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第五章 武士妖怪、次の依頼の話を聞く

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    Ⅰ

    吟の戸惑いの声は、ウィリアムの大声によって掻き消された。そんなことは正直、吟にとってどうでも良いことであった。掻き消されようが、遮られようが、構わないと思っている。大事な話でもないし、自分の言葉はただ零れただけであった。話に対して、たいした意見を述べたわけでもなかった。だから、掻き消されたことはどうでも良いと思っていたし、まったく気にしていなかった。
    問題は――。

    この女子おなごは、今何と言ったのだ……?

    聞き間違いでなければ、確かに目の前の少女は「学校についてこい」と、そう言ったのである。そんな命令口調ではなかったが、端的に言えばそうであった。
    吟の思考が停止する。普段、基本的に冷静な吟ではあるが、自分の予想をはるかに超える内容を告げられれば、頭は働かなくなる。頭を抱えたくなる思いを必死に押し殺し、吟はいまだに騒いでいるウィリアムの言葉に耳を傾けることにした。現実逃避、その言葉が正しいだろう。もっとも、耳を傾けなくとも、勝手に耳に入ってくる声量でウィリアムは話をしていたわけではあるが。
「セレーナ、私は許さんぞ!    大体にして、ここまでの道中だけでも私は許したくないと言うのに――」
「お父様は黙っていてくださいませ!    それに、ウタ様は野蛮な方ではありませんわ、失礼です」
「しかし――」
「――すまぬ、姫君。我には話がまったく見えぬのだが」
    吟は静かに手を挙げて、二人の会話に割って入った。二人の視線を受け止めつつ、自分の心境を語る。あまり話を遮ることはしたくなかったが、このままでは確実に自分が話を理解できずに置いていかれる、しかもどこで話に入っていいのか分からなくなるだろう、そう思ったからであった。後で自分が困ることにならないように、吟は行動で示したわけである。
    だが、目の前にいる少女は吟の言葉を聞いて、ぷくりと頬を膨らませた。
「もう、ウタ様ったら!    姫様ではないと、再三申しておりますのに!」
    セレーナが怒る中、その横でウィリアムの動きが止まっている。吟はそれを見つつ、ウィリアムの次の行動を待った。先回りして期限を損ねられては困る。それに、彼の地雷はよく分からないと思っていた。
「貴様……」
    ウィリアムが低い声を発する。吟は何かまずいことをしたのだろうかと身構えた。だが、ウィリアムは腕組みをしてから何故か満足した顔で告げただけであった。
「……よく分かっているではないか!」
「お父様!    何を仰っているのですか!」
    今度はセレーナが騒ぎ始める。親子で口喧嘩しているのを見て、吟は思わずぽつりと呟いた。
「……何と、波の激しい者たちよ」
    吟は一つため息をつく。相手のことを思っている余裕はもうなかった。だんだん気を遣うことも馬鹿らしく思えてくる。
    何と言っても――。

    ――この親子、疲れる……。

    吟の中では、厄介な者として挙げられそうであった。おそらくではあるが、一〇人のなかには確実に入るだろう。こうも騒がしい者たちと、関わりを持つことがそうそうなかったため、白状すれば困惑しているのである。このまま部屋から退散したい、と何度思ったかもう数えるのもやめてしまうほどであった。扉近くの壁に背を預け、腕を組む。どうせ立ち去れないのなら、このまま諦めて話を聞くしかない。そう考えて、聞く体勢を作る。いまだに騒いでいるセレーナへと吟は静かに声をかけた。
「……して、姫君。お主の学校についていくとはどういうことだ。護衛の話であれば、この屋敷までであったはずだ。それに、もうここまで来れば危険もなかろう。護衛の話の延長と申すのであれば、不要だと我は考えるが」
「……ウタ様、私のことはセレーナとお呼びください。その呼び方ではないと、私は反応しないことにします」
    セレーナは不機嫌そうにそう告げて、ふいとそっぽを向く。いまだに頬は膨れているようで、ぷくりとした頬がよく目立っていた。吟は内容を理解して困るものの、呼び方を変えれば良いのであれば、と自分に言い聞かせて納得する。仕方ないと一つ息をつき、それから口を開く。
「……分かった。……セレーナ殿、理由を教えてはくれぬか」
「……!    はい、ウタ様」
    名前を呼ばれて嬉しそうに目を輝かせた少女は、さらににこりと微笑む。吟はそれを見て思わず苦笑した。余程呼び方を気にしていたようである。吟はただ公爵、というものをよく知らなかったために「姫君」と呼んでいただけだったのだが、少女はそれをお気に召さなかったようだ。
    女子というものは、難しいものだな……。
   少女や女性と会話をそうしたことがない吟からすれば、どう接していいのか分からない点が多い。少女に対する呼び方もだが、いまだにこの話し方で良いのかとも思う。とは言っても、今さら話し方を変えることも難しいわけではあるのだが。
    吟は特に意識せずに少女をじっと見つめていた。少女はその視線を受け止めつつ、再度吟へにこりと微笑む。二人して見ていれば、何を勘違いしたのかウィリアムが悲鳴を上げて騒ぎ始める。
「セレーナ、私は許さんぞ!    そんな良い雰囲気を出したとしても、私は認めない!」
「お父様ったら!」
    吟はもう何も言わなかった。この会話を何度繰り返したことか、そう思いつつも思考を放棄する。この会話に下手に混ざらないほうが良い、そう判断してその様子を窺うことに徹した。
    ウィリアムが落ち着くまでに、一五分もの時間を要したのは、余談である。



    Ⅱ

    ようやくウィリアムが落ち着いたところで、セレーナは一つ咳払いをした。セレーナは落ち着いた声音で語る。
「……実は、最近学校で嫌な噂が流れておりまして。原因は分かりませんが、どうやら生徒が少しずつ姿を消しているようなのです」
「……学校、とやらは確か学び舎のことであったな。生徒、というのは」
「学校に通っている、いわば私たちのことですわ」
    セレーナは吟の質問にも落ち着いて答えている。状況を把握しつつ、吟の中で一つ疑問が生じた。
「……何故、セレーナ殿はここにいる。今日はその学校とやらは休みなのか」
「実は、その噂のせいで二週間ほど学校が休校になりましたの。学校側もさすがにそのままにできなくなったようで、調べるために生徒たちへ休みを言い渡したのです。本来、私は寮から学校に通ってますので、寮にいても良かったのですが、一度帰省することにしました」
「寮、とやらはよく分からぬが、帰ってくる必要があったのか」
「それは、その――」
「セレーナが帰ってこないと、私が困るのだ!」
    吟の質問に、セレーナは言いにくそうに眉を下げる。そんなセレーナの代わりに声を上げたのは、他でもないウィリアムであった。娘に抱きついて力説している父親を見て、吟は何とも言えない表情をした。それから、ぽつりと呟く。
「……なるほど」
    父親の腕の中にいる少女は苦笑している。吟はいろいろと思うことがありつつも、納得だけしてほかの言葉を飲み込んだ。これ以上の面倒ごとは御免だ。だが、吟の中で新たな疑問が生じた。静かに口を開く。
「セレーナ殿、そのような勝手な判断をして問題はないのか。部外者を学校の中に入れるようなものだろう。それに、少し我を信用しすぎではないのか。まだそう出会って間もないというのに……」
    吟はすっと目を細めた。古代紫の瞳がきらりと輝き、セレーナを捉える。怒っているわけではない。ただ、彼女がどういうつもりで自分に声をかけているのか知りたいだけであった。さすがにとんとん拍子で話が進みすぎているとさえ思う。だが、セレーナは吟の瞳に怖気付くことなく、にこりと笑うだけであった。
「ウタ様は信用できますわ。だって、私を助けてくれましたし、この屋敷に入ってからも武器を振り回したりしませんでしたもの。学校側は信用できる者を一人は連れてきていいとのことでしたし、問題ないでしょう。おそらく、学校側もこれ以上生徒が消えるよりは、誰か護衛がいたほうが安心だと考えたのだと思います」
「……そちらの女子おなごは良いのか」
    吟はセレーナの言葉を聞いて、視線を女性へと向ける。セレーナに仕えているであろうその女性を連れていかないのかと思ったわけである。だが、女性は表情一つ変えずにただ頭を下げて告げただけであった。
「ウタ様、ご心配なく。本日はお嬢様に付き添ってはおりますが、本来学校へはお嬢様お一人で通われております。私のことはお気になさらずに」
「そういう意味ではなかったのだが……。いや、良い」
    吟からすれば、女性のほうが安心できる存在ではないのか、そう思っただけであった。自分よりも長い時間一緒にいる彼女のほうが、隣にいてくれるだけで心強いはず、そう考えたのだが、彼女はそう思っていないらしい。これ以上言うこともないだろう、吟はそう考えてふむと頷いた。それから、セレーナに向き直る。
「……して、その噂とはどのようなものなのだ」
「……突如生徒が姿を消す、そんな不思議なものですわ。真相はいまだに分かっておりませんが、それでも一人、また一人と確かに姿を消している者が増えてきております。それは曲げられない真実です」
    吟はそれを聞いて眉をひそめた。それから、もしやと言葉を紡ぐ。
「……神隠し、か」
「ウタ様、ご存知ですの!?」
    吟の言葉にセレーナが反応を示す。だが、吟はすぐにそれを否定した。自分の知識が、前世のものだったからだ。
「知っている、というほどのものではない。我が昔聞いた話では、人が姿を忽然と消す、その現象を『神隠し』と言うらしい」
    吟はそう言いつつ、内容を思い出す。
    神隠し。逢魔時おうまがときまでかくれんぼをして遊んでいる子どもが忽然と消えてしまう怪異のこと。犯人と考えられていたのは、隠し神や隠れ婆、籠背負いなど、様々であった。しかし、昔は子どもや女性を攫う者が多く、真相のほどはよく分からずにいた。
    吟が聞いた話はそれぐらいであったし、自分もその真相を探ろうとは思わなかった。確かに、攫われそうになっている者を助けたことはあったが、その程度でその時の相手は確か人間であったのだ。
    だが、セレーナの話を聞いて、吟の中ではその話が一番しっくり来ていた。
    ……セレーナ殿が何を思っているかは知らぬが、この世界でも神隠しが横行している、そういうことなのだろうか。

    そうだとするのであれば――。

    ――気に食わぬな。
    吟の中で静かに怒りが沸き起こる。それが人のせいなのか、はたまた別の存在のせいなのかは分からないが、もし人のせいだとするのであれば相当腹も立つ。
    ……まったく、ろくな事を考えぬものよ。
    吟の中で許せない話ではあったが、少女とともに学校に行くか、それをすぐには結論付けられそうになかった。いくら吟が怒りに任せて動きたくなろうとしたとしても、要の意見を聞きたいところである。
    それに、と吟は思う。
    ……何やら、妙に胸騒ぎがするな。
    嫌な予感にも近い、そんなざわめく心を落ち着かせつつ、吟は言葉を紡ぐ。
「……少し、考える時間をくれぬか。すぐには結論を出せぬ故」
「問題ありませんわ。まだもうしばらくは滞在するつもりですから。その間に答えを聞かせていただけますか?」
「かたじけない」
    吟は一つ頭を下げた。しかし、話はそれで終わることなく、次は護衛の礼をどうするかという話に切り替わる。話を振られた吟は、この屋敷に滞在する許可を貰うことにした。それでは礼にならない、そう言い張る親子を吟は振り切る。滞在させてもらえるだけで十分だと思ったからだ。
    それ以上は不要だと伝えた吟だったが、結局親子の圧に負けて大金を貰う羽目になってしまったことは、想定外のことであった。



    Ⅲ

    滞在することが決定した吟は、部屋に案内してもらった。部屋の中を見るのもそこそこに、すぐに部屋を出て要の元へ向かうことにする。
    要の場所を尋ねれば、馬小屋に預けられていたようで、その場所を案内してもらった。屋敷の馬とは別の小屋で、一匹広々と使わせてもらえていることを理解し、きちんとした扱いを受けていることに安堵した。吟がその様子を窺っていれば、要が吟に気がついたようで小屋からひょこりと顔を出す。吟は要を撫でてから、屋敷の中で交わされた話を要へと説明した。
    要は黙ってすべてを聞き終え、耳をぴくりと反応させてから静かに告げる。
「引き受けて良いかと思います。私もその話は気になりますし、何より吟様自身が後悔されぬ道を選んでいただければよろしいかと」
「後悔……」
「はい。それに、吟様の中では答えがすでに出ているのでしょう?」
    完全に図星であった。要は吟の心を見透かしていたのである。吟はそれを聞いて目を見開くも、すぐに横に首を振った。
「……確かに、我の中では答えが出ているようなものだ。だが、どうしても何か嫌な予感がしていてな。妙な胸騒ぎがして仕方がないのだ」
「ならば、それを確かめるためにも行ってみてはいかがでしょうか」
「……なるほど」
    吟は一つ頷いてから、馬小屋に背を預ける。要の言葉をしっかりと受け止め、頭を働かせる。腕組みをして首に巻いている布を鼻先まで埋めるように上げた。
    要はいろいろと助言をしてくれている。吟の背中を優しく押すかのように、言葉をかけてくれているのだ。吟はふむと頷いて、少しばかり口角を上げた。
「……少し、前向きに考えてみるとしよう。要の言葉もしかと受け止めたことだしな。一日置いてみれば、また違う考えも出てくるかもしれぬな」
「時期尚早、ということですね。それもよろしいかと」
    吟は要と話をしたことで、とりあえず悩みの種が解決したことに安堵した。それから、吟は別の話題を要へと振ることにする。
「……しかし、要。そこにいて窮屈ではないのか」
「確かに、行動範囲は限られますが、慣れればそうでもありません。人の気配をそう気にしなくていいというのも利点かと」
「……なるほど」
    要は意外とこの小屋を気に入っているようである。以前は自然の中でとにかく駆け回っていたし、雨風しのげる場所を毎度探して過ごしていたので、それに比べれば快適なのかもしれない。吟は妙に納得した。すると、今度は要が吟へ言い聞かせるかのように言葉を紡ぐ。
「吟様も、しばらくは慣れないかもしれませんが、雨風しのげる場所に滞在できるのです。今のうちに慣れつつも英気を養っておく必要があるかと思います。睡眠や食事を欠かさないように、習慣付けていただかねば」
「……お主には頭が上がらぬよ」
    要はすべてを見透かしているようである。吟がすでに失念しかけていたことにきちんと釘をさし、自分の目がなくとも行うようにと遠回しに注意しているのだ。吟はそれに苦笑してしまう。
    人の身体になった、その事実にまだ慣れない吟はついつい必要になったことを失念してしまう。睡眠や食事など、気にしなくてはいけないことが多くなったわけではあるが、どうも昔の癖なのか、吟の中で自分には関係ないと思ってしまう節がある。言われれば思い出すのだが、それが習慣付くのは一体何時になることやら。
    吟は首を緩く振った。
「……やれやれ、気にすることが次から次へと湧いてくるな」
「まずは、吟様の体調管理ですね。私が言うのも恐れ多いとは思いますが、これ以上失念されてしまえば、私も心配で自分の食事どころではなくなってしまいます」
「……肝に銘じておこう。それにしても、だんだん要が我の親のようになってきているな」
    吟が苦笑しつつそう告げれば、要はクスリと笑う。それから、相も変わらず優しい声音で告げた。
「それで吟様を病から守れるというのであれば、私は喜んでその立場となりましょう」



    IV

    吟はひとしきり要と会話をすると、自分が与えられた部屋へと戻ることにした。屋敷の中で長い廊下を歩いていれば、前からセレーナが駆け寄って来るのが目に入る。その後ろには、女性も控えており、吟を見て一度頭を下げた。吟はそれを見て自身も一度頭を静かに下げた。セレーナは吟に飛びつき、それからにこりと笑う。
「ウタ様、こちらにいらっしゃいましたの!」
「少し要の元へと出向いていた。セレーナ殿は何かあったのか」
「ウタ様をお誘いに来ましたの。お茶にいたしませんか?    ウタ様ともう少しお話してみたいですし」
「いや、我は――」
    吟はそこまで言いかけて、はたと気がついた。つい先ほど要に口を酸っぱくして言われたようなものなのに、すでに忘れかけていたのだ。しかも、言われてみれば喉の乾きを覚えたし、空腹の感覚もある気がする。
    ……やはり、慣れぬものよ。
    知識として知っていても、その感覚に戸惑う。まだ慣れない感覚が押し寄せてきて、自分の中で消化するのに時間がかかりそうであった。
    自嘲気味に笑いつつ、吟はセレーナを見る。セレーナはその視線を受け止めつつ、首を傾げた。少女は何事かよく分かっていないのだろう。吟は少しばかり口元を緩め、セレーナへ告げた。
「……いや、お供させていただこう、セレーナ殿」
「……!    はいっ!」
    セレーナに手を引かれつつ、吟は足を踏み出す。
    たまにはこういうのも悪くない、珍しく自分を甘やかすように言い聞かせるのであった。
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