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3. 凸凹コンビの出発(前編)
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今日は翔琉の術後初受診だ。樹生は、初めて会った時の彼を思い出していた。
「手術前後にできるメニュー、教えてもらえませんか? 練習できなくて暇ですし、少しでも衰えを食い止めたいんで」
一度は険悪な雰囲気になった相手に自ら教えを乞うとは。驚いて彼を見ると、真っ直ぐな強い眼差しで見つめ返された。その瞳は、純粋に怪我を治したい必死さだけを滲ませていた。膝を痛めている人向けの筋トレメニューを説明するパンフを渡して、やり方を説明したが、彼はどのくらいやっているだろうか。
Tシャツに半ズボン、キャップ姿の長身の彼がクリニックに姿を見せるや否や、女性たちは、うっとり彼を眺めている。
(どんな服装でも見栄えするんだから、イケメンは得だよな)
苦笑を素早く営業スマイルに着替え、樹生は愛想よく話し掛ける。
「岡田さん、こんにちは。手術はうまく行ったと伺ってますが、痛みや腫れはないですか?」
「直後は少し。でも、過去やったことがある他の怪我と比べて極端に痛いとかは」
翔琉は殆ど表情も変えず言葉少なに答える。
「じゃあ、膝を見せてもらえますか?」
樹生の指示に無言で頷き、翔琉は注意深く左膝のサポーターを外した。
「触りますね」
明るい声をあげながらも樹生の目は真剣だ。私情は全て脳裏から吹き飛んだ。注意深く、まず左膝のお皿に触れる。よく揉みほぐされていて、柔らかい。このケアを怠ると、患部が固くなることがあるのだ。良好な経過に頷きながら、次は回復を測るバロメーターとなる筋肉量のチェックだ。最も減りやすい左太腿の前側の筋肉に触れ、怪我していない右脚とも比べる。思わず声が出た。
「すごい。膝前十字靭帯断裂で、こんなに大腿四頭筋キープできてる患者さん、初めて見た。術前にお渡しした筋トレメニュー、どれくらいやってました?」
樹生の誉め言葉にもニコリともせず、翔琉は無言で持参したノートを差し出した。日々のトレーニング内容や体調、体重や体脂肪率の推移が事細かに記録されている。樹生は感嘆の溜め息をもらした。
「こんな真剣にやってたんですね。しかも記録もしっかり付けてる。すごいなぁ」
「まぁ、いつもやってることなんで。俺、ちゃんとリハビリできてますかね?」
二度目の誉め言葉には一瞬照れ臭そうな表情を浮かべたが、一番に自分のやったことが正しいか確かめたがる。目的志向が強いのだろう。
「ええ。こんなに筋肉量が減ってない患者さんは珍しいです。頑張りましたね」
「……良かった。ちゃんとできてるか不安だったんで、褒めてもらえて嬉しいス」
はにかんだように笑みを見せた翔琉の左頬には、小さなえくぼができた。
「新しいメニューもやってみましょうか」
樹生の太鼓判に表情を和らげた翔琉は、素直に指示に従い横たわった。しかし、長身の彼はリハビリ用のベッドから大幅にはみ出てしまう。肩幅も広いので、いかにも窮屈そうだ。小人の国に来たガリバー状態に、周りの女性患者たちがクスクス笑う。
「……岡田さんの身長って、確か百九十センチでしたっけ」
「いや、そこまでないっす。百八十九ですかね」
「一般人にとっては一センチ程度は誤差だから、『その身長だったら百九十で良いじゃん』って言うところですけど。バスケ選手にとって一センチは大きな違いですよね」
翔琉は、その通りだと言わんばかりに深く頷いている。
「このベッド、岡田さんには小さすぎますね。あっちに移動しましょう」
樹生は、リハビリルームの床に直に敷かれたクッション性の高い水色のマットを指差す。
(ここに寝てもらうしかないけど、彼の上に僕が乗っかるのかぁ……。大柄な患者さんは久しぶりだから、忘れてた。僕、汗とか大丈夫かなぁ? さっき拭いてきたつもりだけど)
ベッドなら、脇に立った状態で患者に触るのだが、床に直に敷かれたマットでは、患者を跨いで上に乗ることも多い。樹生は俄かに湧いてきた手汗をズボンのお尻で拭いた。
翔琉は現役バリバリのトップアスリートだ。試合中はコートを全速力で数十分以上走り回り、飛び上がり、身体を張ってボールを奪い合う。そのために鍛え上げられた筋骨逞しい身体を前に、スポーツマンが好きなゲイの樹生に『何も感じるな』というほうが無茶というものだ。
「じゃあ、まずストレッチから。膝の前に、腰と股関節を少し動かしましょう。健側の右から。まず、右膝を九十度に曲げて、胸に引き寄せるように持ち上げて。……良いですね。そのまま、脚を左に倒してください。……少し押しますね」
理学療法士は、怪我や病気、加齢による運動障害に対し、器具や運動を用いたリハビリテーションを支援する専門職だ。機械を使った施術もあるが、身体の触れ合いは、機能的な効果のみならず、患者さんとの信頼関係を築くうえで大きな役割を果たす。キャリア六年目の樹生は、それを熟知していた。苦痛に悩む患者を心技体で助けるこの仕事に、彼は誇りを持っている。
声を掛け、彼の脚を跨いで膝立ちになり、肩と膝に掌を置き、ねじりを促す。翔琉の肩には、程良く弾力のある筋肉が盛り上がっている。引き締まった筋肉の感触に、樹生の脳内はお花畑になりかける。
(うわっ。やっぱ良い身体してるなぁ……)
「……次は、脚を右側に倒して、股関節をストレッチしましょう」
翔琉の逞しい腿に挟まり、軽く覆い被さるように、再び肩と膝を押す。直接触れているのは彼の肩と自分の掌、膝と膝だけだ。しかし、吐息もかかるし、身体の温もりも遠赤外線のようにじわじわ伝わってくる。
(……あぁ、岡田さん、一重かと思ってたけど、奥二重なのか。これくらいが男らしくて凛々しくて良いよねぇ……。いやいや! 患者さんの顔で態度変えるなんてダメだろ!)
ルックスの良い男性を前に、樹生の脳内は非常に騒がしかったが、自分の仕事に集中することで、どうにか欲望をコントロールした。普段より淡々としていたほどだ。的確な指示を簡潔に出し続ける樹生の態度は、むしろプロらしく信頼できると翔琉は感じたらしい。
「手術前後にできるメニュー、教えてもらえませんか? 練習できなくて暇ですし、少しでも衰えを食い止めたいんで」
一度は険悪な雰囲気になった相手に自ら教えを乞うとは。驚いて彼を見ると、真っ直ぐな強い眼差しで見つめ返された。その瞳は、純粋に怪我を治したい必死さだけを滲ませていた。膝を痛めている人向けの筋トレメニューを説明するパンフを渡して、やり方を説明したが、彼はどのくらいやっているだろうか。
Tシャツに半ズボン、キャップ姿の長身の彼がクリニックに姿を見せるや否や、女性たちは、うっとり彼を眺めている。
(どんな服装でも見栄えするんだから、イケメンは得だよな)
苦笑を素早く営業スマイルに着替え、樹生は愛想よく話し掛ける。
「岡田さん、こんにちは。手術はうまく行ったと伺ってますが、痛みや腫れはないですか?」
「直後は少し。でも、過去やったことがある他の怪我と比べて極端に痛いとかは」
翔琉は殆ど表情も変えず言葉少なに答える。
「じゃあ、膝を見せてもらえますか?」
樹生の指示に無言で頷き、翔琉は注意深く左膝のサポーターを外した。
「触りますね」
明るい声をあげながらも樹生の目は真剣だ。私情は全て脳裏から吹き飛んだ。注意深く、まず左膝のお皿に触れる。よく揉みほぐされていて、柔らかい。このケアを怠ると、患部が固くなることがあるのだ。良好な経過に頷きながら、次は回復を測るバロメーターとなる筋肉量のチェックだ。最も減りやすい左太腿の前側の筋肉に触れ、怪我していない右脚とも比べる。思わず声が出た。
「すごい。膝前十字靭帯断裂で、こんなに大腿四頭筋キープできてる患者さん、初めて見た。術前にお渡しした筋トレメニュー、どれくらいやってました?」
樹生の誉め言葉にもニコリともせず、翔琉は無言で持参したノートを差し出した。日々のトレーニング内容や体調、体重や体脂肪率の推移が事細かに記録されている。樹生は感嘆の溜め息をもらした。
「こんな真剣にやってたんですね。しかも記録もしっかり付けてる。すごいなぁ」
「まぁ、いつもやってることなんで。俺、ちゃんとリハビリできてますかね?」
二度目の誉め言葉には一瞬照れ臭そうな表情を浮かべたが、一番に自分のやったことが正しいか確かめたがる。目的志向が強いのだろう。
「ええ。こんなに筋肉量が減ってない患者さんは珍しいです。頑張りましたね」
「……良かった。ちゃんとできてるか不安だったんで、褒めてもらえて嬉しいス」
はにかんだように笑みを見せた翔琉の左頬には、小さなえくぼができた。
「新しいメニューもやってみましょうか」
樹生の太鼓判に表情を和らげた翔琉は、素直に指示に従い横たわった。しかし、長身の彼はリハビリ用のベッドから大幅にはみ出てしまう。肩幅も広いので、いかにも窮屈そうだ。小人の国に来たガリバー状態に、周りの女性患者たちがクスクス笑う。
「……岡田さんの身長って、確か百九十センチでしたっけ」
「いや、そこまでないっす。百八十九ですかね」
「一般人にとっては一センチ程度は誤差だから、『その身長だったら百九十で良いじゃん』って言うところですけど。バスケ選手にとって一センチは大きな違いですよね」
翔琉は、その通りだと言わんばかりに深く頷いている。
「このベッド、岡田さんには小さすぎますね。あっちに移動しましょう」
樹生は、リハビリルームの床に直に敷かれたクッション性の高い水色のマットを指差す。
(ここに寝てもらうしかないけど、彼の上に僕が乗っかるのかぁ……。大柄な患者さんは久しぶりだから、忘れてた。僕、汗とか大丈夫かなぁ? さっき拭いてきたつもりだけど)
ベッドなら、脇に立った状態で患者に触るのだが、床に直に敷かれたマットでは、患者を跨いで上に乗ることも多い。樹生は俄かに湧いてきた手汗をズボンのお尻で拭いた。
翔琉は現役バリバリのトップアスリートだ。試合中はコートを全速力で数十分以上走り回り、飛び上がり、身体を張ってボールを奪い合う。そのために鍛え上げられた筋骨逞しい身体を前に、スポーツマンが好きなゲイの樹生に『何も感じるな』というほうが無茶というものだ。
「じゃあ、まずストレッチから。膝の前に、腰と股関節を少し動かしましょう。健側の右から。まず、右膝を九十度に曲げて、胸に引き寄せるように持ち上げて。……良いですね。そのまま、脚を左に倒してください。……少し押しますね」
理学療法士は、怪我や病気、加齢による運動障害に対し、器具や運動を用いたリハビリテーションを支援する専門職だ。機械を使った施術もあるが、身体の触れ合いは、機能的な効果のみならず、患者さんとの信頼関係を築くうえで大きな役割を果たす。キャリア六年目の樹生は、それを熟知していた。苦痛に悩む患者を心技体で助けるこの仕事に、彼は誇りを持っている。
声を掛け、彼の脚を跨いで膝立ちになり、肩と膝に掌を置き、ねじりを促す。翔琉の肩には、程良く弾力のある筋肉が盛り上がっている。引き締まった筋肉の感触に、樹生の脳内はお花畑になりかける。
(うわっ。やっぱ良い身体してるなぁ……)
「……次は、脚を右側に倒して、股関節をストレッチしましょう」
翔琉の逞しい腿に挟まり、軽く覆い被さるように、再び肩と膝を押す。直接触れているのは彼の肩と自分の掌、膝と膝だけだ。しかし、吐息もかかるし、身体の温もりも遠赤外線のようにじわじわ伝わってくる。
(……あぁ、岡田さん、一重かと思ってたけど、奥二重なのか。これくらいが男らしくて凛々しくて良いよねぇ……。いやいや! 患者さんの顔で態度変えるなんてダメだろ!)
ルックスの良い男性を前に、樹生の脳内は非常に騒がしかったが、自分の仕事に集中することで、どうにか欲望をコントロールした。普段より淡々としていたほどだ。的確な指示を簡潔に出し続ける樹生の態度は、むしろプロらしく信頼できると翔琉は感じたらしい。
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