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42.ラインハート
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ノヴァック領は、北方の辺境に位置している。一年の半分以上が雪に覆われ、人口も少なければ産業らしい産業もない。
領主のノヴァック辺境伯は、欲のない男である。家族と領民が飢えなければ、それで上々だと考えている。幸いにも、これと言ってうまみのない領地のため、隣国や周辺の貴族たちから狙われることもない。
これまでは、の話である。
ラインハート=ノヴァックは、母に似た美貌と父に似た穏やかさを持っており、争いを好まず、派手な生活を望まない。それが、ゴドルフィンの娘のところへ見合いに行くと決めたとき、両親はとても驚いた。ゴドルフィン商会の名前は当然知っていたが、今まで何のかかわりもなかったからだ。貴族とはいえ、貧しい辺境伯。豪商の娘が興味を持つわけもない。
友人の付き合いで、と大して乗り気でもなさそうに出かけて行った息子だったが、見合いの場で何があったのか、その日を境に別人のように変わった。
辺境伯を継ぐために、と学校を卒業してからずっと知り合いのところを転々としながら勉強していたラインハートだったが、それまではまじめではあっても、熱意があったわけではなかった。
それが、自領のや周辺の地域のこと、似た風土を持つ外国の産業を調べ、流通を学び人の流れを追い、とこれまで詰め込んだ知識を実務に展開する方法を模索し始めた。
学ぶのが好きだから学者になるとでも言いだすのでは、と母は考えた。が、それは杞憂だったようだ。
突然領地に帰ってきた息子が、分厚いファイルと数個の鉱石を執務机に並べ、言ったのだ。
「ネメラル鉱石の発掘をします」
ネメラル鉱石。現時点で、本国では採掘された例はない。
息子の持ってきた鉱石を手に取ると、ぼんやりと赤く発光している青い鉱物が黒く硬い鉱石に覆われていて、話に聞いたことのあるネメラル鉱石そのもののように見えた。
が。
「この鉱石は、採掘スポットにはなりえないのではなかったか?」
まだ採掘された絶対量が少ないせいで、どうやって生成される鉱物なのか判明していない。そのうえ流通量も少ないので、利用方法も確立されていない。
が、ラインハートはそれまで見たことがないほどに楽しそうな顔で言った。
「我が領地から出たら……大発見だとは思いませんか!」
キラキラした瞳を向けられたら、頷くしかなかった。
ゴドルフィンの家で何があったんだろう、と不思議に思うが、それを訊く隙すらもなかった。息子はてきぱきと諸々の算段を付け、山にこもってしまったのだ。
止めるべきだったのだ。
◇ ◇ ◇
雪が吹き荒ぶ音が収まってきた。同時に、廊下を大勢の足音が響き始めた。
どのくらい寝てしまったのか、外が暗くないということとそれほどお腹がすいていないことを思うと、それほど経っていないのかもしれない。
体温が移って温かくなった毛皮から身体を起こすと、ちょうど格子戸の向こうに衛兵が来ていた。さっき見た顔ではない。
彼は手にした記名帳をめくりながら、こちらを見つめて訊いた。
「もう記帳はしたか」
クロエは頷き、名乗った。
彼はクロエゴドルフィンと呟きながら一か所にチェックを入れて、ふむと唸った。
「詐称でこの先に入ると、危ないのは自分だぞ」
詐称ではない。クロエは頷かなかった。
「別に、罪人扱いでここに入れてるんじゃないからな?」
そうは思えない。どう考えても牢獄だ。
黙ったままのクロエに、衛兵はしゃがんで目線を合わせた。
「この先で崩落があったのは聞いたか? まだ、雪のせいで山中に取り残されている人もいる。砦に人がたくさんいただろう? あの人たちが何をしに来たのかわかるか?」
クロエが首を振ると、衛兵は小さく息をついた。
「取り残された人を迎えに来た人たちだ。まぁ、一部そうじゃない人もいるが、そういうやつらは今はこの先に進ませるわけにはいかないからあそこで足止め」
ということは、クロエはどちらにしてもこの砦で足止めされてしまうことにはなっていたのかもしれない。
でも、牢獄はあんまりだ。
衛兵は、慌ただしく駆ける足音に一度首を伸ばして、クロエに言った。
「雪が収まったからな。あぁして救助に向かうんだ。それが落ち着いたら、お前の家にもちゃんと連絡してやる。……ほんとだったらラインハート坊ちゃんが一応話を聞きに来るんだけどな、ここの責任者だから」
ほんとだったら、が気になって身を乗り出すと、衛兵は立ち上がってぺこりと頭を下げた。
「そんなわけで、少々お待ちくださいよ。坊ちゃんと遭難者は、嵐が収まった時しか探しに行けないので」
「え、あの!」
足早に去っていった衛兵の背中に声をかけるも、戻ってきてはくれなかった。
坊ちゃんと、って言った?
心臓がきしんだ音を立てる。
領主のノヴァック辺境伯は、欲のない男である。家族と領民が飢えなければ、それで上々だと考えている。幸いにも、これと言ってうまみのない領地のため、隣国や周辺の貴族たちから狙われることもない。
これまでは、の話である。
ラインハート=ノヴァックは、母に似た美貌と父に似た穏やかさを持っており、争いを好まず、派手な生活を望まない。それが、ゴドルフィンの娘のところへ見合いに行くと決めたとき、両親はとても驚いた。ゴドルフィン商会の名前は当然知っていたが、今まで何のかかわりもなかったからだ。貴族とはいえ、貧しい辺境伯。豪商の娘が興味を持つわけもない。
友人の付き合いで、と大して乗り気でもなさそうに出かけて行った息子だったが、見合いの場で何があったのか、その日を境に別人のように変わった。
辺境伯を継ぐために、と学校を卒業してからずっと知り合いのところを転々としながら勉強していたラインハートだったが、それまではまじめではあっても、熱意があったわけではなかった。
それが、自領のや周辺の地域のこと、似た風土を持つ外国の産業を調べ、流通を学び人の流れを追い、とこれまで詰め込んだ知識を実務に展開する方法を模索し始めた。
学ぶのが好きだから学者になるとでも言いだすのでは、と母は考えた。が、それは杞憂だったようだ。
突然領地に帰ってきた息子が、分厚いファイルと数個の鉱石を執務机に並べ、言ったのだ。
「ネメラル鉱石の発掘をします」
ネメラル鉱石。現時点で、本国では採掘された例はない。
息子の持ってきた鉱石を手に取ると、ぼんやりと赤く発光している青い鉱物が黒く硬い鉱石に覆われていて、話に聞いたことのあるネメラル鉱石そのもののように見えた。
が。
「この鉱石は、採掘スポットにはなりえないのではなかったか?」
まだ採掘された絶対量が少ないせいで、どうやって生成される鉱物なのか判明していない。そのうえ流通量も少ないので、利用方法も確立されていない。
が、ラインハートはそれまで見たことがないほどに楽しそうな顔で言った。
「我が領地から出たら……大発見だとは思いませんか!」
キラキラした瞳を向けられたら、頷くしかなかった。
ゴドルフィンの家で何があったんだろう、と不思議に思うが、それを訊く隙すらもなかった。息子はてきぱきと諸々の算段を付け、山にこもってしまったのだ。
止めるべきだったのだ。
◇ ◇ ◇
雪が吹き荒ぶ音が収まってきた。同時に、廊下を大勢の足音が響き始めた。
どのくらい寝てしまったのか、外が暗くないということとそれほどお腹がすいていないことを思うと、それほど経っていないのかもしれない。
体温が移って温かくなった毛皮から身体を起こすと、ちょうど格子戸の向こうに衛兵が来ていた。さっき見た顔ではない。
彼は手にした記名帳をめくりながら、こちらを見つめて訊いた。
「もう記帳はしたか」
クロエは頷き、名乗った。
彼はクロエゴドルフィンと呟きながら一か所にチェックを入れて、ふむと唸った。
「詐称でこの先に入ると、危ないのは自分だぞ」
詐称ではない。クロエは頷かなかった。
「別に、罪人扱いでここに入れてるんじゃないからな?」
そうは思えない。どう考えても牢獄だ。
黙ったままのクロエに、衛兵はしゃがんで目線を合わせた。
「この先で崩落があったのは聞いたか? まだ、雪のせいで山中に取り残されている人もいる。砦に人がたくさんいただろう? あの人たちが何をしに来たのかわかるか?」
クロエが首を振ると、衛兵は小さく息をついた。
「取り残された人を迎えに来た人たちだ。まぁ、一部そうじゃない人もいるが、そういうやつらは今はこの先に進ませるわけにはいかないからあそこで足止め」
ということは、クロエはどちらにしてもこの砦で足止めされてしまうことにはなっていたのかもしれない。
でも、牢獄はあんまりだ。
衛兵は、慌ただしく駆ける足音に一度首を伸ばして、クロエに言った。
「雪が収まったからな。あぁして救助に向かうんだ。それが落ち着いたら、お前の家にもちゃんと連絡してやる。……ほんとだったらラインハート坊ちゃんが一応話を聞きに来るんだけどな、ここの責任者だから」
ほんとだったら、が気になって身を乗り出すと、衛兵は立ち上がってぺこりと頭を下げた。
「そんなわけで、少々お待ちくださいよ。坊ちゃんと遭難者は、嵐が収まった時しか探しに行けないので」
「え、あの!」
足早に去っていった衛兵の背中に声をかけるも、戻ってきてはくれなかった。
坊ちゃんと、って言った?
心臓がきしんだ音を立てる。
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