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1. 印象最悪な初顔合わせ (前編)

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「今日もリハビリお疲れ様でした! ……雨が降りそうですね。気を付けて帰ってくださいね」
 理学りがく療法士りょうほうし滝沢たきざわ 樹生いつきは、雲行きの怪しい空に一瞬眉をひそめたが、リハビリを終えた患者に満面の笑顔で手を振って見送った。
 玄関から院内に戻ろうとした時、駐車場からブレーキ音が聞こえた。
(……急患だな)
 一台のワンボックスカーが停まった。ジャージ姿の男性二人が肩を貸し、大柄な男性が車から降りるのを助けている。樹生はすぐさま病院玄関から車椅子を引っ張り出し、車に向かって走っていく。
「大丈夫ですか? こちらの車椅子、使ってください!」
 手早く患者が座りやすいように広げて声を掛ける。
「……あざす」
 両脇から抱えられている男性が頷くように僅かに頭を下げ、樹生に小さくお礼を言った。その顔を見た樹生は、思わず息を呑む。
(レッドサンダーズの岡田おかだ 翔琉かけるじゃないか!)
 担ぎ込まれてきた急患が社会人バスケのスター選手だと分かり、樹生の胸は一瞬跳ねた。だが、次の瞬間には表情を引き締め、短パン姿の彼の足元に目をやる。左足からはシューズが脱がされ、足首から太腿近くまで添え木が当てられている。膝を痛めたようだ。専門家の樹生の目は、素早く左膝周りの腫れを見て取る。
(うわっ、この腫れ方……。気の毒だけど、たぶん膝ぜんじゅう靭帯じんたい損傷だな……)
「私はこの病院の理学療法士です。受付に話を通してきますので、中まで車椅子を押してきていただけますか?」
 付き添いの男性に翔琉を乗せた車椅子を託し、樹生は受付に取って返す。
「急患です。二十代後半男性。社会人リーグのバスケ選手で、患部は左膝。原因は未確認ですが腫れが強く、全く歩けない状態です」
 受付と、たまたま居合わせた看護師長に小声で簡潔に報告する。看護師長は頷いた。
「競技選手は体格とスピードが桁違いだから、受傷時の衝撃も相当よね。レントゲンとMRIが必要かしら」
 隣にいた看護師が真剣な表情で頷き、早足で病院の奥に向かった。

 院長は以前、大学病院でスポーツ選手の膝を専門的に診ていた。独立してクリニックを構えた今も、評判を知っている選手は、わざわざ遠方からも院長の治療を受けに来る。スタッフも粒揃いで、院長のオーダーを先読みして次の検査に備えておくのは当たり前の空気がある。
 翔琉を乗せた車椅子が玄関を通り抜けてきた。手に持って準備していた問診票入力用のタブレットを、受付は翔琉に手渡す。
「お手数ですが、こちらに入力をお願いします」
 大怪我の直後で顔は青ざめているが、翔琉は切れ長の目元が涼しく鼻筋が通った美男子だ。受付周辺にいる女性の患者やスタッフたちは彼を意識して「イケメンね」等と囁き合っているが、意に介さず、渡されたタブレットに生真面目に入力している。
しゃくだけど、近くで見ると、ますますい男だな……。彼が『イケメンバスケ選手特集』に取り上げられてた雑誌は、確か『月刊スポーツグラフィック』だったっけ。家に帰ったら要チェックだ)
 スポーツマンが好きなゲイの樹生にとっては、アスリートの格好良い写真が載っている雑誌はお宝だ。翔琉の横顔を眺めながら、たまたま観に行った試合で彼がプレイしていたことも思い出す。翔琉は身体が強く攻撃力もあるが、冷静さが印象的な選手だった。観客席から黄色い歓声が飛んでも、軽く頭を下げたり片手をあげたり、最低限のファンサービスはするが、試合中はニコリともしない。相手チームのマークをかわしながら見事なシュートを決めても、フリースローを外しても、表情を変えなかった。
 先輩女性理学療法士が、樹生に耳打ちしてきた。
「そう言えば、さっき東菱とうびし電機でんきの副社長から院長あてに電話があったのよ」
「ああ。岡田選手の所属チームは東菱電機レッドサンダーズですからね」
「へぇ、詳しいわねぇ」
 目を丸くする先輩に、樹生は慌てて言い訳をする。ゲイであることを職場では秘密にしている後ろめたさから、つい口数が多くなる。
「いや、岡田選手は社会人バスケの有名人ですから。確か去年の得点王で、年間ベストファイブにも選ばれてますよ。副社長が院長に電話してくるなんて、よほど球団も期待してるんでしょうね」
「ふーん。じゃあ、滝沢君が担当PTかなぁ。前に社会人バスケの有名な選手が来た時も、滝沢君だったじゃない?」
「……今回は僕じゃないと思いますけど」
 樹生はこわばった表情と硬い声で答えた。
 このクリニックでは、同じ患者の治療やリハビリには同じ理学療法士がずっと寄り添う。症状や理学療法士 Physical Therapist の得意分野を考慮して、院長が「担当PT」として指名する。
 レントゲンとMRI撮影を終えた翔琉が診察室にふたたび呼ばれる。看護師長が診察室から顔を出した。
「滝沢君、来てくれる?」
(う……、やっぱり僕なのか)
 女性の同僚からの羨望の眼差しを避けるかのように項垂うなだれ、樹生は診察室に入った。
「……失礼します。滝沢です」
「岡田さん。こちらが、理学療法士の滝沢です。怪我の状況は、担当の彼にも一緒に聞いてもらいます」
 いかにも体育会らしく、翔琉は礼儀正しく頭を下げる。樹生も軽く頭を下げ返礼したが、モニターに映し出された画像を見た瞬間、自分の悪い予想が当たったのを確信した。
「膝には靭帯が四本あるんです。画像と先ほどの触診を併せると、そのうちの一本、前十字靭帯を痛めています。……おそらく、切れてしまっているのではないかと思います。骨や他の靭帯と異なり、一度切れた前十字靭帯は再生しないので、競技選手としての復帰には再建手術が必要です」
 膝の模型も使い、院長は丁寧に説明した。選手の心情に配慮したのだろう。
「……そうすか」
 翔琉の口調と表情は落ち着いている。
(前十字靭帯断裂だんれつ……。ひとシーズンを棒に振るほどの大怪我なのに、どんだけ肝が座ってるんだよ!)
 驚いて横目で彼を見る。膝の上に置かれた彼の手は強く握りしめられ、指先が白くなっていた。ショックを受けながらも表に出すまいと、翔琉は、必死に自制していたのだ。
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