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別れの日

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 翌日、私は洗濯済みの制服を携えて、銀のうさぎ亭2号店へと向かっていた。
 制服を返して、昨日のことをレオンさんたちに謝るのだ。そしてちゃんと別れを告げる。その予定だった。
 昨日みたいにおかしなことを口走らないようにと、不安交じりに食堂のドアを開けると、意外にもレオンさんとクロードさんが揃って待っていた。ノノンちゃんの姿は見えない。

「よう。よく来たな。来なかったらお前の家に押しかけるところだったぜ」

 レオンさんの口調は冗談めいているが、その表情は真剣だ。

「あ、あの、昨日はすみません。私、取り乱してしまって……ちゃんとしたお別れの挨拶もできずに……」
「それだよそれ。昨日のアレはどういう事だ? やっぱりお前、何かあったんだろ? 事情を話せよ」

 その言葉にぎくりとする私を見据えながら、レオンさんは続ける。

「俺はどうにも納得できねえ。お前とノノンの兄貴のユージーンってやつが好き合ってるってんなら、お前は画家の家をとっくに出てるはずだし、画家の奴だってお前の仕事終わりに迎えに来ないはずだ。かといって、お前が大の男二人を手玉に取ってうまく立ち回れるほど器用な女だとも思えねえ。それに昨日のお前の様子。何かあると思わねえほうがおかしいだろ」
「じ、事情なんてなにも……」

 言いかけた直後、私の背後にクロードさんが回り込む。ドアの前。まるで逃げ道を塞ぐように。

「本当の事を話すまでこの店からは出さねえ。店も臨時休業だ」
「そんな……」
「ユキさん。観念して真実を話してはいかがですか?」

 クロードさんにも促され。私はこうべを垂れる。
 二人が私の事を思ってそう言ってくれているのはわかる。でも、だからと言って真実を離せというのは酷ではないだろうか。

 そこで私は改めてあたりを見回す。ノノンちゃんが助け舟を出してくれないかと思ったのだ。
 けれど、その思考を読んだようにレオンさんは腰に手をあてる。

「ノノンならもういねえよ。今朝早く荷物を纏めて出てったからな。元々今日で辞める約束だったし。何より、この場面で余計な口を挟まれる前に、さっさと出て行ってもらったほうが都合がいいからな」

 私は唇を噛む。この人たちは本気だ。私が真実を話すまで、いつまでもこうしているに違いない。
 長い長い沈黙。
 誰も言葉を発さない。レオンさん達は、ただ私が話し出すのをじっと待っている。
 その異様な圧に耐えきれず、私はとうとう口を開いた。

「実は……」


 ◇◇◇◇◇


「はあ? 王子に目をつけられた? なんだそりゃ。ていうか、あいつ王子だったのかよ」
「しかも王位継承順位一位と目されている第三王子とは、厄介ですね」
 
 話を聞き終えた二人は、各々思ったことを口にする。

「だから、私が側室にならないと、銀のうさぎ亭にも、花咲き――いえ、ヴィンセントさんにも迷惑が掛かってしまうんです」

 レオンさんは暫く逡巡する様子を見せていたが

「良いんじゃねえの?」

 意外にも明るい調子で答えると、私を見据える。

「ネコ子、お前、その画家の男と一緒にどっか遠くへ逃げちまえよ。クソ王子の手の及ばないような所へさ」
「え……?」
「店の事は気にすんな。なんとかなるだろ。最悪、名前を変えてでも存続させてみせるさ。マスターだってわかってくれるはずだ。つーか、俺が説得してみせる」
「どうしてそこまで……」
「そりゃ、お前のおかげで店が繁盛するようになったようなもんだからな。恩返しって奴だよ。俺って律儀だろ?」

 レオンさんはおどける様に肩をすくめた。本心ではどう思っているのかはわからないが。

「でも、クロードさんは……?」
「私もレオンさんについて行きますよ。そして眼鏡メイドデーを存続させてみせます。ああ、いっその事、従業員全員が常に眼鏡で接客するというのもいいですね」

 相変わらず眼鏡一辺倒だ。それとも、私を気遣って言ってくれてるのかな。
 そんな事を考えていると、レオンさんが私の肩を軽く叩く。

「て、訳だから、お前はさっさと帰って駆け落ちの支度でもしとけよ。クソ王子に掴まる前に」
「ユキさんの眼鏡姿、とてもよく似合ってましたよ。またどこかでお逢い出来たらいいですね。お元気で」

 二人からの別れの言葉を受けて、泣きそうになってしまう。

「レオンさんとクロードさんもお元気で。今までありがとうございました」

 感謝の意味を込めて深々とお辞儀をすると、私はお店を後にした。

 レオンさんもクロードさんも良い人だ。自分たちの事よりも私の事を気遣ってくれて。
 先ほどのレオンさんの言葉が蘇る。
 「どっか遠くへ逃げちまえよ」か。
 それができたらどんなにいい事だろう。
 そんな事を言ってくれる人たちを路頭に迷わせるわけにはいかない。
 私の心は決まった。


 ◇◇◇◇◇


 そしてとうとう約束の日がやってきた。
 私は朝から大量のカツサンドを作る。それこそ食べきれるかどうかの量を。

「なんだこの量は。今日はカツサンド祭りか?」

 お昼近くになって起きてきた花咲きさんが、カツサンドの量を見て目を丸くする。

「これは作り置きの分です。でも、なるべく早く食べてくださいね。あと、これがレシピです」

 レシピを書いたメモを渡すと、花咲きさんは怪訝な顔をする。
 色々と問われる前に、自分から話を切り出そうとしたところで、入口のドアがノックされる音がした。

 出てみれば、そこにいたのはノノンちゃん。いや、ノノン君と言ったほうが正しいか。髪を後ろで束ねて、燕尾服をきっちりと着こんでいる。どう見ても男の子だ。

 ノノンちゃんは、私に向かってお辞儀をする。

「お迎えにあがりました。ユキ様。馬車を待たせておりますのでどうぞこちらへ」

 ああ、とうとうこの時が来てしまった。現実を直視させられるように、建物の傍に馬車が見える。あれに乗れば、きっと花咲きさんとはもう逢えないんだろう。そう考えた途端、胸が痛んだ。

「あの、もう少しだけ待って。まだやり残したことがあるから……」
「どうぞ、ご遠慮なく。いつまでもお待ちしております」

 私の懇願を受けて、ノノンちゃんが一歩下がったので、ドアを閉める。

「黒猫娘。今の者は一体……」
「私を迎えにきたんです。あの人に付いて行ったら、私はもうここへは戻ってこれないと思います」
「どういう事だ。聞いていないぞ。何の話をしているんだ?」
「いままで黙っていてごめんなさい。少しでも長く花咲きさんといつも通りに過ごしたかったから……でも、もう無理みたいですね」

 突然の事に花咲きさんは状況が把握できないのか、瞬きを繰り返している。
 そんな彼に、私は切り出す。

「花咲きさん。はぐはぐしてください」

 その言葉に、反射的とでもいうように花咲きさんは腕を広げる。私はいつものように近づいて、その背中に腕を回す。その感触を忘れないようにと。

「花咲きさん……いえ、ヴィンセントさん。私、はぐはぐは故郷の習慣だなんて言いましたけど、本当はそんな習慣なんてありません。私がヴィンセントさんとこうしたかったから、無理やり理由をでっちあげたんです。ごめんなさい」
「どうしてそんな事を……」
「それは……」

 私は一呼吸置いた後で、思い切って告げる。

「……ヴィンセントさんの事が好きだから。好きな人に触れたいって思うのは当然でしょ? だからそんな嘘までついたんです。でも、それも今日が最後です。今まで付き合ってくれてありがとうございました。私、こうしている時、とっても幸せでした」

 最後に花咲きさんの胸に顔を埋めると、私は彼から離れた。

「それじゃあ、お元気で。カツサンド、早めに食べてくださいね」

 花咲きさんは放心しているようだったが、彼からの返事はいらない。どうせもう逢えないのだから。


 花咲きさんを置いて建物の外へ出ると、ノノンちゃんが待っていた。彼に連れられ立派な馬車へと乗り込む。ノノンちゃんが「出してください」と御者に告げると、馬車は緩やかに動き出した。

 その時、背後から

「ユキ!」

 という叫び声が聞こえた。思わず振り返ると、花咲さんが先程まで馬車のあった場所に立っていた。

「ユキ! 行くな! 戻ってこい!」

 その言葉にはっとした。花咲きさんが私の名前を呼んでくれた。「行くな」と言ってくれた。必要としてくれた。
 それだけでもう充分だった。その事を強く心に抱いていれば、私はこれからも生きて行ける。そんな気がした。

「これ、使ってください。殿下に会う時にみっともない顔してたら、僕が責められますからね」

 ノノンちゃんが差し出してきたのは一枚のハンカチ。
 いつのまにか私の頬を涙が伝っていた。
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