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怖い人とふたりきりになったときどうしたらいいか教えてください
しおりを挟む翌日の放課後、部室に行くと、そこには既に日比木先輩がいた。小田桐先輩の姿はない。
先輩は何かを考えている様子で、短冊を前に右手のシャーペンをくるくる回しながらテーブルに向かっていた。
顔のガーゼは取れているが、うっすらとかさぶたが残っている。
「ええと、あの、お疲れ様です」
挨拶すると
「おう」
という短い返事が返ってきた。無愛想だけれど、無視されなくてちょっと安心した。
でも、この人と二人きりかあ……正直、まだかなり怖い。直接何かされたというわけではないのだが、やっぱり、見た目がその……不良っぽいというか。私とは対極の位置にいるような。「うぇーい」とか言ってそう。
でも、そんな人が短歌作りという、どちらかというと地味めな活動に真剣に取り組んでいる姿はなんだか不思議な光景だ。
先輩を見習って、私も早速無地の短冊を前に思案する。
今日はどんなのがいいかなあ。
この時に備えて今日はカラーペンのセットを持参してきたのだ。これで短冊をデコろうと画策して。可愛くなるといいなあ。
あれこれ妄想していると、唐突に私のお腹からいびきのような音が漏れた。
ま、まずい!
慌てて咳払いをしたり、椅子を無駄にずらしたりして音を立てて誤魔化そうと試みる。
その甲斐あってか、日比木先輩は何も気づかなかったように相変わらず短冊に目を落としている。
よし、なんとか誤魔化せたみたいだ。
そう思ったのもつかの間。なんと再び私のお腹から盛大な重低音が響いてしまったのだ。
暫くの沈黙の後、日比木先輩が顔も上げずに口を開く。
「……腹鳴ってんぞ。ていうかさっきも鳴ってたよな?」
バレてた。先ほどの私の隠蔽工作は完全に無駄な行為だったというわけだ。
仮にも年頃の女子高生がはしたなくも二日連続でお腹を鳴らしてしまうとは……しかしバレてしまっては仕方がない。この際開き直ることにした。
「実はお腹空いちゃって……あの、お弁当食べても良いですか……?」
私の胃袋はもう限界だ。これ以上我慢すると、際限なくお腹が鳴り続けてしまいそうなのだ。
私の言葉に先輩は顔を上げて眉をひそめる。
「別にいいけど……お前、昼メシの他にも弁当持ってきてんの? 運動部の男子かよ」
誤解だ。このままでは先輩に大食いキャラなイメージを持たれてしまうではないか。
「いえ、その、今日はお昼休みに食べるタイミングがなかったというか……」
言い訳しながらそそくさとお弁当を広げる。ごく普通の二段重ねのお弁当。上の段はおかずで、下の段には白米が詰まっている。
さっそく黄金色の卵焼きを一口齧ると至福の時が私を包み込む。
はあ、生き返る……
「そういや昨日もお前の腹の虫が鳴いてたな」
「……昨日もお弁当を食べるタイミングがなくて……」
「なんだそれ。連日昼メシも食えないほど忙しいのか?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
私は俯きながら、今度は白米に箸をつける。
うう……あんまり追求しないでほしい。せっかくのお弁当の美味しさが半減しそう。
不意に先輩はテーブルに両手を置いて身を乗り出してきた。そのまま私を見つめた後、躊躇うように口を開く。
「……まさか、お前……いじめられてんのか?」
先程までとは打って変わって急に真剣味を帯びる先輩の声に、戸惑いながらも慌てて首を振る。
「ち、違います。なんでそうなるんですか」
「ほら、くだらないことで難癖つけられて、罰ゲームと称して昼メシ食わせてもらえないとかさ」
「そ、そんな深刻な問題じゃないんです。本当になんでもなくて……あ、先輩、よかったらこの唐揚げひとついかがですか? 母の作る唐揚げは冷めてもおいしいんですよ。むしろ冷めてからが本番というか」
お茶を濁そうとするも、先輩は鋭い瞳でじっと私の顔を見つめたまま黙っている。まるで私が真実を話すのを促すかのように。
その眼差しに思わず狼狽えて口を噤んでしまう。
あたりを包む静寂。気まずい沈黙。
どれくらいそうしていただろう。その沈黙と重苦しい空気に耐えられず、私は箸でお米をつつきながら重い口をひらいた。お行儀が悪いなと思いながらも。
「先輩の疑うようないじめなんかじゃないです。ただ、その……一緒にお弁当を食べる友達がいないというか……」
「は?」
それを聞いた途端、先輩が脱力したような声を上げ、テーブルに崩れるように肘をついて顎を乗せた。
「なんだよ。お前、もしかしてぼっちなのか?」
その言葉に私の箸が止まった。
そうなのだ。私はいわゆる「ぼっち」なのだ。
私の反応で、先輩も悟ったらしい。けれど、何でもないことのように
「ぼっちでも堂々と教室で弁当食ってりゃいいのに」
などと言う。
「そんな度胸ありませんよ……それに、私の隣の席の子が五人くらいのグループに属してて、みんなで一緒にお弁当を食べるために私の席を使いたいみたいで……お昼休みのたびに『机貸りるね』なんて、貸してもらうのが当然って言い方されたら断れないです……」
「女子が駄目なら男子と食えば?」
「それは無理です」
「なんで?」
先輩の問いに、私は力強く断言する。
「私のクラスにはイケメンがいないからです」
「え、なに? お前ぼっちな上に面食いなわけ?」
「ぼっちと面食いは関係ないです! それに、私の言いたいのは顔じゃなくて、精神的なイケメンの事です。クラスに馴染めない私のような女子にも優しく声をかけて気遣ってくれる。それこそが真のイケメンです。でも、私のクラスにはそんな男子ひとりもいません。そんな人達と一緒にお弁当を食べたいだなんて思えますか? 思えませんよね?」
だいたい、女子の間でさえ浮いてる人間に、わざわざ声をかけようなどという男子自体が稀なのだ。
「それなら、教室の外で食えば? あ、ほら、あの屋上に上がるための階段のところなんてどうだ? 暗くて薄気味悪いあそこ」
それくらい私だってリサーチ済みだ。
「あそこはもう、どこかのクラスの仲よさそうな女子二人組が毎日陣取っているんです。今更私が入り込む隙なんてありませんよ」
「じゃあ、昼休みはどこで何してんだ?」
「まず人気の少ない場所にあるお手洗いに行きます」
「お、もしかして『便所メシ』ってやつか? トイレの個室で飯を食うっていう……」
「そこまで堕ちてません!」
そんな人たちがこの世に少なからず存在するとは聞いた事はあるが、私は違う。
「ただ、個室で五分ほど無になって時間を潰すんです」
「なんで五分なんだよ」
「だって、それ以上だと怪しまれる可能性があるじゃないですか。『お手洗いにずっとドアの開かない個室がある。中で誰か倒れてるのかも』みたいな騒ぎに発展するかもしれないし」
「はあ、そんなもんかね。それで、その後は?」
「図書室に行って、そこで昼休みが終わるギリギリまで本を読んで過ごします」
先輩は腕組みして考えるそぶりを見せる。
「わかんねえな。それならトイレなんか寄らずに最初から図書室に行けばいいのに」
「それだと司書さんに『この子、昼休みになってからすぐに図書室に来るなんて……さてはぼっちだな』とか思われるかもしれないじゃないですか! 私としては、五分でお昼ご飯を済ませて、その後で図書室を訪れたという体を装いたいんですよ! ぼっちだと悟られたくないんですよ!」
「妙なプライド持ってんな。でもたかが五分じゃなあ……司書にもとっくにぼっちだってバレてんじゃねえの?」
「そ、そんなはずは……!」
ないと信じたい。
でも、もしも司書さんにもバレてたとしたら、恥ずかしくて明日から図書室に行けない……!
それにしても――と、私は日比木先輩をちらりを見やる。
この人、意外と話しやすいみたいだ。ついさっきまではぶっきらぼうで怖い人かと思っていたけれど、本当はそんな事ないのかな。
私の視線に気付いたのかは不明だが、先輩もこちらにじろりと目を向けてきたので、私は慌ててお弁当に目を落とす。
「でもお前、ほんとにぼっちなのか? 確かに見た目は暗……独特だけど、話してる感じは案外普通だし、コミュ障ってわけでもないと思うけど」
奇しくも先輩も私に対して、今まで受けていた印象とは異なる感想を抱いていたみたいだ。
それにしても、今、私のこと「暗い」とか言いかけて誤魔化してなかった? 私ってそんなふう見えるのかな……ショックだ。
「先輩の言う通りに、私が普通なら、なんで友達できないんだろ……この前も、思い切って帰り際にクラスメイトに挨拶したのにスルーされたんです……」
「まあ、この学校では今どき珍しいほどに地味子ではあるな。そのせいか雰囲気も独特だし。それが浮いてる感があるのは否めないっていうか」
地味子とか言われた。なにげにひどい。でも否定できない。事実だから。
「うう……私の地味っぷりが原因なのかな……できる事なら私だって他の子みたいに髪の毛を明るく染めて、ゆるふわヘアーとか? サイドポニーテールとか? そういうのやってみたいですよ。可愛いピアスしたり髪飾りつけたり、ネイルアートしたりスカート短くしたり、おしゃれしたいですよ」
「好きなようにやればいいじゃねえか」
「……前に、思い切って髪をシュシュでまとめて行ったことがあるんです。誰かが『どうしたのそれ?』とか『かわいいね』なんて言ってくれるかな? あわよくばそれをきっかけに友達できるかな? って期待して」
「ほほう。それで結果は?」
「……総スルーでした」
「うん?」
怪訝そうな声を上げる日比谷先輩に私は続ける。
「誰もシュシュについて言及しないどころか、少し離れた場所から私を指差してヒソヒソクスクスしてる子たちまでいたんですよ! その時に気づいたんです。ああいうのは『なにそれかわいいー☆』なんて言ってくれる友達がいてこそ成り立つんだって。私みたいなぼっちの地味子が、ある日突然サイドポニーテールにして、耳にピアスを光らせて短いスカート履いてきても、みんなどん引きスルーですよ! それどころか『あの子どうしちゃったの?』って感じで遠巻きにヒソヒソクスクスされるだけに決まってるんです! 今更おしゃれしても友達を作るには遅いんです。かといって今の地味子のままでもぼっちだし。もう八方塞がりです」
あの時の事はもうショックすぎて、誰がヒソヒソクスクスしていたのかすら思い出せない。
「いわゆる高校デビューってやつに失敗したんだな。ご愁傷様。あ? でもお前、ぼっちなんだろ? だったら今更どんな格好したって、陰で誰かに何か言われたって別にどうでもいいんじゃねえの? どっちにしろぼっちになる運命なら、友達作りを諦めて、お前なりのおしゃれとやらのほうに高校生活全振りすれば? おしゃれぼっちの頂点を目指せよ。略して『しゃれぼっち』だよ」
「それ、ほとんど略せてませんよ……それが、したくても親が厳しくて……前にこっそり爪に透明のマニキュアを塗った事があるんですけど、やっぱり爪が光ってると目立つのか、即見つかってお説教ですよ。『お前にはまだ早い』とかなんとか言われて……そんな状況でピアスやアクセサリーなんてもってのほかです。他の女の子が当然のようにしている事が、我が家では許されないんです……」
それでもシュシュなら取り外しできるし大丈夫だろうと思って思い切って挑戦したのに、結果はごらんのありさまだ。
「『うちはうち、よそはよそ』ってやつか。じゃあ我慢するしかねえな。まあ頑張れ」
心の篭っていない様子の先輩の励ましの言葉に、私はお弁当を食べていた箸を止める。
「……私、小学生の頃、剣道を習いたかったんです。通学路の途中に剣道場があって、その前を通るたびに同じくらいの年の子が練習してる姿が見えて、それがすごくかっこよくて」
「は? いきなり何の話?」
突然の話題の転換に、先輩は戸惑ったようだが、私は当時を思い出しながら話を続ける。
「でも、親には『女の子がそんな危ないことしちゃだめ』って言われて剣道を習う事を許されなくて……私、何度もお願いしました。剣道やらせてほしいって。でも、その度に親の返事は『駄目』の一点張りで」
「それなら今からでも入部すりゃいいのに。この学校にも剣道部はあるんだし」
「……今はもう剣道に興味ありません」
「なんで? やりたかったんだろ?」
「何度も何度も『駄目』って言われ続けているうちに、ある日突然頭に浮かんだんです。『あ、それならもういいや』って。その瞬間から剣道への興味が一切なくなったんです」
私は食べかけのお弁当に目を落とす。
「他にもあります。どうしても猫が飼いたくて親にお願いしたんですけど、『世話が大変だからだめ』って……その時も何度もお願いして、そのたびに『駄目』って言われ続けました。そうしたらまたある日突然『あ、それならもういいや』って頭に浮かんで。猫自体は今だって好きだし、猫カフェとかにも興味あります。でも、『自分で猫を飼う』という事に対してまったく執着が無くなってしまったんです」
何故だろう。食べる手を止めているはずなのに、口の中が塩辛いような気がする。
「私、怖いんです。これからもおしゃれするのを否定され続けた結果、いつかふっとおしゃれに対する興味も失せて、おしゃれだけじゃなく、他の事にもなんの興味も持てなくなって、その事に慣れて、これから先も地味なまま、つまらない大人になっちゃうんじゃないかって。そしてずっと友達のいないひとりぼっちの寂しい人生を過ごす事になるんじゃないかって。そんなの嫌です……」
「かといって、親に逆らう気概も無いと。どうしようもねえな」
そうなのだ。否定されるとわかっている事を敢えてする勇気も、私は持ち合わせていないのだ。
もしかして、すでにおしゃれに対する興味も失せかけているのかな。だから諦めて親に従っているのかな。やだやだ。そんなのやだ。
【海水にずっと浸かっているようで ふやけたままで漂っている( ˘ω˘ )】
ふと、そんな短歌が浮かんだ。塩辛い海の中のような環境で、ひとり何も決断できないままふらふらしている。いつかふやけすぎて本当の自分の形すら失ってしまうんじゃないか。
私はお弁当を押しのけて机に突っ伏す。
「あああー、おしゃれだけじゃなくて、友達とお弁当食べたり、一緒に登下校したり、学校帰りに買い物したり、カフェに寄ったりしたいなあ。アルバイトも興味あるし……先輩はアルバイトした事あります?」
「こんな格好の奴を雇ってくれる奇特なところがあるかよ。それくらい察しろよ」
確かに先輩は金髪でピアスしてて制服も着崩して、一見怖いし不良っぽい。アルバイト先も相当絞られるんだろう。
でも、こんな格好してて親に怒られないのかな……?
「さっきの言葉、撤回する。お前、意外と普通だと思ったけど、やっぱりあんまり空気読めないみてえだな」
「え?」
「知り合って数日の俺にそんな話するところとかさ」
どことなく意地悪そうににやりとする先輩に、私は弁明する。
「仕方ないじゃないですか。ぼっちゆえに普段学校の人と話す機会が無いんですから。隙あらばそのストレスを発散しようと饒舌にもなりますよ!」
でも、やっぱり先輩の言う通り、空気読めてなかったかな……気をつけよう。
「でも、今のお前は短歌に興味持って実際に作ったりしてるじゃん。ある意味独創的な短歌も生み出してるし。そこは自信持っていいんじゃねえの?」
「うーん……でも、実際のところ、まだよくわからないんですよね。短歌の良し悪しが。自分が上手な短歌を作れるのかどうかも自信ないし……」
私の言葉に先輩は呆れたようなため息を漏らした。
「昨日も言っただろ。短歌の良し悪しなんて、俺だってわかんねえよ。まあ、気楽にやっときゃ良いんだ」
なんだろう。一応慰められたのかな。
それに、友達がいなかったゆえに、今まで誰にも話せなかった事を先輩に打ち明けた事で、少しすっきりした気がする。
気分が落ち着いたところで、入口のドアの開く音がした。
「食べ物の匂いがする」
振り向くと、小田桐先輩が入室してくるなり鼻をひくつかせている。
途端に日比木先輩が私を指差す。
「おう、小田桐、聞いてくれよ。こいつ、クラスでぼっちなんだってよ! 一緒に昼メシ食う奴がいないんだって。だから、腹へって今頃ここで弁当食ってんの」
「ぎゃー! な、なんで早速バラしてるんですか!?」
悪魔かこの人は!
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