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7月の入学

7月の入学 14

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 翌日、わたしは昨日のあずまやに来ていた。屋根を支える柱の傍に立ち、頭上に目をやると、そこだけぽっかりと丸く切り取られた空が見える。
 確かにここはいい場所だ。静かだし、それに誰もこない。内緒話をするにはうってつけだ。
 草を踏む音に振り返ると、木々の間からテオがこちらに向かってくるところだった。


「この学校にこんな場所があったなんて初めて知ったよ」

「わたしも昨日まで知りませんでした」


 木陰からゆっくりと歩を進めるテオの姿が、陽に照らされ徐々に明らかになる。その顔は落ち着いており、うっすら笑みも浮かんでいる。


「それで、どうしたの? こんなところに呼び出して。わざわざこんな手紙をくれなくても、用事があるなら直接言ってくれたらいいのに。おかげで道に迷うところだったよ」


 テオは指に挟んだ紙切れをひらひらと振る。わたしが彼の寝室のドアの下に差し込んでおいたものだ。
 わたしはごくりと喉を鳴らす。


「すみません。でも、ここなら、あなたとゆっくり話ができると思って」

「話って、なんの?」

「一昨日のフランツの件です」

「ああ、僕も驚いたよ。急に倒れるんだもの。一体どうしたのかな」

「あなたには、その原因がわかってるんじゃないですか?」


 それを聞いたテオの顔に陰が差したような気がした。


「……それ、どういうこと?」

「あの時、違和感があったです。フランツが倒れたにもかかわらず、あなたがテーブルの上を片付けようとしていたことに。あの状況なら、普通は目の前で倒れたルームメイトのほうに意識が向くでしょう? そうじゃなかったのは混乱していたから? いえ、あなたの場合はそうじゃなかったんです。あなたは一刻も早くテーブルの上のものを片付けたかった。飲みかけのコーヒーを処理するために。違いますか?」


 わたしは深く息を吸い込むと、まっすぐにテオの瞳を見つめる。


「テオ、あなたはあの時、コーヒーに毒を入れましたね?」


 テオはわたしの顔を見返して、ぱちぱちと瞬きする。


「僕が? 何を言ってるの? あの時僕も同じサーバーからコーヒーを飲んだんだよ? クルトも一緒に。毒が入っていたなら、僕達だって平気でいられるわけないじゃない」

「正確には、フランツにとって毒となる物質、でしょうか。彼は特殊な体質をもっていたんです」

「……どんな?」

「アレルギーです。おそらく、蝶の鱗粉に対して拒絶反応を起こすタイプの」


 テオの眉がぴくりと動いた。わたしは唇を舌で湿らせてから言葉を続ける。


「フランツは時々くしゃみをしていました。テオ、あなたが持っていた蝶の標本に反応したんです。たぶん、標本箱から漏れた鱗粉が部屋を漂っていたんじゃないでしょうか。寝室に飾ってあった標本を見て、彼があんなに取り乱したのも、それなら納得できます。自分の命を脅かすかもしれない存在がすぐ近く、それも寝床の傍にあるなんて、フランツにとっては気が気でなかったでしょうね。だから彼は寝室に入れなかったんです。ただ、彼の負けず嫌いな性格のせいか、それを周囲に打ち明ける事はなかった。だからわたしは彼が単に蝶を嫌いなだけだと思ったんです」


 テオは動きを止めて、ただ足元を見つめている。


「テオ、あなたは蝶に詳しいようですし、蝶に対してのアレルギーについても知っていたんじゃないですか? そして、フランツを見たときに彼がその体質だとも気づいた。だから、あなたは蝶の羽を砕いたものをコーヒーに混ぜたんです。コーヒーなら、少しくらい異物が入っていても苦味で誤魔化せますから。もしかすると、わざと苦くなるように淹れたのかもしれない。その結果、それを飲んだフランツの身体はアレルギー反応を起こしてしまった。同じものを口にしたあなたやクルトがなんともなかったのはそのせいです。アレルギー体質ではない人間なら、少しくらい摂取しても害はありませんからね」


 そこまで言うと、テオが顔を上げて口を開く。


「ちょっと待ってよ。どうして僕がそんな事しなけりゃならないの? 確かにフランツとはそんなに親しくなかったけど、だからって疑うなんてひどいなあ。証拠もないのに」

「理由は、わかりません……でも、わたし、あの場所でこんなものを見つけました」


 わたしはポケットからハンカチを取り出す。広げてみせると、小さな陶器の破片が現れる。


「これ、昨日ソファの下で見つけました。割れたカップの一部です。ここを見てください。コーヒーの汚れと、何かの破片みたいなものが付着していますよね」

「それがどうかしたの?」

「わたしの憶測ですけど、これって蝶の羽の破片じゃないでしょうか?」 

「僕にはただのゴミにしか見えないけど」

「確かにそうかもしれません。正直なところ、わたしにはこれが何か判別できません。でも、専門家に見せればこれがなんなのかわかるかもしれない。それに一昨日の騒動のとき、テーブルだけでなく絨毯にもコーヒーが零れてしまいましたよね。残念ながらテーブルの上は片付けられてしまいましたが、絨毯には今もしみが残っています。そこを探せば他にも何かの痕跡が残っているかも」


 テオが微かに目を瞠ったように思えた。わたしは続ける。


「あなたは蝶のコレクションを大切にしているようだし、それを砕いてコーヒーに入れるには抵抗があったのでは? おそらく、街にある例の蝶の標本を扱うお店で適当なものを買ったんじゃありませんか? お店の人なら何を購入したかを記録しているかもしれませんね。その記録とこの破片を照らし合わせれば、もしかすると……」


 そこで言葉を切って、テオをじっとみつめる。
 二人とも動かない。沈黙がその場を支配する。乾いた風が吹き、周囲の木々をざわりと揺らしていく。
 やがてテオが微かに笑ったような気がした。


「ユーリ、君は自分の事『無芸大食』だなんて言ってたけど、全然そんな事ないじゃないか。まるで探偵みたいだよ」

「え……?」

「そうだよ。君の言った通り、僕がコーヒーに蝶の羽を混ぜた」


 テオが低く呟く。
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