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あくせく旅路編

特別番外編 バレンタインの恐ろしさ

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 この世界に生まれ、早8年が立った。
 噂のモテキとやらも到来しないまま、ジジィの髭と花瓶に殺された俺だけれど、家族の温かさや愛情を感じられるいま、少しくらいは感謝してもいいかな、と思い始めていた。

 ああ、そうだ、過去形だ。
 思い始めていたんだ。昨日まではな!


 地獄の1日が始まる。持つ者は持たざる者を見下し、持たざる者は爆死を願って呪詛を吐くも残るは途方もない虚しさだけ。小さな甘いその一粒はどんなに願ったって目の前を通り過ぎて、絶望感に落とされる。
 無邪気な笑みを浮かべた悪魔たちの精神攻撃だ。チラリと送られる一瞬の視線だけにどれだけの攻撃力を秘めているのだろう。
 少なくとも俺は前世あっちのころは夕方には瀕死だった。心臓が削れ過ぎて空気を吸うことすら億劫だった。
 あの、地獄の1日は世界が変わればつきまとうことはないと思っていたのに…!
 日本だけの文化だと思っていたのに…!
 ああ。俺は裏切られた。神に、そして初代国王陛下に。

「《なぜバレンタイン・デーなんか布教したし》!」

 爽やかな冬の朝、いそいそと勉強をするサンの隣で思わず叫ぶ。遠くから聞こえる学生たちの喧騒も空しく、俺たちの部屋にはサンの着替える布擦れだけが音を立てていた。つまり俺の叫びは部屋に響く。
 結果、サンに怪訝な目を向けられた。
「フキョーシタッシュ?」
「いやそんなドイツの地名ぽく言わないで」
「…どいつって?」
「いや、何でもない、うん、こっちの話だ」

 地獄の日、バレンタイン・デー。
 バレンタインデーあるいはセントバレンタインズデーは、2月14日に祝われる、男女の愛の誓いの日。
 まあ、小難しい由来なんかはどうでもいい。現代で言うバレンタイン・デーとはつまり“告白イベント”である。
 まんまと製菓会社の営業戦略に乗せられやがった奴らがチョコやらなんやらを買いあさって、製菓会社に良い思いをさせる日である。
 ああ全く胸糞悪い。

 純情で恥ずかしがり屋な大和撫子の背中を優しく押してあげると見せかけて、裏でがっぽがっぽとほくそ笑んでいるのだ。汚い大人である。
 義理チョコ、友チョコ、本命チョコ。昨今は男子同士で友チョコを贈り合ったりするらしい。ラッピングとか、デコレーションとかこれまた綺麗にするんだぜ。まさしく装飾系男子だな。

 そうそしてバレンタイン・デーという日は、俺のような――つまり平凡でモテない男にとって苦悶の日である。
 義理チョコでも貰えてる奴はいい。はなから本命チョコだなんてそんな高望みはしちゃいねぇさ。
 適当に投げて渡される義理チョコだって、俺に言わせりゃまだ免罪符としての効力を十二分に持っている。
 普段は何も思わないすっかり慣れ親しんだクラスの中も、この日ばかりは居心地が悪い。たまたま視線が向けられたときにゃ

 『1つももらってないの?』

 そんな幻聴が聞こえてくる。被害妄想だ、自意識過剰だと言われればそうだとは思う。それでも、周りの奴らが包みをそっけなく渡されるそのとき、俺の心はスッと冷える。1人空間が切り取られたような感覚はあまりに俺に厳しい。
 普段は仲良くやっているように見えても違ったのか?俺の一方的な友情だったのか?
 言われもない疎外感に襲われ、ガリガリと何かが削られ、何かが胸に溜まる。

 バレンタインとはそんな日だ。

 しかし、大きな落とし穴だった。8年間、無事だったからすっかり安心仕切っていたぜ。
 ぬかったな、まさか王都だけに伝わる文化だったとは!初代国王が学園から広めた文化だとは!
 裏切りだ。初代国王陛下はきっとおモテになっていたのだろう。バレンタインに困らない人種だったのだ。

 俺は意を決して立ち上がった。

「――サン」
「どうしたの、急にそんな真剣な顔して立ち上がって」
「ああ、俺は決めたんだ」
 サンと視線がかち合う。真剣な俺の瞳にサンが息を飲んだのがわかった。

「――今日は引きこもる!」

 その言葉と同時に俺は二段ベッドの梯子に足をかける。

「……は!?……ちょっ!待ってよ!」

 ガシッとサンに足を掴まれ、下に引きずり下ろされた。

「何言ってんの、今日ヴァリーノ先生の授業あるでしょ」
 ジト目のサンが嫌な事実を突きつけてきた。
「それでも俺は止めん!俺の決心はそんなものでは揺るがない!」
「はいはい、行きますよー」
「やめろおぉお」

 抵抗空しくもサンに引きずられる俺。廊下に俺の声が空しく響く。

「サン、お前王都出身じゃないよな?な?」
「え、うん」
「お前はこの日の恐ろしさを知らないんだあ!虎やら馬やらが大挙して押し寄せる威力なんだぞ」
「てかウィルだって王都出身じゃないじゃん。なんで知ってんの」
「うっ……それはっ…」
「そういうの食わず嫌いっていうんだよ」

 違うと思う。

 まあいい。俺は諦めた。チョコがなんだ、義理がなんだ。俺はまだ8歳のケツも青い子供である。そんなものは気にしない。

「ははは…」

 遠い目をしながら乾いた笑い声を漏らす。
 そうだ。俺は子供だ。気にしてなんかいない。
 男子の楽園から追放され地獄へと続く階段が目の前に迫っている。食堂もロビーもいまや戦場と化しているだろう。なんたってここは思春期真っ只中の諸君の暮らす学園の寮である。

 絶望の音が鳴り響く。一歩足を踏み出す度に俺にのしかかる重力が増していくようだ。
 そんなときだった。ふいに俺を引っ張っていた悪魔サンが立ち止まって声を発した。
「おはよう!」
「あ、お、お、おはよう」

 目を閉じて俯いていた俺は恐る恐る顔を上げる。
「オハヨー。ハハハ、今日もいい天気ダネ」
 ぎこちない笑みを浮かべていると、はて目の前の悪魔セフィスもぎこちなく口元をひきつらせていた。

「あの、ウィル!」
 突然叫ぶセフィス。
「うはひ!?」
「これ!!あげる!!」

 セフィスの手がすごい勢いで迫ってきたため、思わず目をつぶってしまった。ゆっくりとビクビクしながら片目を開ける。

「はじめて作ったんだけど……食べて……?」

 そう言うセフィスをよそに俺は呆然と目の前に差し出されたそれを見ていた。皿に乗せられた茶色い物体は非現実的な雰囲気を俺にもたらしていた。

「……ウィル?」

 セフィスに呼びかけられてハッとする。

「これ、俺に?」
「うん」

 現実がジワジワと実感を伴ってくる。
 セフィスが、俺に、チョコレートを、く、れ、た―――!

「ありがとう!セフィス!!本当に嬉しいよ!!~~食べていいの!?」
「ふえっ?…あ、うん……食べてくれる?」

 このときの俺は、あまりのテンションに周りが見えていなかった。いや、正しく言えば、チョコをよく見ていなかった。もう少し落ち着いていれば気がついていただろう。
 目を輝かせながらセフィスから受け取ったものを食べて――

「うぐああっ!?」

 ドカーン!

 口元から爆発。あれ……これチョコだよ…な……爆…弾……ふへ……っ。



――――――――――――――――――――――



「む、サン、ベリルはどうした。また懲りずにサボりか?」
 ヴァリーノが怒気を孕みながらサンを見た。
「いえ、あの、その……」
 サンは気まずそうにしながらも一瞬セフィスに視線を向けてしまう。
 セフィスは俯いている。

「セフィスがどうかしたのか?」
「は、いえ!違います、ウィル君は今朝爆発――いえ嬉しさのあまり部屋で寝込んでいます!」
「……なに?」

 怪訝な顔をするヴァリーノにサンは何も言えない。まさか言えない。セフィスのチョコを食べて爆発音とともにぶっ倒れたなんて。
 いや、でも本当にサンは改めてウィルを尊敬した。
 スライムのように不気味に蠢く物体をチョコと呼ぶセフィスに笑顔で食べてみせたのだから。

「僕は恐ろしさを知ったよ……」

 サンは小さく呟いて青ざめるのだった。

************************************************
前世のウィル君。
ファンクラブが牽制していた。抜け駆け禁止の規則。恐れ多い。などの理由でチョコが貰えなかったようです。
セフィスは調理で謎生物を創り出すスキルを持っていた模様。ちょっとどころではない恐怖です。
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