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脱走②

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 私は息を弾ませながら、寂れた村外れの道を歩いていた。

  宮殿を脱け出してから、どのくらいの時間が経ったのだろう。
 悠長にしていたら日が落ちて、暗くなってきてしまいそうだ。
 
 戴冠式と即位祝賀パレードが執り行われている今日、騎士達の大部分は式典の方へ出払っており、宮殿の警備は通常より手薄になっていた。

 宮殿から脱け出すなら今日しかなかった。

 今頃、フェリクス陛下は私がいなくなった事に気づいただろうか。

 彼は王座を奪還した日から、私の前に姿を現さなくなっていた。
 憎んでいる私の顔など見たくもないのだろう。

 私の存在が彼を苦しめていた。

 そして、フェリクス陛下は裏切り者の婚約者である私を宮殿内にとどめた事で、臣下達から反発が起きているようだった。

 これ以上、彼に迷惑をかけるのは嫌だった。

 だから私は宮殿を出ようと決めた。

 最後に残した手紙を、彼はもう読んでしまっただろうか。
 自分の本心を記してしまった事が、今更ながら悔やまれる。
 憎む相手に勝手に思慕されても、フェリクス陛下が不快な思いをするだけなのに。

 あんな事、書かなければ良かった……

 でも、後悔してももう遅い。
 宮殿に戻るなど出来ないのだから……


 そんな時、向かい側から一台の荷馬車がやって来た。
 私は顔が見えないよう外套のフードを深く被り直し、道の端に避けた。

 ガラガラガラ……

 荷馬車は通り過ぎて行くものかと思ったが、速度を落とし私の隣まで来るとピタリと止まった。

「どうしましたか?」

 私に向かって声を掛けながら、御者の男が荷馬車から降りてくる。

  何かとても嫌な感じがする──

 その男の姿を見て、私の直感が逃げろと言っていた。

「……大丈夫です」

 掠れた声で返事をかえすと、足早にその場から立ち去ろうとした。
 その時、御者の男が私に向かっていきなり飛び掛かり、無理やり道端に押し倒された。

「きゃあっ!!止めて!何をするの?!」

「へぇ。なかなか綺麗な顔をしてるじゃないか。瞳も珍しい色だし。高く売れそうだ」

「えっ──?」

 売るって、もしや……

「あんたみたいに初な女が娼館では人気なのさ」

「──っ!いっ、嫌よ!私はそんな所には絶対に行かない!」

 私は激しく首を振って拒絶した。

「安心しな。娼館にはまだ連れていかない」

 私の身体にのし掛かっている男は、目の前で厭らしく笑った。
 男の息が顔にかかり、その鼻をつまみたくなる程の口臭に私は思わず顔を背けた。

「汚ならしい男は嫌いかい?」

 気がつけば、荷台の幌の中から仲間らしい屈強な男達が降りて来ていた。
 
「娼館に売る前に、まずは俺達を楽しませて貰おうか?」

 耳元で囁かれた言葉に、鳥肌が立った。

 厭らしい男達の慰みものにされるなど絶対に嫌だ。

 声の限り叫んで激しく抵抗したが、圧倒的な体格差がある男の身体はビクともしない。
 男は私が着ていた外套を剥ぎ取り、衣服を引きちぎった。

「いやあっ!助けて!フェリクス!!」

 無意識に彼の名を叫んでいた。

 その刹那、私にのし掛かっていた男の身体がいきなり吹き飛んだ。

「──っ?!」

 私は何が起きたのか分からず、押し倒されたまま茫然としていると、突然何者かに抱き上げられた。

「きゃあっ!止めて!離して!」

 御者の仲間に抱き上げられたと思った私は激しく抵抗した。

「お前が助けてと叫んだんだろう」

 そんな時、頭上から呆れたような声音が降ってきた。

 聞き覚えのあるその声に、私はハッと顔を上げた。

「フェリクス……陛下……?」

 私は今の状況も忘れて、久しぶりに対面した彼の変貌に見入ってしまった。

 闇色だった髪は、光輝く銀髪に戻っており、無造作に伸びて顔を覆っていたその髪は、今は短く整えられていた。

 以前にも増した美麗で洗練された容姿に、私は思わず見惚れてしまった。

「なんなんだ?!貴様は!!」

 仲間をやられた男達が激昂していた。

「お前達のような者がいるから国の治安が乱れるんだ」

 フェリクス陛下は苦虫を噛み潰すように言うと、抱き上げていた私に「掴まれ」と呟いた。
 
「えっ……?」

 疑問に思った次の瞬間、彼に抱き上げられていた私の身体は大きく揺さぶられた。

「──!!」

 私はびっくりしてフェリクス陛下の首筋にしがみついた。
 彼は一瞬で男達と間合いをつめると、強烈な蹴りを入れて次々に男達を吹っ飛ばした。

「がはっ──」

 バタバタと屈強な男達が倒れて行く。

 圧倒的な強さをもつフェリクス陛下なら、こんな男達など造作なく倒せる──そう思っていた時──

「ぐっ……」

 頭上から彼のくぐもった声が聞こえると、グラリと身体がふらついた。

「フェリクス陛下?!」

 私が驚いて顔を見上げると、彼は苦しげに顔を歪めていた。

「毒が塗ってある矢が背中に三本も刺さっているのに、まだ立っていられるのか。この毒はかすっただけでも一瞬で命を奪う猛毒なんだぞ?化け物か。貴様は」

 いつの間にか、離れた場所で男達が弓を構えていた。

「猛毒?!そんな……どうして……」

 王都で弓使い達に襲われた時は、彼は軽々と避けていた筈なのに……

「ぼんやりとしか目が見えない」

「え……?」

「訳あって、視力が極端に落ちている。接近戦ならば何とか相手を確認出来るが、遠距離で攻撃されると対応出来ない」

 そんな状態なのに、彼は一人で私を助けにきてくれのか……

「おい。その女を置いて行くなら、特別に見逃してやってもいいぜ?それとも、さらに毒矢をお見舞いされたいか?」

 からかうような口調で弓を構えた男が言った。

 さらに毒矢が刺さる?
 そんな事になったら、彼は死んでしまう──

「……フェリクス陛下。私はここに置いて行って下さい。私は自ら宮殿を出たのです。貴方を巻き込む訳にはいきません」

 元々、こうなってしまったのは私の責任だ。
 私のせいで、これ以上彼が苦しむのは嫌だった。
 彼を助ける為ならば、この身体も命もどうなっても構わない。

 フェリクス陛下はしばらくじっと私を見つめると、抱き上げていた私を静かに地面に下ろした。
 
「助けに来て頂いてありが──」

「勘違いするな。今の私では弓矢を避けられないから下ろしただけだ。お前は離れていろ」

 最後のお礼を伝えようとした私の言葉を遮り、フェリクス陛下は淡々と言い放つと、背中に刺さっていた矢を全て抜いて道端に投げ捨てた。

 毒が回ってきているのだろう。
 彼の身体が小刻みに震えている。

 これ以上、彼に矢が刺さってしまったら……

「フェリクス陛下……お願いです。どうか私は置いて行って……貴方には、生きていて欲しいの」

 私は彼に懇願した。
 十年前の事件で生き残ってくれていたフェリクス陛下に、これ以上危険な目に合って欲しくなかった。

「大丈夫だ。私は絶対に負けない」

 フェリクス陛下は力強く言うと、私を安心させるように穏やかに微笑んだ。

 十年前の事件が起きるまで、彼はこんなふうに穏やかに笑う人だった……

 それを思い出して、私は思わず涙ぐんだ。




 
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