幸福の食卓

ますじ

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 チャイムの音で目が覚めた。のそりと体を起こし、部屋を見渡す。寝ぼけた頭にもう一度チャイムが響いた。はっとして時計を見ると、まだ聖慈が帰宅するまで時間がある。この家に来客があることは滅多にない。聖慈からもチャイムには出てはいけないと言われているが、朔の脳裏に浮かんだのは、合鍵を置いて出ていった家政婦のことだ。ひょっとしたら気が変わって戻ってきたのかもしれない。急いでベッドを降りたあと、玄関に立って扉をそっと開ける。
「どうも、こんばんは」
「……あ」
 しかしそこに立っていたのは、想像した姿とはかけ離れた優男風の人物だった。自分よりも頭一つ分は高いだろうか、見上げた先にある顔は整っていたが、軽薄そうな笑みが浮かんでいる。こげ茶色の髪は柔らかく跳ねていて、血を思わせる赤い瞳を持っていた。
 予期せぬ来客に、思わず固まってしまう。そんな朔を見て、男は「なるほどねえ」と鼻を鳴らしたあと、朔の体を押しのけ強引に上がり込んだ。
「あっ、ちょっと!」
 男はさっさと部屋の奥まで侵入すると、パソコンを勝手に立ち上げ操作しはじめる。男が持ち込んだらしい見慣れない小型の機器が取り付けられると、男はそこで一息ついたのか、勝手に聖慈の椅子に腰掛け大きく伸びをした。
「……だれ?」
「宅配業者だよ」
「え?」
「間違えた。実はピザを忘れたピザ屋さんだ」
 退屈そうに欠伸をしながら、男はつらつらと明らかな嘘を並べる。身元を明かすつもりはないのだろう。朔は重い溜息を吐くと、少し長い後ろ髪をじっと見つめた。
「……なら、せめて名前を教えて」
「ショウって呼んでいいよ」
 今度はあっさりと返答がある。先のやり取りを考えると偽名の可能性も考えられるが、ひとまずこの男はショウと名乗った。やがて男は椅子をくるりと回すと、朔をしげしげと眺めその笑みを深くする。
「なに、してるの? それは聖慈のパソコンなんだけど……」
「あはっ」
 ショウが唐突に吹き出し、肩を揺らす。その顔は心底可笑しそうに、軽薄な笑みを貼り付けていた。
「おつかいだよ。ちょっと時間が掛かるから、お喋りでもしない?」
「……しない。他人を入れちゃいけないって言われてるから、出て行って」
 そっけなく対応する朔に、ショウはわざとらしく肩を竦めてみせる。それからパソコンに取り付けられた小さな機器をこつこつと指先で叩き、口を開いた。
「これ、USBメモリって言う便利グッズ。君の保護者の大事なデータを、ここにコピーさせて貰っているんだ。あ、ごめんね、分からなかった? つまり僕の正体はドロボウさ」
「え……?」
 泥棒と言われて、ようやく朔は警戒心を強める。聖慈の大切なものが盗まれてしまうのだとしたら許せない。朔は咄嗟に男に飛びかかると、USBメモリを奪い取ろうと手を伸ばした。しかし直後、朔の視界はぐるりと反転し、気がつくと地面に叩きつけられていた。背中をしたたかに打ち付け、息が詰まる。
「かわいそうにねえ。さすがに実物見たら同情しちゃった」
「っ、は……?」
 肩を押さえつけられ起き上がることも出来ない。力で敵う相手ではないとよく分かった。天井の明かりを背にした男を睨みつける。侵入者は初めてなのでどう対応すればいいか分からないが、ただ、この男が敵であることだけははっきりと分かった。関わってはいけないと肌で感じる。
「不憫な話だよねえ……君は一人では電車にも乗れないし、店で買物も出来ない。道に迷っても何を頼ればいいのかも知らない。赤信号と青信号は知っているかな? 赤信号に飛び出したら死んじゃうんだよ。もし歩いていて喉が渇いたら、自動販売機で飲み物が買えるんだ。歩くのが億劫になったら、お金はかかるけどタクシーに運んでもらうこともできる。便利でしょ? 食材がほしかったらスーパーマーケットに行って、服がほしいならショッピングモールだ。遊びたいなら、街に娯楽施設がゴロゴロある。奇麗な人が接待してくれる店だってあるんだよ。でも君は、そんな社会の常識すら知らない。異常だよ。君は異常なほど何も知らない。お酒は飲んだことある? 煙草は? ドラッグは? ああ、あるわけないよね。外には楽しいことがごまんとあるのに、君はそれを一つも知らない」
「はあ?」
 とんでもなく馬鹿にされていることだけは分かった。ぎりりと男を睨みあげると、顎を乱暴に掴み上げられる。
「君がかわいそうだって話。人としての尊厳を奪われてさ」
「僕がおかしいって言いたいの?」
「君じゃなくて、この環境がおかしいんだよ。君はただの犠牲者でしかない。もっと自分を哀れんでいいんだよ?」
 男の物言いに、朔は苛立ちと同時に動揺を覚えた。この男は一体、自分の何を知っているというのだろう。自分が知っているのはこの家と聖慈と、代わる代わる入ってくる家政婦くらいだというのに、なぜ初対面の男が、ここまで知ったような口を利くのだろう。自分はこの男のことなど少しも知らないのに、男は自分のことをまるで知っているかのように振る舞う。それがあまりにも不気味で、恐怖でもあった。
 男の視線がちらとパソコンに向かう。データの転送が完了したらしく、画面の表示が変わっていた。男は一旦朔から退くと、USBを回収しポケットに押し込んだ。結局、盗まれてしまった。悔しさに唇を噛み締めていると、起き上がろうとした体をまたしても地面に押さえ付けられてしまう。
「なっ……に……」
「そうそう、お駄賃も貰わないとね」
 男はべろりと自らの唇を舐めあげると、朔のシャツの裾を乱暴に捲りあげた。さらけ出された胸元に男の顔が近づき、色素の薄い先端に息が吹きかけられる。
「ひっ……!?」
「これも君の知らない『遊び』の一つさ。特別に教えてあげよう」
 男の熱い舌が胸に這わされる。未知の感覚に慄いていると、するりと下がってきた手が下着ごとズボンを引きずり下ろした。縮こまっている性器が取り出され、男の大きな掌に握りこまれる。誰にも触れられたことのない場所に、ありえない刺激を受けて、朔はただ目を白黒させた。
「は、ひっ、なっ、なにっ!?」
「あー、もしかして、自慰も教えて貰えなかった? 可哀想にねえ」
 憐れむような言葉を吐きながら、男の声色は心底楽しげに弾んでいる。握られた性器が上下に扱かれ、腹の底の方から未知なる感覚がせり上がってきた。知らぬ間に息が上がり、口内に唾液が溜まる。はじめてのことで、朔にはこれが何の感覚なのかよく分からなかったが、無意識に腰が揺れてしまうのが恥ずかしいと心底思った。
「お、なかなか感度はいいみたいじゃん。これで気持ちいいこと何も教えて貰えなかったなんて、ますます可哀想だね」
「な、に、いって、ひ、っあ、あ……!」
 気がつくと自分のそこは醜い姿に変わっていた。膨れ上がってそそり立ち、先端から半透明の汁を溢している。男の手に翻弄されて、腰は自然と持ち上がり、喉から溢れる妙な声が止められない。嫌だ、気持ち悪い。身体がおかしくなっていく。怖い。どれだけそう思っても、男によって与えられる未知の刺激に、身体はみるみるうち屈服していった。
「や、やだ、ぁ、も、やめ、いやあっ……!」
「いっぺんイッとく? そのほうが楽でしょ」
「ひっ……!?」
 生暖かい感触に下半身を包まれ、ぎょっとして視線を下ろす。そこで見たのは、朔の性器を男が飲み込んでいる信じがたい光景だった。本来そこは排泄に使う場所であって、口に含んでいいようなものではない。混乱極まる朔にも構わず、男は巧みな舌使いで未熟な性器を刺激していく。
 何かが、出る。そう思った朔後、目の前が真っ白になり、全身から力が抜け落ちていった。
「あ……あぁああっ……あぅ……」
「んっ……ごちそうさま」
 男の顔がようやく離れたかと思うと、満足そうな顔をした男がごくりと喉を鳴らすのが見えた。あろうことか吐き出したものを飲み込まれたのだ。そう察した途端、かっと顔面が熱くなる。火でも出そうな勢いだった。
「な、なん、で、そんなもの、のっ、のんっ、で……!」
「君は知らないかあ。ザーメンはね、飲むものなんだよ」
「ざ、ザーメン……?」
 疑問符を飛ばしていると、ショウが愉快そうに口元を歪め、朔の性器を掴む。
「今、こっから出したやつだよ」
「うあ……っ」
「これはこれは、元気でいいねえ。どっちを貰おうか迷うけど……今日は相棒を使いたい気分かな」
 そういって男が取り出したのは、ぎょっと目を剥くほどいきり立った男性器だった。その先端付近の幹にはぼこぼこと連なった不自然な盛り上がりがある。あまりの異様な姿に驚き凝視していると、鼻で笑われた。
「見るのは初めて?」
 その発言には、首を横に振った。意外だとばかりに男が目を丸くする。この状態になった男性器を見るのは初めてではなかった。実は聖慈と風呂に入る時にも、時折この状態になっているのを目にしたことがある。だが聖慈にそれを尋ねてみても、気にしなくていいと言われるばかりで、結局何だったのかは分からないままだ。ただ決定的に違うのは、性器にある不自然な盛り上がりだ。意図的に何か埋め込まれているようにしか見えないそれは、自分にも聖慈にもないものだ。
「へえなるほど」
 ショウは何か察したような顔で頷いたあと、意地悪げな笑みを深くする。それから朔の手をそっと取ると、自身に無理矢理触れさせた。
「ひっ……」
「教えてあげる。男のココがこうなっている時は、相手の穴にブチ込んで犯したくってたまらない時だよ」
「は……?」
 聞き慣れない、下品そうな言葉に顔を顰めるよりも、無理矢理触らされた汚物への不快感のほうが強烈だった。気持ち悪くてたまらないはずだが、どくどくと脈打つそれに触れていると、不思議と鼓動が早まり唾液の分泌も増えていった。自然と息が切れて、目眩がする。
「あるいは逆かもしれないね。犯されたくてたまらない時にもこうなるけれど……今は、コッチ」
 突然太腿を思い切り持ち上げられ、視界がひっくり返りそうになる。驚き足をじたばたさせていると、今度は晒された尻に男の顔が近づけられた。まさか、と思う隙もなく、ありえない場所にありえない感触がある。ぬるりと尻の穴が濡らされて、声にならない悲鳴が上がった。
「~~ッ!?」
「うーん、処女の味だね。たまらない」
 閉ざされた穴に男の舌がぐりぐりと押し入ってくる。ひとしきり舐めしゃぶられたあと、今度は指が一本潜り込んできた。排泄感にも似た苦痛に顔を歪めていると、萎えていた性器を弄られて頭が混乱した。
「や、あっ、いやっ、やめてっ……」
「気持ちいいでしょ? ほら、前はガチガチだし、後ろも緩んできた」
「き、もち……? ……っえ?」
 そう言われてはじめて、朔は快感というものを意識した。前を擦られ、中を掻き回されて、不快感が強いはずなのにそれだけでは片付けられない感覚がある。それが何なのか分からず混乱していたが、この男の言うことが事実であるならば、この体を苛む感覚こそがきっと「快楽」だ。
 自分はもしかして、とてつもなくはしたないことをしているのではないか。情けなさと羞恥で涙が滲んだ。だが、男にされることの一つ一つに、不快感だけではない、もっと強烈な何かを感じてしまっているのは確かだった。
「ぁ……や、ちが、ちがう、こんなのっ、ふあ、ぁ、ひいっ!?」
「ココだね。ほら、集中してみてごらん。コリコリされるとたまらないでしょ?」
 男の指がある箇所を執拗に狙う。そこに触れられると、腰が抜けるような痺れがびりびりと響き、全身の神経を駆け抜けた。カーペットに爪を立てても、つま先をきゅっと丸めても、何をしても逃がせない強烈な快感だ。自然と溜まっていた涙が頬を伝い落ちていく。呼吸が浅くなって、意識も遠くなっていった。
「はっ、はぁっ、や、ぁ……いやぁっ、あ゛、う……」
 気付いたら中を弄る指も増やされていて、束ねられた指がぐぽぐぽと乱暴に出入りしていた。後ろだけでなく、前も胸も執拗に弄られて、朔はもう何がなんだか分かっていない。薄く開いたままの唇からははしたない嬌声が絶えず零れる。きもちいい、と、無意識のうちに口を緩める朔を見て、男がくつくつと笑った。
「さあ、お待ちかねの本番だよ」
「ん、あ……?」
 ずるりと中を満たしていた指が抜け落ちて、腹の中が寂しくなる。虚ろに男を見上げていると、凶悪な笑みがぐいっと接近してきた。唇が触れるか否かのところで止まり、べろりと鼻先を舐められる。それに驚いた隙をついて……腹の奥を裂かれるような、重い衝撃が走った。
「あがっ、ぁ゛、~~ッ!?」
「っはー、ハハッ、きっつ……」
 恐る恐る見下ろして、自分の尻の穴に男がみっちり入っているのを目の当たりにした。あの不自然な盛り上がりが、中の肉を抉って割り開いて神経を嬲っていく。はじめてのことに朔は素直に恐怖した。犯されているのだ、自分は、今。この、見ず知らずの男に。自然と涙が溢れ出した。それでも、男に突き上げられるたび、口からはあられもない嬌声が飛び出す。は、は、と犬のようなはしたない息が上がった。
 こんな姿、もしも聖慈に知られてしまったら、きっと失望されるだろう。もしかしたら見放されて、この家からも追い出されてしまうかもしれない。蔑んだ目で見られたら、自分は、果たして正気でいられるのだろうか。泣きそうになりながら、聖慈の姿を思い描く。その途端、全身から血の気が引くと同時に、神経を苛む痺れが急激に増した。
「あ、あぅっ、や、やめえっ!? ひっ、ぐ、うあっ、あ゛っ、あぁあーっ、あっ!」
「あーあ、きったない顔……興奮するねえ」
 汚いと言われた顔を背けようとしても、男の手に掴まって無理矢理前に向けられる。自分の嬌声から耳を塞ごうとしても、それすら簡単に振りほどかれてしまった。
「気持ちよくってたまらないでしょ? 素直に受け入れような。そうすればもっとよくなれる」
「っひ……!」
 ぐちゅん、と奥まで叩きつけられて、視界が激しく点滅した。容赦ない律動に息も絶え絶えの朔だったが、腹の上で揺さぶられている性器は固く勃起したままで、だらだらとよだれを垂らして腹を汚していた。身体の中心に、抉られると気持ちよくて飛びそうになる場所がある。そんなこと、朔は知りもしなかった。男の凶器がそこを擦り上げるたび、視界にちかちかと火花が散って、どこか分からない場所まで引っ張り上げられそうになる。
「あ、あぅっ、あーっ、ぁ、やあっ、い、や、も、ぐちゅぐちゅ、しな、いれ、あぅっ、ぅ、ううーっ」
「あは、なんだって? もっとしてほしい? ココ?」
 薄い腹に男の掌が置かれる。何をするのかと身構える前に、ぐっと力をこめて押さえつけられた。内側からごりごりと壁を擦り上げる性器と、外側から圧をかける掌との間で、敏感な内壁が挟み撃ちにされて強烈な快楽に襲われた。それはもやは苦痛に近く、恐怖以外の何物でもない。逃げようともがく朔に構わず、ショウは面白がるように何度も腹を押し、薄い肉をごりごりといじめ抜いた。
「やあ゛っ、あっ、やら、も、ひぐっ、ひっ、も、やらぁっ、あ゛っ、ぁ!」
 視界が真っ白に染まり、全身が激しい絶頂感に包まれる。腹の上に白濁した液体が吐き出され、ショウが愉快そうに肩を揺らした。
「上手にイけたね」
「へ、ぁ、あっ……!?」
 これで終わりかと思う間もなく、奥を突き上げられて息が詰まる。達したばかりで消耗した身体には酷な仕打ちだった。逃げようとする腰を掴まれ、ぐりぐりと弱いところを抉られる。限界まで感度を増した神経が、まさに焼き切れる寸前まで追い詰められた。
「も、やめ、ぁっ、あ゛っ……!」
「処女には刺激が強すぎるかもね……でも、そのくらいがいいんだよ」
 視界がぶれるほど激しく突き上げられて、呼吸すらままならない。首筋にちりっとした痛みが走って、噛まれたのだと気付いた。その痛みでさらに中を締め付けてしまい、腹の中にある男の形を思い知らされてしまう。隙間もないほどみっちりと埋められて、朔に逃げ場など存在しなかった。
「っは、やば、いく……!」
「うあっ、ぁ、や、いやらっ、待っ、ぁ、あ゛ぁ~~っ!!」
 容赦なく叩き付けられて、腹を破られてしまうのではないかと恐怖した。男の凶器が腹の奥の奥まで押し入ってきて、呼吸さえできない圧迫感に喘ぐ。入ってはいけないところまで入ってきたのではないかと思った。その一番深いところで、男のそれがびくびくと脈打つ。串刺しにされたまま、腹の中に熱いものが溢れ出した。何をされているのか理解できないまま、ようやく穏やかになった男の律動に、朔は安堵の息をつく。しかし安心したのもつかの間、腹が膨れるような違和感に気付いて、さっと顔を青くした。
「な、に……なにを……」
「初ザーメンの味はどう? たまらないでしょ。クセになるよ」
 ぬぽ、と男の性器が抜け落ちていく。開きっぱなしの穴から吐き出された精液が溢れ出し、尻を伝い落ちていった。
「どうも、ごちそうさま」
 男はさっさと身なりを整えてしまうと、呆然と横たわる朔に背を向けた。男が部屋を出ていこうとするのと、外側から部屋の扉が開かれたのとは同時だ。はっとして時計を見遣ると、聖慈の帰宅する時刻を回っている。恐る恐る玄関を見やれば、よく見慣れた聖慈の顔と、先程の暴漢が向き合っている。鉢合わせた二人の男はしばし無言で見つめ合ったあと、聖慈の視線が静かに此方に向き……凍りつくのが分かった。
「あ……せい、じ……これは、その」
「……誰の差金だ」
 聞いたこともない冷たい声が室内に響き渡る。一瞬にして朔は恐怖に叩き落とされた。その言葉を向けられた男はへらりと笑ったあと、聖慈の脇をすり抜けて外へ出る。
「君が一番よく知っているんじゃない?」
 その一言を残し、ショウは立ち去る。聖慈もその後を追うことはなく、代わりに重苦しい沈黙が室内に流れた。朔は動揺のあまり、乱れた自分の衣服を整えることすらできない。口から心臓が飛び出しそうだった。視界が回って、自分が立っているのか座っているのかさえ分からない。
「……朔」
 抑揚のない声に名前を呼ばれて、思わず飛び上がる。その押し殺したような声に、隠しきれない激しい怒りを感じたからだ。分かりやすく激昂するでもなく、声を荒げるでもなく、淡々とした声色で自分を呼ぶ聖慈がこの時ばかりは恐ろしかった。
「……風呂に、入ろうか」
 そういって、聖慈がふわりと優しい笑みを浮かべる。それでも言葉の裏に燃え滾る激しい怒りを感じて、朔は震え上がった。無言で頷くことしか出来ず、聖慈に手を引かれるまま、よろよろと立ち上がり風呂場に向かった。
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