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奪還⑤

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 気がつくと、私はベッドの上にいた。

 つい先ほど義兄が部屋を訪ねて来た筈なのに、その後の記憶が抜け落ちている。

 そんな事が前にもあった。
 十年前の事件の時だった。

 寝室の明かりは消えていて、月夜の青白い光が一人の青年を照らし出していた。

「アレン……?」

 そして、アレンから少し離れた場所で、義兄が意識を失って倒れていた。

「お義兄様……どうして……」

 私はベッドから下りて義兄に駆け寄った。
 頭を打ったのか後頭部から血が滲んでいる。

「……そんなにそいつが大切なのか」

 その時、背後からかけられた声の冷酷さに、私はゾクリと背筋が粟立った。
 振り返ると、緋色の瞳を冷たく輝かせたアレンが後ろに立っていた。

「アレン……」

「どうしてその名で呼ぶ。私の本当の名では呼びたくないのか」

「本当の……名?」

 彼が何を言っているのか分からなかった。
 アレンは偽名だったのだろうか……?

「死んだと思っていた婚約者の名など、呼びたくもないか」

 死んだ……婚約者……?

 その瞬間、私の心臓はドキリと大きく跳ねた。

「フェ……フェリクス殿下……?」

「何を今更そんなに驚くんだ。人の話を聞いてなかったのか」

 アレンはフェリクス殿下だった。

 瞳の色も髪色も纏う雰囲気すらも、過去の彼とは全て異なっていたが、ミィに見せた穏やかな笑顔は記憶に残るフェリクス殿下の笑顔と全く同じだった。

 心の奥では気づいていたのに、それ認めるのが怖かった。

「……どうなんだ?死んだと思っていた婚約者が生きていた心境は」
 
「……生きてくれてて、本当に良かった」

 素直な気持ちを伝えた。

 私を強く憎んでいるであろう彼と対面するのは怖かったが、それ以上に、生きてくれていた事が本当に嬉しかった。

「……よくもそんな嘘にまみれたセリフが吐けるな。十年前、私に早く死ねと言ったのは何処のどいつだ」

「……そんな事、私は言ってないわ」

 全く身に覚えがなかった。

 私がフェリクス殿下に早く死ねなど言う筈がない。
 けれど、十年前の事件で国王陛下達を暗殺した者も同じ事を言っていた。

 もしや、私の中に別の人格があるのだろうか。

 知らない自分がいるのかもしれないと思うと恐ろしくなり、私は身を震わせた。

「ああ、お前は私に殺されると思って、また善人面を始めたのか」

「……違うわ。私は貴方にだったら殺されても構わない」

「嘘を言うな。お前は私を騙して面白がっているんだろう」

「そんな……違うわ……」

 いくら本音で答えても、彼には全く届かなかった。

 それほどまでに、私は憎まれているのだ──

 絶望した私は力なく項垂れた。

「……その首筋の痕は何だ」

 強い怒りを押し殺したような低い声音に驚いて私は顔を上げた。

「えっ……痕?」

 思わず首筋に手を当てた。
 首筋では自分で見て確認する事も出来ない。

「しらを切るな。ゼウスにつけられたんだろう?」

 唸るように彼は言うと、気づいた時には床に押し倒されていた。

「いつからゼウスが好きだったんだ?」

 フェリクス殿下は私の上に馬乗りになると、私の首筋にそっと手を伸ばした。

「なっ……何を言っているの?私とお義兄様は兄妹なのよ。そんな感情、ある筈がないわ」

「……お前は、そうやってすぐに嘘をつく……」

 その時、フェリクス殿下の大きな手が私の首にかかった。

 鮮やかな緋色の瞳には、私に対する激しい憎悪が宿り、残酷な程に冷たく輝いていた。

 首にかかる彼の手に力が入り、段々と強く絞めつけてくる。

 苦しい……

「ずっと……あいつが好きだったんだろ。だから……婚約者だった私が邪魔で、あんな事を……」

 フェリクス殿下は声を震わせながら、苦しそうに言葉を吐いた。

 それは絶対に違う。
 あの時、私は本当に貴方を愛していた。
 それは今も変わらない……

 しかし、首を強く絞められていて、その言葉を発する事は叶わなかった。

 代わりに私は小さく首を振った。

 ごめんなさい──
 これ程までに貴方を傷つけて。
 でも、これだけはどうか信じて……
 私は過去も今も、貴方だけを愛してる。

 眥から一筋の泪が溢れると、私はそっと瞳を閉じた。

「──っ!」

 その瞬間、フェリクス殿下は弾けるように私の首から手を離した。

 肺に一気に空気が入り込み、私は激しく咳き込んだ。

「……フェリクス……殿下……?」

 息も絶え絶えに彼の名を呼んだ。
 何故彼が手を離したのか分からなかった。

「最低だ……」

 フェリクス殿下は血を吐くように呟くと、ふらふらと立ち上がって壁際まで歩いて行くと、崩れるように腰を下ろした。

「フェリクス!大丈夫か?!」

 その時、寝室の扉から明るい橙色の髪の青年が、息を荒らげながら飛び込んで来た。

「三階の窓を突き破って侵入するなんてあり得ないだろ。後を追いかけているこっちの身にもなれ」

 壁にもたれて項垂れていたフェリクス殿下の前に、ライアン様が立った。

「……どうした?フェリクス。死んでるのか?」

「……死んでない。見れば分かるだろ」

「まあな。それにしても、どうしてそんなに落ち込んでいるんだ?……もしかして、ソフィアの処女をゼウスに奪われた?」

 あまりの言葉に鳥肌が立った。

 どうして、私がゼウスお義兄様と……

「馬鹿な事を言うな。そんな筈がないだろ」

 私が否定する前に、フェリクス殿下が吐き捨てるように答えると、ライアン様は「ああ、そうなの?」と意外そうな顔で呟いた。

「ソフィアの首筋にキスマークついてたからさ。てっきりそうなのかと──」

「ええっ?!」

 私はビックリして首筋を押えながら叫んだ。

 フェリクス殿下が言っていた首筋の痕とは、キスマークの事だったのかとやっと気がついた。

「あれ?知らなかった?真っ赤になってるよ。どんだけ強く吸ったんだか──」

「ライアン。その話は止めろ。虫酸が走る」

 私は首筋を両手で隠しながら顔を紅潮させた。

 いつキスマークをつけられたのだろう。
 全く思い出せない。

 いったい、誰が……?

 自分に記憶がないのが恐ろしかった。

「それもそうだな。で?腹は決まったのか?」

「……二人して、よくも私を嵌めてくれたな」

「そうでもしないとお前は国王にならないだろ」

 国王……フェリクス殿下が?
 そうなれば父は一体どうなるのだろう……

「あの……フェリクス殿下が国王になったら、お父様はどうなるの?」

「……本当に何も話を聞いてないんだな。……お前の父親は、私が殺した」

 思いもよらない言葉に、私は息を飲んだ。

 十年前、私を騙して国王陛下達の暗殺に協力させた父をずっと恨んでいた。
 父にとって私は都合の良い道具でしかなかったのだ。

 しかし、それでも死んだと言われると心が痛んだ。

「お父様が……」

「……ゼウスは北の地にある牢獄に入れて王妃は実家へ帰らせる。お前は……ここに残れ」

「ここに、残る……?」

 訳が分からない。
 彼は私を憎んでいるのではないのか。
 国王陛下達を殺害する手助けをしてしまった私を、どうして捕らえないのか。

「待って。どうして私は牢獄に入れないの?私のせいで国王陛下達が……」

「反論は一切許さない。お前にはこれから私の指示に従ってもらう」

 フェリクス殿下は立ち上がると、有無を許さぬ厳しい口調でそう言い放った。
     



**********



やっと冒頭シーンの回収が出来ました。
気がつけば最近男性視点ばかりで、久しぶりのソフィア視点です(ヒロインなのに……)


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