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【本編】アングラーズ王国編

別れ(カリーナ視点)

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 レアン殿下と私には、乗り越えなければならない壁が残されていた。

 ローズ皇女殿下との婚姻を望んでいるグラシアン陛下に、私たちの結婚を了承して貰わなければならなかった。

 私たちは宮殿に戻り、グラシアン陛下がいる執務室の扉の前に立っていた。

「説得出来るでしょうか……」

 私は不安と緊張のあまり、身体が震えた。

「大丈夫。私に任せて」

 レアン殿下はそう言うと、安心させるように両手で私の手を包み込んだ。

「私が説得するから、カリーナはそばにいてくれるだけで良いからね」

 彼は優しくそう言うと、執務室の扉をノックした。

「失礼致します」

 私たちが中へ入ると、グラシアン陛下は正面にある執務机に向かって座っていて、その後ろには王妃殿下と、ローズ皇女殿下が立っていた。

「レアン、どうしたのかね?」

 グラシアン陛下は机の上で手を組んで、厳しい視線をこちらへ向けた。

「国王陛下。カリーナとの婚姻を、認めて欲しいのです」
「フェアクール帝国との縁談は欠かせないのだ。レアン、お前なら分かっているだろう?」

 グラシアン陛下は深いため息を吐いた。

「フェアクール帝国と婚姻を結ぶと同時に、両国間で軍事同盟も結ぶ。これで、長らく続いた戦にもやっと終止符が打てるのだ。レアン、この重要性はお前もよく分かって──」
「とても良く分かっていますよ。我が国には、フェアクール帝国と戦うほどの余力は、残されていませんからね」
「レアン、その話しは……」

 狼狽えたグラシアン陛下の視線を、レアン殿下はにっこりと見返した。

「フェアクール帝国の皇帝陛下には、我が国の財政状況について説明したのでしょうか?」
「──やめなさい。レアン」
「説明している筈はないですよね。話していたら、この婚姻を皇帝陛下が許すはずがないのですから」

 レアン殿下はグラシアン陛下の制止を聞き流し、射るような視線を向けた。

「ど……どう言う事でしょうか?」

 ローズ皇女殿下が戸惑いながらそう言った。

「この国は今現在、莫大な借金を抱えているのです。軍事費やここ最近の度重なる災害によって、国の存続を揺るがすほどの額になっています。戦になれば、まともに戦える状況ではないからこそ、この国はフェアクール帝国との軍事同盟を急いでいるのです。ローズ皇女殿下、そんな没落寸前のこの国に、あなたは嫁いで来れるのですか?」

 レアン殿下は挑むような、鋭い目つきでそう言った。
 ローズ皇女殿下は、一瞬、逡巡するかのように視線をさまよわせた。

「──私は、それでも構いません。レアン殿下、あなたと結婚出来るのであれば、全てを受け入れる覚悟です」

 ローズ皇女殿下はためらいを打ち消し、その緋色の瞳に、力強い光を宿していた。

「……そうですか。ならば直接、フェアクール帝国の皇帝陛下に聞いてみましょうか。この国の財政状況を説明して、我が国と心中するご覚悟があるのかどうかを」
「レアン、何を言っているのだ!そんな事をすれば、周辺国諸国にも話が伝わり、我が国の信用は地に落ちるぞ」
「信用?そんなの幻想ですよ。騙しているだけではないですか。国王陛下、もう一度お聞きします。私とカリーナとの婚姻、認めて頂けますよね?」

 グラシアン陛下が、ぐっと息を飲むのが分かった。
 私たちの婚姻を認めざるを得ないのは、明らかだった。

 でも──

「お待ち下さい」

 私は震える声で、静寂を破った。
 隣にいるレアン殿下が、驚いて私の方へ振り向いた。

「──私が、レアン殿下との婚姻を取り止めます。身分をわきまえず、申し訳ありませんでした」

 震える声を絞り出し、私はそう言うとグラシアン陛下たちに深々と頭を下げた。

「カ、カリーナ?何を言っているの──」

 私は目の前のレアン殿下に「終わりにしましょう」と、彼だけが聞こえる声で囁いた。

「えっ……」

 レアン殿下は目を見開くと、言葉を失った。

「ローズ皇女殿下。今まで、おふたりの仲を邪魔してしまい、申し訳ありませんでした。レアン殿下を、よろしくお願い致します」

 私はローズ皇女殿下に深々と一礼すると、逃げるように執務室を後にした。

「待って!どうしてあんな事を……」

 レアン殿下はすぐに追いかけてきた。
 すると周囲にいる護衛騎士たちが、何事かとこちらに振り向いた。

「ここは人が多いから、外に出よう」

 彼は私の耳元でそう囁くと、私の手をしっかり握った。

 宮殿の外に出ると、辺りは日が落ちて薄暗く、藍色の空には夕日の残滓が儚く残っていた。

「どうしてあんな事を言ったの?」

 私はレアン殿下に手をとられたまま、彼の痛々しいほどに困惑した瞳で見つめられた。

「私は必ず、国王陛下に君との婚姻を認めさせる。なのに、どうして……」
「もう良いのです。レアン殿下。私のせいで、あなたが大切にして守ってきたものを、壊してしまうのは嫌なのです」
「私があんな言い方をしたからだよね。大丈夫だから。この国を見捨てたりはしない。私が必ず立て直してみせるから──」
「このまま無理に結婚しても、私は幸せにはなれません!レアン殿下、お願いです。私の事は、お忘れください」

 私は叫ぶようにそう言うと、レアン殿下に取られていた手を、サッと外した。

「……さようなら」

 私は最後の言葉を絞り出した。
 そして、逃げるようにその場から離れた。

 決して、後ろは振り返らなかった。





 私は逃げるように、自分の客室に駆け込んだ。

 客室に入る扉の前で、アルに声をかけられたけれど、彼はすぐに何かを察知して、黙って扉を開けてくれた。

 部屋に入った途端、私はその場に崩れ落ちた。

 目から涙が溢れてくる。
 嗚咽が漏れ、息が苦しかった。
 胸が締め付けられるように痛かった。

 本当は、さようならなんて、言いたくなかった。

 この国を、たとえ壊してしまう事になったとしても、あなたと一緒にいたかった。

 大好きだった。

 ちょっとひねくれいて、性格が悪い所も。
 完全無欠の存在でありながら、本当は自分に自信がない所も。

 全部、全部、大好きだった。

 だからこそ、あなたが大切に守ってきたものを、私のせいで、あなたに壊させてしまうのは嫌だった。

 耐えられなかった。

 ごめんなさい。
 ずっと一緒にいたいと言ったのに。
 また、約束を守れなかった。
 ごめんなさい、ごめんなさい…

 ふと、目を上げるとテーブルの上にある花が目に入った。
 薄紫の、私の瞳と同じ色の可憐で愛らしい花々…

 あなたの想いに、応えられなかった。

 大好きだったから、あなたの足かせになるのは耐えられなかった。

 最初から、叶うはずのない恋だったのだ。

 でも、たとえこの恋が叶わなくても、私はあなたの事をいつも想っている。

 いつも、あなたの幸せを願っている。

 今度は絶対に、あなたの事を忘れたりしない。
 たとえ苦しくても、この想いを、ずっと抱えて生きていく。

 ありがとうレアン。

 あなたに出逢えて本当に、幸せだった。
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