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18. 月に託された恋心
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樹生は動転したまま帰宅した。彼からは何度も電話やメッセンジャーの着信が来ていたが、内容も確認せずスマホの電源を切り、ベッドに倒れ込んでひたすら眠った。翌日も続く彼からの連絡を無視していたら、仕事を終えて帰宅した時に見たものは、樹生のアパートの前に所在無げに佇む翔琉の姿だった。
「昨日は、すんませんでした」
深く頭を下げ、改まった声で彼は謝った。
「…………」
まだ自分の身体には、彼の腕や唇の温もりや感触すら残っている。とても彼の顔をまともに見られない。樹生の硬い表情に、翔琉はあからさまにしょんぼりしている。
「俺の気持ちを一方的に押し付けちゃいました。……本当は、あの後すぐに追いかけたかったんですけど、俺、退場の罰で、試合終わるまでロッカールームから出れなくて。試合終わったら今度はマネージャーに絞られて、身動き取れなくて」
樹生の様子を窺いながら、彼は呟いた。
「でも、昨日伝えた気持ちはホントです」
「……翔琉は、異性愛者だと思ってた」
樹生の発した否定的な第一声に、翔琉は怯まなかった。
「人を好きになるのに、性別とか指向とか、そういうのは関係ないっス。……俺の場合ですけど。あと、こう思えるようになったのは、樹生さんのお蔭です」
翔琉の眼差しは、いつもと変わらず澄んでいる。いや、目元のみならず口元にも、隠しきれない恋心が甘く滲み出ている。スポーツマンらしく真っ直ぐ自分の気持ちをぶつけてくる翔琉が眩しく、樹生は目を眇める。
「セクシュアリティの話は置いといてもさ。なんで僕なの?」
「俺自身忘れようとしてた心の傷に気付いてくれて、一人の男として弱さも丸ごと肯定してくれたじゃないですか。こんな俺で良いって受け入れてくれたのが、すごい嬉しかったんす。……俺に興味持つ女の子は、みんな、ちょっと目立ってるバスケ選手としか見てないんで。
三芳さんと付き合ってたって聞いた時は嫉妬でブチ切れましたけど、良く考えたらチャンスだなって。男の俺でも、恋愛対象として見てもらえる可能性あるってことですよね?」
熱っぽくかき口説く翔琉に対して、樹生はなおも抵抗した。
「さっきの理由ならさ。別に恋愛じゃなくて、友達でも良くない?」
「樹生さんは、ただの友達とあんなキスするんですか? 俺はしません。……樹生さんと、ちゃんと恋人として付き合いたいんです。もっとキスしたり、抱き締めたりしたい」
彼の真剣な眼差しに、情熱的な口付けを思い出し、樹生は頬を赤らめた。
「昨日は変な態度取って、こっちこそごめん。思わせぶりなことした後に突き放したり……。僕、恋愛に良い思い出がないんだ。翔琉が嫌いとかじゃないんだけど……。好きになってもらう価値なんかないよ。自信ない」
俯きながら、たどたどしく言い訳する樹生に、翔琉はきっぱり言い切る。
「次の対戦で、アイツより多く得点したら、俺と付き合ってください」
思いがけない申し出に驚き、言葉を失ったまま翔琉を見つめる。彼は畳みかけてきた。
「樹生さんは男前で優しくて、素敵な人です。三芳なんかに粗末にされて良い人じゃないんだ。……俺、次の対戦で絶対アイツに勝ってみせます。樹生さんの名誉のために戦う」
「ははっ。名誉だなんて……。アイツが何言ったのか知らないけど、たぶん全部事実だよ」
頬を引き攣らせて樹生が自分を蔑むと、翔琉は少し苦しげに眉をしかめた。
「それでも俺は戦います。勝って、俺のほうが強くて正しいって認めさせる」
「……この場合、付き合うかどうか決めるのは、僕なんじゃないの?」
「そうっすね。アイツに勝ったら改めて樹生さんに告白します。返事、考えておいてください」
樹生が呆然としているうちに、彼は再び礼儀正しく頭を下げ、帰っていった。
翌日、樹生が同僚たちと休憩室で雑談していると、ある若手の恋愛話になった。
好きな相手がいて、あちらも満更でもなさそうだ。告白すべきか迷っている。嬉しそうに話す彼女の横顔は楽しそうだ。微笑ましく眺めながらも、樹生は翔琉からの告白で頭が一杯で半ば上の空だったが、ある同僚の一言に耳を奪われた。
「それなら『今夜は月が綺麗ですね』とでも言ってみたら?」
(あれ? そう言えば、前に翔琉が電話くれた時、同じこと言ってたぞ)
「恋愛と月が、どう関係するんですか?」
思わず樹生は会話に割り込んだ。同僚たちはポカンと一瞬固まり、わっと色めき立った。
「知らない人いるんだー!」
どうやら相当有名なフレーズのようだ。樹生は冷や汗をかいたが、チーフが苦笑いしながら、みんなを宥めた。
「そんなにからかっちゃ、滝沢君が気の毒だよ」
「……有名なフレーズなんですね? 無教養で、すみません」
「夏目 漱石が英語教師をしていた時、”I love you” を訳せという問題を出し、『我は君を愛す』等と回答してきた生徒に、『日本人はそう言わないだろう。せいぜい、今夜は月が綺麗ですね、くらいではないか』と言ったらしい。だから今でも、奥床しい愛の告白の象徴的フレーズとされてるね」
チーフの解説に、樹生は頬を赤くして固まった。
(「今夜は十六夜の月です」って、彼は言ったんだ。まだためらってる月を待つように、僕の気持ちを待ってる。そういう意味だったのか……。アイツ、そんなに前から僕を?)
彼自身は周りの反応を窺う余裕などなかったが、同僚たちは意味ありげに目配せした。
『これだけ美形なのに浮いた噂一つない、鉄壁のディフェンスを誇る滝沢 樹生に、誰かが文豪の名台詞で言い寄っている。しかも、陥落目前だ』と。
「昨日は、すんませんでした」
深く頭を下げ、改まった声で彼は謝った。
「…………」
まだ自分の身体には、彼の腕や唇の温もりや感触すら残っている。とても彼の顔をまともに見られない。樹生の硬い表情に、翔琉はあからさまにしょんぼりしている。
「俺の気持ちを一方的に押し付けちゃいました。……本当は、あの後すぐに追いかけたかったんですけど、俺、退場の罰で、試合終わるまでロッカールームから出れなくて。試合終わったら今度はマネージャーに絞られて、身動き取れなくて」
樹生の様子を窺いながら、彼は呟いた。
「でも、昨日伝えた気持ちはホントです」
「……翔琉は、異性愛者だと思ってた」
樹生の発した否定的な第一声に、翔琉は怯まなかった。
「人を好きになるのに、性別とか指向とか、そういうのは関係ないっス。……俺の場合ですけど。あと、こう思えるようになったのは、樹生さんのお蔭です」
翔琉の眼差しは、いつもと変わらず澄んでいる。いや、目元のみならず口元にも、隠しきれない恋心が甘く滲み出ている。スポーツマンらしく真っ直ぐ自分の気持ちをぶつけてくる翔琉が眩しく、樹生は目を眇める。
「セクシュアリティの話は置いといてもさ。なんで僕なの?」
「俺自身忘れようとしてた心の傷に気付いてくれて、一人の男として弱さも丸ごと肯定してくれたじゃないですか。こんな俺で良いって受け入れてくれたのが、すごい嬉しかったんす。……俺に興味持つ女の子は、みんな、ちょっと目立ってるバスケ選手としか見てないんで。
三芳さんと付き合ってたって聞いた時は嫉妬でブチ切れましたけど、良く考えたらチャンスだなって。男の俺でも、恋愛対象として見てもらえる可能性あるってことですよね?」
熱っぽくかき口説く翔琉に対して、樹生はなおも抵抗した。
「さっきの理由ならさ。別に恋愛じゃなくて、友達でも良くない?」
「樹生さんは、ただの友達とあんなキスするんですか? 俺はしません。……樹生さんと、ちゃんと恋人として付き合いたいんです。もっとキスしたり、抱き締めたりしたい」
彼の真剣な眼差しに、情熱的な口付けを思い出し、樹生は頬を赤らめた。
「昨日は変な態度取って、こっちこそごめん。思わせぶりなことした後に突き放したり……。僕、恋愛に良い思い出がないんだ。翔琉が嫌いとかじゃないんだけど……。好きになってもらう価値なんかないよ。自信ない」
俯きながら、たどたどしく言い訳する樹生に、翔琉はきっぱり言い切る。
「次の対戦で、アイツより多く得点したら、俺と付き合ってください」
思いがけない申し出に驚き、言葉を失ったまま翔琉を見つめる。彼は畳みかけてきた。
「樹生さんは男前で優しくて、素敵な人です。三芳なんかに粗末にされて良い人じゃないんだ。……俺、次の対戦で絶対アイツに勝ってみせます。樹生さんの名誉のために戦う」
「ははっ。名誉だなんて……。アイツが何言ったのか知らないけど、たぶん全部事実だよ」
頬を引き攣らせて樹生が自分を蔑むと、翔琉は少し苦しげに眉をしかめた。
「それでも俺は戦います。勝って、俺のほうが強くて正しいって認めさせる」
「……この場合、付き合うかどうか決めるのは、僕なんじゃないの?」
「そうっすね。アイツに勝ったら改めて樹生さんに告白します。返事、考えておいてください」
樹生が呆然としているうちに、彼は再び礼儀正しく頭を下げ、帰っていった。
翌日、樹生が同僚たちと休憩室で雑談していると、ある若手の恋愛話になった。
好きな相手がいて、あちらも満更でもなさそうだ。告白すべきか迷っている。嬉しそうに話す彼女の横顔は楽しそうだ。微笑ましく眺めながらも、樹生は翔琉からの告白で頭が一杯で半ば上の空だったが、ある同僚の一言に耳を奪われた。
「それなら『今夜は月が綺麗ですね』とでも言ってみたら?」
(あれ? そう言えば、前に翔琉が電話くれた時、同じこと言ってたぞ)
「恋愛と月が、どう関係するんですか?」
思わず樹生は会話に割り込んだ。同僚たちはポカンと一瞬固まり、わっと色めき立った。
「知らない人いるんだー!」
どうやら相当有名なフレーズのようだ。樹生は冷や汗をかいたが、チーフが苦笑いしながら、みんなを宥めた。
「そんなにからかっちゃ、滝沢君が気の毒だよ」
「……有名なフレーズなんですね? 無教養で、すみません」
「夏目 漱石が英語教師をしていた時、”I love you” を訳せという問題を出し、『我は君を愛す』等と回答してきた生徒に、『日本人はそう言わないだろう。せいぜい、今夜は月が綺麗ですね、くらいではないか』と言ったらしい。だから今でも、奥床しい愛の告白の象徴的フレーズとされてるね」
チーフの解説に、樹生は頬を赤くして固まった。
(「今夜は十六夜の月です」って、彼は言ったんだ。まだためらってる月を待つように、僕の気持ちを待ってる。そういう意味だったのか……。アイツ、そんなに前から僕を?)
彼自身は周りの反応を窺う余裕などなかったが、同僚たちは意味ありげに目配せした。
『これだけ美形なのに浮いた噂一つない、鉄壁のディフェンスを誇る滝沢 樹生に、誰かが文豪の名台詞で言い寄っている。しかも、陥落目前だ』と。
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