルフレッドであった。
「アンドレ、やめるんだ」
アルフレッドが短く告げつつ、男の肩に手を置く。アンドレはその手を払い、さらにアルフレッドへ手を上げようとした。だが、それを制したのは、吟である。アンドレの手を掴み、ギリっと力を込めた。
セレーナが吟の名を呼ぶ。
「ウタ様!」
吟はそれに答えることなく、セレーナをチラリと見ただけであった。それから、視線を男に戻し、冷酷に告げる。
「……我のことは好きに言えば良い。何を言われても構わん。だが、セレーナ殿や彼らを巻き込むな。不愉快だ」
「はっ、意外と動けるんだな。だが、そいつのところに雇われているんだろ? どうせ、金目当ての――」
アンドレの言葉はそれ以上続かなかった。
吟が掴んでいた手を勢いよく離してから、アンドレの背後をとって刀を抜いたのである。首元に突きつけられた刀を見て、アンドレはヒュッと息を呑んだ。周囲でざわめく声がするが、吟はそれを気にすることはない。
アンドレ一人のためにほかの者たちを怖がらせるのはどうかとは思ったが、吟も舐められたままでは終わらない。少しばかり、お灸を据えようと考えたのである。
吟は男の耳元で低く言葉を発する。
「貴様の勝手な判断で物事を語るな。命取りになるぞ。――我は手荒な真似はしたくはない。退け」
「……っ! ふざけるな! おいっ!」
アンドレの背後にいた者たちが、雄叫びを上げながら吟へと襲いかかる。吟はセレーナが無事であることを確認してから、彼らへチラリと視線を寄越した。それから、アンドレを突き飛ばし、刃が当たらないように峰の部分を下にして、狭い部屋の中を最小限の動きで動く。二、三人を峰打ちで吹っ飛ばし、壁に叩きつけた後、床をトンと蹴って長い足で数人を蹴飛ばす。力は相当加減していた。
アンドレが引き連れていた者たち全員を叩きのめすと、突き飛ばされて呆然としていたアンドレへ視線を向ける。ゆっくりと足を進めれば、アンドレは床に座ったまま後退りし始めた。壁にぶつかったアンドレを見下ろし、吟は刀を向ける。アンドレの鼻先で刀を止めたまま、低い声で言葉を発した。
「……金目当ての実力のない者と見られるとは、我も修行が足りぬということか」
「て、てめっ……!」
「――次はないぞ」
吟はアンドレの顔の横に刀を突きつける。アンドレは口を何回か開閉させて気絶してしまった。
吟はそれを見届けてから、刀を鞘に収める。そして、踵を返してセレーナたちに歩み寄った。セレーナは拍手をしながら喜んでいたが、グロリアとアルフレッドは盛大なため息をついている。
吟自身、騒ぎを起こした自覚はあったし、少しやり過ぎたかとも思っていたので、素直に謝罪することにした。
「すまぬ、いらぬ騒ぎを起こした」
「本当にな。元はと言えばあいつのせいではあるが、それにしてもこれはなかなか……。どうするんだ、言い訳を考えるにしても、その前に周囲の不安な声をどうにかせねば」
「しかし、ウタさんは強いんですね。お見事です」
「アルフレッド、呑気に言っている場合か」
頭を抱えるグロリアと、呑気に感想を述べているアルフレッドは両極端である。今後のことを考えて頭を悩ませているグロリアを見つつ、吟も扉の先へと視線を移した。中の様子を窺っていた生徒たちが、吟を怯えた目で見ている。
許可を貰ってすぐにこうなるとはな……。
吟も反省していれば、セレーナは焦ることなく、自信満々に告げた。
「グロリア寮長、ウタ様のことなら大丈夫ですわ! 特に、女性からの支持はすぐに受けられるかと!」
セレーナの言葉に、三人は首を傾げる。吟自身、思い当たる節がなく、セレーナへと問いかけた。
「セレーナ殿、一体何を……」
セレーナは吟の言葉を聞いても動じることなく、信じて疑わないと言わんばかりの目を向けながら、堂々と言い放つ。
「ウタ様のご尊顔を皆様に見せたら、それだけで虜になるはずですから! ウタ様を見て文句を言う方なんていなくなりますわ!」
吟はその言葉を聞いて絶句した。対するグロリアやアルフレッドは興味津々に声を上げている。セレーナは吟に詰め寄りつつ、吟の首に巻いている布へと手を伸ばす。吟は布を死守しながら、少しずつ後退した。
「さあ、ウタ様!」
「……セレーナ殿、毎度思うのだが、我の顔にそこまでの需要があるとは思えないのだが」
「何を仰います! ウタ様のご尊顔は皆様に見せるほどの国宝ですわ!」
「セレーナ殿、勝手に期待値を上げないでいただきたい。それから、セレーナ殿は少々、我の顔に固執し過ぎだ」
吟はいまだに自身の顔をそうそう見せようとは思わなかった。前世のあの痛々しい傷が、なくなったことが判明したとはいえ、見せることに抵抗がある。マスクも布もないと気になって仕方がないし、自分の顔に自信を持つことなどできなかった。コンプレックス、とまではいかないが、前世より引き摺っている節があるのだ。そうそう「見せろ」と言われて承諾できるものではない。
――もっとも、そんな吟の事情など、セレーナに通用するはずもなく、最終的に素顔を見せることとなったのではあるが。
Ⅳ
「いや、確かにご尊顔と呼ぶに相応しい顔だったな」
「……グロリア殿、我はそのような感想を求めてはいない」
「すまん、すまん。しかし、隠しているのが勿体ないとは思うぞ」
吟はセレーナやグロリアとともに廊下を歩いていた。アルフレッドは現在、アンドレたちの対応に追われているため、不在なのである。
結局、あの後全員の前で吟は素顔を晒すことになり、女性生徒たちから一斉に黄色い声が上がったのは言うまでもなかった。全員が一瞬で吟に落ちたのである。なんなら、近くにいたアルフレッドも吟の素顔を見て見惚れていたし、男性生徒たちの何人かも心を奪われていた。ちなみに、吟はまったくそんなこと露知らず、ため息をついていた。その姿すらも、生徒たちからすれば目の保養になっていたのだが。
何とか場の混乱を収めることに成功した吟たちは、部屋を見るために移動して、現在に至る。
吟は前を歩くセレーナとグロリアの姿を見つつ、周囲を見渡す。木製の寮内は、戦国時代を生き抜いていた吟からすれば、どこか安心する雰囲気であった。
吟が周囲を見つつ足を進めていれば、グロリアが振り向く。
「して、ウタ殿。貴殿の部屋のことなのだが――」
吟はグロリアの言葉に意識を戻し、すぐに口を開いた。
「我は廊下で良い。セレーナ殿の警護に来ているのだ。元々部屋が欲しくて許可を貰ったわけではない。ゆっくりしている暇もないだろう。気にしなくて良い」
この言葉に、セレーナもグロリアもぴしりと固まった。足を止めて、目を見開いている。
吟は首を傾げるだけだった。
――この後、部屋についてまた一悶着あったのは、別の話であった。
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