13 / 24
13. 元カレ登場(前編)
しおりを挟む
「今日は俺のおごりなのに、樹生さん、全然食べてないじゃないすか」
丼ごと抱えて美味しそうにクッパをかっこむ翔琉を、樹生は恨めしげな目で見上げた。
「そりゃ焼肉は好きだけど。翔琉みたいなアスリートとは食べる量が違うからね? 君らは一日五千キロカロリーとか必要だろうけど、僕らは二千もあれば十分なんだから」
翔琉の試合出場にドクターストップを掛けたのは約一か月前だ。互いにトラウマや劣等感を打ち明け合って以来、二人は以前より親しくなった。トレーニング中、遊びでちょっとした賭けをする日もある。先日は、翔琉が指先で何秒ボールを回せるかを当てる勝負で、樹生が負けた。
「自分が勝ったら、苗字にさん付けではなく、名前で呼んで欲しい」
そんな罰ゲームで良いのかと思ったが、その日以来、クリニック外では名前を呼び捨てするようになった。
親しくなるにつれ、あんなに無表情だと思っていた翔琉が、実は感情豊かだと知った。仕事モードに入ると、目標達成を目指して無愛想で完璧主義者になるが、普段はおおらかで、抜けているところもある。
アスリートは、チームメイトとの物理的な距離が近い。互いに身体に触れ合うことで関係性を深めているのだろう。だから、翔琉が事あるごとに樹生にじゃれつき、ハグしたり腰に手を回したりしてくるのも同じだ。ただの親愛の表現で、深い意味はない。そう自分に言い聞かせている。
樹生は、過去の恋の苦い記憶をまだ引き摺っている上に、翔琉の家庭的な彼女の存在に、自然と自分の心にブレーキをかけていた。
今日は負けたほうが食事をおごることになっていた。一分間で翔琉が何回腕立て伏せできるか。回数当てで樹生が勝ち、焼肉をご馳走になっている。本人の努力に加え、樹生の献身的なサポートもあり、翔琉は順調に回復している。一か月ほど前、試合出場にはドクターストップが掛かったが、素直に受け入れ、ようやく今月少しずつ練習試合に出始めた。実戦の勘を取り戻しつつあり翔琉はすこぶる機嫌が良い。
「俺らが行く焼肉屋がコスパ良いんで、そこにしましょう」
翔琉が連れて来てくれた店は、確かに美味しい。社会人バスケ選手の御用達らしく、レジ周辺に写真と色紙が何枚も飾られている。
「翔琉を見てるだけでお腹一杯になりそうだ」
アスリートの旺盛な食欲に樹生が苦笑した時。奥の個室が開き、大柄な男たちが次々に出てきた。翔琉とは違うチームの社会人バスケの選手たちだ。その顔ぶれで、樹生には彼らの所属チームが分かった。何人かは樹生の顔を覚えているらしく、あれっという視線を送ってくる。耐えがたくなり顔を伏せた。
「……樹生? こんなとこで何してんの」
頭の上から聞き慣れた声がする。溜め息をつき、諦めて樹生は顔を上げた。
「今、岡田選手の担当PTしてるんだ。クリニック外でも、復帰に向けてトレーニングを手伝ってる」
目を合わせないまま、硬い声で答えた。
三芳 慎。樹生の元患者で元カレ、そして心に傷を与えた張本人だった。
「ふーん」
三芳は、無遠慮に樹生と翔琉を眺め回す。翔琉も、樹生と三芳を少し緊張した表情で無言のまま見比べている。
微妙な空気を破ったのは、勢い良く振動を始めた翔琉のスマホだ。液晶画面をチラリと見て舌打ちすると、翔琉は立ち上がった。
「すんません。急ぎの用っぽいんで、電話出ます。すぐ外にいますんで」
彼は店のショーウィンドウを指差し、大股で出て行った。言葉通り、窓のすぐ隣に張り付いて電話しながらも、三芳と樹生の様子から目を離さない。まるで不審者が飼い主に近付くのを警戒する忠実な番犬のようだ。
そんな翔琉の態度まで見届けたうえで、三芳は樹生を振り向いた。
「樹生、岡田と付き合ってんの?」
「岡田選手とは、ただの患者と担当PTだよ。それ以上でも以下でもない」
「そっか。良い雰囲気だったから、てっきり」
三芳は断りもせず、樹生の隣に腰かけた。
「相変わらず美人だね。……いや、前より綺麗だ」
顔を覗き込み、指を絡めながら手を重ねてくる。指で指を愛撫するような艶かしい仕草に、恋人同士の睦み合いを思い出す。樹生はきゅっと眉をひそめて手を引っ込め、彼の身体を軽く押して拒絶した。意外そうな表情を一瞬浮かべたが、三芳は目を細めて言葉を重ねる。
「ねえ、樹生。俺ともう一回やり直してくれない?」
樹生は首を左右に振った。
「浮気は許せない。でも、僕とだけ真剣に付き合うなんて、慎には無理でしょ?」
彼は拗ねた表情を浮かべたが、樹生の言葉を否定はしない。そのことに樹生は改めて深い溜め息をついた。
丼ごと抱えて美味しそうにクッパをかっこむ翔琉を、樹生は恨めしげな目で見上げた。
「そりゃ焼肉は好きだけど。翔琉みたいなアスリートとは食べる量が違うからね? 君らは一日五千キロカロリーとか必要だろうけど、僕らは二千もあれば十分なんだから」
翔琉の試合出場にドクターストップを掛けたのは約一か月前だ。互いにトラウマや劣等感を打ち明け合って以来、二人は以前より親しくなった。トレーニング中、遊びでちょっとした賭けをする日もある。先日は、翔琉が指先で何秒ボールを回せるかを当てる勝負で、樹生が負けた。
「自分が勝ったら、苗字にさん付けではなく、名前で呼んで欲しい」
そんな罰ゲームで良いのかと思ったが、その日以来、クリニック外では名前を呼び捨てするようになった。
親しくなるにつれ、あんなに無表情だと思っていた翔琉が、実は感情豊かだと知った。仕事モードに入ると、目標達成を目指して無愛想で完璧主義者になるが、普段はおおらかで、抜けているところもある。
アスリートは、チームメイトとの物理的な距離が近い。互いに身体に触れ合うことで関係性を深めているのだろう。だから、翔琉が事あるごとに樹生にじゃれつき、ハグしたり腰に手を回したりしてくるのも同じだ。ただの親愛の表現で、深い意味はない。そう自分に言い聞かせている。
樹生は、過去の恋の苦い記憶をまだ引き摺っている上に、翔琉の家庭的な彼女の存在に、自然と自分の心にブレーキをかけていた。
今日は負けたほうが食事をおごることになっていた。一分間で翔琉が何回腕立て伏せできるか。回数当てで樹生が勝ち、焼肉をご馳走になっている。本人の努力に加え、樹生の献身的なサポートもあり、翔琉は順調に回復している。一か月ほど前、試合出場にはドクターストップが掛かったが、素直に受け入れ、ようやく今月少しずつ練習試合に出始めた。実戦の勘を取り戻しつつあり翔琉はすこぶる機嫌が良い。
「俺らが行く焼肉屋がコスパ良いんで、そこにしましょう」
翔琉が連れて来てくれた店は、確かに美味しい。社会人バスケ選手の御用達らしく、レジ周辺に写真と色紙が何枚も飾られている。
「翔琉を見てるだけでお腹一杯になりそうだ」
アスリートの旺盛な食欲に樹生が苦笑した時。奥の個室が開き、大柄な男たちが次々に出てきた。翔琉とは違うチームの社会人バスケの選手たちだ。その顔ぶれで、樹生には彼らの所属チームが分かった。何人かは樹生の顔を覚えているらしく、あれっという視線を送ってくる。耐えがたくなり顔を伏せた。
「……樹生? こんなとこで何してんの」
頭の上から聞き慣れた声がする。溜め息をつき、諦めて樹生は顔を上げた。
「今、岡田選手の担当PTしてるんだ。クリニック外でも、復帰に向けてトレーニングを手伝ってる」
目を合わせないまま、硬い声で答えた。
三芳 慎。樹生の元患者で元カレ、そして心に傷を与えた張本人だった。
「ふーん」
三芳は、無遠慮に樹生と翔琉を眺め回す。翔琉も、樹生と三芳を少し緊張した表情で無言のまま見比べている。
微妙な空気を破ったのは、勢い良く振動を始めた翔琉のスマホだ。液晶画面をチラリと見て舌打ちすると、翔琉は立ち上がった。
「すんません。急ぎの用っぽいんで、電話出ます。すぐ外にいますんで」
彼は店のショーウィンドウを指差し、大股で出て行った。言葉通り、窓のすぐ隣に張り付いて電話しながらも、三芳と樹生の様子から目を離さない。まるで不審者が飼い主に近付くのを警戒する忠実な番犬のようだ。
そんな翔琉の態度まで見届けたうえで、三芳は樹生を振り向いた。
「樹生、岡田と付き合ってんの?」
「岡田選手とは、ただの患者と担当PTだよ。それ以上でも以下でもない」
「そっか。良い雰囲気だったから、てっきり」
三芳は断りもせず、樹生の隣に腰かけた。
「相変わらず美人だね。……いや、前より綺麗だ」
顔を覗き込み、指を絡めながら手を重ねてくる。指で指を愛撫するような艶かしい仕草に、恋人同士の睦み合いを思い出す。樹生はきゅっと眉をひそめて手を引っ込め、彼の身体を軽く押して拒絶した。意外そうな表情を一瞬浮かべたが、三芳は目を細めて言葉を重ねる。
「ねえ、樹生。俺ともう一回やり直してくれない?」
樹生は首を左右に振った。
「浮気は許せない。でも、僕とだけ真剣に付き合うなんて、慎には無理でしょ?」
彼は拗ねた表情を浮かべたが、樹生の言葉を否定はしない。そのことに樹生は改めて深い溜め息をついた。
1
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説
サイテー上司とデザイナーだった僕の半年
谷村にじゅうえん
BL
デザイナー志望のミズキは就活中、憧れていたクリエイター・相楽に出会う。そして彼の事務所に採用されるが、相楽はミズキを都合のいい営業要員としか考えていなかった。天才肌で愛嬌のある相楽には、一方で計算高く身勝手な一面もあり……。ミズキはそんな彼に振り回されるうち、否応なく惹かれていく。
「知ってるくせに意地悪ですね……あなたみたいなひどい人、好きになった僕が馬鹿だった」
「ははっ、ホントだな」
――僕の想いが届く日は、いつか来るのでしょうか?
★★★★★★★★
エブリスタ『真夜中のラジオ文芸部×執筆応援キャンペーン スパダリ/溺愛/ハートフルなBL』入賞作品
※エブリスタのほか、フジョッシー、ムーンライトノベルスにも転載しています
「恋の熱」-義理の弟×兄-
悠里
BL
親の再婚で兄弟になるかもしれない、初顔合わせの日。
兄:楓 弟:響也
お互い目が離せなくなる。
再婚して同居、微妙な距離感で過ごしている中。
両親不在のある夏の日。
響也が楓に、ある提案をする。
弟&年下攻めです(^^。
楓サイドは「#蝉の音書き出し企画」に参加させ頂きました。
セミの鳴き声って、ジリジリした焦燥感がある気がするので。
ジリジリした熱い感じで✨
楽しんでいただけますように。
(表紙のイラストは、ミカスケさまのフリー素材よりお借りしています)
【完結】その手を伸ばさないで掴んだりしないで
コメット
BL
亡くなった祖母の遺言で受け取った古びたランプは、魔法のランプだった。
突然現れた男は自らをランプの魔人と名乗り三つの願いを叶えるまで側を離れないと言った。
これは、ランプの魔人を名乗る男と突如そんなランプの魔人の主となった男の物語である。
―毎日を実に楽しそうに満喫するランプの魔人に苛立ちながらもその背景と自身を道具と蔑む魔人の本質を知るにつれ徐々に惹かれていく主人公はある夜、魔人の来歴を知り激怒する。
この男を一人の人間として愛してやりたいと手を伸ばした彼は無事、その手を掴めるのか。握り返してもらえるのか。
彼らの行く末を知るのは古ぼけたランプのみだった。
完結しました。
本編後の物語である短編、魔人さんシリーズまで投稿完了しております。
★カップリング傾向★
魔人の主×ランプの魔人
男前×自罰思考
太陽属性×月属性
平凡攻め×美形受け
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
晴れの日は嫌い。
うさぎのカメラ
BL
有名名門進学校に通う美少年一年生笹倉 叶が初めて興味を持ったのは、三年生の『杉原 俊』先輩でした。
叶はトラウマを隠し持っているが、杉原先輩はどうやら知っている様子で。
お互いを利用した関係が始まる?
こころおぼえ~失くした思い出を見つけた先に~
希紫瑠音
BL
地味で真面目そうな見た目の先生(天然なところもある)と、男前に成長した元教え子でバーテンダーとのお話です。
彼は桧山にとって忘れられない、大切な人だった――
十年ぶりに再会、そしてあの日の思い出がよみがえる。
ただしそれは一方通行の思いだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる