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学園入学編

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 その後も、お洗濯に役立ちそうな水魔法や、風魔法などの便利魔法をジェイド君に教わり、私が使える魔法は順調に増えていった。どれも初歩的なものだが。

 よーし、今日もジェイド君に魔法を教えて貰うぞー。
 と、お昼休みに第三図書準備室に向かう。
 床に座ってお弁当を広げて、ランチの準備は万端だ。
 が、肝心のジェイド君がなかなか来ない。あれでも義理堅い男ジェイド君が。こんなことは初めてだ。忙しいのかな?

 と、その時部屋の扉が開いた。
 ジェイド君?
 顔を向けた私の視線の先に立っていたのは、アトレーユ王子と、その取り巻き達だった。

「いつも姿が見えないと思ってたら、こんな場所で僕以外の男と逢引? まったく困った子猫ちゃんだね」

 アトレーユ王子の言葉とともに、後方から出てきた取り巻きが、何か大きなものを投げ捨てるように床に転がす。それには見覚えがあった。

「ジェイド君!?」

 そばにしゃがみ込んでよく見れば、顔を腫らし、唇の端かには血が滲んでいる。私はなんとかしてジェイド君を抱き起こして、空っぽの本棚に背をもたせかける。

「ひどい……どうしてこんな事……まさか、あなた達がやったんですか?」

 問うと、アトレーユ王子は肩をすくめる。

「僕のものに手を出すからだよ。だからちょっとしたお仕置きをね」
「私はあなたのものじゃありません!」
「いいや、僕のものだ。だって君はラ・プリンセスなんだから」

 目を細めて、妖しくもどこか残忍な笑みを浮かべるアトレーユ王子。なんとなく背中がぞくりとした。

「さあ、それじゃあさっそく僕たちとランチに行こうか。今日こそ極上のフォアグラを君に食べさせてあげるよ」

 な……何を言ってるんだこの人は。怪我人を置いて楽しくランチなんかできるわけがない。

「そんなことできません! ジェイド君を保健室に連れて行かないと……!」

 肩を貸そうと、ジェイド君の腕を取ると、その手を当のジェイド君に振り払われた。
 驚いていると、ジェイド君がゆっくり首を振る。

「ジェイド君……?」
「……僕のことは放っておいてください。自分でなんとかできますから」
「で、でも……」

 渋る私に、ジェイド君は小声で囁く。

「僕は大丈夫です。でも、アトレーユ様の言うことを聞かなければ、他の人物にも危害が及ぶかもしれません。だから……」

 その言葉に、私の脳裏にミリアンちゃんの顔が浮かぶ。
 まさか、これ以上抵抗すれば、アトレーユ王子は彼女にも何かするつもり……?
 その考えを読み取ったのか、ジェイド君が静かに頷く。

「さあ、早く。子猫ちゃん。そんな奴のことはほっといてさ」

 言いながら手を差し伸べてくるアトレーユ王子。
 私は暫く逡巡する。
 この人に付いてゆくのは嫌だ。でも、付いていかないとジェイド君がもっとひどい目にあったり、ミリアンちゃんにも危害が及ぶかもしれない。
 そう考えると答えは一つしかなかった。

「ジェイド君、ごめんね……」
 
 頬を涙が伝うのがわかった。
 慌ててそれを拭うと、私はかすかに震える手でアトレーユ王子の手を取った。強烈な後ろめたさを背後に感じながら。



 ◇◇◇◇◇



「うん、今日のフォアグラは絶品だね。子猫ちゃんもそう思うでしょ?」
「はあ……そうでございますね……」

 正直、味なんてわからない。
 私は機械的に料理を口に運ぶだけ。
 ただこの時間が早く過ぎ去ってゆくのを祈りながら。

 ジェイド君、あの怪我大丈夫かな? 血も出てたし、大事になってないといいけど……。
 上の空で食事を終えると、アトレーユ王子が、何か箱を出してきた。

「子猫ちゃんにプレゼント。受け取ってもらえるよね?」

 正直まったく興味ない。友達をあんな目に合わせた人から、どうしてプレゼントなんて貰える気になるというのか。

「いえ、わたくしめなんぞが恐れ多い。そのようなものは頂けません」

 お断りすると、アトレーユ王子は微笑んだ。

「謙虚なんだね。そういうところも今までのラ・プリンセスと違って新鮮だなあ」

 うわあ、受け答えの選択肢を完全に間違えた。アトレーユ王子はなんだか嬉しそうにしている。

「ねえ、開けてみてよ」

 箱をぐいぐいと押し付けられて、仕方なく受け取る。
 ふたを開けると、そこにあったものは――

「……チョーカー?」

 ベルト状の細長い黒革。首の前部中央に当たるであろう部分には金色の鈴が付いている。

「気に入ってくれた? その首輪」
「は?」

 首輪? 今、首輪って言った? そんなのまるでペットに対する扱いみたいじゃないか。私が亜人だから!?
 怒りで何も言えないでいると、アトレーユ王子がチョーカーを手に取り、私の背後に回り込む。

「僕がつけてあげるよ」

 好きでもない、むしろ嫌いな人に肌を触られ、髪に触れられ。ぞわぞわとした不快感に鳥肌を立てながらも、必死に我慢する。

「さあ、これで君は僕の子猫ちゃんだ。その首輪もよく似合ってるよ」

 チョーカーをつけ終わったアトレーユ王子が満足げに声を弾ませる。
 似合ってたまるか!
 そう叫んで全てを放り出したかった。全部かなぐり捨てて、こんなところから逃げ出したかった。

 その時ひらめいた。
 そうだ。全部捨てて逃げてしまえば良いんだ。
 学校を辞めればアトレーユ王子とも接点がなくなるし、ミリアンちゃんやジェイド君だって関係なくなるはず。
 私はチョーカーを外すとアトレーユ王子に差し出す。

「やっぱりこれは頂けません。お返しします」
「どうして? とっても似合ってたのに」
「私、学校を辞めるので。もうラ・プリンセスにもなりません」
「それは許さないよ」
「は?」

 学校を辞めるのは私自身の事なのに「許さない」とはどういう事だろう。
 そんな疑問が顔に現れていたのか、アトレーユ王子が微笑みながら私に説明する。

「君が学校を辞めたとしたら、君のお友達に何が起こるかわからないよ」
「な、なんで!? 私がいなくなれば、他の人は関係なくなるでしょ!?」
「君にいなくなって欲しくないからだよ。君がラ・プリンセスである限り、君のお友達には何も起こらない。でも、君が僕の前から去ったりしたらどうなるか――」

 そんなの卑怯だ。ラ・プリンセスからも、学校からも逃れられない。八方塞がりだ。

「自分の立場を理解した? だったらその首輪の意味がわかるよね?」

 三日月のように細められたアトレーユ王子の瞳は、奇妙な威圧感を感じさせる。
 私にこの場で選べというのだ。このままラ・プリンセスでい続けるか、それとも友人を犠牲にして学校を辞めるか。
 そんなの答えは一つしかないじゃないか。

 私は屈辱に震える手で、自らチョーカーを首に巻き直した。
 アトレーユ王子は満足げにそれを眺めていた。


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