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17. ポイント・オブ・ノー・リターン

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「翔琉。どうして今日の試合のこと僕に言わなかった?」
 静かに樹生は問い掛けた。翔琉はピクリと反応したが、顔も上げず黙りこくったままだ。
「それはともかく。どんな理由があっても相手チームの選手に暴力を振るうなんて、スポーツマンとしてダメだろ!」
 叱りつけた樹生をタオルの下から睨むように見上げ、翔琉は低い声で呟いた。

「樹生さん。三芳と付き合ってたって、ホントですか」
 ひゅっと息を呑んで答えに詰まった樹生の表情に、翔琉は苦しそうに目を細めた。今の質問に対する答えはイエスだと、きっと翔琉は気付いた。三芳と過去恋愛関係にあったことを知られて、樹生はうろたえた。
「だったら、どうだって言うんだ。それがファウルと関係あるのか!?」
 竹を割ったような性格の翔琉は、こういう言い方を嫌うと思ったが、そんな余裕すらないようだ。
「アイツ、樹生さんと付き合ってた時のこと言ってきたんス。……あ、俺以外には聞こえてないと思います。小声だったんで」
 樹生は言葉を濁したが、殴り倒すほどの激昂だ。三芳は性的なことを喋ったに違いない。
 ベッドで樹生が彼からどんな愛撫を受け、どんな風に喘ぎ悶えたか。ただれるような夜を思い出し、瞬時に頬がカアッと熱くなる。無言で唇を噛み締め目を逸らした樹生を、じっと翔琉は見つめている。

「……まだ、アイツが好きなんすか」
 なおも食い下がる翔琉の声は硬い。
「お前に関係ないだろ!?」
「ありますっ……!!」
 苦しげに声を絞り出しながら、翔琉が立ち上がった。その勢いで頭にかぶっていたタオルが落ちる。本能的に驚いて身体を引き、後ろのロッカーにもたれた樹生の顔の両隣に、逃げ道を塞ぐように翔琉の手が置かれる。
(あ、この表情……)
 怖いくらい真剣で、切実に何かを求める、熱に浮かされたような瞳。物言いたげな口元。翔琉を突き動かす気持ちは――。
『やめろ』と目で訴えたが、翔琉は『無理』と目で答え、樹生の両肩を大きな手で包むと、重大な秘密を打ち明けるように囁いた。

「……俺、樹生さんが好きです」

 端正な顔が近付いてくる。彼は静かに樹生に口付けた。普段の大雑把さとはかけ離れたこまやかなキスに、激しく胸をかき乱される。呆然と立ち尽くしていると、彼の腕がしっかりと背中に巻きつく。反射的に抗うと、切なげな懇願が耳を打つ。
「逃げないで。傷付けたりしないから……」
 ぐらぐらと樹生の心は揺れる。そのためらいを感じ取ったのだろう。おすの本能か、ここは更に押すところだとばかりに、翔琉は再び樹生に口付ける。

 真剣な恋心を打ち明けた最初のキスはうやうやしかったが、二度目は、あからさまにエロティックだった。『俺を選んでくれ』と性的に誘惑するかのように、大胆に唇や舌で樹生をなぶる。
(バスケ以外に興味なさそうなコイツが、こんなセクシーなキスをするなんて……)
 生々しく官能を引き摺り出され、足がガクガクと震える。全速力で走った後のように鼓動が激しい。その場に崩れ落ちてしまいそうで、思わず翔琉に縋ってしまう。彼の逞しい腕はびくともせず、樹生の頼りない身体をしっかりと支える。

「……っ、はあっ」
 キスの途切れた瞬間に必死に空気を吸い込むと、喘ぎ声のような切ない吐息が零れてしまう。のみならず、浅ましくも自分の唇は、翔琉に与えられる口付けを受け入れるだけでなく、能動的に彼の唇や舌を貪っているではないか。
 だがしかし、快感が甘美であるほど、恋愛の悲しい記憶が呼び覚まされる。三芳の浮気をなじって泣いて、今度こそ別れようと思うのに、甘やかすように抱かれて何度も精を搾り取られ、意識が飛ぶほどの絶頂に追い詰められ、気力を削がれてしまう。そして一人になると、キッパリ彼と縁を切れない自分の弱さが情けなくて瞼が腫れるまで泣くのだ。
 辛い記憶のフラッシュバックで軽いパニック状態に陥り、樹生の身体は激しく震え始める。上下の顎が不規則に動き、歯がカチカチと音を立てる。必死に腕を突っ張り、翔琉の胸を押す。

「い、やだ……っ!」
 さっきまでキスに蕩けていた唇は翔琉の舌に噛み付き、拒絶の言葉を吐き出す。翔琉は片眉を引き上げ、傷付いたように表情を歪めた。どうして? と問いたげな戸惑う瞳に見つめられるのに耐えきれず、樹生は翔琉の腕の中から逃げ出した。

 翔琉は自分の気持ちを言葉でも身体でも伝えてきた。もう、これまでのようなお気楽な男友達同士には戻れない。
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