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第1章 入れ替わった二人がそれぞれの生活をはじめるまで

3.これからは記憶喪失として生きるのが最善手だと思う

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 よし、と自分に何とか気合を入れて、着替えはじめる。
 震える手で、来ていたパジャマのボタンを外す。なんだか罪悪感が沸いてきて、思わず目をそらす。女の子っていつもブラジャーつけているのかと思ってたけど、寝てるときつけてなかったりするんですね……。
 やっとこさボタンを外し終えて、クローゼットから持ってきた灰色のブラジャーを持ち上げる。ピンクとか、水色とかのフリフリを期待していた過去の俺を慰めてあげたい。彼女・・のクローゼットには見事にスポーツブラしかなかった。あー鏡見てないけど、スポーティーな感じの女の子なんでしょうね……。それはそれで悪くないけど。

 スマホで立ち上げたアプリで動画を見ながら、やっとこさブラジャーをつけた。
 いや、もうそれだけで疲れた。あんなに手繰り寄せながらつけるもんなんですね……。
 クローゼットから服を取り出す。シンプルな白いTシャツに、ジーパンを出した。ちょっと女の子になったからにはスカートとかかわいらしい恰好をしてみたくはあったが、何しろクローゼットにそんなものはなかったのだから仕方ない。
 ジャージかジーパンしかなかった……。
 何度目かの裏切りに若干がっくりしながら、着替えを完了させ、深呼吸。
 あーめちゃくちゃ緊張してきた。でも、彼女・・にも『記憶喪失のふりをしよう』と提案したことだし、俺も動き出さなきゃ今後の生活に困るよな。いつお互いの身体に戻れるのかわからないわけだし。こういうのは最初が肝心だ。

 幸い、ほかの部屋からは物音が聞こえてきたので、もうご家族も起きているのだろう。

「よし……やるか」

 すーっと息を吸って、ふんと吐きながら部屋の扉を開く。
 部屋の前には廊下、廊下を左右見回してみると左の方に下に降りる階段があった。おおよそリビングは1階にあるものだと思うので、そちらに向かうことにする。
 なぜか忍び足になりながら階段を下りていくと、階段を下りてすぐにいかにもリビングらしい扉があった。こう、木の扉にガラス窓がついている感じの扉だ。
 扉の向こうからは『朝ご飯まだー? 俺めっちゃ腹減った』『俺も』 『じゃあハル呼んできて』なんて声が聞こえる。あーこのままだと変に扉の前で鉢合わせしそうだし。

「あ、あの~……すみません」

 おそるおそるリビングの扉を開く。

「お、噂をすればハルだ。おはよう」

 扉を開けてすぐのところに背を向けるようにしてソファに座っていた男性が振り返った。短髪の、日に焼けたマッチョだ。とはいえゴリゴリなマッチョって感じではなく、普通にスポーツとかしてそうで強そうなイケメンだ。

「お、おはようございます」
「あれ、着替えてる、どっか行くのか」
「いえ、あの」
「どうした、ハル。今日変だぞ」
「あの、すみません。あなたはどなたですか? ……ここはどこなんでしょうか? 私は、誰、なんでしょうか……」

 なんとか全力で不安そうな顔をしながら言い切った。緊張で声が震えたので、真実味もませたと思う。あんまりまじまじと見られると挙動不審な動きをし出しそうなので自然に俯いて、おそらくこの身体の兄だと思われる彼から目をそらした。

「……母ちゃん! ハルが記憶喪失になった!!!」

 しばらく黙り込んでこちらを見ていた兄が、ぐるんと振り返って叫んだ。ビクッとはねてしまったのは許してほしい。

「記憶喪失!?」
「ハル!」

 リビングの入口に家族が集合してきた。兄その2と思われる、入口にいたデカいマッチョと比べると少し小さいがそれでも175cmは超えていると思われるイケメン――こちらは肌は焼けておらず髪が短髪ではなく、耳くらいまで伸ばした髪を無造作に跳ねさせたイケメンヘアをしていた――と、やたら美人な30代後半くらいに見える女性がリビングの奥の方から駆け寄ってきたのだ。
 なんだこの家庭、めちゃくちゃ顔面偏差値高いな。

「ハル、本当に覚えてないのか? お前の優しくてかっこいいお兄様だぞ」

 短髪の日焼けした兄1が駆け寄ってきて俺の顔を覗き込んでくる。優しくて、かっこいいんすね……? 確かに男の俺から見てもかっこいいと思うけど、自分で言うことじゃない気がする。あれですか? ナル的なアレですか?
 若干引いてしまって、俺は顔を遠ざける。あんまり見つめられると、嘘がバレそうで怖い。いや、バレたところで入れ替わっているだなんて思われないだろうが。

「お兄ちゃんを忘れちゃったの? あんなに俺と結婚するんだって言ってくれてたのに」

 顔をそむけた先でイケメンヘアの兄2に肩をつかまれる。ひえ。
 ハルミさん、あなたそんなタイプだったの? すごいボーイッシュでからっとした子だと思ったのに、ブラコンなタイプだったとは……。

「え、あの……」

 悲しそうに目をふせながら、俺を下から覗き込んでくる兄2の顔面偏差値が高すぎて、男にこんな抱きしめられるという状態なのにそこまで嫌悪感が湧かないのが恐ろしいが、この状況自体が恐ろしすぎてあわあわしていると、俺を取り囲んでいた兄たちが次第におろおろし始めた。

「その……ごめんなさい……思い出せなくて」

 声を震わせながら、何とか兄2の呪縛から逃れようと身体を彼から離そうとしていると、兄たちの頭がパーンと叩かれた。

「あんたたち、やめなさい! ハルが困ってるじゃない!」

 おそらくハルミさんの母だ。救世主に見えた。

「ハル、ああ、そうだ、……貴女の名前はハルミと言って、私たちはハルと呼んでいるんだけど。私が貴方の母で恵美めぐみ、あの黒いゴリラが長男の浩樹こうき、チャラいのが智樹ともき、あとは今は出張中で家にいないけど貴方の父親が正樹まさき

 母! マジ神だった。
 しかし、そんなに一気に言われて覚えられるほどいい頭はしていないので、またあとで聞くかもしれない。ごめんなさい。

「め、めぐみさん、こうきさん、ともきさん……」

 小さく口の中で反芻して、何とか覚えようと頑張る。

「ああ、そんなに一気に言われても困るよね。私の事は、お母さん、後兄2人は『兄』とでも呼べばいいよ」

 ハルミさん、あなたの母が神対応なんですが。ありがたい、本当コミュ障って人の名前覚えられないので。何せ人の名前呼ぶ機会が圧倒的に少ないからね。
 若干人見知りをしながら、お母様に近づいて頷く。

「じゃあ、ハル、まずは落ち着いてご飯を食べたら病院に行くことにしましょう。貴女もいきなり記憶を失って不安でしょうから、まずは脳に問題がないか確認した方が少しでも安心できると思うし」
「は、はい、お願いします、お、お母さん」
「ハル……」

 お母様は何か言いたそうな顔をしていたが、肩を竦めると振り返って朝食の並んだテーブルに歩いて行った。
 なぜか兄2――トモキさんにエスコートされて席に着く。ここが俺の席とわからなかったので助かったが、ちょっと距離感が近すぎてきょどるんですけど。

「では、いただきます」

 お母様の声で、ハッとして目の前のご飯を見る。トーストに目玉焼きとハムが乗ったお皿があった。グーッとおなかが鳴ったので手を合わせて俺も「いただきます」と言った。
 まずは腹が減っては戦はできぬと言いますし。なんだか娘が記憶喪失になった割には平然としてて肝の据わった家族だなと思いながらも、俺は目玉焼きにフォークを入れた。
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