死んだ星の名前

松原塩

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 ノヴァに起こされない朝は久しぶりだった。
 ベッドで体を起こして、カーテンの隙間から細く差し込んでいる光をぼんやりと見る。壁にかかっている時計はいつもの起床時刻をとっくに過ぎて、朝食を摂っている時間だ。
 彼が休暇をとるような話は聞いていない。寝坊だろうか。
 アレクシスは不審に思いながら着替えて、机の上に置きっぱなしにしていた手紙をなんとはなしに手に取った。
 先日、庭園で昼食をとる前に、騎士団長カンテバル宛の手紙をノヴァに届けさせた。その返事だ。
 騎士団ならば、所属する騎士すべての身元が記録してある。そう思って、ノヴァに関する書類の複製を求めたのだが、結果は芳しくない。
 手紙には、紛失したようだと書かれていた。入団時に既定の書類を提出させたことは確かだが、彼の分だけが見当たらないのだという。
 王家に仕える騎士団がそんな杜撰な管理をしていたのかと文句も言いたくなるが、ノヴァの後見はハーヴィーだ。王のそば近くに侍って、得体の知れない笑みを浮かべるあの魔法使いが、書類紛失の件にも関わっているかもしれない。騎士団を責めるのも酷だろう。
 そんな風にしばらく思考にふけっても、ノヴァが訪れる気配はない。自室から出て、すぐ隣にあるノヴァの部屋へ向かうと、ドアの前にはすでに先客が居た。
「おはよう」
「あっ、殿下! おはようございます」
 料理人の青年を筆頭に、三人居た侍女がそれぞれ挨拶を返してくる。
「何かあったか」
 問いかけに、料理人の男が不安げにちらちらとドアを窺った。
「いやあ、ノヴァさんがいつもの時間になっても殿下の朝食を取りに来ないので心配になって。大丈夫でしょうかね?」
「心配です」
「いつもあたしたちにも挨拶して下さるんですけど、今朝はまだ誰も顔を見てないから気になって」
 皆が揃って不安顔を浮かべている。アレクシスの知らないうちに随分と城の人間と親しくなっているようだ。確かに彼は気が使えるし人当たりが良い。アレクシスが彼を追い出そうと躍起になっていた時に、周囲の人間と距離を縮めていたのだと思うとなんとも言えない気分だった。
「おれが覗いて来よう。お前たちは仕事に戻るといい」
「すみません、お願いします。殿下の朝食はすぐにお持ちします」
「いや。後で取りに行かせる」
 わかりました、お願いしますと口々に言いながら、一同はばらばらに散って仕事に戻って行く。アレクシスは何度かノックをしたが、返事がないので、勝手にドアを開けた。
「ノヴァ。居るか」
 顔だけ覗き込んで呼んでみると、閉められたままのカーテンから透ける光でほの明るい部屋の奥から、はい、と小さな返事が聞こえる。
「ノヴァ? 入るぞ」
 中に入ってドアを閉じる。机、本棚、クローゼット。整然として物が少なく、生活感が感じられない。ドアの対角に位置しているベッドのシーツが、人が丸くなった形に盛り上がっていた。
「具合が悪いのか」
「申し訳ありません……、こないで、下さい」
「風邪か」
 ずかずかと近付いてシーツを捲ると、ノヴァがこちらに背を向けて、大きな体を縮こまらせている。苦し気な浅い呼吸が聞こえた。
 ただの風邪じゃないのか。理性はそう言うのに、すっと背筋が寒くなる。
 きっと大したことはない、すぐによくなる、心配するほどのことではない、でももし、そうじゃなかったら。
 自分のそばに居る者がまた失われるかもしれない、アレクシスにとってそれは耐え難い恐怖だった。喉が渇いて、情けなく声がかすれる。
「そんなに悪いのか。すぐに医者を呼ぶ」
「いいえ!」
 反射的に叫んだノヴァが身を起こし、意外なほどの強さでアレクシスの手首を掴んだ。蒼白な顔で、目だけが異様にぎらぎらと光っている。
「医者は、いりません。ロロ様を呼んできて下さいませんか。アレクシス様は、どうか、離れていて下さい」
 離れて、などと言いながら、アレクシスの手首を握る力は強くなるばかりで、痛みさえ感じる。それでいて彼の手は震えていた。怯えて縋るように、あるいは――衝動を抑えるように。
「ノヴァ、痛い」
「申し訳ありません、あ、アレクシス様」
 苦痛を堪える表情のノヴァに強く引かれて、ベッドへ倒れ込む。アレクシスの長い金髪が、シーツの上に散らばった。
「お願いです、離れて、私に近付かないで」
 離れて、と繰り返しながらも、ノヴァはアレクシスをベッドへ押しつける。
 見下ろしてくるノヴァの、悩ましく寄せられた眉、黒い瞳の中に揺らぐ熱情。
 この顔を知っている。
 今がどういう状況なのか、異様な空気に困惑しながらも、アレクシスはたったひとつだけ理解した。
「――ロロを呼んでくる」
 圧し掛かってくる男を強引に突き飛ばして、ベッドから抜け出す。ごめんなさい、何度も繰り返される弱々しい声を背に、アレクシスはロロのもとへと急いだ。
 あの瞳を知っている。かつて二人だけで視線を交わした、蜜のような時間がよみがえる。胸が苦しい。
 疑う余地もなかった。
 あれはシリウスだ。
 喪ったはずの恋しい男だ。



 アレクシスは、ノヴァの部屋の前で足を組み、椅子に座っていた。
 ロロを連れてきて、アレクシスは離れていてほしいとの言葉に従って廊下に座り込んでいたところ、見かねた侍女が椅子を持って来たのだ。
 中でどういう処置が行われているのか。心配することしかできないアレクシスは、シリウスと出逢った頃のことをぼんやりと思い出していた。

「お姫さまだ! 俺、お姫さま初めて見た……」
 幼い少年が、元気いっぱいに爛々と輝く瞳でアレクシスを見る。短い赤毛に、擦り切れた衣服から伸びる浅く焼けた肌。いかにもやんちゃな少年にまじまじと見られて、六歳のアレクシスは急に恥ずかしくなった。
 城下の孤児院。慰問に赴く騎士に興味本位でついて行ったアレクシスは、荷馬車から物資が運ばれるのを、少し離れた木陰で見ていた。
 フリルのついた真っ白なシャツと黒いベスト、黒いズボンに包まれた、いかにも育ちが良い白い肌の少年は、孤児院には似つかわしくない。陰で見ているつもりでも目立っていたアレクシスのところに駆け寄ってきたのが、シリウスだった。快活な笑顔が、照りつける日差しの下でいやに眩しく見えた。
「ぼ……お、おれは男だ」
 ぼく、という言葉を飲み込んで、少年の真似をして背伸びしてみる。彼と比べたら自分なんて痩せて、白くて、肩にかかる細い金髪が少女みたいで、どうしてか少年の前ではそれがひどく恥ずかしく思えた。幼く丸い頬が、かーっと熱を持つ。
「えーっ!? 男の子のお姫さまなのか」
「こら! シリウス!」
 孤児院の院長、ロシュフォール夫人に一喝されて、少年が目を丸く見開いて飛び上がった。
「殿下になんて口の利き方ですか。その方はこのアウロヴェシアの王子殿下であらせられる、尊いお方なんですよ」
「王子? この子が? 俺と同じくらいの子供なのに」
「そう、そのお方が、俺たちがお守りする王子殿下、アレクシス様だ!」
 どこか自慢げに声を上げながら、のしのしと歩いて来たのはカンテバルだ。騎士団長に就任したばかりの男は陽気に笑って、後ろからアレクシスの両肩を軽く叩いた。
「すごい。きれいだ」
 そう言ってアレクシスの顔に視線を注ぐ、その瞳こそきらきらと輝いて、どんな言葉で褒め称えられるよりも、アレクシスの胸をむずむずとさせた。本当に、自分は特別にきれいな宝物なのだという錯覚すら覚える。その目がぱっと逸らされて、背後に立つカンテバルを見たことに、我知らずがっかりしてしまうほどだった。
「俺も! 俺も騎士になってアレクを守りたい!」
「アレクシス様だ!」
「アレクシスさま! いいでしょ?」
 再び輝く瞳がアレクシスを見て、両手をぎゅっと握ってくる。かさついた、熱い手だった。妙にどきどきして、アレクシスはこくりと頷く。身の回りには、大人も子供もこんな風に気さくに話しかけてくる人間は居なかったせいで、浮かれているのかもしれなかった。
「残念だがシリウス、騎士になるには金がかかる。学校に通って勉強して、騎士について従騎士として勉強して、やっと騎士になっても叙任式でまた金がかかる。そう簡単になれるもんじゃあないんだ」
 苦笑しながら現実を突き付けてくるカンテバルに、シリウスがええー、と不満げな声を上げる。アレクシスはカンテバルを振り仰いだ。
「お金がひつようなら、おれが出す」
 滅多にわがままを言わないアレクシスが勝手を言い始めて、カンテバルがあからさまに顔をしかめる。
「……殿下、残念ですが……、金だけあっても騎士になるのは難しいのです。ただの騎士になるだけなら何とかなっても、殿下のおそば近くに仕える近衛騎士になるには、それなりの家柄がなければなりません」
「地位がいるのか。ならおれが爵位をあたえればいいだろう」
「殿下……」
 小さな子供でもアレクシスは王子だ。これまでは聞き分けよく過ごしていたが、その気になれば大抵の横暴は何とかできてしまう。自身では力が及ばないことでも、王にねだれば余程のことがない限り叶えられる。父親は王妃ユーニスを溺愛していて、その息子である自分にも大概甘いことを、アレクシスはよく知っていた。
 カンテバルの顔がどんどん渋くなっていく。
「殿下、持てる権力を振るうには、殿下はまだ幼すぎます。もっと考えて行動なさらないと」
「おれは今まで勉強もがんばってきたし、ぜいたく品をほしがったこともない! これくらいいいだろう。おれはシリウスがいい。きっと父上だって許してくださる」
 眉根を寄せて唸るカンテバルへ、シリウスが言い募る。
「いいだろ、いいだろ、俺、騎士になりたい。絶対強くなるよ。いちばん強くなる。強くなってアレクシスさまを守るよ。絶対!」
「……騎士の訓練は厳しいぞ。早朝から夜遅くまでやることは山ほどあるし、体力的にもものすごくきつい。耐えられるか」
「できる!」
 ぱっと目を輝かせたシリウスに、カンテバルの表情が緩んで、ふーっと長い息を吐き出した。
「よし、わかった! なんとかできるよう相談してみよう!」
「やった!」
 喜びのままにぎゅうと抱き締めてくるシリウスにびっくりして、すぐにアレクシスの顔もほころんだ。
 王城は、幼いアレクシスのことでさえ顔色を窺い、利用しようと近付いて来る人間が後を絶たない。気が休まることのない場所で、こんな風に、屈託のない笑顔でアレクシスを守るのだと言ってくれる友人がそばに居てくれたら、どれほど心の支えになるだろう。

 それからしばらく経って、シリウスがカンテバルの養子になることを聞かされた。まず学校に通うために読み書きの勉強から始まり、強くなるという言葉を果たすために、剣の稽古も始めた。
 アレクシスは度々シリウスに会いに行った。熱心に努力する彼につられて、苦手だった剣術の授業に真剣に臨むようになった。シリウスは騎士の訓練場を訪れてはカンテバルに稽古をつけてもらっていたから、アレクシスも混ぜてもらい切磋琢磨した。彼と打ち合いをするのが好きだった。鍛えても筋肉がつきにくい体質のアレクシスは滅多に彼に勝てなくて、悔しい思いをした。
 彼が学校に通うようになって、十四歳で従騎士になって、忙しさに会う頻度は激減した。顔を合わせる度に彼は身長が伸びていた。「背、伸びたな」と言われた時、彼も同じことを思っていたのだと笑った。
 恋に落ちたのがいつのことだったかは覚えていない。
 人前ではアレクシス様と呼んで、かしこまって喋る彼が、二人きりのときだけアレクと呼んで笑う顔が好きだと思った時だろうか。
 薔薇の咲く庭園を二人で駆けていた昼下がりだろうか。
 どんどん逞しくなっていく体を羨ましく思った時だろうか。
 いつの間にか声変わりしていた彼が、低い声で名前を呼んだ時だろうか。
 暑いと言って笑う彼の首筋を伝う汗に、気を取られた夏の日だろうか。
 初めて会った日に、眩しく輝く瞳で見つめられて、アレクシスを特別なものにしてくれたあの時だろうか。
 いつ恋に落ちたのかなんて分からなくて、分からないのに、彼もアレクシスを好きなことを知っていた。互いに一度も口に出さなかったけれど、互いに知っていた。二人の間ではそれが自然で、当然のことだった。
 いよいよ彼が成人を迎え、騎士になる、叙任式の前の夜。薔薇の庭園、四阿で、二人並んで座っていた。
「こんな風に友達として過ごせるのも、今日で終わりだな。明日から俺は騎士になる。立派な騎士になって、アレクに仕えるんだ。アレクを守るよ」
「うん」
 子供のように頷く。本当の子供だったあの日、アレクシスの騎士になってアレクシスを守るのだと言う他愛のない戯れのような約束を果たして、彼はついに騎士になるのだ。
 嬉しくて、誇らしくて、少し寂しかった。
 誰より近くで守ってくれるのに、今よりずっと遠くなる。
 頼りにしている? 楽しみにしている? 何と言ったらいいのか分からない。そばに居てくれるはずなのに、もっと近くに居てほしいと願ってしまう。
 剣を握り続けて固くなったシリウスの手が、アレクシスのなめらかな手に重なった。体温の高い彼の手のひらの熱が伝わってくる。
 横を見れば、シリウスはこちらを見ていた。いつかの日にきらきらと輝いていた瞳が、今は熱情を孕んでいる。アレクシスもきっと同じ目をしていた。触れたいと飢える気持ちを知っている。
 間近で視線が絡み合う。
 自然と唇が重なった。触れるだけのキスだった。
 言葉は無かったけれど、それで十分だった。
 アレクシスは王子として、彼は騎士として。この夜の記憶を頼りに、愛おしい想いは胸の奥にしまって生きていく。
 そのはずだった。



「アレクシスか」
 呼ばれて、はっと顔を上げる。ノヴァの部屋から出て来たらしいロロが目の前に立っていたが、様子がおかしい。黒いローブのフードを被った姿はいつもと変わらないが、彼はこんな風に飄々とした顔で、アレクシスを呼び捨てにするような人間ではなかった。
「……ロロ? ノヴァの様子はどうだ」
「ひとまず問題なかろう。押し込めておいてやったから」
「押し込めて……?」
 ふ、と笑って、ロロはアレクシスの顔を覗き込むように見てくる。
「これがアレクシスか、なるほどな」
「お前は何だ?」
 いい加減おかしい、アレクシスの知るロロと同一人物とは思えない。眉をひそめれば、彼はくく、と喉で笑った。
「さて。化け物かな? 魔法使いはマスターと呼ばれる生き物から魔力を得て魔法を使っていることは知っているか? 私はロロのマスターだ。今は体を借りておる」
「……初耳だ」
 怪訝そうな顔つきのアレクシスなど意に介さず、ロロの体を借りたというマスターは変わらず笑っている。とても善良とは言えない類の顔つきだった。
「そうかね。どうでも構わん。お前の顔が見られたのはよかったよ、あの子が執着するアレクシスというのはどんなものか、気になっていた」
「誰のことだ」
 誰も何もない。ノヴァの――シリウスのこととしか考えられない。食いついたアレクシスに、マスターは面白そうに目を細めた。
「私が出会った死にかけの男のことだ。大事な人間が居るから死にきれないと、何度も名前を呼んでいた。死にたくない、まだそばに居たい、己が守るのだと繰り返して……、生に縋り付く様が気に入ってな。お前はどう思う? 生に縋り付いて化け物の手を取り、自身も化け物に成り下がった男のことを」
 心臓が強く鳴るのが分かった。
 アレクシスのために、化け物に成り下がったというのか。
 幼いシリウスの、生命力にあふれた姿を思い出す。日差しの下、アレク、と親しげに呼ぶ声が耳によみがえる。
 あの男が化け物になったというのなら。
 こんなことを思うのは残酷だろうか、そう思う気持ちはある。アレクシスは俯いて、片手で口元を押さえた。
 かすれてしまいそうな、小さな震える声がまろび出る。
「……うれしい……」
 どんな形であっても、人間であることをやめてしまったとしても。シリウスが自分のもとへ帰ってきてくれたのなら、喜びでしかない。それが嘘偽りない、アレクシスの気持ちだった。
 マスターの言う化け物というのが一体どんなものを指すのか分からない。それはシリウスに苦痛をもたらすものなのかもしれない。何も分からないまま彼の気持ちを慮ることもできず、ただ喜びだけがはっきりとしていた。
「ふふ、ははは!」
 マスターの満足げな笑い声が響く。
「良い。ひとつだけ、注意することだ。化け物は正体を知られたら形を保てぬ。お前が何かを悟ったとて」
 そこで言葉を切ったマスターが、アレクシスの耳元へ口を寄せた。
「決してその名を呼んでくれるなよ」
 ざらついた、不気味な声。ぞっとして反射的に顔を上げるが、そこにはもうローブを着た小柄な少年の姿は無かった。
 戸惑いを覚えながらも立ち上がり、気を取り直してドアを開く。
 妙に緊張して唾を飲み込んだ。ノヴァの部屋へと足を踏み入れる。ドアを閉めるささやかな筈の音が、大きく聞こえた。
「……ノヴァ」
 自分の心臓が脈打つのが、耳元で聞こえる。
「調子はどうだ。大事ないか」
 ベッドへと向かう足は、夢の中を歩いているようにおぼつかない。
 ノヴァはベッドの上で体を起こして、困ったように眉を下げて、何とか笑みを取り繕っていた。
「問題ありません。先ほどは、失礼いたしました」
「いい」
 アレクシスの様子がおかしいことに気付いたのか、ノヴァの顔色が曇る。
「あの……やはり、ご気分を害されましたか。本当に、申し訳ありません。もうあのようなまねは誓ってしません。どうか――」
 アレクシスがベッドの端へ腰掛けると、ノヴァは目を見開いて静止した。ぎぎぎと軋む音が聞こえそうなぎこちない動きで首を回し、長い睫毛を伏せて俯くアレクシスを凝視する。
「あ……アレクシス様……?」
 アレクシスは横目でちらとノヴァを見て、彼の傍らに片手をついた。
 短い逡巡の後、強張るノヴァへと身を乗り出して、その黒い双眸をまっすぐに見る。鼻先が触れそうなほどの至近距離で、薄い唇を開いた。
「お前なんだろう」
 シリウス。
 心の中で呼んだ声が聞こえたかのように、黒い瞳に動揺が走った。堪えるように眉根が寄せられて、肩を強く掴まれる。失った名前を呼びたがる唇を、噛みつくように塞がれた。荒々しい口付けはほんの一瞬で、けれどアレクシスを黙らせるには十分だった。
 茫然とするアレクシスの間近で、ノヴァがの目元が泣きそうに歪んで、消え入るような声で囁いてくる。
「あなたが呼ぼうとしたその名の男は死にました。私はノヴァです、どうかノヴァとお呼びください」
 ノヴァ。求められた通りに呟けば、彼は寂しそうに笑った。
 胸が締め付けられて、アレクシスは思わずノヴァに抱き着いた。きつく腕に力を込めれば、彼も抱き返してくれる。抱き締められるのなんて初めて会ったあの日以来で感触も覚えていないのに、全く姿の変わった彼の、その腕がひどく懐かしい。
 動くことができない。今、腕の中に十年以上の恋がある。
 ああ、シリウスなのだ、彼は本当に。
 おれの騎士。
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