勇者は浮気する

仁科

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勇者は浮気する 4

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 執事はあまりにおぼつかなかった。もうなんというか、人間が怖い。王女さまはあのラブラブな関係を演技でこなすし、勇者は王女の結婚相手の身でかんたんに不倫するし、王様は王様で何も知らなくてかわいそうだし。むしろ人を信じることが怖くなってきたくらいだ。

「あんな男と同じ部屋で寝られるわけないじゃない」

 王女はいつもの調子で、執事に愚痴をこぼしていた。対する執事の調子は、打って変わって大きく揺らいでいた。しかし、王国に仕える使用人の最高統括者たるもの、こんなことで動揺してはいられない。ましてや、王女に心のうちを悟られるなど、もはや恥である。執事心得、まずは話を反らすことからだ。

「今日はいい天気ですね」
「夜よ」

 なぜ自分はこの仕事を続けていられているのだろう、と執事はつくづく思わされる。おそらく、融通と忠誠心だけで雇用されているのだろうという、彼の自己分析はなかなか鋭い線を行っている。

 問会えず、今一番の問題を指摘することにした。

「王女さま」
「なに?」
「どうして、私の部屋にいるんですか」

 使用人の部屋は、二階西側にまとめられている。そこに貴族や王族が立ち入ることはほとんどない。にも関わらず、王女は執事の部屋で、ましては彼のベッドの上に寝転がっていた。

「いいでしょ別に。なんかいけないの?」
「……いやその、なんていうか。いけないということじゃないんですけど……」
「じゃあいいじゃない。アンタ今日寝るの?」
「まあ、寝れそうにないですね」
「じゃ、ベッド借りてもいいね。おやすみ」
「待ってくださいよ」

 執事は今にも目を閉じそうな王女を呼び止める。あたりにはランプの細い光の他に光源はない。朝日はもうしばらく待たなければならない。暗闇に包まれた部屋の中に、その部屋の持ち主の声が響く。

「王女さま!」

 ほんのしばらく、不自然な間が生まれた。執事にとっては、王女と呼んでみたは良いもの、その後に続ける言葉は何一つとして浮かんでこなかった。一方王女は、少し驚いたように目をパチリと開けている。

「何よ、そんな急に大声出して」
「……なんでもないです」
「なんでもないわけないでしょ。アンタが声を張るなんてどれだけ珍しいことがわかってんの?」
「いや……」
「私びっくりしたからね。アンタのシャウトってこんな感じなんだって」
「んん……」

 王女の説教めいた声に、彼は何も言えなくなった。追い打ちをかけるように、王女は続ける。

「アンタが私の目を覚まさせたんだからね、責任とってちょうだいよ。なんか隠してることあるんでしょ?」

 心のうちを、悟られてしまった。もう何もかもが裏目に出て、全てがうまく行かなかった。彼は小さくこぼした。

「僕なんか、執事失格ですね」
「ん?」

 思わぬ言葉に、王女はすぐさま聞き返す。

「私は幼い頃からこの家に仕えてきましたが、まさか自分に、執事としての才能がないだなんて思いませんでしたよ」
「それってどういうことよ」
「向いてなかったんですよ。執事なんて。多分、これ以上あなたのそばにいたら、迷惑をかけてしまいます」
「もっと具体的に言って。私にもわかるように、アンタが今何をしたいのか、教えてよ」

 王女は状況がつかめず、手をフラフラと揺らし、体をソワソワさせはじめた。今、自分はどんな対応をしたらいいのかわからない。どんな言葉をかければいいのか、わからない。そんな彼女の心も構わず、執事は続けた。

「僕、この仕事辞めたいです。今度は、僕よりももっと頭が良くて、気遣いができて、秘密を聞いても顔に出さないような人を雇うことをおすすめします」
「は? アンタそれ本気で言ってるの」
「ええ。これが僕の、執事としての、最後の、最大級の気遣いです」
「ちょっと!」

 最後の最後には、執事は至って冷静にいることができた。なんてったって、ここで感情を動かしてしまえば、涙どころでは済まない気がしたからだ。

「止めようなんて思わないでくださいね。迷惑なので」

 先程からずっと、彼は王女と目を合わせることを拒んでいた。なぜなら、その目を見てしまうと、どうしても気が変わってしまうと思ったからだ。でも、どうにも、これで終わってしまうと思ったら、王女の目を見たくなってしまった。

 その目は涙をいっぱいにためて、たった今から泣き出してしまいそうなくらいに、明日になったら真っ赤になってしまいそうなくらいに、目の全体が、うるうると揺らいでいるように見えた。

「王女さま」

 思わず声が出た。彼女のこんな姿を、目にするのは初めてだった。

 王女は、今にもなくなってしまいそうな、とぎれとぎれの声でなんとか言葉をつなぎ始めた。

「アンタね……。勝手に辞めるとか、止めるなとか、そんなのこっちが迷惑よ」
「でも……」
「でもじゃない! あんたは私が子供の頃からここにいるの。あの頃は二人とも子供だったでしょ。あの頃は私達、友達だったでしょ!」
「それが、何なんですか」
「なんでわかんないの!」

 王女は、荒くなった口調と声を、少し直して言った。

「私の口から言わせるなんて、相当な勇気があるものね」

 執事は何かを言おうと思ったが、不思議と言葉が喉にもありつかない。彼には、息とつばを一つ飲んで、王女の言葉を待つことしかできなかった。

「アンタが執事じゃなくなったら、私はアイツと離婚するから」

 執事は、王女の言葉を分解し、組み立て直し、考える。『アンタが執事じゃなくなったら、私は離婚する』? それってつまり……。

「出ていけってことですか」
「違う! その逆よ」

 王女はまた声を荒げた。

「絶対に出てっちゃだめってこと!」

 言い終える前に、涙がどっと溢れてきた。それは執事も同じだった。
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