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第1章

15.

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「へ?」

 サラディの急な問いかけに間抜けな声が漏れる。
 裏切られた事があるか、と問われるとキーリなどは数えきれない程にある。しかし、それは特別な事ではないともいえる。
 この界隈に住んでいれば裏切られた事など、よくある話だ。
 しかし、サラディの言葉は重い。

「俺はある。他人も、部下も、家族にも、だ」
「……え?」
「何度も、何度も裏切られた。その度に死にかけた。だからこそ……俺は、自分以外の他者が怖くて憎い」

 サラディの指先がそっと、自身の顔をなぞる。それは、頬から首にかかる大きな火傷痕を辿っていた。古い火傷痕をゆっくり、ゆっくりとなぞっていく。
 それがサラディにとってどういう意味があるのかキーリにはわからない。ただその様子が悲哀に満ちているように思えた。

「そうして呪いながらも、憎んでいるくせに……どうしても…………どうしても諦められないものがある」
「……」

 サラディが顔を上げて、キーリを見た。
 血のように真っ赤な瞳の中にキーリを映している。しかし、瞳の奥は暗く沈み、感情が失せていた。

「一人でいい。たった一人でいいんだ。心を許していいと思える人間が欲しい。どんな損得があろうとも裏切らない、側にいても俺を殺そうとしない。そして、自然と笑っていられる相手が欲しい」

 それは、起伏のない淡々とした声だった。表情からも感情は削ぎ落とされていた。
 その様子に反して、言葉の中身はとても平凡な願いだった。
 キーリはその言葉を聞いて、困惑するしかなかった。
 キーリの受ける裏切りなどは、些細な事が多く、損するのは金銭程度のものだ。
 裏切られた相手も他人ばかりで、運が良いのか友人にも家族にもそういった仕打ちを受けた事はない。
 そのキーリにもわかる。平凡な願いにこれほどの懇願が込められているのは、サラディが受けて来た裏切りがこれらと比べ物にならない程に重く昏いのだろう。

 察してしまえば、次に繋ぐ言葉が見つからない。お互いに口を開かず、沈黙だけが場を支配していた。

「キーリ。俺は、お前が凄いと思ったんだ」
「は? 俺?」
「そうだよ。お前は、この貧民窟で見ず知らずの人間を拾って助けた。何も得にならないと知って、むしろ損になると知っていたのに」
「いや、それは……」

 キーリにとってはそれは胸を張れるものではなかった。真の善人なら迷わず手を差し伸べるだろう。しかし、キーリは迷って躊躇って、寸前でサラディの手を取ったのだ。だからこそ、サラディの目を見れずに逸らしてしまう。

「だから、俺はお前に望んでしまったんだ。お前なら、俺のたった一人になってくれるんじゃないか、と」
「……もしかして、それが騙した理由か?」
「……ああ、そうだよ。すまなかった、キーリ」

 サラディはキーリを試した。キーリが本当の意味で心を許していい相手かを、ロイドに芝居をうってもらい試したのだ。
 差し出される大金、見知らぬ他人であるサラディ。そのどちらを取るか、それを見て判断したかったのだろう。
 サラディの求めるたった一人になれるかどうか。

「俺がしたことが許されるとは思っていない。けれど、もし……もし、よかったら」

 その言葉の先が続く事はなく、サラディはそのまま口を閉ざした。反対にそれを言われたキーリもどう答えていいかわからなくなっていた。

 ──絶対に裏切らない存在、か。

 サラディが求めているのはそういうものなのだという事はキーリにも理解できていた。
 しかし同時に、それをキーリ自身が叶えられるのかと言われたならば頷けるものではない事もわかっていた。
 状況や関係は時間によって変化する。決して裏切らない、なんて言い切る事ができる程にキーリは勇敢ではなかった。
 暫く沈黙が続く。
 どれくらい時間が流れたのかわからない。キーリの腹がまた食料を求めてきた辺りで漸くキーリが口を開いた。

「俺はさ。こういう生き方をしてるから絶対とか、必ずとかはあんまり言いたくないんだよ」
「……ああ」
「だから、ええと。上手く言えないんだけどさ」

 キーリは自身の襟首を掌で擦る。それは身体全体がむず痒いような感覚に襲われているからだ。それが身体的からくるものではなく、精神的である事はわかっていた。
 黙って試された事に多少の怒りはある。あの時キーリは全力で心配したし、全力で泣いたのだ。
 しかし、キーリ自身もサラディの性質は理解していたはずだ。
 無駄に警戒心が強くて、自分しか信じない孤高の人。そして皮肉な事にそれを気に入っていると強く思ったのはあの時だった。

「……サラディ」

 一瞬、名前を呼び捨てにしていいのか悩んだが、すぐに悩みを振り切って片手を差し出す。名前を呼ばれたサラディは瞳を丸めて驚いていた。

「その……友達になろうぜ」

 サラディは、差し出したキーリの手に視線を落とした。
 手に穴が空くのではないかと思う程に見詰め続ける。その間、徐々にと恥ずかしくなってくるのはキーリだ。
 何故なら、このように改めて友人関係を口にした事など一度もないからだ。引っ込めてしまおうかと思い始めた頃、サラディがキーリの手をとった。
 優しく、両手で握り締める。

「……俺は友達は大切にする方だ」
「……ああ」
「お前の求めていたもんじゃないだろうが、その」
「いや、いいんだ」

 サラディは、笑った。
 それは、とても柔らかくて、やっと宝物をみつけた子供のような笑顔だった。

「……いいんだ。ありがとう、キーリ。お前が俺の、唯一の友人だ」

 唯一、とまで言われると流石にキーリもその重みに呻く。それでもサラディが笑ったのならばそれでもいいとキーリには思えた。
 キーリとサラディは友人となった。
 そして、これが分岐点であり全ての始まりになると世界に記憶された。
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