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残された時間

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 自分はなんてちっぽけな存在なんだろう。
 カツサンドを作りながらため息が漏れる。
 
 あれから数日経つが、私はまだ誰にも別れを告げられないでいる。
 言わなければとは思うが、どうしても決心がつかない。約束の期日は2日後に容赦なく迫ってきているというのに。

 カツサンドを詰めたランチボックスをいつもの場所に置くと、寝室の扉を少し開ける。
 ベッドには、かすかな寝息を立てる花咲きさん。
 この人と一緒に過ごせるのもあと少しなんだ……。
 そう考えると急に胸が苦しくなって、私は慌てて寝室の扉を閉めた。


 ◇◇◇◇◇


「レオンさん、急なお話ですけど、わたし、明日でお店を辞めさせて欲しいんです。実は、兄のごたごたが片付いたので、引き取ってもらえることになって」

 休憩時間にそう切り出したのは、私ではなくノノンちゃん。
 そうか。もうすぐ私の監視役から解放されるから、もうここにとどまる理由がなくなるんだ。

「おお、良かったじゃねえか」
「それは何よりですね。あちらでもお元気で」

 レオンさんとクロードさんがそれぞれ返答する中、ノノンちゃんが私の腕を引っ張った。

「それに、わたしだけじゃないんです。ユキさんも一緒に」

 えっ?

 あたふたしているうちに、ノノンちゃんが説明する。

「実は、わたしの兄とユキさんが結婚することになったんですよ」

 いつまでもお店を辞めることをを切り出さない私に業を煮やしたのかもしれない。ノノンちゃんは私とユージーンさんの件をばらしてしまった。

「マジかよ! いつのまにそんな関係になってたんだ?」

 決心がついていないのに、外堀から埋められて行く感覚。思わず目が泳いでしまう。

「ええと、まあ、その、色々とありまして……」
「よし、そうなりゃ今日の賄いは2人の退職祝いとして豪勢にすんぞ。ノノン、悪いけど肉買ってきてくれねえか? とびっきりのいいヤツを」
「わかりました」


 ◇◇◇◇◇


 そうしてノノンちゃんがお店を出て行った途端、レオンさんの表情が一転して険しくなった。

「おいネコ子、さっきの話本当なのかよ。ノノンの兄貴と結婚するって」
「ええ……」
「あの画家とは別れたのか!? 昨日も迎えに来てたじゃねえか」
「……実はまだ、あの人には言ってないんです……どうしても言えなくて……」

 それまで傍で黙っていたクロードさんが口を開く。

「なにやら事情がおありのようですね」
「まさか、お前また脅されてんのか? いつかの似顔絵の時みたいに」

 どうしてそんなに勘が良いんだろう。
 否定しようとすると涙が溢れてしまいそうで、私は俯いてしまう。

「それなら俺があいつに忠告してやる。お前に近づくなってな。確かあいつ男爵家の三男なんだろ? 不本意だけど前みたいに俺の親父の事をチラつかせれば大人しく――」
「違うんです!」

 私が大きな声を出したのでレオンさんは虚をつかれたように押し黙った。

「わ、私達、その、本当にお互いの事が好きで。だからその、結婚、するんです。なので、本当に大丈夫です」
「そんな泣きそうな顔で言われて、信じろってのが無理だぜ」

 精一杯の言い訳はあっさりと否定される。
 でも、いくらレオンさんでも、王子様が相手ではどうすることもできないだろう。

「いえ、本当に大丈夫ですから。その、恥ずかしくて今まで言えなかっただけなんです。ごめんなさい。わ、わたし、あの、体調が良くないので、これで上がらせてください……!」
「あ、おい……!」

 それ以上詰問されてぼろが出る前に、私は強引に話を切り上げて、制服とエプロン姿のままお店を飛び出していた。

 走っている最中、最近街中に設置されたという『要望箱』がぽつりぽつりと目に入る。
 私が『暴れん坊プリンス』なんて書いたりしなければ、こんなことにならなかったのかな。王子様と知り合いになったり、求婚までされたり、そんな事なんて起こらなかったに違いない。
 全部自業自得なんだ……。


 ◇◇◇◇◇


「うん? 今日は随分と帰りが早いな。何かあったのか?」

 制服姿で帰ってきた私に、花咲きさんが絵を描く手を止めて尋ねてくる。

「え、ええと、お店のスープストックが切れてしまって、ほとんどのお料理が作れないので、今日はもう閉店だってレオンさんが」
「ふうん。事情はわかったが、なぜお前は制服のままなのだ?」
「……お洗濯しようと思って」

 嘘ばっかり。
 これからも私は嘘を塗り重ねて生きて行くのだろうか。自分の気持ちにさえも。

「それよりも花咲きさん。『ただいまのはぐはぐ』」
「わかっている。ほら」

 花咲きさんが立ち上がって両手を広げる。
 わたしはそっと近づくと、その背中に手を回す。
 けれど、いつもなら幸せなこの時間も、堪えようのない不安感に襲われて、私はなかなか離れられないでいた。
 暫くそうしていた後で、私は思い切って顔を上げる。 

「ねえねえ花咲きさん。似顔絵を描いて貰えませんか?」
「似顔絵?」
「ほら、前に描いて貰ったのは風に飛ばされちゃったし。花咲きさんだって、次はもっと美人に描いてくれるって言ってたじゃないですか。だから描いてください」
「確かに言ったが、今日でないと駄目なのか?」
「今日が良いんです!」

 だって、あと少ししか一緒にいられないのだから。
 私と花咲きさんを繋ぐ思い出になるようなものが欲しかった。

「仕方ないな。椅子を持ってこい」
「はい!」

 いつもモデルを務める時に使っている丸椅子を、花咲きさんの仕事机の傍に持ってくると、そこに腰掛ける。
 すると花咲きさんはスケッチブックに鉛筆を走らせ始めた。
 私はなるべく笑顔を浮かべるように心がける。好きな人に自分の絵を描いて貰う。一番幸せなこの瞬間に涙を流したくなかった。

 暫くして、花咲きさんが手を止めて、スケッチブックをくるりと裏返す。
 そこにはとびっきりの美少女の顔が描かれていた。

「花咲きさん。これ、美化しすぎですよ」
「そうか? 我輩にはそう見えたんだが」

 ほんとに? 嘘でも嬉しい。

「花咲きさん。私、この絵、一生大事にしますね」
「大袈裟だな。絵くらい何枚も描いてやろうではないか」

 それは素敵だけど無理な話だ。
 私はスケッチブックを受け取ると、固く抱きしめた。
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