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第1章

11.

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「……は?」

 アカはぽかんと口を開いて、固まった。急な事だ、当たり前の反応だろう。しかし、キーリにはアカを待っている余裕がない。
 キーリは、急いでベッドの下に隠していた緊急用の鞄を取り出す。そこへ持っていける最低限のものを放り投げていく。

「これとこれは必要だ。水はいざという時のために多めに持っていくべきだよな」
「ちょ、っちょっと、待ってくれ。に、逃げる?」
「……外にトーマック一家の幹部がいる。お前を探してるって言ってたんだ」

 それを聞いてアカは黙り込んだ。キーリにはわかってはいたがその反応で、やはりトーマック一家と揉めていたのだと改めて理解した。
 アカは暫く黙った後に、荷物を纏めるキーリの腕をぐっと掴んで引く。一度手を止めて、そちらへ振り返る。

「事情はわかったよ。だが、別にお前も一緒に逃げる必要はないだろう。それに奴らの事だ、何か言われたよな?」
「……お前を連れてきたら、金をやるってさ」

 キーリは手に握り締めていた金貨を、ベッド上のアカに投げる。それは綺麗な放物線を描いて、アカの片手に受け止められる。
 それを金貨だと確かめたアカの瞳が不機嫌そうに細められる。
 そして、その金貨をキーリへと差し出した。

「そうか。なら、これを受けるんだ」
「はあ!?」
「俺はこの足だ。一緒にいってもすぐに遠くは行けないさ、このまま俺を売り飛ばせばいいよ」
「お前、何言って」

 アカは、笑った。その笑顔は、とても弱弱しく全てを諦めているかの乾いた笑みだった。それを見たキーリは、ぐっと奥歯を噛みしめる。

「ここはそういう場所だ、お前も知っているだろう?」
「……っ」
「弱いヤツは死ぬ、お人好しは奪われるだけ。死にたくないなら狡猾に……」
「──ッ、黙れ!!」

 一気にキーリの頭に血が昇って、感情が爆発する。それは大声となって外に出た。腹の奥がぐつぐつと煮えるような感覚に、全身が熱くなっていく。
 キーリはアカの掌に乗った金貨を怒りに任せて払う。すると、勢いよく飛んだ金貨は軽めの金属音を響かせて、どこかへ転がっていく。
 それを驚いたまま目で追うアカがキーリは気に入らなくて、その胸倉を掴んだ。

「お前にそんな事言われなくたってな! そんなもの、俺が一番わかってる!」

 そんな事痛いほど知っている。わかっている。
 弱い者は死ぬべき、お人好しは搾取されるだけ。騙されるヤツが悪い、狡賢く利口に立ち回る奴だけが生き残れる。
 それがこの貧民窟で生きる術。しかし、キーリは。

 ──それが、絶対に正しいなんて、ずっと認めたくなかった!

 キーリの父親は言った。悪事に染まらず真っ直ぐに生きて欲しい。
 結局のところ、悪事に染まらずというのは無理だった。それはキーリが子供すぎて、考えが浅かったからだ。
 しかし、そうなっても自分の気持ちに従って、真っ直ぐ生きるという事から目は逸らしたくない。
 感情が高ぶったせいだろうか、じわりと涙が浮かぶ。それはゆっくりと粒になって、キーリの頬を滑り落ちていく。

「俺は臆病者だし、中途半端野郎だよ。今だって凄え怖いよチクショウ。でも、でもなあ!」

 ボロボロと落ちて、鼻水だって垂れてきた。ぐしゃぐしゃになった顔のまま、それでもアカの胸倉を掴み続ける。しかし、ほぼ力が入ってない。

「でも、俺っ、アカの事嫌いじゃねえんだよ……し、死んでほしくないって思って、っ」

 そうだった。キーリは友人でも親族でもなくても、アカが嫌いじゃなかった。
 必死に警戒して自分を守って、それは孤独で疲れるだろうと思っていたが、同時にとても誇り高いように見えて、キーリは嫌いじゃなかったのだ。
 キーリは最後まで言いたかったのだが、鼻水が垂れ流れて言葉にならずに終わった。
 臆病者が、泣く。
 自分の命が危うくなるよりもアカの命がなくなるのが怖いと泣くのだ。
 アカは、そんなキーリを信じられないモノを見るような目で見ていた。
 その間キーリはというと、大声で喚いて泣き出したので一気に息苦しくなって、必死に呼吸するはめになった。
 引き攣ったように息を吸いながら、鼻をずるずると啜る。

「……っ、キーリ」
「ひぐっ、言う事……っ、きけ、馬鹿、がっ」

 アカは戸惑ったような声だった。そして躊躇いながらも、アカの腕が伸びてキーリを緩く抱きしめた。
 そのままどれくらいの時間が過ぎただろう。漸く呼吸を整える事が出来て、少し冷えた頭がこんなことをしている場合かとキーリに気付かせた。
 感情に任せて大声を出してしまったのだ。ロイドは近くにいるのに聞かれたりする可能性もある。
 そう気付いた時、小さな咳払いが聞こえた。

「……お邪魔して申し訳ありませんが」

 キーリは聞いた事ある声に、抱き締めてるアカの腕を振り払って振り向く。すると、そこにはロイドが扉を開いて立っていた。
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